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序
しおりを挟む天と地を揺るがす運命の転機を告げるささやかな長き鼓の音を耳に、男装の美姫は軽やかに動き出す。自暴自棄に床板を軋ませながら、舞台の中央へ堂々と現れた白拍子は、彼女を見つめる無数の瞳に挑むように、視線をあげ、手にしていた舞扇を潔く開く。
――武神に捧げる舞など、くれてやる。
睨みつけるような少女の双眸は、源氏を守護する八幡大菩薩に向けたもの。
けれど、この舞は自分がただひとり愛するあのひとのためのもの。
龍笛が雷雲を呼び起こすが如く嘶く。それに続いて笙篳篥が荒々しい旋律を奏で、花散らしの雨を降らせるように、喧しく鈴が鳴り響く。
緑鮮やかな初夏の鶴岡八幡新宮内若宮社殿廻廊に、少女が嵐を呼び寄せる。
楽士たちの演奏を背に、舞姫は緋色の袴を勢いよく翻らせる。
清かな衣擦れが、嵐を切り開く一筋の陽光のように射し、驟雨のような楽の音を黙らせ、緋褪色した舞扇が、雨上がりの虹を魅せる。
雨上がりの虹の下で、どこからともなく胡蝶たちがひらひらと蜜ある花へ集うように、少女の揺らす袖が踊る。
漆黒の瞳は正面を向き、鮮やかな紅色の唇が想いを紡ぎだす。
「吉野山……」
高らかにうたうのは、
「峰の白雪踏み分けて」
自らが別れを告げた、
「入りにしひとのあとぞ恋しき」
愛するひとの、無事を願う言葉。
ざわめく観衆を無視して、舞姫は踊りつづける。繰り返し繰り返し、愛したひとの消息を気遣い、いまも彼方を想っている、味方でいると誓いながら。
「入りにしひとの、あとぞ、恋しき……」
――あたしがこの舞を捧げる武神は、義経だけで充分。
目の前でふるふる震える拳を握って憤怒で顔を真っ赤に染めている男など、興味ない。
……源頼朝。義経の兄で、この鎌倉を牛耳る大御所。義経を調和を乱す不穏因子として叛逆者扱いした憎らしい男。
だけど所詮、静がいう「おっさん」だ。
舞姫はくすくす笑うように、和音に合わせて舞扇を構え、一気に。
「しずやしず、しずのおだまきくりかえし」
うたいあげる。
「昔を今になすよしもがな」
自らに問いかけ、自らが応える。あの頃に戻れたら? 何を言っている。戻れるわけがない。義経には静がいる。あたしには舞がある。それに、あたしの胎には義経の子どもがいる。それでいいじゃない。
目の前で神へ捧げる舞を踊る白拍子が、世間で咎人と呼ばれる男を必死に恋い、慕いつづけている。その一途な姿が、皮肉にも戸惑いを隠せない観衆たちを惹きつけることに、頼朝は気づいているのだろうか?
――これが京の都で評判の、御前様の神をも魅了させる舞だよ。思い知ったか!
少女は、終焉を迎える和音に身体を添えて、時間を止めるように、身体の動きを硬直させる。
けれど、おわりの合図に誰も気づけない。
この舞に隠された、少女の熱い想いに応えられる人間が、ここにはいないから。
舞扇を閉じ、舞姫も瞳を閉じる。
やがて、遅ればせながら、盛大な拍手が届く。
割れんばかりの拍手を当然のように受けながら、少女は眼の裏に愛するひとの姿を描く。
――あのふたり、無事に逃げた、よね?
愛するひとたちの、幸せな未来を、願って。
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