37 / 57
Ⅵ 昼夜の空に月星は揺らぐ * 3 *
しおりを挟む「失礼します」
ダークブラウンの重々しい扉が開かれる悲鳴のような音が夜の学園に木霊する。
時刻は午後九時、すでに生徒も教師の姿もない。優夜は仄暗い室内に入り、一礼する。
「職務時間外に呼び出して申し訳ない」
扉の向こうで待っていたのはこの部屋の主。窓からの月あかりと机の上のライトスタンドだけを光源にして分厚い洋書を読んでいた男は、優夜の姿を見て破顔する。
「理事長直々のお達しですから」
無愛想な優夜の返答に怒ることもなく、鎮目学園のトップにいる男……ジーク鎮目浄はかけていた片眼鏡《モノクル》を机に優雅に置いて、ひょいと指を鳴らす。
カタタン、と軽やかな音を立てながら、どこからともなく現われたマホガニー製のアームチェアがひとりでに転がってくる。そのまま優夜の前まで来ると、ピタリと止まり、何事もなかったかのように理事長室の景色に同化する。
「まぁ、座れ」
どうやら長い話のようだ。優夜は理事長自らが魔術で召喚した椅子に慣れた仕草で腰掛け、あらためて彼の横顔を見つめる。
いまはコンタクトをはずしていることもあり、ふだん滅多に見ることが叶わない氷のような薄青の瞳をさらけだしている。自分が持つ白銀の髪は窓から見える弓張月のひかりに反射してキラキラと輝いている。これで十七歳の孫がいるなんて信じられない、と景臣が口にしていたことを思い出し、優夜は思わず苦笑を浮かべる。
日本人離れした風貌を持つ初老の紳士はこの学園の頂点に立つ人物でありながら、西洋から渡って来た祓魔師と呼ばれる魔法使いたちの中では他に追随を許さない退魔のちからを持つ鎮目一族の長でもあり、『星』の斎の器になった少女の祖父でもある。椎斎市長である異母弟、鎮目努が椎斎の表の王だとすると、椎斎のコトワリヤブリを己の駒として扱える彼はまさに裏の王、とも呼べる。
「さきほど『月』の当主が来た。これが何を意味するか理解できるか」
椅子に座った優夜を確認すると、ジークは前置きもほどほどに本題を語りだす。
優夜はその言葉にぴくりと耳を動かし、押し殺した声で応える。
「……当主が、こちらに?」
「ああ。そなたの妹君が殺された際にも姿を見せなかったかのかたが、ふらりと現われて宣言したよ。次代の『夜』の斎を認めた、と」
「冗談、ではなさそうですね」
ふだんはうろたえる姿など見せない優夜が夜闇色の瞳を左右に揺らしている。自分が地盤を固めているあいだに、朝庭由為の存在がコトワリヤブリを統べる者たちへ知れ渡っていたという事実を目の当たりにして。
「そなたは未だ彼女を後継にすると認めてはいないようだが……『夜』の騎士の忠誠が得られなくとも『月』の当主が宣言することで誓約は有効となる」
「わかっています」
「それでもそなたは彼女を『夜』と認める気はないと?」
「誤解です。わたしも彼女が『夜』の斎であることを認めています」
「ではなぜ、騎士として忠誠を誓わない」
「しかるべきときのため、とだけお伝えしておきます。彼女は血のちからで斎となることはできますが、月架と同等の斎神になるにはまだ幼すぎます」
だが、『夜』に斎神が降臨しない限り、椎斎の悪しき『星』は封じることができない。ジークは自分の孫娘であるせのんのことを想い、うむ、と頷く。
「それは『月』の影に好き勝手させていることと関係があるのかね」
「……景臣が彼女を気に入っているのは知っていますが。好き勝手とは?」
「おや、初耳だったのかい。当主いわく、彼女は『月』のちからを借りずともひとりで悪魔……そなたたちは鬼と呼ぶのか……を葬ったというではないか。影が手引きしてその力量をはかったのであろう?」
さぁっと優夜の顔色が白くなる。由為は景臣に連れられ実戦を体験したという。自分がいない間に。そして、『月』の当主がそれを見て『夜』の斎と認定した……忠誠の儀を執り行う気のない優夜をその気にさせるために。
「……景臣め」
優夜の恨み声をさらりと無視して、ジークは告げる。
「どっちにしろ新たな『夜』の斎が誕生したのは事実だ。『星』を封じるためにも、『夜』の騎士である君の存在は不可欠だ。まだ幼いのなら傍でサポートすればよい。君ならそれくらい朝飯前だろう?」
いま、鎮目一族は厄介な『星』をどうにかするために動き出している。ジークは『月』の当主による『夜』の斎誕生の報せを受けて、いてもたってもいられなくなったのだろう。ほんらい斎を認める立場にある騎士を呼び出し、彼女を支えるよう命じてきたことを優夜は素直に受け止める。
「当然です」
自分は『夜』の斎を守護するための騎士。由為が自分以外の権力者によって『夜』の斎と認められてしまったからといって守護を放棄することはない。だが、心の奥底ではそんなジークの言葉に呆れている。
……わかりきったことを。
きっとそれすら目の前にいる男には筒抜けなのだろう。ジークは椎斎一の魔術師だ。彼が望めば殆どのことは一瞬で叶えられてしまう。隷属させようと思えばいつだってできる唯一の人間を前に、優夜は黙り込む。
「ならば、妹君のことは我々に委ねるがよい。そなたは新たな『夜』の斎の騎士として、斎神の降臨と悪魔の封印に携われ」
命令することになれた男の冷淡な声に怯むことなく、優夜は即答する。
「――それはできません」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜
駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。
しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった───
そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。
前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける!
完結まで毎日投稿!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる