斎女神と夜の騎士 ~星の音色が導く神謡~

ささゆき細雪

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Ⅴ 使命の芽吹きは月夜の晩に * 5 *

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 斎と斎神は似ているようでまったく異なる性質を持っている。コトワリヤブリの中で斎神になれるのは『夜』の少女だけ。だが、『夜』がはじめから神の役割を持っているかというと、そういうわけではない。

「つまり、月架さんは『夜』の斎神で、あたしはまだ『夜』の斎でしかないんですね」

 月架に触れた翌日の放課後。由為は教室の前で待っていた景臣に半ば連行されるような形で椎斎市内にある唯一の神社、亀梨神社にやってきていた。
 椎斎の南端にある神社は市内でも標高が高く、アイヌ語で小さな下り路モ・ルエラニを意味する室蘭の街並みが見下ろせる。天気が良いと地球岬まで見晴るかすことが可能だというが、曇りがちの今日はほのかに海の潮風が鼻孔をくすぐるだけで、紺碧の海の姿は見えない。
 神無、が転じて亀梨に変わったという土地神を弔うための神社は、はた目から見ると、由為の知る室蘭や登別の神社と差異を見つけることはできない。

「斎神の称号は『星』を封じているときではないと戴くことができないの。いまは『星』が不完全な状態だから、たとえユイちゃんが月架から『夜』のちからを引き継ぐことができたとしても、『星』を器の少女もしくは別の媒体に封じたり殺したりしない限りは斎神にはなれないのよ」
「はぁ」

 由為に説明をしてくれているのは覗見樹菜というこの神社の神主である。歳の頃は三十代前後といったところか。宇賀神優夜、月架の美形兄妹には及ばないが、ショートカットに切れ長の一重の瞳が印象的な涼やかな美人だ。ボーイッシュな見かけとあいまって、神主の装束をきっちり着こなしている姿もまた好感が持てる。そう告げると、樹菜は自分も『夜』の血をすこしだけ継いでいるのだと教えてくれた。確かに樹菜は優夜の従姉妹でもある。……なるほど、美形なのは遺伝だろうな。
 などと由為がぼんやり考えている横で、樹菜は斎と斎神についての講釈をつづけていたが、興味なさそうな由為に気づき、さりげなく話題を変える。

「だけどよく見つけられたわよね、優夜も。ユイちゃんは最寄り駅が隣斎で、そこから高校の入学式に行くところで『星』に逢った、と……」

 それも、月架の死から三日も経たないうちに『星』からでてきた鬼の姿を見ているなんて。優夜が彼女を本命だと決めつけるわけだ。

「そうです。あの辺は海が近いからか、神社がたくさんあるんです。だから椎斎のようなおおきな街に神社がひとつしかないと聞いた時は耳を疑いました。ほんとにここしかないんですか?」
「ええ。ここだけが椎斎の神域。御神体である霊木、椎の木を見たでしょ。あれが椎斎市の守護結界を保っているの」

 社務所に入る前に見た神社のおおきな椎の木はたしかに圧巻だった。空を飲み込もうとするほど高く緑の葉を繁らせた枝はひとつひとつが太く、長い時間の経過を物語っている。両腕で測りきれない幹に、奥深くまで土の中へのばす根。老木だというのに、衰えを感じさせることはなく、いまなお成長をにおわせる偉大な姿に、由為は眼をまるくしたのだ。

「でも、『星』の封印にはノータッチなんですよね。いまの椎の木は」
「そうよ。だけど『星』が椎斎の市外に影響を及ぼさないよう結界は働いているの」

 椎の木の結界も使い物にならないとなると、『星』は椎斎だけでなく北海道全土をも滅ぼしかねないだろう。土地神が創造する以前の雪と氷に閉ざされた世界へ巻き戻すために。

「だから椎斎に生きるコトワリヤブリが中心となって鬼姫となった『星』を封じる必要があるのよ」

 樹菜は『星』を封じる能力を持つであろう由為の前に手を差し出す。てのひらの上からふわりと浮かびあがる白い紙が人の形になって、由為の周囲でゆらゆらと踊り出す。

「な、何コレ」
「式神さん。ミキちゃんはコトワリヤブリの中でも陰陽の術が仕える貴重な存在なんだ」
「椎斎の中にいる間は、この子にあなたの守護を手伝わせるから安心して」

