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Ⅰ 真白き城に埋まる秘密 * 1 *
しおりを挟む西陽を浴びて輝いている白い四角い建物は、無骨すぎてとてもじゃないがお城とは思えない。だが、幼い頃からそこに住まう姫君は、その場所を魔法使いのお城だと言い張るので、いつの間にか通称が「城」になってしまった。
正式名称は私立鎮目医科学研究所。椎斎の人間は国立病院の付属施設だと思っているようだが実はまったくの別物だ。とはいえ、限られた人間しか出入りしていない特殊な施設になっているので、公立だろうがそうでなかろうが気に留める人間はいないといっていいのが現実である。
椎斎市立中央公園の裏手に位置していることもあり、周囲は雪解けまでしたたかに耐え、遅ればせながら芽吹き始めた六月の緑で溢れている。入口付近では八重咲きの山吹が至るところでクリームイエローの花をつけ、ライムグリーンの葉を人間の腕のように四方へ伸ばしている。足元には小手毬のオフホワイトの清楚な花がまるで頭を下げているかのように来訪者を静かに迎えている。玄関前にも事務員が植えたのであろう、サーモンピンクのビオラと、ヴァイオレットのパンジーを組み合わせた寄せ植えが置かれており、全体的に柔らかな印象が見受けられる。
……だというのにそこに至るまでの道のりは遠く、険しい。施設から数メートルしないうちに、公園の敷地から抜け出した四季咲きのバラのダークグリーンの蔓が地面を覆い尽くすように這いだしているのだ。気をつけないと蔓に足を取られ、転び、至る所に仕掛けられた棘で思いもかけない怪我をしてしまう。しかも、花の盛りになると地面にまで花が咲くので、道を選んで歩くのに時間がかかるのである。
バラだけでなく、西欧から取り寄せられたラベンダーやローズマリーなどのハーブ、もとから生えているハルジオンやヒメジョオンなどの野草も好き放題に伸びている。風で種が飛んで増殖したこともあり、どれがハーブでどれが野草なのか素人目にはすでに理解するのが難しく、両方合わせて雑草としか言えない状況になっている。
広大な敷地の園内を考えると、行政の手入れが行き届かないのは仕方がないのだろう、わざわざ裏まで入るもの好きもいないし、施設に出入りする人間からの文句もないことに、何年もそのままの状態になっている。
「まぁ、当事者はこれを荊の森なんて呼んで喜んでいるんだからなぁ……」
留萌智路は呆れながらも、通いなれた近道を抜けて、施設へ入る。
玄関の前にいたガードマンは智路の姿を認めると、何も言わずに鍵を開ける。毎回のようにやってくる少年が、この施設の関係者であることを知っているのだ。
カサブランカに囲まれたガラス張りのエントランスを通り抜け、五階建ての建物の最上階までエレベータで一気に上昇する。それ以外の階には興味がないし、この施設で何が研究されているのかも知らない。
廊下を小走りに抜け、目的の部屋へ。
ネームプレートも何も付けられていない、木製の真っ白な扉をノックし、返事がないのを確認して、ゆっくり開く。
中にいる少女を、起こさないように。
* * * * *
「これって職権乱用ですよね。校内活動を手伝わされるのならまだしも、どうしてあたしが先生と一緒に校外活動までしなくちゃいけないんですか。別に部活動の顧問とその生徒ってわけでもないし……」
「担任だから、じゃ駄目?」
「かわいく言ってもダメです。セクハラで訴えますよ?」
「……最近のガキはかわいくないなぁ」
「かわいくなくて結構です」
「ま、職権乱用って言いたくなる朝庭の気持ちもわからなくもないが」
「そうですよ! 理由もわからないままついてこいついてこないと今度遅刻したら俺とふたりっきりの補習だなんて勝手なこと言われたらとりあえず補習から逃れるために必死になるのが筋ってもんじゃないですか!」
「そんなにイヤなのか補習」
「イヤですよ逃げ場のない室内でふたりきりなんて! 外で行動する方がまだマシです」
