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白鳥とアプリコット・ムーン 本編
ウィルバーと異母兄ゴドウィンと白鳥座の娘
しおりを挟む「……客人、だと?」
「ウィルバーさまがお留守にしている間にいらしたのですが……」
王城の東の塔に寄り道してオリヴィアから二種類の薬と香油を持って帰ってきたウィルバーは、花の離宮の門前で迎えてくれた憲兵団の副団長マイケル・コルブスから報告を受けていた。
どうやらウィルバーが戻ってくるほんの少し前に訪れたのだという。主人が留守にしていることを告げると、彼はそうではない、この花の離宮に囚われている姫君に会いたいのだと訴え、憲兵たちの制止を厭わずずかずかと入り込んでいったという。無理に追い返せないのは、彼の身分が憲兵たちより格上だからだろう。
「……怪盗アプリコット・ムーンは」
「ウィルバーさまの寝室に閉じ込めたままです。眠っている彼女を無理に起こすことはないと、いまも応接室で紅茶を召し上がっております」
その言葉で、ああやっぱり来たかとウィルバーは項垂れる。
マイケルに薬の入った鞄を預け、応接室の扉をノックせずに開ければ、芳醇な紅茶の香りが漂う応接室で、優雅にカップを傾けている長身の男がいる。
「おかえり、我が異母弟よ」
「――ゴドウィンさま」
「昔のようににいさま、と呼んでも構わぬよ。それよりようやく灰色の白鳥が羽ばたいたというのに、ずいぶんと湿気た顔をしているじゃないか?」
いったいどうしたのかね、とこっちが訊きたいのに先手を打たれてしまったウィルバーはむむむ、と黙り混む。
憲兵たちが追い返せない高貴な客人、それは現国王アイカラスの養子として迎えられた異母兄、フェリックスの弟で、ウィルバーのもうひとりの異母兄であるゴドウィンだった。
* * *
「なるほどねぇ」
花の離宮でアルヴス製の紅茶を嫌味のように飲みながら、ゴドウィンは年の離れた異母弟の空色の瞳を覗きこむ。フェリックスと違い、ゴドウィンは人懐っこく、アルヴスにいた頃からウィルバーを気にかけてくれていた。亡命する直前に「一緒に来ないか」と誘ってくれた唯一の血縁者でもある。
だが、奴隷階級の母を持つウィルバーはフェリックスとゴドウィンの兄弟のような教育を受けさせてもらえなかった。同じ父親というだけで、十歳以上はなれたふたりの兄と遊ぶこともできず、アルヴスにいた頃のウィルバーは孤立していた。
それでも、父公爵が生存中はふたりの兄たちとの接点は残されていた。なかでもゴドウィンはウィルバーを邸から連れ出し遠駆けに付き合わせたり、狩りの仕方を教えたり、古くささが残る貴族らしい遊びに誘ってくれたものだ。父が亡くなって、故国の運命が傾いてからは、そうもいかなくなってしまったが……
「ゴドウィンさまこそ、どうしてこちらへ……?」
突然遊びに誘いに来ていた昔と現在の状況が交錯する。けれども今日は遊びへの誘いではない。なぜ王から特別な人間以外立ち入りを禁じられている花の離宮にわざわざ乗り込み、怪盗アプリコット・ムーンに会いに来たのか。もしや、ゴドウィンが彼女の胸にキスマークをつけた張本人なのか?
不躾な視線を受けて、ゴドウィンは苦笑を浮かべる。
「に・い・さ・ま、だよ。どうしたんだい、そんな顔して。まだ何も言ってないのに。まるで手にいれた玩具を取られたくないと頑なになっている子どものようだぞ」
「子どもで結構。俺は怪盗アプリコット・ムーンが自分の運命の女だと思ったんです。だから国王陛下にも彼女を望んだんです。けど」
「フェリックス兄上が王位についたら、君が手にするはずのものが取り上げられて、壊されてしまう可能性がある、と」
「……ご、にいさまも、そう思いますよね?」
おそるおそる尋ねれば、ゴドウィンはそうだねぇとカップを揺らしながら、瞳をぱちぱちと瞬かせる。スワンレイク一族が誇る海の色に近い碧の瞳は、フェリックスとゴドウィンが引き継いでいた。ウィルバーのとぼけた空色の瞳はこんなとき、羨望の眼差しを向ける。
「それほど悲観することはないと思うぞ。たしかにフェリックス兄上は魔法嫌いで、ラーウスの古民族との接触も妻任せのどうしょうもないヤツだ。だからといっていまの国王陛下が決めたことをすぐさま覆すような度胸もない」
「はぁ」
「それに情報源はあのダドリーくんだろ? 彼は透視能力があるから、見せしめに火刑にしたいくらいだ、という兄上の心の声を聞いてしまっただけだと思うのだよ」
魔法の廃れたアルヴスから魔法が残っているラーウスへ渡ったゴドウィンは、フェリックスと異なり、魔法の存在を容認している。自分は見ることも感じることもできないが、信じることならできるぞと言い切って。
それゆえ、スワンレイク王国の第二皇太子である彼を次の王に、と支持する古民族もいるとかいないとか。
「そうですかね」
「それよりぼくは君が夢中になっている噂の女怪盗の顔を確認したいのだよ」
「確認?」
彼も初代国王マーマデュークに一方的に縁談を決められ、アルヴスからともに渡ってきた故国の令嬢を妻を迎えていたが、五年前に死別している。アイカラスからは再婚をすすめられたものの、彼は亡き妻を愛しているからと嘯いて、いまも独身王族を貫いている。王位継承権第二位に属するゴドウィンならば、寄ってくる女性もたくさんいるだろうに、彼は本気になることなく、スマートに彼女たちを捌いていた。女性の扱いが上手なのは事実のようで、独り身になってからはあちこちで女性との浮き名を炎上しない程度に流している。
――もしかして、異母弟が骨抜きにされている怪盗アプリコット・ムーンがかつて自分が遊んだ女なのかもしれないと気になったのか?
