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白鳥とアプリコット・ムーン 本編
ノーザンクロスの娘と怪盗アプリコット・ムーン
しおりを挟むアルヴスの白鳥のなかに灰色の子がいるわ。
灰色なのはまだ雛だからよ。成長したらその子は誰よりも美しい純白の翼を持つ白鳥になるの……ローザベルがおとなになる頃には、そうなっているのかしら。
ノーザンクロスの姫君とつりあうスワンレイクの王子さま。ふたりは精霊たちにも祝福され、愛し愛される慶びを識るけれど、北十字の星は警告するわ。そう遠くない未来に、白鳥の湖に君臨する王家の危機を。
だからローザベル。あなたにしかできない使命を託すわ。月の精霊の魔法を借りて、ラーウスの魔力の源である“稀なる石”を……
「……おばあさま」
寝台の上で眠っていたローザベルはぱちり、と瞳をしばたかせ、さきほどまで視ていた夢を反芻させる。
ウィルバーとの結婚式を控えた一年ほど前に息を引き取った曾祖母、アイーダ。スワンレイクの人間がラーウスに渡ってくる以前から棲んでいて、息をするように古代魔術を操り、初代国王マーマデュークとともに宮廷魔術師として建国に携わったという伝説のようなひとだった。
だが、マーマデュークが建国二年目で急死し、現国王アイカラスが即位してからは国のために魔法をつかうことは行わず、ローザベルの両親に星詠みを頼み自分は悠々自適な隠居生活を送っていた。なぜ魔法をつかわなくなったのかと問いかけた幼いローザベルに、「魔法をつかうには愛を与える対象が必要だったのよ」と小難しいことを言ってアイーダは淋しそうに笑ったのだ。
そしてさきほどの夢の言葉が繰り返される。わたしにとっての“愛”を与える対象……灰色の白鳥、ウィルバーさまのこと。
――強力な古代魔術をつかうには、“稀なる石”が持つ魔力とそれを引き出すための代償となる“愛”が必要。
その“愛”は、恋愛、敬愛、情愛、純愛……ひとりの人間を強く想う際に生まれるというちからを“稀なる石”に込めることで成立する。なかでも古代豪族の婚姻による性愛のちからは時間干渉すら可能だと畏れられ、アルヴスから渡ってきた研究者ゴドウィンによる論文が発表されたほどだ。
ローザベルはその理屈がよくわからなかった。けれど、十歳になった際に王城へ招かれ、皇太子アイカラスの亡き弟の息子であるウィルバー・スワンレイクとの婚姻を伝えられたことで理解してしまった。わたしと契ることで、彼はそう遠くない未来に純白の白鳥になる……
あれから一月しないうちにマーマデュークはこの世を去った。まるでローザベルとウィルバーの婚約を見届けたかのように。
そして玉座についたアイカラスから離れ、隠居に至った曾祖母の姿から悟ったのだ。
宮廷魔術師として名高かったアイーダが敬愛していたのは、初代国王ただひとりだった、ということを。
* * *
王都の西、花の離宮と呼ばれる城へ王命によって引っ越すことになってしまったウィルバーとローザベルは、それほど多くない荷物を片し、各々の部屋へと下がっている。
夫婦なのだから寝室は一緒でもいいじゃないかとウィルバーにさんざん言われたが、彼の仕事を邪魔したくないからとやんわり告げれば彼は渋々引き下がる。国家を守る憲兵団長の仕事は年中無休だ。一緒の寝室で眠ると否応なしに起こされてしまう、寝付きの悪いローザベルは結婚当初からそういって、寝室を別にしてもらっていた。
それゆえ、互いの寝室で夫婦の営みを行ったのは片手で数えるほど。あとは応接間のソファで我慢できなくなったウィルバーを慰める程度である。それでも彼はローザベルに飽きることなく、いまも変わらず愛を囁いてくれている。
政略結婚の駒に使われた哀れな夫は自分のことを王族の恥さらしだと呟き、ローザベルに謝った。自分はたしかに王族だが、王のような立派な城でおおぜいの人間にかしずかれるような優雅な暮らしは到底送れない、いち憲兵でしかないのだと。ノーザンクロスの姫君を深窓の令嬢だと思い込んでいたがゆえの発言だったが、ローザベルは気にしなかった。
むしろ好都合だった。怪盗アプリコット・ムーンとして夜中に活動するローザベルは、予め予告状を送ることで憲兵団の動きを確認できたし、寝室を別にしてもらったことで邸からひとりで抜け出すことも簡単になったのだから……
