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第三部 溺愛狂詩 大正十二年神無月〜 《 未来 》
時翔た花嫁に融け合う求婚 01
しおりを挟む資が静岡牧埜原の桂木農園へ到着したのは日暮れに近い午後四時半のことだった。
鮮やかな黄緑色の茶の葉が茂る段々畑には西からの柔らかな陽光が差し込んでいる。絣の着物に茜たすきをつけた茶摘み娘の装束をした女性たちが、今年最後になる茶摘みを淡々と行っていた。
このなかに、自分が求めてやまない花嫁がいる……
桂木本家へ挨拶をした後、農園が所有している広大な茶畑を案内してもらうことになった資は、そこで思いがけない人物と再会し、言葉を詰まらせる。
「やっと来たわね、資くん」
割烹着姿の、音寧にそっくりな顔立ちの綾音に微笑まれ、資は渋々、頷く。
「……綾音嬢」
「その名前は捨てたわ。いまは古河あかねって名乗ってる」
「それじゃあ、異母兄上も?」
「ええ」
ふたりが葉月のおわりに駆け落ちした翌日、震災が起きた。まるで未来を見据えたかのような綾音の行動は、未来から時空を越えてやって来た音寧が深く関わっているのだろう。
資ははぁと息をつき苦笑する。
「ご無事で何よりです」
「岩波山ではあたしと傑のことは死んだことになっているのでしょう?」
「ええ、まあ」
「連れ戻したら、資くんはおとねを五代目有弦の花嫁に迎えられないものねぇ? 安心して。もうあたしたちは彼方たちの未来に干渉しないから」
「破魔のちからを彼女に返したから?」
単刀直入に切り込んできた資に、綾音は漆黒の瞳を瞬きさせてから、そうだと素直に頷く。
「……まさか知っているとは思わなかったわ」
「未来の有弦の前で彼女が魘されながら懺悔していた。自分が無能だから、あやねえさまを救えなかった、と」
「未来の有弦って……資くん、何を」
資が鞄から取り出したのは、黒ずんだトキワタリの鏡だった。焼け落ちた時宮邸の蔵から発見されたそれは、岩波山の次期有弦と婚約していた綾音の形見と称して岩波家へ流れ着いていたのだ。綾音は目をまるくする。
資は帝都から静岡への移動中にこの鏡をのぞき、もうひとつの未来を知ったのだという。
それは身代わり同士で結婚したふたりが、互いに苦悩しながら閉じられた洋館で愛を育むも、呪詛にも似た岩波山の祝福に抗えず夫が愛するひとを抱き殺すという哀しき未来だ。そうなる前に綾音が音寧をこちらの世界へ召喚したため、鏡の向こうの未来では今も有弦が音寧の帰りを待っているが……音寧がその不幸な未来に帰ることは叶わない。
だから資は鏡の向こうで彼女を真摯に想うもうひとりの自分の想いを引きずり出し、融合させた。いまの資は大正十四年の如月で待ち続ける五代目有弦が体験した記憶も継承しているのだ。
魔を視るちからを失ったものの、未だに魔を常人以上に感じることができる彼のことだ。トキワタリの鏡の真の持ち主である音寧が愛した男は、時を越えた想いを享受する資格を持っている。だから鏡は資のために魔法をつかったのだ。実際に起きようとしていた哀しい未来をやり直すため、舞い降りた双子たちの時を味方にする異能で分岐することが叶った新たな未来へ舵を切らせるため……
けれど、不服そうに資は綾音に言い募る。
「時を翔るちからで貴女がこちらの世界へおとねを召喚したのは、傑と死ぬ運命を回避したかったから、ですか?」
責めるような彼の声に、綾音は首肯する。
「まぁ、死にたくなかったのは事実よ。だ、だけどあの未来をそのままつづけていたら、誰も幸せになれないわ。資くんだって、それがわかったから、彼の想いを受け止めたのでしょう?」
無言で頷く資に、綾音は告げる。
「とねなら、茶畑にいるわよ。だけど、いまの彼女は、資くんのことを何も知らない十八歳の女学生。あたしや資くんみたいに、時空の歪みで生じた過去と未来の思念が融合されていないのよ」
「……なんだって?」
てっきり綾音のように過去と未来を知った状態でこの世界に生きていると思っていた資だが、歪んだ未来から来た音寧は、いまの時代を生きる本来の自分と未だ逢えていないのだという。
唖然とする資に、綾音は苦笑する。
「だけど心配しないで。きっと彼女は、未来の旦那様が迎えに来てくれることを待っている」
――だからもう一度、まっさらな状態で恋をして。
そう言って、綾音はすたすたと歩きだす。
途方に暮れた表情になっていた資だが、彼女に促され、自分もゆっくりと茶畑へ向かうのだった。
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