今宵、貴女の指にキスをする。

橘柚葉

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第十四話

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(七原さん、嵌めましたね!)
 後で絶対に抗議してやる。
 円香は心の中で決意をしながら、ドリップコーヒーに湯を注いだ。
 七原が謝罪にしにきた翌日。
 七原が言っていた通り、相宮が次回作の装丁について再度話し合いが必要だと言われて夜になってやってきた。
 昨日の話では七原も同席すると言っていたのに、蓋を開ければ相宮だけだったのだ。
 玄関を開けた瞬間、相宮一人だけが立っていたのを見て円香が大慌てしたのは仕方がないことだと思う。
 確かに今日、相宮と色々と話すことが出来ればいい。そう考えていたことは事実だ。
 だが、心の準備が整っていない状況で、いきなり一対一で会うのは心臓に悪い。
 冷静な気持ちで話し合いができるとは、とても思えない。
 先ほどからバクバクと胸の鼓動が鳴り止まないでいる。
 どうしよう、と何度も心の中で呟いたことは、相宮には内緒だ。
 コーヒーを入れ終え、円香はリビングへと向かう。
 いつものように椅子に座る相宮は、隙がないように思う。
 背筋をピンと伸ばし、凜とした様子は以前と変わりはない。
 それに京都で見せた円香に対する怒りを、今は感じられない。
 それに関してだけは、ホッと胸を撫で下ろす。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 コーヒーのカップをテーブルに置き終わると、相宮の手が円香の手首に伸びてきた。
 驚いて思わず声を上げようとした円香を、相宮はジッと見上げている。
 京都での夜と一緒だ。手首から伝わる相宮の体温が、円香の心を乱していく。
 お互い何も言わずただジッと見つめ合っていると、相宮が口を開いた。
「木佐先生」
「は、はい!」
 上擦った声に恥ずかしさを覚えたが、円香は相宮が何か言いたげにしている様子を見て慌てた。
 そして挙動不審のまま、円香は相宮に対して頭を下げる。
「えっと、その……ごめんなさい!」
「え?」
 驚いて目を丸くしている相宮に、円香はずっと謝りたいと思っていたことを告げる。
「私、怖かったんです」
「木佐先生?」
「次回作の装丁、相宮さんではなく他の人に代わったと聞いたとき。相宮さんに見限られたんだって……そう思ったんです。そうじゃなくても、堂上さんがこのマンションに来たときに相宮さんと言い合いになりましたよね。私のこと心配してくれたのに、意地を張ってしまったから、それが原因でもう私に会いたくないと思ったんだろうって」
 七原に確認しようとすれば出来たし、相宮が仕事を途中で放り出した理由を聞くべきだとは思っていた。
 だけど、それが出来なかったのは、決定的な現実を突きつけられるのが怖かったから。
 ギュッと手を握ろうとすると、手首を掴んでいた相宮が円香の指に絡めるように繋いできた。
 もう片方の手も円香の手に沿わせ、ギュッと握ってくる。
「木佐先生、私もすみませんでした」
「相宮さん?」
 急に頭を下げた相宮に驚きの声を発すると、彼は困ったように眉を下げた。
「京都での夜、私はイライラしていました。貴女が窮地に陥っているんじゃないかと気が気じゃなくて電話してみれば、やっぱり恐れていたことになっていた」
「はい」
「それなのに、貴女は私に弱みを見せない。助けて、そう縋ってほしかったんです」
「相宮さん?」
 困ったように視線を泳がせたあと、相宮は深く深く息を吐き出した。
「京都タワーで堂上さんと一緒にいる姿を見て、私は嫉妬でどうにかなりそうでした」
「え……?」
 まさか、と円香の口が動くと、相宮は苦笑する。
「本当ですよ。もっと言えば……以前堂上さんがこのマンションに来たとき、貴女に冷たい言葉を投げつけたのも嫉妬からでした。いい大人がするものじゃありませんよね」
 申し訳ない、と頭を再び下げる相宮に、円香は慌てた。
「えっと、その……嫉妬って?」
「ですから、堂上さんに対しての嫉妬です。木佐先生が堂上さんに取られるかも、という不安からくる感情ですかね。なんと言っても昔からのよしみといった感じで、二人はとても仲がよく見えた」
「それは、一度堂上さんには担当になってもらっていますし……それにしても、取られるって」
 苦笑する円香に、相宮はむきになって言う。
「私はずっと木佐先生にアプローチしてきたんですよ? それなのに、貴女はなかなか素顔を見せてくれない」
 私をそんなに焦らしてどうしたいんですか? といきなり疑問を投げつけてきた。
 円香は何が何だか分からず、ただただ目を見開いている。
 そんな円香の指を、いつもように相宮はゆっくりと愛撫していく。
