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彼氏の誕生日が近いのです。

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 もうすぐ仁嗣ひとしの誕生日。付き合い始めて最初のバースディ。二十歳になる彼に、何をあげようか考えて、ひたすら悩む奈桐なぎり

「だって、人生八十年だと換算したら、二十歳になるってことは人生の四分の一を過ごしたことになるんだよ。これって大事件じゃない?」

 いかにも学校帰りに立ち寄りましたという感じの制服姿の奈桐を見て、仁嗣は微笑を浮かべる。

「俺は特に大事件でもなんでもないなぁ。奈桐だって、自分がそれだけ年齢を重ねればたいしたことじゃないって思えるんじゃねぇの?」

 逆に聞き返されて、奈桐は困惑する。たしかに、奈桐はまだ十五歳の中学生。二十歳になるということはお酒や煙草を嗜むことが許されるということだから、すごいことだと思うのももっともなことかもしれない。が、当の仁嗣にとってみれば、それはいつか訪れる必然的な現象でしかない。
 仁嗣の言うことを半分だけ納得したような表情で、奈桐が部屋にずかずかと入っていく。
 白い部屋に黒い家具。イーゼルに立てかけられているのはモノクロの風景写真……先日、奈桐と近所を流れる川を撮ったもの……がインテリアのように飾られている。

「なんでいつもこんなに綺麗なのよ!」
「なんだよその失礼な言動は」
「頑張ってお掃除してあげようと思ったあたしの意気込みはどうなるのよ。東京に出てきて一年弱、貧しく一人暮らしをしているむさい男子大学生の部屋といえば、汗臭さとほこり臭さが充満していて、その中に散乱したトランクス、バイト代でこっそり集めたCDにエロ本が所狭しと積み上げられているの。それが常ってものでしょう?」
「……いやそれ奈桐の思い込み、っていうかなんでトランクスだけが散乱してるんだよ」

 奈桐が仁嗣の部屋に来るのはこれで三度目だ。最初は女の子を部屋に入れるために渋々片付けをしたんだろうなと理解できた奈桐だが、整理整頓がきっちりとされている仁嗣の部屋は、まるで自分の訪問を遠慮しているかのよう。三度目ともなれば、少しくらい生活臭さを表に出すものだと思う奈桐は、期待はずれのシンプルな部屋を不満げに見つめる。

「じゃあ何、俺が片付けない男の方がよかったってわけ?」
「マメな男の人との付き合い方がわからないのです」
「俺はマメなのか?」

 ただ、物を溜めるのが苦手で、必要ないものはすぐに捨ててしまうだけだというのに。それを奈桐はマメだと判断する。

「うん。台所に洗いかけの鍋とかお皿が転がってないと納得できないの」
「納得しないでいいから」

 不貞腐れた表情の奈桐を宥めながら、仁嗣は緑茶を煎れる。急須から注がれる黄緑色した液体を、ぼんやり眺める奈桐。

「こういうところがマメなんだよ」
「お客さんにお茶出したらいけないのか?」
「そうじゃないけど!」

 あたしだってお茶の煎れ方くらいわかるもん、と言いたいのだろう。無言で茶筒を開けて茶葉を凝視する。ふんわりお茶っ葉の香りが部屋一帯に漂う。

「煎れたかったんだね」
「……でも、あたしが煎れたら濃すぎて不味いんでしょ」
「あれは奈桐が茶葉の量を入れすぎたからだよ」
「ふんだ」

 不機嫌そうに両頬を膨らませ、奈桐がテーブルの上に突っ伏す。仁嗣は肩に垂れる奈桐のツインテールに優しくふれる。

「機嫌直せよ。誕生日に欲しいもの、教えてやるからさ」
「ほんと? でもプレラアクリル絵の具三十六色セットとかコンフォートコンパスセットとか高いのは無理だよ」
「高くないって。それよりもっと大切なことが必要かな」

 悪戯を思いついたようににやける仁嗣。顔をあげて、奈桐が聞き返す。

「それって愛情とか処女膜とかすんごいベタな存在?」
「……年頃の女の子が処女膜言うな。退く」
「でもお付き合いしてるんだからいつかそういう来るべき日、みたいなのがあるのは当然でしょ? 記念すべき二十歳の誕生日に」
「みなまでいうな! 筆おろしがしたいなんて俺はまだ言ってないっ」

 機関銃のごとく言葉を放つ奈桐を慌てて遮り、仁嗣は言い返す。

「違うの?」

 きょとん、とした表情の奈桐。仁嗣は顔を真っ赤にして否定する。それを見て、奈桐はほくそえむ。

「仁嗣って意外と純情だよね。あたしの足には欲情してるくせに、最後の要は結婚初夜まで大切にするなんて、変なところ古典主義だ……」
「俺のことはもういいだろ! 今日履いてきたニーソックス見ただけでお腹いっぱいなの! だから誕生日もその黒いの履いてこい」
「えー、靴下だけのご指名ですか? せっかくなら身体も」
「俺はまだ犯罪者になりたくねぇ! だからその少女漫画の読みすぎみたいな発想はやめてくれ」

 あたふたする仁嗣を見て、さすがに言い過ぎたかなあと奈桐、苦笑を浮かべる。

「ごめんごめん、靴下はわかっているから。で、他には何か欲しい?」
「……笑うなよ」
「笑わないって」

 こほん、と咳払いをして、仁嗣は口にする。それは。
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