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Ⅴ 使命の芽吹きは月夜の晩に * 9 *
しおりを挟む東の空には弓張月。時刻は午後八時。すでに人けは薄れているが、椎斎駅周辺の道路にはぽつぽつと帰宅途中の学生やサラリーマンの姿が見える。
「……遅い」
駅舎の屋根で闇の色と同化していた理破は、退屈そうに夜空を見上げる。
たぶん彼は空から来るだろう。またどこかで油を売っているのかもしれない。だとしても知るもんか。鬼が現れたらひとりで勝手にやっつけてやる。
景臣のことを考えるとどうしてこうもイライラするのだろう。自分より何百年以上も年上なのはわかっている。だからすべてを悟りきったような表情だって何度も見せられている。永遠の十八歳の姿で幼いころから理破の傍にいるから。でも。
「気に食わない」
十七歳の理破に、外見十八歳の景臣。一緒にいれば十中八九恋人同士と誤解される。嬉しくないわけではない。けれどその感覚は永遠に続かないのだ。婚姻が可能な『夜』の斎神と『夜』の騎士とは異なり、景臣は年をとらないから。
来年になれば理破は十八になる。再来年には景臣を追い越してしまう。それでも傍に居続けなくてはならないのだ、理破が『月』の斎である限り。
逆井の人間は理破に警告する。『月』の斎である間、けして『影』を手放してはならぬ、と。土地神との血のつながりを持たない逆斎の唯一の切り札が神の分身といわれる『影』の守護だから、と。
「……切り札、かぁ」
それが何を示すのか、詳しいことは知らない。けれど、景臣がいるから自分はこの街の脅威となる悪しき鬼どもを狩ることができるのも事実。彼が理破に授けた未来を映せる鏡の破片を取り出し、月に照らしながら、理破は呟く。
「お前も天邪鬼ね。すべての未来をあたしに教えてくれればいいものを」
ちからを使いこなせていない理破は『月』に伝わる土地神から賜れた鏡で一部の未来を垣間見ることしかできない。それはいつどこで鬼が出現するらしい、とか、誰かが死ぬ、とか曖昧で判断するのが難しいものばかり。株の値動きや今晩のおかずとかそういった未来を見ることはいまの理破にはできない。
もし、ちからを使いこなせていたら。
「……月架は、死ななかったかもしれない」
あたしの斎神。生まれつき斎となる運命を共にした姉のような月架。一緒に椎斎に出現する鬼を退治したり、神社で結界を強めたり、封じられた『星』の器のお見舞いに行ったこともあったっけ……
西欧から渡って来た魔術師の子孫、せのん。
いつ見舞いに来ても眠ってばかりいた白いお城のお姫様。遠目から見ると透き通った白い肌に明るい金茶色の髪が煌めいて、自分とはまったく違う世界の人間に見えたものだ。
「まだ、頑張ってくれてるのよね」
せのんは月架の死をどう受け止めただろう。彼女が死んでしまったことで、せのんの身体に宿る『星』の封印も脆い状態だ。彼女が悪夢に魘されている間、鬼姫はせのんの身体を抜けだし人間を襲いにやってくる。理破はそれを止めなければならない。
いまはまだ霊体でしか鬼姫は活動できていないし、一連の不審死についてはおさまっているかのように見えるが、鎮目一族によって隠された変死や、事件としてカウントされていない病死などの犠牲者を考えると、落ち着いたとはいいがたい。そのまま『星』がせのんの身体を乗っ取ってしまえば、理破は彼女ごと封殺するしかできないことを思うと、早くこの状態をどうにかしたいという焦りもでてくる。 月架が死んだ直後、てっとり早く『星』ごとせのんを殺せばどうにかなると思って攻撃をしたけど、彼女の使い魔と泥試合をしただけで何の成果も得られなかった。それからしばらくして、自分の考えが幼稚だったことに気づいた。きっと月架だったら器ごと『星』を殺そうなんて考えもしなかっただろうから。それに、景臣も。
「たとえリハちゃんが優秀でも、『月』だけで『星』を止めることはできない」
そう言って、理破の暴挙を諌めたのだ。
