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白鳥とアプリコット・ムーン 本編

憲兵団長ウィルバーと二代目国王アイカラス

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 旧大陸アルヴスの白鳥たちが新大陸ラーウスに移り、国を建立したのはいまから十年前のこと。
 国内外の領地争いでアルヴスを追われた貴族たちは争いのない世界を求めて、冒険家ドノヴァンが発見した新たな大陸ラーウスへと渡っていった。それこそ渡り鳥のように。
 なかでも目立ったのが“白鳥の湖”という姓を持つスワンレイクの一族である。彼らはいちはやくラーウスに目をつけており、冒険家の報告を聞くや否やアルヴスを捨て、いちから自分たちの国家を作るという暴挙にでたのだ。

 スワンレイク王国が世に認められ、ラーウスの中心国として発展できたのには理由がある。そのうちのひとつが、失われつつある魔法を扱える先住民族との融合政策だ。
 アルヴスから人間が渡ってくる以前よりこの地で慎ましく暮らしていた民は、旧大陸から渡ってくる白鳥の訪れを予言しており、快く歓迎した。
 予言や幻術など彼らの魔法を目の当たりにしたスワンレイクの一族は、星詠みや古代魔術を扱う彼らの助言をもとに、拠点となる国を造ったとも言われている。
 そのなかにはもちろん、政略結婚も含まれている。

 現王アイカラスの亡き弟の末息子であるウィルバー・スワンレイクとラーウスのいにしえ民族であるローザベル・ノーザンクロスの婚姻もまた、ふるきものと新しきものの融合として、初代国王によって決定されたもののひとつだ。
 建国して一年も経たないうちに婚約は整えられ、当時十歳に満たなかったふたりの齢が十八になった春、慎ましくも立派な結婚式が執り行われた。
 互いの意志が尊重されることもない、王族と古民族の利潤だけが優先された紛れもない政略結婚。
 それでもウィルバーはローザベルを妻にすることができて幸せだったのだ。
 たとえ――灰色の白鳥が夜空の星を湖へ突き落とした、なんて揶揄されることがあっても。

 参列者たちは結婚式の場に現れたミステリアスな黒髪翠眼の花嫁の姿に驚き、夜空の星と評し賞賛した。美しい姫君は、王族の恥さらしと疎まれていた王弟の末息子への輿入れだというのに、恥じることもなく、終始凛と佇んでいた。
 アルヴス式の挙式だったため純白のウェディングドレスを纏っていたローザベルは、夫となったウィルバーに乞われるがまま、花びら舞い散る初夜の床で純潔を捧げ、夫婦となる。

 だが、この頃からローザベルは夫に秘密を持っていた。ウィルバーとの結婚生活を順風満帆なものとするため、彼女はひとり、稀なる石を集めて戦うことを決意していたのだ――……


   * * *


 不機嫌そうな表情を隠すことなく玉座に現れた甥を見て、ときのスワンレイク王、アイカラス・スワンレイクはふふっ、と鼻で笑う。
 昨晩の彼の失態については既に報告を受けている。いまさら本人がのこのこ王の前に言い訳しに来たところで変わるようなものはない。だというのに、ウィルバーはいつも、伯父の前で馬鹿正直に告げるのだ。自分が至らないせいで、王に迷惑をかけていると。

 ――相変わらず、アプリコット・ムーンにやきもきしているようだの。

 アイカラスの海を彷彿させる蒼の瞳がウィルバーを射る。鮮やかな蒼の瞳を持つ王は、とぼけた空色の瞳の甥を前に、あっさり伝える。

「ウィル、根を詰めすぎるのはよくないぞ」
「は……?」

 国王は甥のことをウィルという愛称で呼ぶ。自分に子どもがいないため、亡き弟の正妻が産み落としたウィルバーの異母兄ふたりを養子に迎えて皇太子としているが、彼らは既に妻帯し、第一皇太子フェリックスのところには九歳の息子もいる。彼らよりも十歳以上年下の母違いの末息子ウィルバーもようやくローザベルと結婚して一年経つが、アイカラスから見ると十九歳の彼はまだまだ子どもに見えて仕方がない。

「ですが、今回の失態は」
「“ヴィオレットユーニ”、か? もともと王妃あいつには必要のないティアラだぞ。逆にわしは呪いが込められていることに気づいたアプリコット・ムーンに感謝したいくらいだ」
「……」

 憲兵団には怪盗アプリコット・ムーンを捕らえろと命令をだしているくせに、ウィルバーが実際に捕まえようとして失敗すると「構わぬ、気にするな」と楽しそうに王は告げる。
 現に楽しくて仕方ないのだ、愛妻家ウィルバーが女怪盗を仕留めるのに夢中になって家庭内を省みなくなる状況が。なぜならこの王はウィルバーとローザベルの婚姻にはじめのうちは反対していたからだ。

「ノーザンクロスの娘に嫉妬されぬようにな」
「余計なお世話です」
「まぁ、怪盗アプリコット・ムーンをとっとと捕まえることができれば、そのような煩わしい思いをすることもなかろう……」

