今宵、貴女の指にキスをする。

橘柚葉

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第十三話

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「木佐先生、本当に申し訳ありませんでした!」
「七原さん、頭を上げてくださいよ」
 オロオロする円香に、七原は頭を下げ続けた。
「いいえ。あの日、私が何が何でも京都に行けば……こんなことにはならなかったんです」
 どうやら堂上は京都での一件を包み隠さず七原に話したのだろう。
 地面に頭を擦り付けるような勢いで頭を下げる七原に、円香は心底困ってしまった。
 結果的には、とりあえず問題はない。
 楠もあのときすぐに円香のことを諦めてくれたし、堂上も心配して探してくれた。
 それに、相宮だって駆けつけてくれたのだ。
 相宮が駆けつけてくれたのは、他でもない七原のおかげなのだから。
 だから心配しなくても大丈夫だった、と円香が言うと、七原はようやく頭を上げてくれた。
「うちの堂上に、二度と木佐先生の周りをうろつかないと約束させました。もし、うろつくようなことがありましたら、私になんなりとお申し付けください。上と掛け合いまして、処罰を下してもらいますから」
 恐ろしいほどの剣幕に、円香は恐れをなして何度も頷いた。
 ようやくいつもの雰囲気に七原が戻ってきたことに安堵した円香は、七原に椅子を勧める。
「とにかく座ってください。まだ色々とお話を聞きたいことがあるんです」
「ありがとうございます、先生。もちろん、色々とお話させていただこうかと思っています。とくに相宮さんのことについて」
「っ!」
 言葉をなくす円香に、七原はフフンと得意げに笑って「そこが一番聞きたいことでしょ? 違いますか?」と小首を傾ける。
 どうやら七原にはすべてお見通しといった雰囲気だ。
 円香も椅子に座り、七原をまっすぐに見つめる。
「まずは結論です。今度の新作装丁デザイナーですが、当初の通り相宮さんにお願いすることに決定いたしました」
「そうですか」
 ホッと胸を撫で下ろす円香に、七原は何かを思い出したかのように怒りを滲ませて言う。
「相宮さんと木佐先生の仲を壊そうとした堂上に、責任を持って後処理をしてもらうことになりましたから」
「そ、そうですか」
「ええ。さすがに今回のことは大人げない、かつ子供っぽいと感じたのでしょう。堂上本人から申し出がありまして処理に当たっています。ですから、ご心配なく!」
 堂上なりの罪滅ぼしなのだろう。
 ホッと胸を撫で下ろすと、七原は小さくため息をついた。
「実はデザイナー変更が社内で言い渡されたとき、相宮さんから抗議の電話があったんです」
 そのことは相宮からも聞いている。円香は「相宮さんに聞きました」と言うとコクリと頷いた。
 七原は円香の様子を見ながら、そのときのことを思い出して言う。
「木佐先生から連絡はないかと相宮さんから聞かれましたので、ないと正直に答えました。相宮さんはかなり落胆されていましたよ」
「はい……」
 それは先日京都からの帰り道でも聞いたことだ。
 円香は肩をすぼめて頷いた。
 すると、七原は困ったように眉を下げる。
「木佐先生がなんでデザイナー変更について異議を申し立てなかったか。私にはなんとなくわかっていますけど」
「え!?」
 驚いて七原を見つめる円香に、彼女は肩を竦めた。
「だって、木佐先生は相宮さんのことが好きなんでしょう? ビジネスパートナーとしてでなく、異性として」
「っ!」
 言葉がでない。円香はただ目の前に座る七原の目を見つめる。
「デザイナー変更は相宮さんから言い出したのではないかと思って、怖くて聞けなかった。好きだから尚更聞けなかった。そういうことじゃないでしょうか?」
 その通りだった。
 ポカンと口を広げて七原を見つめ続ける円香に、彼女は苦笑する。
「この事務所で、三人で打ち合わせすることがありますよね」
「ええ」
「そのときの私の気持ち、木佐先生は知っています?」
 どういうことだろう。円香は分からなくて眉を顰める。
 すると、七原は「やっぱりか!」と呆れながら口を尖らせた。
「二人でラブラブオーラ炸裂で、私の居場所はないんですよ!」
「!」
 だから、さっさと帰ることが多いんです。と、面白くなさげに七原は言う。
 確かに相宮のことが好きだ。だから、そういう目で相宮のことを見ていると指摘されても仕方がないだろう。
 だけど、相宮は違う。円香は首を横に振った。
