斎女神と夜の騎士 ~星の音色が導く神謡~

ささゆき細雪

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Ⅵ 昼夜の空に月星は揺らぐ * 3 *

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「失礼します」

 ダークブラウンの重々しい扉が開かれる悲鳴のような音が夜の学園に木霊する。
 時刻は午後九時、すでに生徒も教師の姿もない。優夜は仄暗い室内に入り、一礼する。

「職務時間外に呼び出して申し訳ない」

 扉の向こうで待っていたのはこの部屋の主。窓からの月あかりと机の上のライトスタンドだけを光源にして分厚い洋書を読んでいた男は、優夜の姿を見て破顔する。

「理事長直々のお達しですから」

 無愛想な優夜の返答に怒ることもなく、鎮目学園のトップにいる男……ジーク鎮目きよむはかけていた片眼鏡《モノクル》を机に優雅に置いて、ひょいと指を鳴らす。
 カタタン、と軽やかな音を立てながら、どこからともなく現われたマホガニー製のアームチェアがひとりでに転がってくる。そのまま優夜の前まで来ると、ピタリと止まり、何事もなかったかのように理事長室の景色に同化する。

「まぁ、座れ」

 どうやら長い話のようだ。優夜は理事長自らが魔術で召喚した椅子に慣れた仕草で腰掛け、あらためて彼の横顔を見つめる。
 いまはコンタクトをはずしていることもあり、ふだん滅多に見ることが叶わない氷のような薄青の瞳をさらけだしている。自分が持つ白銀の髪は窓から見える弓張月のひかりに反射してキラキラと輝いている。これで十七歳の孫がいるなんて信じられない、と景臣が口にしていたことを思い出し、優夜は思わず苦笑を浮かべる。

 日本人離れした風貌を持つ初老の紳士はこの学園の頂点に立つ人物でありながら、西洋から渡って来た祓魔師と呼ばれる魔法使いたちの中では他に追随を許さない退魔のちからを持つ鎮目一族の長でもあり、『星』の斎の器になった少女の祖父でもある。椎斎市長である異母弟、鎮目努が椎斎の表の王だとすると、椎斎のコトワリヤブリを己の駒として扱える彼はまさに裏の王、とも呼べる。

「さきほど『月』の当主が来た。これが何を意味するか理解できるか」

 椅子に座った優夜を確認すると、ジークは前置きもほどほどに本題を語りだす。
 優夜はその言葉にぴくりと耳を動かし、押し殺した声で応える。

「……当主が、こちらに?」
「ああ。そなたの妹君が殺された際にも姿を見せなかったかのかたが、ふらりと現われて宣言したよ。次代の『夜』の斎を認めた、と」
「冗談、ではなさそうですね」

 ふだんはうろたえる姿など見せない優夜が夜闇色の瞳を左右に揺らしている。自分が地盤を固めているあいだに、朝庭由為の存在がコトワリヤブリを統べる者たちへ知れ渡っていたという事実を目の当たりにして。

「そなたは未だ彼女を後継にすると認めてはいないようだが……『夜』の騎士の忠誠が得られなくとも『月』の当主が宣言することで誓約は有効となる」
「わかっています」
「それでもそなたは彼女を『夜』と認める気はないと?」
「誤解です。わたしも彼女が『夜』の斎であることを認めています」
「ではなぜ、騎士として忠誠を誓わない」
「しかるべきときのため、とだけお伝えしておきます。彼女は血のちからで斎となることはできますが、月架と同等の斎神になるにはまだ幼すぎます」

 だが、『夜』に斎神が降臨しない限り、椎斎の悪しき『星』は封じることができない。ジークは自分の孫娘であるせのんのことを想い、うむ、と頷く。

「それは『月』の影に好き勝手させていることと関係があるのかね」
「……景臣が彼女を気に入っているのは知っていますが。好き勝手とは?」
「おや、初耳だったのかい。当主いわく、彼女は『月』のちからを借りずともひとりで悪魔……そなたたちは鬼と呼ぶのか……を葬ったというではないか。影が手引きしてその力量をはかったのであろう?」

 さぁっと優夜の顔色が白くなる。由為は景臣に連れられ実戦を体験したという。自分がいない間に。そして、『月』の当主がそれを見て『夜』の斎と認定した……忠誠の儀を執り行う気のない優夜をその気にさせるために。

「……景臣め」

 優夜の恨み声をさらりと無視して、ジークは告げる。

「どっちにしろ新たな『夜』の斎が誕生したのは事実だ。『星』を封じるためにも、『夜』の騎士である君の存在は不可欠だ。まだ幼いのなら傍でサポートすればよい。君ならそれくらい朝飯前だろう?」

 いま、鎮目一族は厄介な『星』をどうにかするために動き出している。ジークは『月』の当主による『夜』の斎誕生の報せを受けて、いてもたってもいられなくなったのだろう。ほんらい斎を認める立場にある騎士を呼び出し、彼女を支えるよう命じてきたことを優夜は素直に受け止める。

「当然です」

 自分は『夜』の斎を守護するための騎士。由為が自分以外の権力者によって『夜』の斎と認められてしまったからといって守護を放棄することはない。だが、心の奥底ではそんなジークの言葉に呆れている。
 ……わかりきったことを。
 きっとそれすら目の前にいる男には筒抜けなのだろう。ジークは椎斎一の魔術師だ。彼が望めば殆どのことは一瞬で叶えられてしまう。隷属させようと思えばいつだってできる唯一の人間を前に、優夜は黙り込む。

「ならば、妹君のことは我々に委ねるがよい。そなたは新たな『夜』の斎の騎士として、斎神の降臨と悪魔の封印に携われ」

 命令することになれた男の冷淡な声に怯むことなく、優夜は即答する。

「――それはできません」
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