今回、王の命令で花の離宮へ移ったことで新たに部屋割りを行うことになったが、ローザベルは引き続き寝室を別に希望した。ウィルバーは残念そうな表情をしていたが、「怪盗アプリコット・ムーンをつかまえられたら一緒に寝てあげる」のヒトコトが絶大な効果をもたらした。目の前にいる愛する妻がそのにっくき怪盗アプリコット・ムーン本人であることに夫はまったく気づいていない。
ウィルバーが寝静まったか確認するため、寝台の上で古語を唱えれば、さぁっ、と天井に円形の枠が浮かび、水鏡が生まれる。その向こうに映るのは、愛しい夫の姿。
真っ暗な彼の寝室で、豆電球が点っている。よくよく見れば書き物机で書類と格闘しているらしい。報告書だろうか。
「……はやく寝なさいよ」
予告状を送れないじゃないと怪盗アプリコット・ムーンの口調でぽそっと呟き、ローザベルはふたたび瞳をとじる。ついに花の離宮まで到達してしまった。タイムリミットはあとちょっとというところなのだろう。
はやく、魔力を多く保有している“稀なる石”を回収して、魔法をつかわなくては。
けれど、ローザベルがその魔法をつかうときはきっと、ウィルバーを裏切るとき。
いまのノーザンクロス家の事情を知るのはときの王アイカラスただひとり。ローザベルが怪盗アプリコット・ムーンと称して国内で“稀なる石”を盗みはじめたのを知っても、彼がその行為を止めることは叶わない。せいぜい憲兵団を派遣してその邪魔をするくらいだ。
アイカラスとローザベルのあいだに接点はないが、死ぬ間際の曾祖母から警告を受けていた。
いまの彼は星詠みのノーザンクロスではない、別の古民族の一族に助けられている。それだから“稀なる石”が魔法をつかう際に重要な役割を持っていることも知っているのだろう。アイーダは嘆いた。いまのスワンレイク王は古代魔術を融合するだけでなく、自分だけのモノにするのではないか……マーマデュークのときは、もっと心が寄り添えていたのに、と。
アイカラスの妃に求められてもおかしくなかった状況でローザベルと同年代の身分の低い亡き王弟の息子に嫁ぐことになったのも、王家の言動を警戒してのことだったのだろう。
たしかに彼には黒い噂があった。初代国王マーマデュークの死にまつわる、黒い噂が。
もしそれが真実なのだとしたら、ノーザンクロスの一族はスワンレイクの一族を断罪し、“やりなおしの魔法”をかけなくてはならない。両親からの忠告を鵜呑みにしていたローザベルは、さもなければ、ローザベルと結婚したウィルバーのもとへ災禍が訪れるのだと信じていた。
その状態で結婚初夜に不確定な未来を視てしまったローザベルは、“稀なる石”を集めることで未来を翻せる可能性があることを知り、怪盗アプリコット・ムーンになる賭けに出る。
自分と結婚すればウィルバーは灰色の白鳥から純白の白鳥へと成長するものだとばかり思っていた。けれど現実はしがない憲兵団長のまま、アイカラスに飼い殺されている状態だ。
どうすれば彼を羽ばたかせることができるのだろう。
「必要な“稀なる石”を回収でき次第、彼にアプリコット・ムーンを捕まえてもらえばいい? だけど、そんなこと――」
怪盗アプリコット・ムーンとして“稀なる石”を集め、不確定な未来を確変するための大魔法をつかう理由を、彼女を捕らえるよう王命を受けたウィルバーに訊いてもらうには、ローザベルの正体を明かす必要がある。彼は、自分の愛する妻が憲兵団の宿敵である女怪盗だと知っても、主たる王ではなくローザベルを選んでくれるだろうか。
……悩んでいるうちに、ウィルバーの姿は寝台に消えていた。ローザベルはふぅと息をついて、心の奥で彼を想う。無風の部屋から風が吹き、机の上に置かれていた杏色の封筒が舞い上がる。行き先はいつだって憲兵団長、ウィルバー・スワンレイク。
杏色の封筒は彼の枕元に届き、朝になって大騒ぎがはじまるのだ――……
『親愛なる憲兵団長さま
花残月の朔日に、花の離宮に眠る聖棺に宿る“稀なる石”を頂戴いたします。
怪盗アプリコット・ムーン』
運命の――花残月の朔日まで、あと三日。
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