斎女神と夜の騎士 ~星の音色が導く神謡~

ささゆき細雪

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Ⅴ 使命の芽吹きは月夜の晩に * 4 *

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 ここ数日、せのんの周囲は慌ただしい。
 自分自身が動き回っているわけではないのでなかなか実感できないが、智路が言うには「ようやく鎮目一族が重たい腰を上げた」
 だそうだ。
 確かに、クライネが帰還したことでせのんの立場は回復傾向にある。クライネが来るまでせのんは大人たちに腫物のように扱われていたが、彼が彼女の護衛兼お目付け役を担うと宣言したことによって、部屋から一歩も外を出てはいけないという制約が解除されたのである。とはいえ、眠りの発作がいつ起きるかわからないためなかなか外出することができないのも事実。

 せのんの使い魔である智路からすればせのんが外の世界に行けるのは嬉しいことに違いない。だが、クライネを同伴させなければならないという大人たちから押し付けられた決まり事には辟易しているようだ。

「俺はせのんとふたりで外に行きたいんだけどなあ」
「まぁまぁ使い魔くん、そんなこと言わずにおじさんとも仲良くしてよ、セノンの父親代わりなんだから」
「だから緊張するんですよ」

 ふたりの賑やかなやりとりを聞きながら建物の裏手にある市立公園のイングリッシュガーデンを散策するのがここ最近のせのんの楽しみである。担当医の万暁も外に出られるようになったことを喜んでくれたし、せのんが知らなかった研究所に勤めるスタッフたちも彼女のことを恐れることなく認めてくれていたことを知ったから、自分を卑下することも少なくなった。

 彼女自身どちらかといえば被害者なのだ。悪魔と化した『星』の斎を封印された上に『月』がかけた眠りの呪詛と死ぬまで付き合わなければならないという運命から逃れることもできず、飼殺しのように研究所の一室に置かれていた、魔術師の遠い血縁。『星』の封印を施していた『夜』の斎神が死んでからは更に厳しい監視状態におかれ、せのんが眠っている間に霊体として現れる神出鬼没な悪魔の追跡に精をだしていたという研究所。だが、そんな煩わしいことをしなくても、せのんが動けるのなら別の手段を使うことも可能だとクライネは提案する。

「……それで、考えてくれた?」

 イングリッシュガーデン内にあるオフホワイトの蔓薔薇のアーチの下に置かれたベンチであくびを噛み殺しながら、せのんは応える。このままだと寝てしまうだろう。だがまだ意識はしっかりとしている。
 智路の膝の上に頭を乗せて、蔓薔薇のアーチ越しに真っ青な空を見つめながら、せのんは弱々しく呟く。

「わたしは構わないけど、鎮目の他のひとたちがいい顔をしないと思うわ」
「だけど、いつまでもこうしているわけにはいかないよ。こうしている間にも悪魔はセノンの身体を奪おうと画策しているんだから」

 いまはまだ霊体でしかない悪魔。けれど椎斎の人間を大勢殺すことで得られる生命力を集めれば、せのんの身体を奪い取り、実体になることだってあり得るのだとクライネは警告する。

「俺は反対だな。せのんが『月』の人間にあたまを下げる必要なんかねーよ」
「でもチロル。わたしの厄介な体質を考えれば、他のコトワリヤブリに手を貸してもらうのが一番手っ取り早いことくらいわかるでしょう?」

 なんでもかんでもひとりでやろうとするからチロルは行き詰まるのよとせのんは呆れながら同意を得ようとクライネの顔を見上げる。せのんの言葉を聞いているくせに、クライネはそのことに頷くことはせず、まったく違う話をはじめる。

「そういえば、いまの『月』の斎って誰なんだい?」

 椎斎の外に出ていたクライネは、当然のことながら現代に引き継がれたコトワリヤブリについての情報に疎い。二ヶ月前に『夜』の斎神であった少女が何者かに殺され、『夜』が空位となってしまったことで『星』の斎を身に封じられていたせのんが危険な状態になったと知らされるまで何も聞いていなかったのだから仕方がない。せのんは今にも眠りにつきそうなとろりとした表情で、つまらなそうにその名を告げる。

「いまの『月』の斎は逆井理破。正真正銘の逆斎に連なる純血を持つことからコトワリヤブリという名を与えられた、正義感ある愛らしい女の子よ。わたしとは違って……ね」

 せのんは瞳を空の色に混ぜ合わせながら薄青い世界へと意識を沈めていく。完全に眠りについたせのんを智路がひょいと抱き上げると、クライネがバトンタッチして背負いあげる。父親代わりの彼の背中に乗せられたせのんの寝顔は穏やかだ。

「……逆井本家に年頃の娘がいたのか」

 クライネはなるほどね、と微かに笑い、険しい表情の智路に問う。

「チロルくん、君は先代の『夜』に連れられて『星』の使い魔になったときいたが、それなら『月』の少女とも認識はあるんだろ?」
「勘弁してください」

 理破のことについてはできれば触れたくない。智路はクライネの質問をはぐらかすように弱々しく応える。

「いくらせのんのためとはいえ……俺は『月』の斎と関わりたくないんです」

 正義感のある愛らしい女の子、なんてせのんは言うが。あれは目的のためなら手段を選ばない凶暴な女だ。未来が見えるからとかなんとか言って自分たちの考えを相手に押し付けるくせに……月架を救えなかったのだから。
 その結果、せのんの身に宿る『星』の封印まで綻んでしまった。せっかくだから『星』を殺めてしまえばいいと、せのんの身体ごと滅ぼそうという過激な考えを持っている人間も『月』の中にはいる。そもそも『月』の祖先が『星』に眠りの呪詛をかけたというのに。
 いっそのこと器ごと破壊してしまえばいい。『月』の斎となった少女、逆井理破もその考えを選択肢のひとつとしていまも胸に留めているはずだ。
 だからいま、封印が破られ霊体を椎斎の街に放っている『星』の実体を『月』の斎に逢わせたら……最悪、殺し合いになることも覚悟しなくてはならない。
 智路はそうクライネに言おうとして、やめる。きっと彼はそうなることも可能性のひとつとして考えついているに違いない。それでも彼は動こうというのだ。実の娘のように可愛がっている少女、せのんのために。

「だけど、それがセノンの意志なら、使い魔であり唯一の味方である君は、従うべき、いや、従うしかないだろうよ」

 宥められるようにクライネに言われ、智路ははぁと嘆息する。

「そう、ですね」

 クライネがせのんについたということはつまりそういうことだ。いままで幽閉されていたせのんを護衛、監視するということで外の世界へ連れだせる鎮目一族に連なる彼女と信頼関係を築く唯一の大人。
 智路なんかがかなうわけもない。
 きっとせのんへの恋心すら、彼女の父親代わりであるこの男は、最初から見抜いているに違いない。

「……でも、俺は彼女のいいなりになっているわけではないですよ」

 負け惜しみのように智路は呟く。その言葉のほんとうの意味を知る人間は、もうこの世にはいないけど……
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