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Ⅳ 空飛ぶみかんと天使たち
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あずまやを飛び出し、空を見上げれば、そこにはおなじみのみかんの姿。
ヴェロニカの白い花が強風にあおられて空中へ舞いあがっていく。まるでみかんから雪を降らせているみたいだ、とアリーチェは涙を引っ込ませ、その光景をぽかんと見つめる。
だって飛行艇を運転しているのは……
「シィバ!」
「アリーチェを泣かすな、兄貴!」
高い場所から響く彼の声に、アリーチェの心臓がとくんと跳ねる。
「シィバ……なんで」
操縦桿を握っていたゴーグル姿のシィバは上半身裸だった。背中にはアリーチェが持つものよりもおおきな、白銀の翼が、右側だけはためいている。
「……お前、翼を折ったのか!」
シィバの姿を見てフィリップは今にも泣きそうな表情を浮かべている。言われてみると、たしかに彼の背中の翼は半分だけもぎ取られたような形をしている。
アリーチェが痛そうな顔をしているのを見て、低空飛行をつづけるシィバが慌てて言葉を紡ぐ。
「い、痛みはなかったぞ? それに、王都の連中と取引したんだ。俺は行かないって!」
そのかわり翼をくれてやる、というわけか。確かに銀の羽根一枚ですら宝石を越える価値があるのだから、片翼まるごととなると、これはとんでもないことになる。
あっけにとられた表情のフィリップの隣で、アリーチェは声を荒げる。
「でも、王都に行かないとライセンスは取れないんじゃ……?」
「今日来ていた役人のなかに担当がいたからさっき受けてきた。例外措置だけど騒ぎになるよりマシだからって」
「それで?」
「もちろん合格」
にやりと笑い、シィバはアリーチェの方へ機体を近づけていく。みかんのへたがくるくる旋回するなか、シィバが操縦席から身を乗り出してアリーチェの腕を掴む。
「きゃっ!」
「一緒に、飛ぶぞ」
ゴーグル越しに煌く空色の瞳がアリーチェを射抜く。とくん、とまたもや心臓が跳ねる。
ふわり、と身体が浮かび上がる。その瞬間、びりびり、っと布の裂ける音とともに、アリーチェの背中からちいさな翼が顔を出す。
「あ」
シィバと同じ、銀色の翼が。
* * *
ぶるんぶるんぶるぶる……
はじめのうちはやかましいと思っていた飛行艇のエンジン音も、慣れると蜂の羽音のようで微笑ましく感じる。
「ずいぶん高いところまで飛ぶのね」
身体はまだ強張っているが、隣にシィバがいるからか、恐怖は感じない。
「もうあの樫の木の高さは越えてるぞ――木から落ちたときのこと、覚えてるか?」
「う、うん」
「あれ、アリーチェがちいさな翼で俺を助けてくれたんだよな……この、かわいい翼で」
「知って、いたの?」
「あのときの俺はまだ翼を制御できなかったんだ。親父はあの羽根を俺のものだと思っている。兄貴も」
「……王都に行きたくなかったの?」
「王様に保護されて珍獣になるのも、研究者に実験対象として隔離されるのもゴメンだね。俺はフィルベスタンの飛行艇乗り、ただのシィバでいたいのさ」
からからと笑うシィバを見ていると、心配していたのがなんだか莫迦みたいに思えてくる。けれど、こんなことをして国王やフィリップは黙っていてくれるのだろうか。
そんなアリーチェの不安そうな表情を見て取ったのか、シィバはぽふ、と分厚い革手袋ごしに彼女のあたまに手を置く。
「兄貴に勘当される覚悟で役人と取引したんだ。この翼がある限り、どうせ俺は花鳥の一族から逃げ出せない。だから片方だけ、王様に差し出した」
「どうして?」
フィリップが言っていたように、彼が王様の元に行けば花鳥の一族も、このフィルベスタンの村も安泰だっただろう。
