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白鳥とアプリコット・ムーン 本編
ウィルバーと義姉オリヴィアと東の塔の調剤薬
しおりを挟む「――戻ってきたわけじゃない。ダドリーの転移魔法で戻されただけだよ」
三人にまじまじと見つめられたウィルバーは、自分がまた玉座の間に戻っていることに気づき、慌てて跪く。
「国王陛下、宰相ならびに皇太孫さま……いま、転移の魔法で召喚されましたね?」
怪盗アプリコット・ムーンが撤退する際に使っていた転移の魔法。あれもまた古民族の濃い血を持つ人間だけが扱える、“稀なる石”が必要となる魔法だ。まさか自分が召喚される側になると思っていなかったウィルバーは国王が何か言い残したからジェイニーに喚ばれたのだろうと検討をつけ、アイカラスへ顔を向ける。
だが、アイカラスは違う違うと首を振り、孫のダドリーを指さしている。王城のちいさな魔術師は困惑した表情でウィルバーを見つめている。
「皇太孫、ダドリーさま? さきほどの魔法を……」
「僕はお姉ちゃんのことを思ってこの“稀なる石”に念じたんだ……だけど怪盗さんは現れなかった」
「そりゃそうさ。こいつが魔法封じの枷で召喚を妨害したんだから……仕方なしに彼女といちばん繋がりのある団長が魔法に選ばれたわけ」
「魔法に選ばれる……?」
いや、それよりなぜダドリーが怪盗のお姉ちゃんのことを知っているのだろう。
ウィルバーの心の声を読んだダドリーはキッと睨み付けて噛みつくように言い放つ。
「――お姉ちゃんを悲しませたら許さないんだから!」
そしてそのまま走り去っていく。
モヤモヤした気持ちを持て余したまま、ひとり玉座の間を飛び出してしまったダドリーを、ウィルバーは首を傾げて見送ることしかできなかった。
「……ウィルよ。さきほど伝え忘れたことがあったのだ」
「はい?」
仕方ない奴だと逃げるように去っていったダドリーをフォローするように、アイカラスがとってつけたような用件を告げる。
「花の離宮に戻る前に、オリヴィアのところで薬をもらってこい」
「薬……?」
「自白剤でも媚薬でも、リヴラの一族の秘薬があれば、わしが退位する前に欲しいものを手にいれる可能性が増す……それだけだ」
「はっ!」
怪盗アプリコット・ムーンへの取り調べを早めるために、拷問だけでなく薬もあった方が良いと言われ、ウィルバーはなるほどと頷く。
「オリヴィアどのなら東の塔にいる。転移魔法で送ろうか?」
「ジェイニー・ジェミナイ。王のための魔法を無駄につかう必要はないよ。歩いて向かう」
「では、風の精霊にその旨伝えておこう」
アイカラスとジェイニーを残し、今度こそ玉座の間を辞したウィルバーは、東の塔へと足を向け、歩きだす。
オリヴィアのもとに薬を調剤してもらうため。
異母兄フェリックスは苦手だが、彼の妻であるオリヴィアはウィルバーのような王族のはみ出しものであっても、対等に接してくれる。もともとのおおらかで気さくな人柄は、薬師の一族という生まれにふさわしいものだ。
それもそのはず、アルヴスから亡命してきたフェリックスを看病したことがふたりの出逢いで、それを知ったマーマデュークが強引に結婚させてしまったというなかなかに強烈な馴れ初めが国民たちの間にも知れ渡っている。
魔法嫌いなフェリックスだが、妻の薬師としての腕は認めており、彼が王位に就いた際にはそのまま宰相位に彼女の一族、リヴラが任命されることも決まっている。
胡散臭い影武者を立てたり、未来を予知したり、心の声を透視したりする魔法はこれからの時代不要だと、ノーザンクロスやジェミナイの一族を一蹴した形だ。
