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第一部 新婚夜想 大正十三年神無月〜大正十四年如月《秋〜初春》
水底で待ってる。 02
しおりを挟む「だが、『返す』ってどうやって?」
およそ一年半前に震災で死んだはずの双子の姉が、どうやって音寧に破魔のちからを返却するというのか? 首を傾げる有弦に、綾音の苦笑混じりの声。
『いまあなたが手にしているその鏡……未来の音寧のもとにあるってことは、きっと形見の品になったのでしょうね。この鏡には不思議なちからがあるの。あたしが持っていたときはきちんと封印されていたんだけど、さんざんあなたたちが仲睦まじく子作りに励んでいたせいか封印が解けちゃったみたいで』
「……はい?」
『傑のときも思ったけど、岩波家の男ってほんと野獣なんだなぁって』
「いやそれ関係ないだろ」
『うーん、因果関係はわからないけれどその鏡、精気を養分にしてちからを蓄えてるみたい。特に女悦……女性が達するときに出す精気、またの名を淫気をね。だからあなたたちの、主に音寧の身体から発せられた淫の気にたくさん触れていたから、何を思ったのか鏡の魔力がこっちに流れてきちゃって』
「こっち?」
『驚かないで聞いてね。実はあたし、過去から鏡であなたに声をかけているの』
いまさら驚くようなことではないよね、と顔が見えていたらきっと舌を出されていたのではないか、というくらい軽く発言した綾音を前に、有弦は硬直する。
「過去……?」
『正確にいえば、大正十二年の文月。日本橋本町の岩波山であたしと傑が結納を行う前』
――この鏡が未来を見せてくれたの。とうたうように綾音は有弦に説明する。
葉月朔日。結納をして異母弟の元軍人、資に逢ったこと。
その一ヶ月後に震災が起きて自分と傑、彼の父親である四代目が死んだらしいこと。
一年ほど経って資が五代目有弦を襲名し、その際に時宮の生き残りで静岡にいた双子の妹を花嫁に迎えたこと。
音寧が邸に幽閉同然の暮らしをはじめ、有弦との子作りを強要されていること……
『最後のひとつは余計かしら? 身代わりで政略結婚したくせに仲が良いみたいだし。少なくとも資くんは音寧のこと悪く思ってないでしょ、だってあたしの可愛い妹だもの! ……そういえばぁ。鏡から姉君が見ている、なんて恐ろしいこと口にして音寧を苛めていたわよね……』
鏡が未来を見せてくれた、というが、この様子だと婚儀をあげてからの有弦と音寧のやりとりが――情事を含めて――双子の姉の綾音に筒抜けだったのだろう。
憮然としつつ、有弦は言い訳するのを諦める。
「あれは――……」
『ふぅん。ぷれい、の一環だったってわけ』
「余計なお世話だ」
『あたしと傑の性交を盗み見していた童貞少年もすこしは成長したってことね』
「……」
綾音に知られていたとは思いもしなかった有弦はうっ、と言葉を詰まらせて苦虫を噛んだ顔になる。
たしかに、興味本位で綾音と異母兄の傑が熱心に身体を重ねていた姿を何度も盗み見していたのは事実だ。獣のような異母兄と、彼に身体をひらかれて悦楽に染まる美しい綾音の姿は神秘的で、衝撃的だった。あのとき有弦も資として彼女に筆下ろしされたものだと思っていたが……
考え込んでしまった有弦を前に、綾音は追い打ちをかけるように呟く。
『残念だけど。いまのままだと音寧は子を為せないわ』
さきほどよりも重たい口調に、有弦も押し黙る。淡い疑惑はあっさり消えて、耳が鏡から発する声を求めはじめる。
『それで……時宮の破魔のちからを音寧に返す方法だ、け、ど』
手元の鏡が明滅したのを見て、有弦は慌てだす。
綾音の声が聞こえにくくなっている。なぜだ?
『そろそろ時間切れみたいね……音寧が、起きちゃうと駄目なの、か……ふふっ』
「おい?」
『五代目、音寧に伝えて……あの夏の日、水底で待ってるって。それだけで、暗示が……』
「綾音嬢!?」
パキッ、という音とともに綾音の声が消える。手元の鏡にヒビが入ってしまったのかと焦る有弦だったが、鏡には傷一つついていない。
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