海亀姫と竜宮の魔女

ささゆき細雪

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海亀姫と竜宮の魔女 4

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「いまから七十年くらい前のはなし。陸の世界は戦火に包まれ、海は汚染され、陸も海も関係なく真っ暗闇……ちょうどキミが生まれたころじゃないかな、その戦争がはじまったのは」

 そして、戦争は鎮まり、海は穏やかさを取り戻した。海のなかでも乙姫によって隔離された竜宮では、陸の世界で戦争が起こっていたことを知るのは容易いことではない。

「七十年……」

 遊亀が陸で生まれ、人間に海へ戻してもらい、乙姫とともに暮らすようになって、七年。
 けれどその七年は、陸上での七十年に相当するのだと、魔女は言い放つ。
 竜宮と陸の世界では時間の流れが異なる。そんな話、乙姫は何も言っていなかった。でも、乙姫は知っていたに違いない。知っていて、遊亀を陸へ送り出したのだ……

「乙姫さまは」
「キミが願いを遂げることはありえないとわかっていて、夢を持たせてボクのところまで導いたんだから、タチが悪いよね。だけど、彼女を恨むのはお門違いだよ。彼女もまた、あの閉ざされた世界の犠牲者なんだから」

 ザザザザ、と白波が砂浜を飲み込んでいく。そろそろ満潮の時間を迎えるのだろう。魔女は視力のない遊亀を護るように、震える肩を抱き寄せる。寒さだけではなく、真実に打ちのめされて震える、ちいさな肩を。

「乙姫さまも?」
「彼女はボクなんかが生まれるもっと昔から生きている。もともとは海神わだつみの花嫁として竜宮に迎えられた人間だ」

「海神さま」

 名前だけは聞いたことがある。この海のすべてを統べる偉大なる神。乙姫は、その海神の妻だというのか。

「けれど、海神はお隠れになり、残された乙姫はひとり海を護らなくてはならなくなったんだ」

 そんなときに、ウラシマという男が迷い込んできたのだと魔女は言う。

「迷い込む?」
「人間のなかにはときおり、異質なものとも通じ合うことができる能力を持つものがいるんだ」

 ボクもそんな人間のひとりだったし、と言いながら、魔女はつづける。

「ウラシマは海神に去られてひとりぼっちになってしまった乙姫を可哀想に思いながらも、地上に残してきた家族のことが心配で、早く陸の世界に戻りたいと願っていたんだ」
「だけど、竜宮と陸の世界は時間の流れが違う……のよね」
「それが悲劇のはじまりさ。すべてを知りながら、乙姫は彼を淋しいから傍にいてと引き留め、毎日のように宴を開いた。ウラシマが陸のことを恋しがらないよう、ボクに引き留めるよう訴えたこともあった……でも、そんなことをしても、彼の故郷への想いは乙姫の恋慕より強かった」

 根負けした乙姫は、ウラシマを陸へ戻すようそのとき使役していた亀に命じたという。

「乙姫はその際、ウラシマに玉手箱を渡したんだ」
「玉手箱?」
「ああ。竜宮と陸の世界の時間差をなかったこと・・・・・・にできる箱があるんだ。残念ながら、時間を巻き戻すことはできないんだけどね」
 けして開けてはならぬという玉手箱を、ウラシマは砂浜で開けてしまった。
「それで、どうなったの?」
「よぼよぼのおじいさんだよ」

 二度と竜宮を訪れることも叶わず、彼は過ごした分の時間をその身に受けて、身を朽ちさせたのだと魔女は嗤う。

「そんな……」

 悲しすぎると遊亀は顔を曇らせ、魔女を見つめる。潤んだ瞳を向けられた魔女は、怖がらせちゃったかなと遊亀の黒髪を撫でて、呟く。

「乙姫は、陸に憧れるものに嫉妬するんだ。人間に救われたと思い込んでいる遊亀のことも、彼女は愛しく感じながら心のどこかで疎んでいたはずだよ……だからボクに逢えと言ったんだろう。逢って、願いを叶えられるものなら叶えてごらん、って」

 時間の流れが異なるのだからそんなことは無理だとわかっていて、乙姫は挑発したのだ。かつて、自分が焦がれた人間が陸に戻った現実に苦しみつづけたまま。

「いっそのこと、自分が海の泡になってしまいたい……でも、海神の役割を担う彼女は、消えることも許されない。だから遊亀が、ちょっとした暇つぶしの相手に選ばれたんだろうね。可哀想に」

 たしかに、願いが叶わなければ自分は海の泡になって消えてしまうと魔女は言っていた。最初から乙姫は遊亀が海の泡になることを知っていたのかと思うと、怒りよりも複雑な気持ちになる。それよりも遊亀は、魔女がさらりと口にしたヒトコトが気になって仕方ない。

「――ちょ、ちょっと待って。いま、おかしなこと言ったよね? あたしが人間に救われたと思い込んでいる・・・・・・・って……」
「ん?」

 魔女は遊亀の言葉に首を傾げ、ああと首を振る。

「だって、遊亀は恩人がどんな姿をしているのか、細部まで覚えているわけじゃないだろ? なんせこの弱視だし」

 瞼を指先でなぞられ、遊亀はくすぐったいと抗議の声をあげるが、魔女は構うことなく彼女の額に唇を寄せる。

「命の恩人である人間に逢ってお礼をしたい? 七十年も経ってそれはないでしょう? このままだと遊亀は乙姫の思惑通り、海の泡になって消えてしまうよ?」

 ボクはイヤだな、と低い声で囁いて、遊亀の身体をきつく抱く。

「魔女……?」
「牡亀たちがキミに求愛したがる理由も、なんとなく理解できるな。だってキミ、放っておけないもの」

 あのときちゃんと名乗っておけばよかったと、魔女は囁く。

「キミが生まれたとき、あの砂浜にいた黒い服の男」


 
 ――あれはボクさ。
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