ラーウスのリヴラと言えば優秀な薬師の一族で、ノーザンクロスやジェミナイより魔術師としてのちからは劣るものの、調薬能力が廃れつつある魔法に変わる知識として重要視されている。アイカラスに代わりフェリックスが戴冠することで、魔法に頼っていたスワンレイク王国の形が良くも悪くも変わっていくのだろう。
――陛下が退位されたら、役割を終えたジェイニーも左遷されるだろうからな。
ノーザンクロスの一族はアイカラスに忠誠を誓ってはいるものの、彼に“愛”を捧げるほどの大魔法はつかわない。代わって彼の傍についたジェミナイの一族は、影武者を立てることでアイカラスと対等に王政に関わってきた。いまはまだおとなしいリヴラの一族だが、フェリックスが王となり、魔法と訣別することを国民に告げたとき、どんな反応を見せるのだろう。
――フェリックス兄上は、その魔法との決別に、怪盗アプリコット・ムーンの処刑を利用するつもりだ。そのことに気づいたから、伯父上は俺をせっついた……いっそのこと花嫁にしちまえ、と。
「お待ちしておりましたわ、憲兵団長ウィルバーさま」
物思いにふけっていたウィルバーは、東の塔の最上階にあるオリヴィアの調剤室に到着してからも上の空でいた。
螺旋階段を上った先にあるそこは、蝋燭がひとつだけの薄暗い部屋で、彼女が集めた薬草や調薬に必要な材料、道具などがあちこちに転がっている。香草独特のスパイシーでくせのあるつんとした臭いを感知して、ようやくウィルバーは我に却る。
「皇太子妃オリヴィアどの……ご無沙汰しております、オリヴィア義姉さん」
「堅苦しいことはいいわよ。宰相どのから伝令が届いておりますから」
そよそよと風の精霊が運んできたのであろう手紙が彼女の手の上でふわふわと浮かんでいる。精霊を確認できないウィルバーは宙に浮かんだままの手紙を見て、おもむろにああ、と頷く。
「それで、怪盗アプリコット・ムーンを自白に追い込むための薬が御入り用なのかしら? 拷問につかうなら、精神的にダメージを与えるものや、快楽に屈する媚薬、あと、止めを刺すならリヴラ家の秘薬もあるけど」
いまは材料が足りないからすぐには渡せないわね、と苦笑を浮かべて薬瓶を並べはじめている。
ウィルバーが喋らずとも、オリヴィアはわかりきっているかのように手際よく調薬の準備をしていた。彼女もまたラーウスの古民族ゆえに、心を読む能力でもあるのだろうか……いや、ただ単にジェイニーの手紙から必要なものを推測しているだけのようだ。
「そこにあるのはサンプルよ。媚薬ってヒトコトで言ってもいろんな種類があるわけ。有名なものだと結婚初夜に使われる香油……そう、右側に置いてある小瓶を開けてみて? 大丈夫よ香油は身体に塗らない限り効果がでないから。いい香りでしょ? 特別な薔薇の精油を使っているの」
「……この香り、どこかで」
香油の入った小瓶の蓋を開いて香りを嗅ぐために鼻を近づけたウィルバーは、ふわりと漂ってきた甘い果実のような花の香りを吸い込んで、凍りつく。
「婚礼を終えた新婦が身体を清めてから、この香油を浴びるように塗って、初夜の床に向かうのよ。何言っているの、ウィルがこの香りを知っているわけ……あら?」
「そ、そうだよな? 気のせい、だよな?」
――香油を塗りたくって、真っ白な夜着を着て、寝台の上で待っていた乙女の姿。
その香りを嗅いだ一瞬だけ脳裡に過った情景に、ウィルバーは困惑する。妖精のように可憐な少女から大人の女性へと成長していった彼女の姿が……なぜ、花の離宮につないでいるあの淫らな女怪盗の姿と重なるんだ?
