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Ⅳ 影は月に果てなき天を想う * 4 *
しおりを挟むかつん、かつんとマホガニーの机を叩く音が、繰り返される。誰かに意思を伝えるために生み出されたわけでもなく、ただ、苛立ちを抑えるために消費された無駄な指先の動きをぼんやり見つめながら、左目に眼帯をした巫女装束の少女は小声で囁く。
「これで、役者は揃ったの?」
かつん、という音を鳴らしつづけながら、つまらなそうに、凡庸な黒服の男が応える。
「さあな。けれどこのまま再び封じられたらたまったものじゃないな」
主軸となる『夜』の斎神を欠き、不完全となったコトワリヤブリと相反するように動き出した鬼姫。その肉体を必死に守ろうとする『星』である斎鎮目の小娘。そして『夜』の後継を探す騎士に『月』に従うしか能のない影となる男たち……現状は、この程度だろう。
せっかくここまできたのだ。いまさら古くから土地を守る亡き神の斎たちに邪魔をされるわけにはいかない。
「まだ物足りないの? このままにしておけば鎮目の勢力は自滅の方向に向かうと思うんだけどなぁ」
舌足らずな少女は目の前にいる男を見上げながら、未来を占うように口をひらく。それでも男は首を横に振る。
「そんなまどろっこしいことはできない。とっとと『星』の肉体へ彼女を覚醒させ、我が元に連れ出すのが先だ」
男の決まり切った返答に、少女は「はーい」と気の抜けた声をあげる。
彼は待つことができない性分なのだ。罠を張り巡らし、相手が引っ掛かるのを待つことですら苦痛を感じている。相手を罠におびき寄せ、自ら謀る方が気持ちいいからというそれだけの理由で、彼は自ら動こうとする。
「ようやく『夜』の斎神を葬り、封印を破ることができたんだ。彼女は精神体となり殺戮を楽しむようになり、肉体を欲している。この地を纏う瘴気も闇のように濃くなってきた。時は近いぞ。コトワリヤブリなどに彼女を消されてなるものか!」
だから彼はひとを殺すことも厭わず、その手を潔く汚していく。
「土地神になりかわり椎斎を治めた偽りの神に制裁を与えるのだ。新たな斎神が生まれようが、それは変わらぬ」
なぜなら、我こそが『星』に愛され神となるべき人間だから、と。
* * * * *
境内から見える明け方の空に見えるのは、紅い星。ふだんは目立たない星が、何かを予感させるかのように輝きを増している。
やがて、夜の帳は払われ、何事もなかったかのように朝陽がのぼる。
けれど、樹菜は溜め息をつく。
「いやだわ。今日もまた鬼退治に行かなきゃいけないみたいね」
紅い星は不吉の予兆。今日も鬼はひとの血を求め、霊体となって椎斎の街を彷徨っている。
「そのようだね」
南から吹く潮風とともに上空から突然聞こえてきた声に、樹菜は驚くことなく返答する。
「おはよう、昨夜はお疲れ様」
「オレはたいしたことしてないさ。ただ『月』の戦女神に従っただけのこと」
そのまま、御神木である椎の木の上から制服姿の景臣が、にこりと笑いながら飛び降りて、樹菜の前にすとんと着地する。
「リハちゃんにそれ言ったの?」
「まさか。言っても殴られるよ」
「別に殴られてもいいじゃない。死ぬわけでもないんだし」
「オレが嫌だ」
「……あっそ」
目の前に降り立つ少年は袴姿の樹菜の前でうーん、と両腕を伸ばしながら視線を向ける。
「ところでミキちゃん、『夜』のことは聞いてるかい?」
自分より見た目が若いにも関わらず、景臣は樹菜をちゃんづけで呼ぶ。とはいえ景臣は姿が十八歳であるだけで実年齢は樹菜よりはるかに年上だから、彼にしてみれば樹菜のことも子どもにしか見えないのだろう。樹菜もそのことには慣れているのでいつものように応える。
「リハちゃんがぼやいてたわよ。あたしにとっての斎神は月架だけなのにー、って」
「相変わらず手厳しいね」
景臣は苦笑しながら樹菜の言葉に頷く。困ったような景臣の顔を見て、樹菜は軽く首を振る。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。リハちゃんなら次の『夜』の斎とも仲良くやってくれるでしょう?」
「そうであることを願うよ」
