斎女神と夜の騎士 ~星の音色が導く神謡~

ささゆき細雪

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Ⅴ 使命の芽吹きは月夜の晩に * 8 *

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「お父さんお母さんいままでありがとうございました、由為は、由為はもう駄目ですっ、こんな高いところ、天国寸前。景臣っ、たすけて、もう無理っ、あたし、高いとこ、ほんとに、駄目、なんだ、よぉっ!」
「それだけ喋れれば大丈夫。っていうかよく舌切らないね。初めて飛翔すると絶句して何も言わないひとの方が多いのに」
「だ、だって、黙って、こ、こんな高いところから地面を見下ろす、なんて、こわくて無理。ぜったい無理。だから早く地面に足、つけて。二足歩行したい」
「あとで思う存分二足歩行させたげるからもうちょっと我慢してね。それに恐怖症って恐怖状態を麻痺させることで克服することができるんだよ。あと十分も飛んでいればきっと慣れて恐怖心もどっか行くって」
「あ、あとじゅっぷん……も?」
「うん。怖いなら目ぇつぶってても構わないけど、そうしたらこのいい眺めも見られなくなっちゃうよ。あと、それ以上しがみ付かれるとさすがにオレも緊張するからやめて」

 由為は自分が上半身裸の景臣の首に思いっきりしがみついていたことに気づき、慌てて手を放す。が、空の上で風に煽られるとやっぱり怖いからもういっかい景臣の身体にしがみついてしまう。下心があるわけでもないのになんどもくっついたりはなれたりを繰り返していくうちに高所での恐怖よりも身近な異性との接触で生まれる得体のしれない興奮の方が強くなって、だんだん由為は景臣の存在を意識してしまう。

「ちなみにこれが恋? とか言ったら怒るよ。心理学的な吊り橋効果でしかないからそこんとこしっかり頭に入れておいてね」

 すこし怒ったような口調で景臣は空を進んでいく。椎斎の街の上空を舞う黒い翼は十目から見ればカラスのように見えるのだろう、もしかしたら鷲くらいあるのかもしれないけれど。
 風の轟音を避けるように耳元で囁かれる景臣の言葉は甘くないのに、由為の耳朶を刺激させるには充分すぎた。

「恋なんかしませんっ! 何言ってるんですか! ただ、この非現実的な現象を目の当たりにして怯えているだけですっ!」
「うわ。そうハッキリ言われると傷つくなぁ。ってことはユイちゃんはすでに意中のお相手がいるのかな? もしかしてセンセイ?」
「だぁかぁら、なんでそういう話をこんな時にしなくちゃいけないんですかぁ!」

 びゅんびゅん吹く風に刃向うように由為は声を荒げる。いつの間にか最初のころの恐怖による身体の震えはなくなっていたが、別の意味で身体はぷるぷる震えている。率直にいえば景臣の言葉のひとつひとつにイラついているのだ。上半身裸になって背中に翼を生やした異性とふたりきりで苦手な高い所に有無を言わさず連れられてしまったのだ。怖さを通り越してしまったとなれば由為が怒りたくなるのも当然のこと。
 だというのに景臣は相変わらず面白がって由為の反発する姿を間近で見降ろしている。顔を伏せたらすぐにキスできそうなくらい近い状態で、噛みつきそうな由為を更に挑発させ、笑う。

「よくある話なんだよね、『夜』の騎士と斎神が恋に落ちるって。月架ちゃんのときは兄妹だったからそうはならなかったけど」
「だからってくっつけようなんて考えないでくださいっ」
「まぁいいけどね。オレに惚れたっていうならそれはそれで相手してあげるよ?」

 灰色の瞳で見つめられても由為は動じない。

「惚れませんから!」

 なんでこんな遊び人のような男に惚れなきゃいけないんだ。由為の好みは長身で黒髪で整った顔立ちの……と考えたら優夜の顔が思い浮かんだので慌ててかき消す。
 その様子を見ていた景臣は微笑を浮かべたが、ある一点に達したところでふっと真顔に戻り、宙に佇む。

