【R18】ふたりしずか another

ささゆき細雪

文字の大きさ
1 / 34

しおりを挟む



 天と地を揺るがす運命の転機を告げるささやかな長き鼓の音を耳に、男装の美姫は軽やかに動き出す。自暴自棄に床板を軋ませながら、舞台の中央へ堂々と現れた白拍子は、彼女を見つめる無数の瞳に挑むように、視線をあげ、手にしていた舞扇を潔く開く。

 ――武神に捧げる舞など、くれてやる。

 睨みつけるような少女の双眸は、源氏を守護する八幡大菩薩に向けたもの。

 けれど、この舞は自分がただひとり愛するあのひとのためのもの。

 龍笛が雷雲を呼び起こすが如く嘶く。それに続いて笙篳篥が荒々しい旋律を奏で、花散らしの雨を降らせるように、喧しく鈴が鳴り響く。

 緑鮮やかな初夏の鶴岡八幡新宮内若宮社殿廻廊に、少女が嵐を呼び寄せる。

 楽士たちの演奏を背に、舞姫は緋色の袴を勢いよく翻らせる。

 さやかな衣擦れが、嵐を切り開く一筋の陽光のように射し、驟雨のような楽の音を黙らせ、緋褪色した舞扇が、雨上がりの虹を魅せる。

 雨上がりの虹の下で、どこからともなく胡蝶たちがひらひらと蜜ある花へ集うように、少女の揺らす袖が踊る。

 漆黒の瞳は正面を向き、鮮やかな紅色の唇が想いを紡ぎだす。

「吉野山……」

 高らかにうたうのは、

「峰の白雪踏み分けて」

 自らが別れを告げた、

「入りにしひとのあとぞ恋しき」

 愛するひとの、無事を願う言葉。

 ざわめく観衆を無視して、舞姫は踊りつづける。繰り返し繰り返し、愛したひとの消息を気遣い、いまも彼方を想っている、味方でいると誓いながら。

「入りにしひとの、あとぞ、恋しき……」

 ――あたしがこの舞を捧げる武神は、義経だけで充分。

 目の前でふるふる震える拳を握って憤怒で顔を真っ赤に染めている男など、興味ない。

 ……源頼朝。義経の兄で、この鎌倉を牛耳る大御所。義経を調和を乱す不穏因子として叛逆者扱いした憎らしい男。

 だけど所詮、静がいう「おっさん」だ。

 舞姫はくすくす笑うように、和音に合わせて舞扇を構え、一気に。

「しずやしず、しずのおだまきくりかえし」

 うたいあげる。

「昔を今になすよしもがな」

 自らに問いかけ、自らが応える。あの頃に戻れたら? 何を言っている。戻れるわけがない。義経には静がいる。あたしには舞がある。それに、あたしの胎には義経の子どもがいる。それでいいじゃない。

 目の前で神へ捧げる舞を踊る白拍子が、世間で咎人と呼ばれる男を必死に恋い、慕いつづけている。その一途な姿が、皮肉にも戸惑いを隠せない観衆たちを惹きつけることに、頼朝は気づいているのだろうか?

 ――これが京の都で評判の、御前様の神をも魅了させる舞だよ。思い知ったか!

 少女は、終焉を迎える和音に身体を添えて、時間を止めるように、身体の動きを硬直させる。

 けれど、おわりの合図に誰も気づけない。

 この舞に隠された、少女の熱い想いに応えられる人間が、ここにはいないから。

 舞扇を閉じ、舞姫も瞳を閉じる。

 やがて、遅ればせながら、盛大な拍手が届く。

 割れんばかりの拍手を当然のように受けながら、少女は眼の裏に愛するひとの姿を描く。

 ――あのふたり、無事に逃げた、よね?

 愛するひとたちの、幸せな未来を、願って。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

処理中です...