けれど、月架に心酔している理破に、椎斎のことを何も知らなかった由為を次の斎神として傅かなければならないというのは、無理のある話のように見えなくもない。
景臣としてはなるべく早く『月』と『夜』のちからを合算させて『星』を止めたいのだ。このまま理破だけに無茶をさせたくない。いくら戦女神と称される破魔のちからを持っていようが、鬼姫を彼女ひとりのちからで倒すのは無謀だから。
「ほんと影ったら『月』が大事なのね」
理破を心配する景臣を揶揄しながら、心の中で樹菜はうそぶく。
そういえば、同じような台詞を前にも誰かに言っていたなあ、と。
樹菜がひとり感慨深そうにしているのをよそに、景臣は当然のように首肯する。
「そ。オレがいま一番大事にしたいのは『月』の斎であるリハちゃんだけ。コトワリヤブリの意味を名に冠した彼女こそ、オレが古代から夢みてた真の……」
景臣は言葉を切り、自分の背中に注がれていた何者かの視線に気づき頭を向ける。焼きつくような視線を感じたが、草むらには誰もいない。
樹菜はすでに景臣の背後で不審な人物の形跡を辿っていたが、成果はなかったようで悔しそうに景臣の前へ戻る。
「逃げられた……隠遁術でも使ったみたい」
樹菜が零した言葉に重ねるように、景臣が口をひらく。
「それなりの術者だね。鎮目かな?」
「どうかしら。もしそうだとしたら、今更彼らは何をしようとするかしら」
「オレに聞かれてもわからないよ」
「そう? 鏡ならわかるんじゃない?」
未来や過去を視ることができる鏡。『月』の一族が継承している神器は、史実では影が生まれた際に粉々に砕け、失われたことになっているが、いまも神力を持つ破片は残っている。逆井一族の有力者だけが知る機密をさらりと口にする樹菜に、景臣は咎めるような小声で応える。
「……あいにく、手元にはないよ。リハちゃんに預けてるからね」
「そっか。だから最近はリハちゃんが躍起になって鬼退治に励んでいるわけね」
鏡の破片が持つ神力があるから理破は誰よりも早く鬼の出現を予知し、その場へ駆けつけることができる。
「そういうこと」
理破が臨戦態勢になれば、ちからの波動で景臣も場所を察知できるので、景臣が鏡を持っているよりも理破が持っている方が理にかなっていると言いたいらしい。
「だけど、リハちゃんは使いこなせてないんでしょう? 鏡の破片。また使い方を間違ったりしたら……」
「神器としての機能が衰えているのは完全な形じゃないから仕方ないよ。破片だけでも残したんだから感謝しろって。それから、誰がなんと言おうが『月』の神器の現在の持ち主はリハちゃんだ。いまオレが手をだしても、彼女の『影』でしかないオレが完全に使いこなせる自信はない。むしろ使い方を間違いかねない。それに、未来予知なら鏡を使わなくたってミキちゃんに占ってもらう方法もあるんだし、なんでもかんでも神器に頼りたくないのがオレとしての本音だよ」
古から伝わる土地神に託された三つの神器。そのうちのひとつ、『月』の鏡は影が生まれる際に砕け、過去・現在・未来の三つに割れたとされている。
そのうちの一つ、未来の欠片は現代の『月』の斎である理破の手にあるし、もう一片も景臣が知るところに厳重に保管されているが、残りの一つの欠片については行方がわかっていない。亀梨神社に奉じられていたともいわれるが、戦乱の際に紛失してしまったらしく、今では残っている可能性も殆どゼロに等しいだろうと景臣は諦めている。
「生き証人が言うんだからそれが事実なんでしょ……?」
目の前にいたはずの景臣が学ランを脱ぎはじめている。学生服姿で今日も学校へ由為をからかいに行こうとしていた景臣だが、どうやら理破に呼ばれたようだ。
「悪いねミキちゃん。リハちゃんったらまたひとりで暴走しだしたみたいだ。ちょっくら行ってくるね!」
「御苦労さまー」
樹菜が慣れたように手を振ると、景臣は己の背中に手をかざし、翼を生み出す。ワイシャツを切り裂きながら生えてきた漆黒の翼をはためかせ、景臣は空高く舞い上がる。
風のように素早く移動していく景臣が雲に隠れるのを見送って、樹菜はふぅと息をはく。
「……月架みたいに無茶しないでよ、ふたりとも」
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