自分は多くのひとを傷つけ、迷惑をかけてしまった。月架の死という衝撃を理由に、暴れはじめた鬼姫を早く封じたい、その純粋な気持ちが、他のコトワリヤブリとの信頼関係を揺らしてしまった。カっとなってせのんを殺そうとしたのは事実だ。彼女さえいなくなれば月架が封じた鬼姫も消滅すると、そう思っていたから。それゆえに、鎮目の人間は理破を危険な『月』だと認識し、月架の遺骸が置かれている施設への入場を禁じている。
「あそこでまだ、『星』は眠りの呪いを受けた身体で、肉体を鬼姫に奪われないよう黙って戦っている」
自分が投げだしたら、『星』の斎の頑張りが無駄になってしまう。月架はきっとそんな愚かな結末を望んでなんかいない。
物思いにふけっていた理破が気配を感じて身体を震わせる。来た。
巨大な黒い靄が人型になって理破を囲みこむ。鬼は三体もいる。どれも見知らぬ男の姿だ。景臣はまだ来ない。苛立ちを黒檀のステッキにぶつけて理破は言霊を唱え、飛び立つ。
「――戦女神の名のもとに命ずる。飛翔せよ!」
* * * * *
高い場所にいた恐怖心は気づけば薄れていた。それでも、地面へ降り立つまで由為の心臓はどくどくしっぱなしだった。しかも降り立った場所は、二足歩行するには向いていない駅舎の屋根の上だ。
「あちゃー、はじまってたか」
チッと舌打ちする景臣が見上げる先を見て、由為も息をのむ。
真っ黒な靄に囲まれた空間で、闇色のワンピースを着た白い翼を持つ少女が舞っている。
「ごめん、ちょっとここで待ってて!」
「え……」
早口で捲し立てながら景臣は再び上空に向かって跳躍していた。残された由為は呆気にとられながら、繰り広げられる黒い人型の異形のモノ……あれが鬼なんだろう……との戦闘へ目を向ける。
きっと、景臣が守護している『月』の斎が彼女なのだろう。ツインテールを靡かせながら空の上で黒いステッキを振りかざし、慣れた手つきでひとりを消滅させている。
だが、その間にもう一体が少女の背中に入り込んでいた。
「危ないっ!」
由為の発した声より先に、ざぁああああっと鬼が黒い靄に変わってかき消されていた。
遠目でよくわからないが、景臣が援護にまわったのだろう。残るは一体のみ。ふたりの戦う姿に見とれていた由為は、自分の背後にそれとは異なる鬼が迫ってきていることに気づけずにいる。
「やったっ!」
景臣と少女のチームプレイが見事に決まり、黒い靄は霧散していく。だが、その瞬間を待っていたかのように由為の身体が弾き飛ばされる。
「あ痛っ……ぁあ!」
初めて見たときと同じ、少女の姿をしていた。十五歳の月架だ。ガコンガコンと屋根の上を派手に転がりながら、由為は自分に牙をむける少女を観察する。さいわい、かすり傷だ。この程度ならまだ動ける。由為はしゃがみ込んだまま、月架の姿を模る鬼と対峙する。すこしだけ時間を稼ぐことができれば、景臣たちが戻ってくる。それまで、自分は何ができるのだろうか。
そのとき、優夜が口にしていた言葉が脳裡を掠めた。閃くというほどではない、たいしたことのない言葉だったが。
「血が覚えている、だっけ」
自覚はないけど、由為の身体をめぐる血液は長年の『夜』の斎たちと土地神によって培われたものだ。だとすれば、自分の血が目の前にいる鬼にも有効なのでは……?
思い切って膝のかすり傷に爪を立て、痛みに堪えながら由為は血を流す。流れた血を右人差し指で拭い、じわじわと獲物をいたぶるように迫ってくる鬼の前に立ち、サッと指を出した瞬間。
「patkepatke wen nuiikir」
由為の唇から、歌うように言霊が飛び出し、星のような、躑躅の花のような形の印を空中に描きあげ、鬼の動きを封じていた。
由為の血で描かれた印に絡めとられた鬼は、口惜しそうに身体をじたばたさせていたが、印から真っ赤な炎が生まれ、やがて少女の姿はぼろぼろと崩れ、黒い靄に戻ることもなく灰燼に帰した。
自分がいま何をしたのかまったく理解できなくて、由為はいつの間にか自分の傍にいた景臣と少女がぽかんと口をあけている横で、いま起きたことをぼそりと呟く。
「……鬼退治、できちゃいました」
そしてそのまま、フツッと意識が途切れる。
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