妄想恋愛しちゃダメですか?

橘柚葉

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第十六話

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『仕事が終わったらメールをください。銀行に迎えにいきますよ』
 金曜日のお昼。私のスマホにメールが届いた。
 相手は澤田尚さん。澤田税理士事務所の尚先生だ。
 澤田家に総おどりの夜の非礼をお詫びに行った日。結局は尚先生のご両親である澤田先生と奥様は不在で目的は達成することは叶わなかった。
 その代わりと言ってはなんだが、私は尚先生とキスをすることになってしまったのだ。
 もう何が何だか分からなかった。それが本音だ。
 ただ、尚先生のキスはとても優しくて、ずっとしてもらいたいと思うほどで……
 あれだけ妄想恋愛に没頭し、リアルの恋愛に興味もなかった私なのに、尚先生にキスをされて以降、私の脳内妄想恋愛機は完全に稼働しなくなってしまった。
 リアルなぬくもり、声。それは妄想では味わうことができなかったドキドキを感じることができる。
 まさにフジコが言っていたとおりだ。ぬくもりに勝るモノはないのかもしれないと、今の私ならわかる。
 フジコの荒療治の成果なのかもしれないが、ここは素直に「そうだね」とは言いたくない。
 キスをされた日、半ば脅しのようなことを言われてデートすることが決定してしまった。
 そして、脅されついでに携帯アドレス、電話番号を教えることになっってしまったのだ。
 尚先生とのキスのことも、これから会うことも。フジコだけは絶対に内緒にしておかなければならないだろう。何を言われるか、わかったものじゃない。
  彼女のことだ。
「それなら、ステップアップしちゃいましょ~」などと言いかねないだろう。
 私は慌てて尚先生に返信をする。もちろん銀行に迎えにくるというのを断るためだ。
『仕事が終わり次第、そちらに向かいますので大丈夫です』
 銀行まで尚先生が迎えにきてしまったら、フジコや他の行員に見つかる可能性大。
 それだけは避けなくてはならない。
 メールを送ってすぐ、尚先生から返信が届いた。だが、その内容を見て眉を顰める。
『心配ですから、私が迎えにあがりますよ。遠慮なさらず』
 尚先生のことだ。どうして私が先ほどのメールを送信したのか、理由は分かっているはずだ。
 それなのに、このメールだ。尚先生の意地悪が込められているように思う。
『結構です。じゃあ、今日の約束はなかったということに』
 ちょっと意地悪かなぁと思いつつも、尚先生に送信してみる。
 向こうが先に意地悪を仕掛けてきたのだ。少しぐらいの意趣返しなら許されるだろう。
 すると、すぐさま尚先生から返信が来た。それを見て思わず噴き出してしまった。
『珠美さんと今からデートなんだと貴女の同僚たちに見せびらかしたかったのに……でも、今日のデートが流れるぐらいなら涙を呑んで迎えに行くのを諦めます』
 やっと諦めてくれたらしい。ホッと胸を撫で下ろしながらも、尚先生のメールを見て思わずにやけてしまう。
 幸せな気持ちに浸りながらスマホをカバンに入れようとしたとき、スマホがブルルルと震えた。
 慌ててスマホを見ると、再び尚先生からのメールが届いていた。
『今日のデート、楽しみにしていましたから。必ず来てくださいね。もし、来てくださらなかったら……珠美さんを捕獲しに行きますからね』
 楽しみにしていた、という尚先生の言葉は正直嬉しい。思わず目尻が下がってしまう。
 だけど、最後の一文はいただけない。
 万が一、私が今日の誘いを退けて帰ったりなんてしたら……恐ろしいことになることは間違いない。
 これは何が何でも定時に仕事を終わらせるべきであろう。もし、残業になったら尚先生のことだ。
「夜道を一人で歩くなんて危険ですから。迎えにきましたよ」
 などと言って、銀行に迎えにきてしまうことだろう。そんな恐ろしい事態にはなりたくない。
 それに、なんだかんだと言って私は今日のこの日を楽しみにしていた。
 尚先生のペースに嵌まっていることも、ある程度流されてしまっていることもわかっている。
 だけど、ウキウキしてしまうのだ。こういうワクワク感、久しぶりに味わう気がする。
 スマホを見て思わずほほ笑んでいると、目の前に人がいたことに今さらながらに気が付いた。
「フ、フ、フジコ!?」
「あのさー、珠美。妄想しているのもいいけどさ、ところ構わず妄想に入るのは止めてちょうだい」
「えっと、そのぉ」
 今回のは妄想じゃないんだよ、と言いたいところだが、そこはグッと我慢する。
