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弐 その四
しおりを挟む静の身の回りを世話する侍女は浅葱のほかにもうひとり、十七歳の秀足がいる。
彼女は頼朝に間者として遣わされた浅葱と違い、もともと河越庄で下働きをしていたため、静の信頼も厚い。静からすると秀足は姉のような存在ともいえる。
静が嫁入りする際に名乗りを一番にあげてくれたのも彼女だ。
「でね、義経さまったら、同じ屋敷に住まわせないのなら別に構わないだろ、なんて軽く言って出て行っちゃった。その平家のお姫様のとこに……聞いてる?」
静の愚痴に耳を傾け、秀足はうんうんと頷く。
「おとこのひとって、みんなそうなのかな?」
秀足が困ったような表情で静を見つめる。やがて、さらさらと紙に文字を綴る。
『私にはわからない』
彼女は、言葉を話せない。
生まれつきのものだというが、そのせいで秀足は他の下女たちに虐げられていた。話ができないのだから都合の悪いことはすべて押し付けられてしまい、いつもひとりで働いている印象があった。
けれど秀足は厭な顔ひとつせず、もくもくとこなしていた。その芯の強い物事をやり遂げる姿が、静を惹きつけた。
無理難題を押し付けられてもいつの間にか解決している。それが秀足の持つ才能だと気づいた静は、侍女になってほしいと頼んだ。自分は喋れないからと渋る秀足だったが、静が文字を教えてあげると提案すると、すこしだけ嬉しそうに顔を赤らめ、頷いた。
だからいま、秀足は静の言葉に対して、紙と筆で応えることができる。
「義経さまが何考えてるのか、ちぃっともわかんない」
『どうしてわかりたいと思う?』
静は小声で秀足の耳元に囁く。
「彼の行動のひとつひとつが、鎌倉へ伝わっているのはわかるでしょう?」
『御所さまがこのことを芳しく思っていないのは当然』
「……そう、そこなのよ」
秀足の文字はちいさく、略されているので静しか解読できない。他の人間が見たら墨絵の落書きにしか見えないそれを、静は難なく読み、会話を繋ぐ。
義経を見下したままの鎌倉の不穏な動き。頼朝の間者である浅葱。都へ戻ってきた義経と新たに現れた平家の生き残りの姫君。
秀足は喋れないが、賢い。
『浅葱どのの動きは未だ』
「泳がせといていいわ。どうせこっちのことも筒抜けみたいだし」
『やはり禅どのが?』
「そうとしか考えられない。向こうは面白がってやっているんでしょうけど、まったく余計なことを……」
『でも、悪い方には見えない』
「そう? 秀足が言うのならきっと彼女は善良なんでしょうね」
静は秀足の閉ざされた口許を優しくなぞる。くすぐったそうに秀足は顔を背ける。
秀足は仕返しだとでも言いたそうに、静の髪に飾られた都忘れをひょいと引き抜く。
「あ、こらっ」
『これだって、禅どのが気遣ってくださったのだから』
右手で筆を、左手で花を、秀足は握って、静の前で文字を描く。
「似合ってると思ったんだけど」
『お似合い』
書き終えた秀足はにこっと笑いかけ、静の髪の、さっきつけた場所よりも高いところへ都忘れの花を飾りつける。
「ありがとう」
物騒な会話の痕跡は、秀足が筆を付け足すことで、見事な墨絵へ変貌する。
「……また何かあったら教えて」
最後にそう呟いて、静は秀足の墨絵を回収する。秀足は穏やかな表情で、静の言葉に首を振る。
禅も浅葱も、秀足がどれだけ周囲を観察しているか、知らない。
話のできない哀れな侍女だと思い込まれているから、静は秀足を影で起用するのだ。
河越庄からずっと傍にいてくれた、彼女だけが京の都で信頼できる唯一の人間。
それを知る人間がここにはいない。
秀足は静が自分を一番の侍女だと認めてくれていると知っているから、愚かで哀れな人間を演じてくれるのだ。鎌倉から派遣された浅葱が自分の立場を奪って静の傍に付きまとうのも、厭な顔ひとつしないで譲っている。浅葱からすれば田舎からくっついてきた侍女など無味乾燥で、静がお情けで雇っているとでも思っているのだろう。あえてそう見せかけているとは知らずに。
それが、静には好都合なのだ。
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