 ぺらぺらの紙から生まれたのは白い衣を纏った童女。全長十センチにも満たないちいさな童女は無言で由為の周りを踊りつづける。
 景臣はその童女を式神だという。由為は突然あらわれたちいさな童女を眼で追いかけながら、使役している樹菜に問う。

「……でも、式神ってことは、樹菜さんを守る存在なんじゃないですか」
「命じればあなたを守護することだってできるわ。だってまだ、優夜から何ももらってないんでしょう?」

 もらう?
 由為が首を傾げると、景臣が困惑した表情で樹菜に口を出す。

「ミキちゃん、『夜』の騎士が斎に忠誠を立てるのには時間がかかるんだよ」
「でも、このまま『星』の封印をさせるなんて無茶よ。『夜』の騎士が持つちからと神器を手に入れてこそ『夜』の斎は神と等しい立場になるんだから」

 おせっかいかもしれないけど、早い方がいいと思ったから喋ったのよと樹菜は言い返す。

「そりゃ、月架のことで優夜が沈んでるのはわかるけど、それとこれとは話が別よ。事情を知った『夜』の後継となる少女がこうして目の前にいるのよ。『夜』の騎士に継承の儀をさせて即戦力にした方が、この街にとってはいいに決まってるじゃない」
「椎斎の土地を守りつづける神主さんらしい台詞だなぁ……反論の余地はなさそうだ。そこまで『夜』の騎士さんを動かしたいのなら仕方ない、オレが一枚脱いでやるか」

 言いながらワイシャツを脱ぎはじめる景臣。いきなりはじまったストリップに由為は顔を真っ赤にしながら樹菜の方をうかがうと、いつものことだからと笑っている彼女がいる。

「ユイちゃんからしたらとんでもないことかもしれないけど、センセイの目を覚まさせるにはこれが一番じゃないかなー」

 よくわからないことを呟きながら景臣はパチッと指を鳴らす。と。
 バサリ。一瞬で巨大な黒い翼が景臣の背中から生えていた。
 由為は何が起きたのかわからなくて裏返った声を出している。

「え、えっ、えぇっ?」

 室内に飛び散る黒い羽根に顔をしかめながら、樹菜は景臣に向き直る。

「最初からそうするつもりだったんでしょ」
「まーね」

 バサバサと翼を動かしながら、景臣は神社の境内へ由為を促す。

「それじゃ、ちょっくら椎斎の街を空中散歩してから鬼退治に行こうか。オレのご主人さまも紹介したいしね」

 そう言われた途端、ひょい、とお姫様抱っこの形で景臣の腕に抱えられていた由為は、目をぱちくりさせたまま、接近する景臣の顔を凝視する。頭の中では理解していても、心の中ではこの現実から逃避することだけをひたすら考えている。けれど、そんな由為のことなどおかまいなし。景臣は翼を羽ばたかせ、椎の木よりも高く飛翔する。

「じゃ、ミキちゃん行ってくるね~」
「ぅぁああああああっ!」

 高いところは苦手なのに。由為の心の声は景臣に届いていない。
 あっという間に空の向こうへ消えてしまった黒い翼を見送り、樹菜は苦笑を浮かべる。
 なんだかんだ言って、景臣も由為のことを気に入っているようだ。問題は。
 由為を本気で斎神にしようとしている態度が見えない優夜と、月架以外の人間に従うことに反発している理破。それから。
 器である『星』の斎とその使い魔のチロルくんの反応も気になる。できれば『星』の器ごと滅ぼすような真似はしたくないしさせたくないけど……
 樹菜はしずかに瞳を閉じて、茫洋と浮かび上がる未来に想いを馳せる。朝庭由為。『夜』のなかでも最上位とされた秘められた神の血統を受け継ぐ少女。彼女なら『星』を封印することができるかもしれない。
 だけどこの先の障壁は数知れず。彼女が斎神として椎斎に降臨するまでには、さまざまな困難が混在している。そのすべてに立ち向かうのは未成熟な彼女ひとりでは厳しいだろう。そのために騎士のちからは不可欠だ。


「やっぱり優夜の奴を一発殴っておいた方がいいかしら」
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