 フジコにバレた暁にはどんな大変なことになるのかわからないからだ。
 だけど、残念なことにこういう場面でうまく取り繕うことができない私は視線を泳がせてしまう。
 フジコは私の異変を素早く察知したようで、ニンマリと笑う。
 ああ、その笑いは絶対にヤバイ。
「そろそろ休憩終わるから~」とさりげなく逃げようとしたが、フジコに掴まってしまった。
「ふーん」
「な、な、なによ。フジコ」
「ついに尚先生に落ちたか、珠美」
「なっ!」
 思わず辺りを見回す。幸運なことに誰も行員はいなくてホッと胸を撫で下ろす。
 しかし、目の前のフジコはフムフムとなにやら嬉しそうに頷いている。
「やっとリアル恋愛をする気になったのね。なかなかやるわ~、尚先生」
「フジコ! なんだか決めつけているみたいだけどね。私はただいつもどおり妄想恋愛をしていただけよ」
 私なりに精一杯嘘をついてみた。しかしながら、そんな小手先な嘘、フジコさまに通用するわけがない。うん、わかっていたわよ。そんなこと。
「で? 今日は仕事終わりにデートなわけね? そうなのね!」
「だから、フジコ!」
 どうしてこうまでフジコには見透かされているのだろう。そしてフジコは相変わらず私の話を聞いてはくれない。
「珠美! ちゃんとおしゃれしてきたんでしょうね!」
「おしゃれ……」
「ほら、見せてご覧なさい。今日の勝負服を!」
 スゴイ剣幕でまくし立てるフジコに負けた私は、ロッカーから服を取り出した。
 この前一目ぼれして買った服だ。
 膝丈のワンピースで、淡いブルーの花柄の生地はふんわりと優しい。
 ちょっとキュートすぎるかなぁ、年甲斐もないかなぁ、と悩んでみたものの、ショップ店員さんの後押しもあり思わず購入してしまったのだ。
 そのワンピースを見て、腕組みをするフジコ。鋭い眼光はとても厳しく、思わず震え上がってしまう。
「うん、いいわね。珠美によく似合っている。で、靴は? カバンは?」
 すべてにチェックを入れたあと、フジコは大きく頷き、手で丸を作って見せた。
「いいじゃない、珠美。バッチリなデート服よ。久しぶりの恋、楽しんでいらっしゃいよ」
「べ、べ、別に。恋なんかじゃないし! ただちょっと色々あって食事に誘われただけで」
 どんなに言い訳を並べようとも、フジコには何もかもお見通しのようだ。
 フフンと鼻で笑ったあと、私の顔を覗き込んできた。
「な、な、なによ」
 挙動不審の私に対し、フジコはジッと私の顔を見つめたあと、フッと力を抜いて笑った。
「良かった。安心したわ」
「フジコ?」
 優しげな表情を浮かべたフジコは、私と視線が合うと目尻を下げる。
「珠美。今度は逃げないでよ」
「フジコ……」
「あんな男のせいで珠美が傷ついているの、見ていられなかったんだから」
 心底ホッとしている様子のフジコを見て、私は嬉しくて涙腺が緩んだ。
 それに気が付いたフジコは、急に慌ててハンカチを取り出した。
「もう、バカね。珠美は。泣くことないでしょ? 今は尚先生と幸せ絶頂なんでしょ? 笑っていなさいよ」
「別に幸せ絶頂ってわけじゃないもの。それに付き合っているわけじゃないし」
 そもそも尚先生のことが好きかどうかもわからない。
 フジコにそう言うと、深々とため息をつかれてしまった。
「あのね、珠美。妄想恋愛していたなら、少しは恋のときめきとかわかっているでしょう? それなのにわかっていないとか……本当使えない脳内妄想恋愛機ね」
「うっ! そ、そ、そんなことないと思うけどな~」
 尚先生に出会ってから私の脳内妄想恋愛機は作動しなくなってしまったけど、今まで数々のイケメンたちと妄想恋愛をしてキュンキュンしてきたのだ。
 恋のはじまりぐらい……わかるはずだ、たぶん。
「まぁ、いいけどね」
「あれ、いいの?」
 恋に生きる女、フジコ。私の曖昧な態度や、頼りなさに言い返してくるかと思った。
 しかし、あっさりしている。あっさりしすぎていると言ってもいいだろう。
 不思議に思ってフジコを見つめると、彼女はフフフと妖しげに笑った。
「だって珠美が気が付かなかったとしても、尚先生がなんとかするでしょうし。それに尚先生なら、珠美が恋だって気づいたときには取り囲んでいるでしょうしね」
「……」
 フジコの考えに思わず頷いてしまいたくなる。
 それほど尚先生にはしてやられてばかりいる私だ。フジコの言うとおり、そんな未来がすぐそこに近づいているような……そんな気がしてならない。
「とにかくよ、珠美。自分に素直になりなさいよ」
 困惑する私に、フジコはキレイな笑みを浮かべた。

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