「ねぇ、考えてもみてください。キレイな指が好きだから、それだけの理由で女性の指を触ると思いますか?」
「えっと、えっと……」
 頬を真っ赤にして挙動不審の円香に、相宮は色気たっぷりにほほ笑む。
「こう言っては自意識過剰かもしれませんが、私はそれなりにブックデザイナーとして多忙な日々を送っています。それこそ仕事が次から次に舞い込むために追いつかない程度には」
「そ、それは、はい。よく存じ上げています」
 コクコクと頷く円香の指を弄りながら、相宮は小さく笑って続ける。
「そんな私が毎回貴女の本のデザインをしている。不思議だと思ったことはないですか?」
「ありますよ! ずっと思っていました」
 この前も七原にそのことを言われたばかりだ。
 円香はこの機会に聞きたいと思って、相宮に質問をぶつけた。
 すると、相宮は一言。満面の笑みを浮かべて言った。
「恋をしたんです」
「は……?」
 意味が分からず、円香は口をぽっかりと開けてしまう。
 マヌケ面をしているだろうと思うが、直すことができない。
 それぐらいにテンパっている。相宮は、固まり続ける円香の手を恭しく持ち上げ、指にキスをしてきた。
「相宮さん!?」
 ビックリして相宮から離れようとしたのだが、それを円香の手首を掴んで相宮が阻止した。
 円香の手首をギュッと掴み、真剣な面持ちで相宮は見つめてくる。
「貴女の処女作。私は選考前に読ませて頂いたんです」
「え?」
「編集長が"なかなかピュアな文章を書く子が現れたから読んでみろ”と言って、木佐先生の原稿を渡されました」
 そのときのことを思い出しているようで、相宮は懐かしそうに目を細めた。
「読ませていただきました。読み終えたあとの爽快感、次からのステップに繋げる勇気を貰った気がしました。そのとき思ったんですよ。この人の本をデザインしたい。他のデザイナーにはさせたくないと」
「相宮さん」
 まさかそんなふうに思っていてくれたなんて。驚きと嬉しさで円香はどうしていいのかわからない。
 相宮は相変わらず物腰の柔らかい笑みを浮かべて、優しげに言った。
「だから言ったでしょう? 私は純粋に木佐作品が好きなのだと」
 恥ずかしそうに目を泳がせたあと、相宮は円香をまっすぐ見つめた。
「まずは文章に恋をしました。そのあと、貴女に会って……私はまた恋に落ちた」
「っ!」
 再び円香の指に、相宮は音を立ててキスをする。
 唇の感触が直に伝わり、円香の背に淡く甘い痺れが走った。
 チュッチュッと小さなキスノイズを残し、相宮は続ける。
「貴女と真剣に話すのが好きだ。そのキレイでまっすぐな瞳も好き。一見、弱々しくてはかなげな木佐先生だけど、実は芯が一本通っているところも好き」
「ちょ、ちょっと、相宮さん!」
 恥ずかしくなって相宮の口説き文句を止めようとすると、相宮は眉をつり上げた。
「木佐先生。今、私は貴女を口説いている最中なんですから。黙って私からの愛を受け取ってください」
「な……!」
 言葉が出ない円香に、相宮はフフッと艶っぽくほほ笑む。
「そして、このキレイな指が好きだ。どうしてかというと、このキレイな指は私を一瞬にして恋に落としてしまうほど魅力的な文章を描いていくから」
 相宮は立ち上がり、円香を抱き寄せた。そして、耳元で囁く。
「貴女の何もかもが好きだ」
「相宮……さん」
「ずっとそういう気持ちを込めて、貴女の指に触れていましたよ」
「そ、そんなの分かりませんでした」
 円香が抗議すると、相宮はクスクスと耳に心地よい笑い声を上げた。
「そうですよね、スミマセン。私としては、貴女に愛を無理矢理押しつけて困らせたくなかったんです。だって、木佐先生はなかなか本心を見せてくれないから、私も及び腰にもなりますよ」
「っ」
 そんなの私だって同じ思いです、と円香はギロリと相宮を睨んだ。
 その視線にも嬉しそうに、相宮は期待に満ちた目で円香を見つめる。
「でも今なら、貴女の本心を教えてくれますか?」
 声で愛撫されている気持ちになる。
 それほど魅惑的な声色で、円香は相宮に思わず縋り付いた。
 嬉しさと驚き。今の円香にとってどちらが勝っているだろう。
 そう考えたとき、円香の心はどちらも負けていると思った。
 もっと大きくて大切な気持ち、そちらに軍配は上がる。
 ずっと押し込めていた感情が今、相宮の言葉に反応した。
「好きです。私、貴方のことが好きなんです」
 円香は思いの丈をぶつけたが、今度は相宮が息を呑む番だ。
 一瞬硬直した身体だったが、相宮は円香をギュッと抱きしめて耳元で囁く。 
「嫉妬で狂いそうになっている私を助けてはくれませんか?」
「え?」
 どういう意味だろう。円香は戸惑いながら相宮の腕の中から見上げる。
 すると、相宮は円香を真剣な眼差しで見下ろした。
「今宵、貴女の指に……そして、貴女のすべてにキスをしてもいいですか?」 



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