「ミイラの遺伝情報の結果を黙ってもらうためさ。フィルベスタンで見つかった天使の始祖と思われる少女のミイラ……王様は遺族へ返したいと考えている。これ以上騒ぎが大きくならないうちに」
「博物館での展示の件がうやむやになっているのって、そういう理由だったのね」
間近に迫る空を感じながら、アリーチェは納得がいったように頷く。
「フィルベスタンの“翼持ち”がいま、どれだけいるのかはわからない。けれど俺やお前のように背中に隠して生活している人間がきっといると考えている。だからこれ以上ミイラの件で俺たちを脅かさないでほしい、って伝えてきたんだ」
シィバの片翼はミイラと引き換えに国庫に納められるのだろう。それで国や自分たちの生活が潤うのならいいじゃないかとシィバは笑う。けれどアリーチェは名残惜しそうに翼のない左肩をそっと撫で、呟く。
「……ほんとうは痛かったんでしょ」
祖母は結婚の際に翼を断った。その痛みは出産のときと同じくらい大変だったと聞いた。アリーチェ自身、出産経験もないからその痛みがどのようなものなのか見当もつかないが。
図星だったのだろう、シィバは黙ってアリーチェから顔を逸らし、視線を空へ傾ける。
「かっこつけなくてもいいのに」
「これくらい、平気だ」
ふわさっ、とシィバの翼がアリーチェの身体をかき抱くように弧を描く。きらきら煌く銀の羽根に包まれながら、アリーチェはくすぐったいよと反発する。
「あたしなんかよりずっときれいな翼なのに折っちゃうなんてもったいないなぁ」
シィバの両方の翼が揃った姿を想像して、アリーチェはぽつりとこぼす。けれどシィバは首を横に振ってアリーチェの言葉を否定する。
「ふたつあっても邪魔なだけだ。いまの時代、翼がなくても飛行艇に乗れば空だって飛べるんだぞ? それに、アリーチェの銀の翼だってきれいだ」
「――」
真顔で言い返され、アリーチェは硬直する。そんな彼女の隣で、シィバはうたうように告げる。
「天使と空を飛ぶ夢、ようやく叶った」
ヴェロニカの白い花が強風にあおられて空中へ舞いあがっていく。まるでみかんから雪を降らせているみたいだ、とアリーチェは涙を引っ込ませ、その光景をぽかんと見つめる。
だって飛行艇を運転しているのは……
「シィバ!」
「アリーチェを泣かすな、兄貴!」
高い場所から響く彼の声に、アリーチェの心臓がとくんと跳ねる。
「シィバ……なんで」
操縦桿を握っていたゴーグル姿のシィバは上半身裸だった。背中にはアリーチェが持つものよりもおおきな、白銀の翼が、右側だけはためいている。
「……お前、翼を折ったのか!」
シィバの姿を見てフィリップは今にも泣きそうな表情を浮かべている。言われてみると、たしかに彼の背中の翼は半分だけもぎ取られたような形をしている。
アリーチェが痛そうな顔をしているのを見て、低空飛行をつづけるシィバが慌てて言葉を紡ぐ。
「い、痛みはなかったぞ? それに、王都の連中と取引したんだ。俺は行かないって!」
そのかわり翼をくれてやる、というわけか。確かに銀の羽根一枚ですら宝石を越える価値があるのだから、片翼まるごととなると、これはとんでもないことになる。
あっけにとられた表情のフィリップの隣で、アリーチェは声を荒げる。
「でも、王都に行かないとライセンスは取れないんじゃ……?」
「今日来ていた役人のなかに担当がいたからさっき受けてきた。例外措置だけど騒ぎになるよりマシだからって」
「それで?」
「もちろん合格」
にやりと笑い、シィバはアリーチェの方へ機体を近づけていく。みかんのへたがくるくる旋回するなか、シィバが操縦席から身を乗り出してアリーチェの腕を掴む。
「きゃっ!」
「一緒に、飛ぶぞ」
ゴーグル越しに煌く空色の瞳がアリーチェを射抜く。とくん、とまたもや心臓が跳ねる。
