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闇夜の放浪の真相
しおりを挟むあたしが家出した理由。あたしがここにいられないと真っ先に考えた理由。
至って単純明快。
やってはいけない禁忌を犯したから。
人を、師匠を、父親を、殺したから。
殺すつもりはなかったなんて今更口にして弁解する余地もない。殺人現場から逃げ出して自首することすら諦めて、あたしは夜の、まだ全てが明るみにでていない闇に包まれた世界を放浪していただけ。
墨と血で汚れたシャツを着て、裸足のまま飛び出して、ただ足掻いてみようと思って。
夜の間だけ躍ることを決めた。
滑稽でいい。何が起こってもいい。タイムリミットは午前六時。太陽が顔を出したらあたしは家に戻ろうと、戻って師匠にさよならをするんだとそんな支離滅裂な結論に到達した。
もしこれが公に晒されたら、穏やかな農村で起こった少女による残酷な殺人事件、なんてこぞって報道されるんだろうか。
第一発見者は隣のおばちゃん、もしくは牛乳瓶を配達しに来たおじさん。
変わり果てた師匠の姿と、それを恍惚とした表情で葬送するあたしを発見して慌てて警察に通報する……
だけど。
何が起こってもいいと開き直って飛び出したあたしだけど。
まさかあたしが巻き添えにした金魚が人間になってあたしと一緒に逃げてくれると誓ってくれるとは思っていなかった。
それともあたしが狂っているだけか? 目の前にいる少年は実はユメマボロシの類で、あたしの隣には誰も彼も存在していないのか?
怖くて手を握れない。
だけど感じる息遣い。
あたしは彼が誰であってもいい、だからタイムリミットまで傍にいて欲しいと、改めて切実に乞う。
「緋魚」
あたしが何に恐れ、怯え、また、何を考え求めているか、彼は知っていてあえて何も言わない。
「言わなくていい」
シュイパオユアンがあたしの言葉を遮ろうとしたけれど、あたしはそれを拒んだ。
「だって、小さな世界を壊したのはあたしなんだよ。師匠もそりゃ、悪いと思うけど」
千切れる。
「殺したのは事実なんだよ、たとえそれが事故と呼ばれるような状況だったとしても、あたしが殺意を催していたのは紛れもない真実で」
あたしの、平常心。
「どうして彼の言いなりになって生きているのかわからないまま今日まで来て、ずっと隠していた気持ち……悪い気持ちが外に出ちゃった、ただそれだけのことなのに」
迸る、悲鳴。
「赤い血を見て綺麗だねなんて口ずさむあたしはもう神経的にどっか狂ってるんじゃないかなぁって思うんだ、警察に連れて行かれたらまず最初に精神鑑定、なんちゃって」
零れだす、どす黒い、墨のような、あたしの心の中の呟き。
闇夜に沈む、悲痛な叫びを、耳元に残さないで。
金魚鉢が割れて、キラキラ輝く硝子と白い小石と水が、あたしを呼んでいたように見えた。
墨と血と水が混ざった畳。
そして、小さな世界にいた出目金は、人間になった。
魔女……あたしに願って。
* * *
母親が去って、屋敷に取り残されたあたしは、父親を師匠と呼ぶことで、不安を取り除こうとした。
師匠はそれを知っていたから、あたしの師匠でいてくれた。
父親であることを放棄して。
でもそれが、父娘関係と呼べるわけもなくて。
歪んだまま、歳月は経過して。
師匠は母親に似てきたあたしに、恋をする。
知っていて、知らないふりをしていたあたしに非があるのか、それともそのように仕組んだ運命の悪戯に責任を問わなきゃいけないのか、今となってはわからない。
けれど。
あたしが「水」に還ることを拒み「永」遠にここにいるよう、師匠は。
あたしを犯そうとした。
* * * * *
風船のような袋は角膜がリンパ液で膨らんだもので、個体により非常に大きくなるという水泡眼。
シュイパオユアンと一緒にいると、時間の感覚がわからなくなる。彼が、あたしよりも永い時間を水の中で過ごしているから、なのだろうか。
どうしてタイムリミットを明朝六時に決めたのか、それすらあたしの見ていた夢なのではないかと焦ってしまう。
そんなあたしを彼は見守っている。
「緋魚が選ぶ」
それだけ精一杯、言って、口を閉ざす。
選んでいいの?
彼は頷く。あたしも頷き返す。
決めた。
これからあたしが選ぶのは。
あたしは左腕に嵌めていた腕時計を外して、田んぼに投げ捨てる。
そしたら「彼」は消えてしまった。
* * * * *
師匠に押し倒されて、あたしは棚に頭をぶつけた。そして、棚の上にあった金魚鉢は、まるで意志をもったかのように、師匠の頭上に転落していった。
あたしは動かなくなった師匠を、悪夢を、どうにか終わらせようと、慌てて台所に走った。サラサラ流れる水に濡れ、キラキラ輝く硝子の破片で傷だらけになった師匠は、ギラギラ目を光らせてあたしを嬲ろうとしていた。
カラカラ音のする台所の扉を閉めることなくあたしはガラガラの声であたしを求める師匠を見てクラクラ眩暈がしたけれど。
あたしはヒラヒラ舞う蝶のようにユラユラ揺れながらフラフラ刃物を掲げて。
「あたしはあなたの愛玩動物じゃない」
容赦なく、包丁で師匠の首筋に、一文字。
* * *
赤い赤い赤いランプ点灯中。
闇夜の終わりは呆気なくやってくる。
あたしは師匠の死体を見て、くすりと微笑む。
永遠を手に入れた彼。
永遠を与えてあげたあたし。
想定どおりに警察がやって来て、血と墨に塗れた衣服を纏ったままうっとりしているあたしに何があったか問いかける。
水を失った出目金、シュイパオユアンは陸地で生きていけるわけもなく、すでに畳の上で死んでいる。
あれはやっぱりあたしが夜中に夢想したたわいもない現実逃避でしかなかったのだろう。
「池上緋魚さん?」
刑事さんが怒ったような、泣きそうなような、途方に暮れた表情で、あたしの名を呼ぶ。
あたしは死んだ魚の瞳のように、濁った瞳で彼らを見つめる。
畳の上の、金魚の骸を右手で掴む。ぬるりとした感触が、これが夢じゃないことを証明してくれる。
シュイパオユアン、あなたとの約束を叶えてあげる。
「自己防衛」
小さな世界を守るために、壊しました。
それだけ言って、あたしは生臭さの残る闇の色を宿した金魚の死体を飲み込んだ。
a goldfish in the dark―――fin.
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