「けど、懐かしい香り、かもしれない……」
「そう? なら持っていっていいわよ。実際につかうかはそのとき考えればいいんだし」
不思議そうな表情をして、オリヴィアは小瓶に蓋をして、ウィルバーに持たせる。
「それよりオススメなのはこちらにある直接口に含むタイプかな。桃色の小瓶はさっきの香油を飲めるようにしたもので、媚薬としての速効性はこれが一番。あと、こっちの小瓶も強い媚薬効果があるんだけど、どちらかといえば自白剤に近いかな……ただ、依存性があるからはじめのうちは少量ずつ使っていった方がいいわね」
「最初からたくさん飲ませるのは危険なのか?」
「言ったでしょう? この薬は精神に働きかけることで絶大な快楽をもたらすの。女怪盗の心を壊したいのならいくらでも飲ませて構わないけど……最終的には記憶も消し去って、事情聴取どころじゃなくなるわよ」
心を壊す。記憶を消し去る。
ウィルバーはその言葉にゾクりとする。
そんな不安そうな彼を見て、オリヴィアはからからと笑う。
「大丈夫よ。少しずつなら問題ないから。香油や桃色の媚薬でもダメなら、最終手段につかえばいいわ。素直に自白させたいなら薬で懐柔させちゃいなさいよ」
ちゃぷん、と跳ねた小瓶の中身は澄みきった夕暮れ時のラヴェンダー色をしていた。
ウィルバーはおそるおそる受け取り、二種類の薬と香油の小瓶をくたびれた仕事鞄に仕舞う。
机の上には他にも無色透明な液体が入った瓶や焦げ茶色の丸薬が転がっている。あれはなんだろうとウィルバーが目で訴えると、オリヴィアはあら気づいちゃったの、と笑って小声で教えてくれた。誰かに話したくて仕方なかったとでも言いたそうな勢いで。
「丸いのはジェイニーから依頼されていた肝臓の薬よ。国王陛下、半年前から具合が悪かったの……誰も気づいてなかったみたいだけど。医師から正式な発表がされてないから、知っているのはフェリックスさまと宰相どのとわたくしだけ。まだ陛下にもきちんと告げてはいないのよ。ただ、退位のはなしをされたことを考えると、気づいているのかもしれないわね。いちおうここだけの話にしてね。ちなみにこの薬は病状を遅らせて寿命を延ばす効能があるの。ただ、材料のひとつであるかの国の珊瑚蓮の実を調達するのが大変で……」
「俺なんかに教えていいんですか?」
「何言ってるの。あなたもスワンレイク王家の一員でしょ。国王陛下の寿命はもってあと五年くらい……孫の顔はうちのダドリー見てるからいいって言ってたけど、末のウィル、あなたのことすごく気にかけてたんだから。早く可愛い女の子捕まえて幸せになりなさいよ?」
「いまは仕事が忙しいんです」
「知ってるわよ。だけどすこしくらいあたまの片隅にでもいれておきなさいって話」
居心地が悪くなったウィルバーは慌ててもうひとつの無色透明な液体が入った瓶を指さし、「そっちは?」と問いかける。
ウィルバーへの追求を諦めたオリヴィアは、丸薬と一緒に放置されていた小瓶を見て、つまらなそうに口にする。
「依頼された避妊薬よ。いまはまだ妊娠するわけにはいかないってあの子が……あの子って誰だったかしら……? 一族の使命があるからって……」
ぼそぼそと紡がれるオリヴィアの言葉に、ウィルバーは首を傾げる。オリヴィアに依頼していることを考えると相手の身分も同等かそれ以上の人間なのだろう、そして彼女が口にした「一族の使命」……王都で暮らしているオリヴィアと同郷の人間だろうか。
「そう、ですか」
「ごめんなさいね、なんだか余計なことまで喋ってしまって……最近物忘れが激しいみたい、夫が即位するからかしら、ふふっ」
「いえ。お忙しいところすみません。こちらこそお薬をありがとうございます」
「真相が明らかになるのを期待しているわ、スワンレイクの英雄さん」
怪盗アプリコット・ムーンを捕まえたことで名を轟かせた憲兵団長ウィルバー・スワンレイクの名は、英雄などと騒がれている。王家のはみ出しもの、灰色の白鳥などと蔑まれていた頃を思うと、ずいぶん出世したものだなと思う。
けれど、英雄と呼ばれるようになったウィルバーは空虚な気分でいる。あのとき「白鳥の雛鳥さん」と呼んでくれた鈴のような可愛らしい声音が恋しい。彼女が成長したいまの自分を知ったら喜んでくれるだろうか。
――彼女、って誰だっけ?
なんだかオリヴィアの物忘れが伝染してしまったみたいだ。
もやもやした思いを抱えながら、ウィルバーは早々と調剤作業を再開しだした義姉の背中に一礼をして、東の塔を辞すのだった。
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