「七原さん。正直なところ……確かに私は相宮さんのこと男性として好きです」
「ほら、やっぱり!」
 手を叩いて喜ぶ七原に、円香は慌てる。
「だ、だけどね。相宮さんは違うと思う」
 相宮はただ指フェチの欲求を満たすために、理想の指を持つ円香に興味を持っているだけだ。
 愛だの恋だのという感情とは別のところに気持ちはあるはずである。
 相宮にとっての理想の指に触れるために、円香が執筆した本の装丁を相宮はしているだけ。
 報酬は円香の指に触れること。ただ、それだけだ。
 さすがに指フェチのことを七原に話す訳にもいかず、言葉を濁しながら相宮の気持ちは別のところにあると苦言する。
 だが、七原はますます大きなため息をついた。
「木佐先生、それ本気で言っています?」
「本気よ。だって……デビュー作からずっと相宮さんとお仕事できているのは、A出版さんがプッシュしてくれているからだろうし。相宮さんだって長年付き合っている出版社のお願いを叶えているだけなんじゃ」
 円香の率直な気持ちを告げると、七原は頭を抱え、円香をジトッとした目で見つめる。
「言っておきますけど、うちの出版社が常に相宮さんに木佐先生の作品装丁をお願いしている事実はありません」
「え?」
「すべて相宮さんサイドからのたっての願いなんですよ。相宮さんはA出版に交換条件を出しているんです」
「交換条件……ですか?」
「ええ。他の大御所作家の装丁をするから、その代わり木佐円香先生の装丁は必ず自分にさせてくれって」
 初耳だった。驚きすぎて言葉が出ない。
 口を押さえたまま固まり続ける円香に、七原はクスクスと笑い出した。
「そう言い切るのは、相宮さんが木佐先生のことを特別な人だと思っているからでしょう?」
 そうなのだろうか。
 ただ単に、円香の作風が好きでしているだけという可能性もあるじゃないか。
 円香はまだ信じられず、七原を訝しげに見つめるだけしかできない。
「真相は相宮さんだけが知っていますよ、木佐先生」
「七原さん」
 戸惑う円香に、七原はニッと口角を上げる。
「明日、私は相宮さんとこちらの事務所に伺う予定です。止まってしまっている装丁デザインのことについて煮詰めていかなければならないですから」
「あ、相宮さんがお見えになるんですか!?」
 声が上ずってしまった。
 慌てふためく円香に、七原はプッと噴き出した。
「先ほど言いましたよね? 装丁は相宮さんが再びすることになったと。まだ話し合いの途中でしたもの。相宮さんが来るのは当然ですよね~」
「う……」
 その通りだ。だが、傍目に見ても慌てふためく円香に七原は意地悪に笑う。
「いいじゃないですか。好きな人と再びタッグを組めるんですよ~」
「そ、そうかもしれないですけど」
「ここは一つ、仕事も恋もどちらも手に入れちゃいましょうよ!」
「ひ、ひ、人ごとですよね? 七原さん」
 絶対に七原はこの状況を楽しんでいる。
 それが分かるからこそ、円香としては複雑な思いを抱いてしまう。
 唸り続ける円香を横目に、七原は帰り支度をし始めた。
 それをジッと見つつも何も言えない円香に、七原はニンマリと笑う。
 もちろん意味ありげにだ。
「そうそう、木佐先生。良いこと教えてあげましょうか」
「い、良いこと?」
 立ち上がった七原をドキドキしながら円香は見つめる。
 すると、七原は胸の辺りでギュッと指を組んだ。
 そしてどこか夢見心地な様子で「きゃぁー!」と嬉しそうに黄色い声を出した。
「相宮さんが、どうして木佐先生のデビュー作から装丁を続けるのか」
「え?」
「相宮さん本人から伺ったことってありますか?」
「ないです」
 首を大きく何度も横に振る円香を見つつ、七原はトートバッグを肩にかけた。
「一度、お聞きになったらいかがですか?」
「相宮さんに、ですか?」
「ええ。先生と相宮さん、少し会話が足りないように思いますよ」
「……」
 あんなにこの事務所で打ち合わせをしているのにねぇ、と七原はどこか歯がゆそうだ。
 考え込む円香に、七原はカラッとした笑みを浮かべる。
「もう一歩踏み込む勇気があれば、今頃はもっと違う関係が築けていたかもしれないのに。いい大人なんですからね、そろそろ前に進みましょうよ」
「面目ないです……」
 こればかりは七原の言うとおりかもしれない。
 今回のことも円香が相宮のことを思いすぎて、気持ちがすれ違っていただけなのだから。
 小さく頷く円香を見て、七原は満足そうにマンションを出て行った。 


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