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Ⅶ 禍星の剣、月に架かる夜闇を断ちて * 7 *

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 優夜がその場へ戻ってきたときには、由為の姿はどこにもなかった。煩わしい瘴気は完全に消えていたが、月架が安置されていた棺は粉々に砕け散り、その前で東堂が泣き腫らした寝顔を見せて倒れている。彼からすこし離れた場所で景臣たちは眠りこけていた。

 瘴気と月架の消失を見て、優夜は状況を即座に理解する。そして、おもむろに景臣のあたまを蹴り飛ばす。

「起きろ」
「痛ぇ、何すんだよ……あ、おかえりー」
「朝庭はどこ行きやがった」
「ユイちゃん? ちょっと待ってねー、リハちゃん起きて。『夜』の騎士が戻ってきたよ」
「んー? そうだユイの莫迦、ひとりで敵陣に! え、景臣なんか言った?」
「鏡で未来を覗いて。ユイちゃんのいる場所を教えて。早く」
「了解」

 緊張感のない『月』の斎と影のやりとりを苛立ちながら見つめる優夜。理破が口にしたひとりで敵陣に向かった、という言葉が優夜の頭に重くのしかかる。

「……なんでもできると過信しやがって」
「ん? 大丈夫だよユイちゃんなら」
「どこからくるんだその根拠」

 気休めにもならない景臣の言葉は火に油を注ぐようなものだ。優夜がピリピリしているせいか、眠っていた智路やクライネ、東堂も起き、戻ってきた『夜』の騎士の静かな怒りに恐々としている。

「センセイが宝珠を持って後から来ることを前提で行動を起こしたみたいだから」
「だからって行かせたのか」
「だってそうしないとここにいる人間の命が保障されなかったし、彼らは『星』を返してくれると取引してくれたんだ。わかった?」
「……それで、朝庭はどこにいるんだ」

 景臣と話していても時間の無駄だと感じたのか、優夜は視線を理破に向ける。

「椎斎市内にはいるみたいね。だけどいま飛び出すよりそこにいるせのんの使い魔についている方が早いわよ」
「せのんが俺を召喚するからか」
「そ。目覚めたら彼女はすぐに使い魔の名を呼んで召喚するわ。そのときに『夜』の騎士も一緒に連れていくのが一番の近道」
「了解。留萌、頼んだぞ」

 優夜はあっさり頷き、智路の手をきつく握りしめる。いつせのんに召喚されるかわからない智路の手を放すものかと優夜は必死になって握りしめている。

「オイラたちはどうすればいいんだい?」

 クライネが心配そうに景臣に問う。『星』の使い魔と『夜』の騎士がふたりの仕える主人のもとへ向かうのは自明の理だが、せのんの召喚術で連れていく人数は二人が限界だろう。それに、大人数でおしかけて相手を挑発するのも利口ではない。

「君は東堂くんと一緒に亀梨神社に行ってミキちゃんに状況を説明してくれないか。『月』の破魔のちからがまだ使えるみたいだから、結界の修復作業をお願いしたい。いまは月架ちゃんが一時的に浄化してくれたからクリーンだけど、放っておくとまた瘴気が集まりかねない。応急処置するだけでいいから頼むよ」

 景臣に頼まれると、東堂は「月架……」とまだ名残惜しそうにしていたが、素直に頷き、クライネに一礼する。そのクライネは優夜に手を繋がれて困惑している状況の智路に顔を向け、ぽつりと零す。

「せのんのこと、頼んだぞ」

 智路は首を縦に振り、クライネから注がれた視線を受け止め、それに応えようと口をひらいた瞬間。

 ――智路と優夜の姿が跡形もなく消えた。

「……行っちゃった」

 別れの言葉をかける暇もなく、『星』の使い魔と『夜』の騎士は敵陣へ飛ばされた。見送っていた理破は、クライネの声で我に却る。

「そいじゃオイラたちも自分のすべきことをしに行ってきます」

 背を向け外階段のある方へ駆け足で去っていくクライネとそれを追いかける東堂を見送り、景臣は真顔になって理破に迫る。

「リハちゃんは、どうしたい?」

 あくまで景臣は『月』の影だから、理破の言うことを尊重する。自分だったらこうした方がいいと考えているくせに、それよりも理破の望むことを叶えようとするのだ。

「……景臣はどうしたいの」
「リハちゃんを危険な目に合わせたくないから、連れ去って逆井本家に監禁したいな」
「こういうときに冗談はやめなさい」
「オレはめちゃくちゃ本気なんだけど……」
「トーゼン助けに行くわよ! 『星』『月』『夜』、三人の斎がそろって初めてコトワリヤブリは椎斎を治める土地神と対等になるんだから。ユイが『夜』の騎士と忠誠の儀を成せたとしても、斎に神は宿らない。そう教えてくれるのは景臣でしょう?」
「ずいぶんはっきりと鏡で未来を見られたみたいだね。その調子で向こうでも頼むよ」

 にっこり微笑んで景臣は理破の手を取る。そしてふたりは白と黒の翼を拡げて小雨のちらつく空へ飛び出してゆく。
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