きっぱり言って、由為は隣を歩く男を睨みつける。
確かに宇賀神優夜は自分が所属している一年F組の担任で、自分が教え子であるのは事実だ。だが、入学式で不慮の事故に遭遇して遅刻したというのに「時間に余裕を持って行動できていないお前が悪い」とクラス内で糾弾した上にことあるごとに由為を呼び出しこき使うのだ、これは理不尽なことこの上ない。その後も懲りずに遅刻を繰り返している由為にも非があるので強くは言えないが。
クラスメイトたちはそんな彼女を「先生のお気に入り」だと言って囃したてるが実際のところ「先生の奴隷」と言った方が当てはまっている気がすると思う由為なのである。
……でも、刃向えないんだよなぁ。
三十代前半で童顔のため、下手をすると二十代に見える優夜の横顔をちらりと見上げながら、由為は苦笑を浮かべる。
第一印象が良すぎたのがいけない。皺ひとつない白衣を纏った漆黒の瞳の長身の青年。顔つきはどこか幼さを残しているものの、くっきりとした目鼻は均整がとれている。とても綺麗な顔立ちでモデル然としたスタイルの生物教師。生徒たちが向ける好奇の視線も平然と無視して佇むクールな姿も悪くない。
周囲の女子生徒たちはカッコいい先生がいると騒いでいたし、担任だと紹介された時はラッキーだねと由為も彼女たちと一緒になって喜んだのだから。
……その後、こっぴどく叱られて自分だけ目をつけられるようになるとは思わなかったけど。
あれから二か月近くが経過する。相変わらず優夜はことあるごとに由為を呼び出し、たわいもない雑用を押しつけては彼女を困らせている。
「やましいことは何一つしてないぞ」
「その顔で言われると逆に疑いたくなりますよ」
「そうか? 難しいのだな」
現に、目をつけられたものの、優夜は由為に対して触れることは何一つしていない。言葉ではセクハラと勘違いされてもおかしくないことを口にしているが、それもこの顔で許される範囲のものだからか、由為が不快な思いをしたことは一度もない。頼まれごともたいしたことのない雑用ばかりで、けして無理なことを要求されたわけではない。
だから由為も、自分が遅刻常習犯である弱みを握られている彼に、本気で逆らうことはできないでいる。それに。
――先生は、信じてくれた。
由為が入学式の朝に見てしまった、悪夢のような事故現場で遭遇した、人殺しの少女のことを。
「……でも、今日の先生はすこし強引な気がします」
いつもなら、職員室や廊下ですんでしまう話が多いのに、今日はふたりして校舎の外にいる。補習なんて脅し文句を言ったのも初めてのことだし、職権乱用という由為の訴えもすんなり認めている。
これってどういうこと?
しかも道はどんどん険しくなっていく。背後には自分がさっきまでいた学園の象徴である時計台がひょっこり顔をのぞかせているが、市立公園内に入ったためずいぶんと小さくなっている。足元には深緑のアイビーの蔦がひび割れたアスファルトを見事に覆い隠している。躓かないように気をつけながら、由為は一歩早く進む優夜の背中を追う。
本題に入ることなく歩き続ける優夜についていきながら、期待と不安を天秤にかける由為。それを見越しているだろうに、優夜は目的地についてはあえて何も言わず、着実に歩を進めていく。
「いつものことだろ」
「いつも強引だったんですか……」
あっさり返された言葉に、由為は呆れてしまう。このひとは自分の行動が強引だってわかっていてあたしを引っ張り回す確信犯だったのか……ってことは。
「朝庭が何考えてるか知らんが、いま俺が考えていることをひとつ」
「え」
歩みを止めて由為に向き合い、胸をざわめかせる宵闇色の瞳で覗き込みながら、優夜は低い声で告げる。
「やましいことは何一つ考えてないぞ」
「……もういいです!」
こうまで否定されると怒りを通り越して悲しくなる。由為は帰りたい気持ちを押しとどめ、再び前を向いた優夜の背中にしぶしぶ続くのだった。
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