 むっとした表情の甥を見下ろし、アイカラスは嘆息する。優秀だった王弟の末息子でありながら旧大陸の蛮族の奴隷を母に持つがゆえに王族の恥さらし、灰色の白鳥と言われているウィルバーは母親に似たのか情熱的で一途な男だ。
 憲兵団長として多忙な任務についているにも関わらず、ノーザンクロスの娘との仲は良好だという。
 だが、ノーザンクロスの姫君が持つ密命を知る王は、ふたりの関係が最悪な形に陥る前に離縁させるべきなのではないかと危惧している。

 ――ローザベル・ノーザンクロス。怪盗アプリコット・ムーンとして“稀なる石”をつかった大魔法を扱えるもの。

 ローザベルはラーウスに古くから暮らす豪族の娘で、なかでも星詠みの一族と畏れられているノーザンクロス家の姫君として、幼少期よりスワンレイク王家の人間から目をつけられていた。
 なぜなら彼女が持つ古代魔術のちから……そのなかでも未来を確変するちからを、ときのスワンレイク王マーマデュークが欲していたからだ。
 それゆえ、ローザベル・ノーザンクロスは幼い頃から廃れつつある古代魔術の研鑽を積んだ後、当時皇太子だったアイカラスの正妃として迎えられるはずだった。
 だが、ノーザンクロス家がそれでは姫様が可哀想だと猛反発。既に王妃を娶っているアイカラスが十歳の少女を囲い正妃にしてしまったら、国民も困惑するだろう。せめて、もう少し年齢の近い王族に嫁がせろ、と。
 アイカラスが養子としたふたりの息子はどちらも別の有力貴族と婚姻を結んだばかりだ。離縁させずに二人目の妻として娶らせることもできたが、向こうの機嫌を損ねたくなかった父王マーマデュークはそれを是としなかった。
 渋々、旧大陸に残してきた、事情を知らない、それでいて王家の監視も行き届いている当時十歳のウィルバー・スワンレイクの花嫁とすることで双方合意を得たのである。

 ――政略結婚とはいえ、ウィルは彼女を愛している。もともとはわしの妻にするつもりだったというのに。

 マーマデュークの死後、再度現国王から結婚の打診が来ていたことなどローザベルも知らないだろう。占いを元に彼女の婚姻を決めたのは両親と父方の曾祖母だ。星の導きだと宣っていた彼らだが、アイカラスからすれば、旧大陸からのこのこと現れた王を名乗る統治者に古代魔術のすべてを与えないため御しやすそうなウィルバーを相手に選んだのではなかろうかと訝ってしまうのも無理はない。

 甥の結婚式の場で黒髪翠眼の美しい花嫁を前にしたときは惜しいことをしたと思ったがいまさら彼女を溺愛する若い彼から花嫁を奪うつもりもない。
 だが、すこしくらいは楽しませてもらってもいいではないかとアイカラスはほくそ笑む。愚鈍だが一生懸命な憲兵団長と、秘密を抱えた女怪盗の捕物帖の正体が、夫とその妻によるおいかけっこだと目の前の男が知ったら……

「そうだ。花の離宮をお前に貸そう」
「はい?」
「結婚してもう一年とはいえ、なかなか夫婦水入らずの時間を取れていないのだろう? いま暮らしている邸に妻を残しておくより、ふたりでいる時間を有効に使えるのではないかね」
「それは、ありがたいご提案ですが……なぜでしょうか?」 

 王都の西のはずれにある小さな城、通称“花の離宮”。もともとはラーウスの古民族たちが妖精王と対話するための神殿だったというが、アルヴスの人間が渡る以前より廃れ、荒れ放題になっていた。初代スワンレイク王はそれを修繕し、アルヴスから持ってきた薔薇の花を植えさせ、来客を迎える際の離宮へと生まれ変わらせた。
 ふだんは使用人だけが手入れのために暮らしている小さな城を、あろうことか王はウィルバーに貸すという。いま暮らしている邸では何か不都合があるのだろうか。

「あの離宮には、罪人を裁くための美しい監獄が眠っているのだよ」
「監獄!?」
「罪人を捕らえ、拷問の末に処刑を行ったラーウスの古民族たちの負の遺跡で、魔力が強いがゆえに改修できなかったのだ」
「そ、そんな物騒な場所で夫婦水入らずっておかしくないですか!?」
「花の離宮自体はなんら問題ない。なんせお前の妻はあのノーザンクロスの姫君だ。魔力にあてられる心配もない」
「はあ」
「もともとが神聖な場所だからお前にとっても都合が良いはずだぞ?」

 神殿内に存在したという、罪人を捕らえる檻をはじめ、拷問部屋、処刑場のことを美しい監獄、と口にした王は黙り込むウィルバーを見下ろし、口角を持ちあげる。
 そして、逃げ出せないよう退路を断つ。

「ウィルバー・スワンレイク憲兵団長。今回の失敗は見逃してやる。次はないと思え」

 花の離宮に移り、職務を遂行せよと命じれば、彼は頷くしかないのだ。


「これは王命だ。怪盗アプリコット・ムーンを生け捕りにして、花の離宮の監獄につなげ!」


 アイカラスはその命令に素直に頷く甥を見て、密かに溜飲を下げる。
 ウィルバーが去ってからも、王は玉座にとどまり、瞳を閉じてしずかに物思いにふけっていた。


 ――賽は投げられた。
 自ら女怪盗を捕らえその正体が自身の愛する妻だという真実を知ったときウィルバーは何を思うだろう。
 それでも彼は、秘密を抱えていた妻を愛せるだろうか……?
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