雪空に蒼き燕舞う

ささゆき細雪

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 白いコート。いくつかの食料。泥だらけの脱ぎ散らかされたままの誰かの服。
 ピシ、と、ガラスに罅が走る。少しづつ、温室の室温が下がっていく。
 研究者たちが去って、あたしはがりがりにやせ細った。
 白鴉に言われても必要最小限のものしか食べなかった。
どうせ彼に弄ばれて死ぬのだから、いまさら食べたところで意味もないと。
 それなのに……

「――被験体60」

 温室でずぶ濡れになったまま座り込んでいたあたしを見かねたのか、監視していたアンドロイドが声をかける。
 あの男が造った機械は人間よりも人間らしい動きをして、あたしを抱き上げた。

「白鴉が呼んでいる」

 あたしの心と身体を弄びつづける憎い男の名に、一瞬だけ殺意が過る。けれど抵抗したところでふたたび薬を射たれて犯されるのが落ちだ。
 これが、全世界の威信をかけたプロジェクトのなれの果てだというのだから、笑うしかない。

 被験体60。それがいまのあたしの名前だ。

「今日の”実験”は終わったはずです」
「口答えをするな」

 一蹴され、実験棟へ戻される。唯一所持を許されたコートも剥ぎ取られ、赤や青のコードで身体を拘束され、水のはいっていない水槽に投げ込まれる。ここは被験体を”鑑賞”するための部屋だ。誰か客人――政府の要人――でも来るのだろうか。それならばもっと早く来ればよかったのに。いま来たところでこの施設にいるのはあたしだけだ。
 薬の効果が切れているからか、いまのあたしは羞恥心で死にそうになっている。
 そこへ、白い鴉が現れる。
 けれど白衣を着た男の隣には、いままで見たことのない男性の姿があった。白鴉はつまらなそうに男から茶色い革鞄を奪い取り、なにも言わずにコンピューターの電源を切る。ぷつん、と部屋のなかの照明が消えて、青白いひかりを放つ水槽の向こうの景色が薄暗くなる。

「――?」
「生きていたんだね、×××」

 その、懐かしい名前の響きに、あたしは目を見開いた。
 驚いた。けど。もう遅いと思った。
 その声の主は、あたしを見て、微笑んだ。
 でも、あたしは知っている。

「生きてる、けど、死んでるよ?」
「そんなことない」

 彼方の微笑は空っぽだってことに……


   * * *


 鳥の鳴き声が聞こえた。都会にはびこる鴉の群れ。
 彼方が死神と一緒に連れてきてしまったのかと一瞬だけ、考えた。
 だけど、彼方があたしの頬へ口唇を寄せた瞬間、愚問は溶けてしまった。

「何するの!」
「キスしたの」

 彼方は飄々として答える。彼方はなんて残酷なんだろう。引き離された元恋人を今も変わらず愛するその姿に反吐が出る。
 あたしは彼方の双眸を見やる。彼方はあたしの髪を優しく弄る。周囲から見ればただの恋人同士。

「怒った?」

 あたしは黙って彼方を小突く。彼方はまた、空虚な笑みを浮かべる。

「遅いよ……」

 もう、遅いと思った。彼方があたしの前に現われてくれたのに。実験という名のもとに犯され、快楽を教え込まれて汚されたこの身は寝取られているも同然だ。

「そんなことない」

 彼方はそう言ってあたしの掌を取って、接吻をする。

「そんなこと、言うんじゃない」

 あたしは、拒む気力を失って、気づくと彼方に身体を預けていた。
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