「ごめんごめん、世間話に花を咲かせてる場合じゃなさそうだ。そろそろ全体が見えてきたよ」

 由為も意を決して視線を下界へ向ける。
 この国の北に位置する北海道の姿が見えた。日本の最北端である稚内のとんがりから南の方へ視線を向ければ、一年を通して雪深い山々の白と濃い緑のコントラストが目立ち始める。由為ですら行ったことのない道北から道央の山脈地帯は六月だというのに残雪が目立ち、寒々しい。
 馴染みのある海沿いに走る日高本線や室蘭本線の線路を辿っていくと、やがて登別を抜けて椎斎市内へ入り込む。その後、室蘭市内にほど近い隣斎駅から市の中心部である椎斎駅へ繋がっていく。このまま椎斎の街を北東へ抜ければ、北海道最大の都市である札幌まで行くことが可能だ。
 太陽はすでに西方に沈みかけている。青かった空は茜色に染まり、空に浮かぶ由為たちの姿も夕陽の真紅色に取り込まれていた。
 由為は間近に見える夕陽の眩しさに目を眇めてから、あらためて街のすがたを上空から観察し、北海道の南方に位置する椎斎の異様な姿に目を瞠らせる。

「これ……」

 樹菜が椎の木で結界を張っていると言っていたが、まったく実感を持てなかった由為は、景臣に上空を案内されてはじめて悟る。
 空の上から見た椎斎市内は
 白地図で見たらその場所だけ黒いインクで塗りつぶされてしまったかのような、そんな異様さが漂っている。

「黒くなっている部分の、海の近く、ぽつんとある白い点が神域である亀梨神社。さすがに本体を動かせない『星』は霊木のそばまで近づけないからね。だけど、それ以外の場所は殆ど黒いだろ? コトワリヤブリにしか見えない瘴気が市内に凝っているんだよ」
「瘴気……」

 まるで蹂躙されたかのように市内全体を黒い靄が覆っている。市民は気づいていないだろうが、コトワリヤブリに属する人間はこのことから『星』の封印が破れ、狂気を孕んだ鬼姫が無差別に土地に暮らすひとびとを恐怖に陥れ、土地神が遺した土地を滅ぼそうとしている事実を目の当たりにしたのだろう。

「瘴気そのものは『星』が封印された昔からさまざまな土地に存在している悪しき気配を示すんだけど、ほとんど空気みたいなもので常人がすこし触れる程度だと無害なんだ。でも、この悪しき気配が増えれば影響がでる。もともと病気を持っているひとや精神的疲労を溜めているひととかが取り込まれて自殺願望を抱いたり、さらに病気を悪化させたりすることになるんだ。しかも、なんらかの原因でちからを持つと、直接人を襲おうとする」
「それがそもそもの鬼のことなのね」

 ようやく合点がいく。由為が見た『星』の少女もやはり実体を持たない鬼だったのだ。

「そ。ふだんなら『月』の斎が簡単にやっつけちゃうけど、今回はそれで収まりそうにないんだ。同じ時間に複数の場所で現れることもあるし、瘴気の量もご覧の通りだからね」

 悔しそうに景臣は濁った椎斎の街を見つめている。
 鬼。それは、凶暴な破壊衝動ゆえに無差別にひとを襲おうとする得体の知れない悪しきモノのこと。『夜』の斎神が殺され『星』の封印が破れたことで街を覆う瘴気は爆発的に増加し、結果、鬼も街中に出没している。戦女神と名高い『月』の斎ひとりだけで対処するには困難な状況なのだと景臣は由為の前で愚痴を零す。

「だから、あたしが必要なの?」
「ふだんはほとんど影響を持たない気配が、こんなにも膨れ上がっているからね。『夜』が空位のままだと『月』は耐えきれずに闇に取り込まれてしまうだろうし、器を担っている『星』の斎も鬼姫に身体を奪われ、椎斎は滅ぶ。椎斎が滅べば椎の木の結果も無効だ。そうなればあとは想像のとおり」

 冗談ではすまされない景臣の重たい声が由為の耳元にすとん、と落ちる。


「――世界が滅ぶよ」
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