ウィルバーは心の声を圧し殺して、他人行儀に異母兄を睨みつける。敵愾心むき出しの異母弟を見ても、ゴドウィンは平然と紅茶を飲んでいる。
渋々、ウィルバーは言葉を返す。
「……彼女はまだ、身元が判明しておりません。もし、存じているご令嬢だというのでしたら、教えていただきたく存じます」
ほんとうは、誰にも見せたくない。
けれど、ゴドウィンが彼女の正体を知っているというのならば……
怪盗アプリコット・ムーンの顔を見せなくてはいけない。
ウィルバーの葛藤を見守っていたゴドウィンは、ゆっくりと空になったカップを卓に置く。
「君ならそう言ってくれると思ったよ。なに、とって食べるようなことはしないさ……これでも遊ぶ女は選んでるんだ。ってなんだよその疑り深い眼差しはっ」
無言で立ち上がり、不機嫌を隠すことなくウィルバーが鍵束を手に取り、階段をあがっていく。
早足で自身の寝室の前まで来たウィルバーは、ノックをすることなく鍵穴へ突っ込む。
「レディが眠っているのにノックもしないなんて、無粋だなぁ」
「しぃ。まだ眠ってるかもしれません……顔だけ確認したらすぐ帰ってください」
「はいはい、わかりましたよ」
ぎぃ、という音とともに開かれた扉の向こうは、朝、ウィルバーが出掛けていったときと変わっている様子はなかった。
寝台の上には鎖につながれた怪盗アプリコット・ムーンが敷布を被ってすやすやと眠っている。よほど疲れているのだろう、ウィルバーとゴドウィンが入ってきても気づいた様子はない。
「……こりゃ驚いた。ずいぶん若い令嬢じゃあないか。怪盗アプリコット・ムーンといえばグラマラスな美女だって噂が絶えなかったというのに」
「――では、にいさまは彼女と逢ったことはないと?」
訝しげに声をかければ、こんな幼さが残る女性と遊ぶ趣味はないよと乾いた笑みを浮かべる。
「一夜の遊びのお相手として、はないな……けど、王城で見かけたことはあるかもしれない」
「王城で?」
思いがけない単語に、ウィルバーは色めきたつ。もしかしたら、国王アイカラスの言うとおり彼女はやんごとなき一族の姫君なのかもしれない。
「ほら、つい最近だよ。結婚式があっただろ? 民衆たちに白鳥の湖に星が墜とされた、とかいう」
「白鳥の湖に星……」
白鳥の湖、というのは自分達スワンレイク王家のことだろう。けれど、星が何を示唆しているのか、ウィルバーには判断できない。
「ラーウスの古民族はどれも“星”にまつわる姓を持っていますよ。それだけじゃ、なんとも」
「そうだよな~、双子座のジェミナイでも天秤座のリヴラでもない……そういえば、建国時に宮廷魔術師として初代の傍にいたのは」
「アイーダ・ノーザンクロス」
「――白鳥座のノーザンクロス!?」
ハッ、と異母兄弟が顔を見合わせたそのとき。
ガシャン、とマホガニーの作業机の上に飾られていた水色の花瓶が倒れ、硝子が勢いよく割れる。
そのおおきな物音で、黒髪の眠り姫が瞳をひらく。
アプリコット・ムーンという品種の、突然変異体である鈴なりの薔薇が、寝室の床に散る。
ひかりの加減で鮮やかな新緑にも深みある翠にも見える翡翠色のおおきな双眸が、しっかりとウィルバーの空色の瞳を見据え、かたかたと唇を震わせている。
「ノーザンクロス家の、姫君……? 嘘だろ、だって、ノーザンクロスの一族に」
「――娘など、いない……!」
ふん、と目を覚ました怪盗アプリコット・ムーンはそう強がって、ウィルバーとゴドウィンに言い放つ――……
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