ふわり、と身体が浮かび上がる。その瞬間、びりびり、っと布の裂ける音とともに、アリーチェの背中からちいさな翼が顔を出す。
「あ」
シィバと同じ、銀色の翼が。
* * *
ぶるんぶるんぶるぶる……
はじめのうちはやかましいと思っていた飛行艇のエンジン音も、慣れると蜂の羽音のようで微笑ましく感じる。
「ずいぶん高いところまで飛ぶのね」
身体はまだ強張っているが、隣にシィバがいるからか、恐怖は感じない。
「もうあの樫の木の高さは越えてるぞ――木から落ちたときのこと、覚えてるか?」
「う、うん」
「あれ、アリーチェがちいさな翼で俺を助けてくれたんだよな……この、かわいい翼で」
「知って、いたの?」
「あのときの俺はまだ翼を制御できなかったんだ。親父はあの羽根を俺のものだと思っている。兄貴も」
「……王都に行きたくなかったの?」
「王様に保護されて珍獣になるのも、研究者に実験対象として隔離されるのもゴメンだね。俺はフィルベスタンの飛行艇乗り、ただのシィバでいたいのさ」
からからと笑うシィバを見ていると、心配していたのがなんだか莫迦みたいに思えてくる。けれど、こんなことをして国王やフィリップは黙っていてくれるのだろうか。
そんなアリーチェの不安そうな表情を見て取ったのか、シィバはぽふ、と分厚い革手袋ごしに彼女のあたまに手を置く。
「兄貴に勘当される覚悟で役人と取引したんだ。この翼がある限り、どうせ俺は花鳥の一族から逃げ出せない。だから片方だけ、王様に差し出した」
「どうして?」
フィリップが言っていたように、彼が王様の元に行けば花鳥の一族も、このフィルベスタンの村も安泰だっただろう。
「ミイラの遺伝情報の結果を黙ってもらうためさ。フィルベスタンで見つかった天使の始祖と思われる少女のミイラ……王様は遺族へ返したいと考えている。これ以上騒ぎが大きくならないうちに」
「博物館での展示の件がうやむやになっているのって、そういう理由だったのね」
間近に迫る空を感じながら、アリーチェは納得がいったように頷く。
「フィルベスタンの“翼持ち”がいま、どれだけいるのかはわからない。けれど俺やお前のように背中に隠して生活している人間がきっといると考えている。だからこれ以上ミイラの件で俺たちを脅かさないでほしい、って伝えてきたんだ」
シィバの片翼はミイラと引き換えに国庫に納められるのだろう。それで国や自分たちの生活が潤うのならいいじゃないかとシィバは笑う。けれどアリーチェは名残惜しそうに翼のない左肩をそっと撫で、呟く。
「……ほんとうは痛かったんでしょ」
祖母は結婚の際に翼を断った。その痛みは出産のときと同じくらい大変だったと聞いた。アリーチェ自身、出産経験もないからその痛みがどのようなものなのか見当もつかないが。
図星だったのだろう、シィバは黙ってアリーチェから顔を逸らし、視線を空へ傾ける。
「かっこつけなくてもいいのに」
「これくらい、平気だ」
ふわさっ、とシィバの翼がアリーチェの身体をかき抱くように弧を描く。きらきら煌く銀の羽根に包まれながら、アリーチェはくすぐったいよと反発する。
「あたしなんかよりずっときれいな翼なのに折っちゃうなんてもったいないなぁ」
シィバの両方の翼が揃った姿を想像して、アリーチェはぽつりとこぼす。けれどシィバは首を横に振ってアリーチェの言葉を否定する。
「ふたつあっても邪魔なだけだ。いまの時代、翼がなくても飛行艇に乗れば空だって飛べるんだぞ? それに、アリーチェの銀の翼だってきれいだ」
「――」
真顔で言い返され、アリーチェは硬直する。そんな彼女の隣で、シィバはうたうように告げる。
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