白鳥とアプリコット・ムーン ~怪盗妻は憲兵団長に二度娶られる~

ささゆき細雪

文字の大きさ
18 / 31
白鳥とアプリコット・ムーン 本編

ウィルバーと異母兄ゴドウィンと白鳥座の娘

しおりを挟む



「……客人、だと?」
「ウィルバーさまがお留守にしている間にいらしたのですが……」

 王城の東の塔に寄り道してオリヴィアから二種類の薬と香油を持って帰ってきたウィルバーは、花の離宮の門前で迎えてくれた憲兵団の副団長マイケル・コルブスから報告を受けていた。
 どうやらウィルバーが戻ってくるほんの少し前に訪れたのだという。主人が留守にしていることを告げると、彼はそうではない、この花の離宮に囚われている姫君に会いたいのだと訴え、憲兵たちの制止を厭わずずかずかと入り込んでいったという。無理に追い返せないのは、彼の身分が憲兵たちより格上だからだろう。

「……怪盗アプリコット・ムーンは」
「ウィルバーさまの寝室に閉じ込めたままです。眠っている彼女を無理に起こすことはないと、いまも応接室で紅茶を召し上がっております」

 その言葉で、ああやっぱり来たかとウィルバーは項垂れる。
 マイケルに薬の入った鞄を預け、応接室の扉をノックせずに開ければ、芳醇な紅茶の香りが漂う応接室で、優雅にカップを傾けている長身の男がいる。

「おかえり、我が異母弟おとうとよ」
「――ゴドウィンさま」
「昔のようににいさま、と呼んでも構わぬよ。それよりようやく灰色の白鳥が羽ばたいたというのに、ずいぶんと湿気た顔をしているじゃないか?」

 いったいどうしたのかね、とこっちが訊きたいのに先手を打たれてしまったウィルバーはむむむ、と黙り混む。
 憲兵たちが追い返せない高貴な客人、それは現国王アイカラスの養子として迎えられた異母兄、フェリックスの弟で、ウィルバーのもうひとりの異母兄であるゴドウィンだった。


   * * *


「なるほどねぇ」

 花の離宮でアルヴス製の紅茶を嫌味のように飲みながら、ゴドウィンは年の離れた異母弟の空色の瞳を覗きこむ。フェリックスと違い、ゴドウィンは人懐っこく、アルヴスにいた頃からウィルバーを気にかけてくれていた。亡命する直前に「一緒に来ないか」と誘ってくれた唯一の血縁者でもある。
 だが、奴隷階級の母を持つウィルバーはフェリックスとゴドウィンの兄弟のような教育を受けさせてもらえなかった。同じ父親というだけで、十歳以上はなれたふたりの兄と遊ぶこともできず、アルヴスにいた頃のウィルバーは孤立していた。
 それでも、父公爵が生存中はふたりの兄たちとの接点は残されていた。なかでもゴドウィンはウィルバーを邸から連れ出し遠駆けに付き合わせたり、狩りの仕方を教えたり、古くささが残る貴族らしい遊びに誘ってくれたものだ。父が亡くなって、故国の運命が傾いてからは、そうもいかなくなってしまったが……

「ゴドウィンさまこそ、どうしてこちらへ……?」

 突然遊びに誘いに来ていた昔と現在の状況が交錯する。けれども今日は遊びへの誘いではない。なぜ王から特別な人間以外立ち入りを禁じられている花の離宮にわざわざ乗り込み、怪盗アプリコット・ムーンに会いに来たのか。もしや、ゴドウィンが彼女の胸にキスマークをつけた張本人なのか?

 不躾な視線を受けて、ゴドウィンは苦笑を浮かべる。

「に・い・さ・ま、だよ。どうしたんだい、そんな顔して。まだ何も言ってないのに。まるで手にいれた玩具を取られたくないと頑なになっている子どものようだぞ」
「子どもで結構。俺は怪盗アプリコット・ムーンが自分の運命の女ファム・ファタールだと思ったんです。だから国王陛下にも彼女を望んだんです。けど」
「フェリックス兄上が王位についたら、君が手にするはずのものが取り上げられて、壊されてしまう可能性がある、と」
「……ご、にいさまも、そう思いますよね?」

 おそるおそる尋ねれば、ゴドウィンはそうだねぇとカップを揺らしながら、瞳をぱちぱちと瞬かせる。スワンレイク一族が誇る海の色に近い碧の瞳は、フェリックスとゴドウィンが引き継いでいた。ウィルバーのとぼけた空色の瞳はこんなとき、羨望の眼差しを向ける。

「それほど悲観することはないと思うぞ。たしかにフェリックス兄上は魔法嫌いで、ラーウスの古民族との接触も妻任せのどうしょうもないヤツだ。だからといっていまの国王陛下が決めたことをすぐさま覆すような度胸もない」
「はぁ」
「それに情報源はあのダドリーくんだろ? 彼は透視能力があるから、見せしめに火刑にしたいくらいだ、という兄上の心の声を聞いてしまっただけだと思うのだよ」

 魔法の廃れたアルヴスから魔法が残っているラーウスへ渡ったゴドウィンは、フェリックスと異なり、魔法の存在を容認している。自分は見ることも感じることもできないが、信じることならできるぞと言い切って。
 それゆえ、スワンレイク王国の第二皇太子である彼を次の王に、と支持する古民族もいるとかいないとか。

「そうですかね」
「それよりぼくは君が夢中になっている噂の女怪盗の顔を確認したいのだよ」
「確認?」

 彼も初代国王マーマデュークに一方的に縁談を決められ、アルヴスからともに渡ってきた故国の令嬢を妻を迎えていたが、五年前に死別している。アイカラスからは再婚をすすめられたものの、彼は亡き妻を愛しているからと嘯いて、いまも独身王族を貫いている。王位継承権第二位に属するゴドウィンならば、寄ってくる女性もたくさんいるだろうに、彼は本気になることなく、スマートに彼女たちを捌いていた。女性の扱いが上手なのは事実のようで、独り身になってからはあちこちで女性との浮き名を炎上しない程度に流している。

 ――もしかして、異母弟が骨抜きにされている怪盗アプリコット・ムーンがかつて自分が遊んだ女なのかもしれないと気になったのか?

 ウィルバーは心の声を圧し殺して、他人行儀に異母兄を睨みつける。敵愾心むき出しの異母弟を見ても、ゴドウィンは平然と紅茶を飲んでいる。
 渋々、ウィルバーは言葉を返す。

「……彼女はまだ、身元が判明しておりません。もし、存じているご令嬢だというのでしたら、教えていただきたく存じます」

 ほんとうは、誰にも見せたくない。
 けれど、ゴドウィンが彼女の正体を知っているというのならば……
 怪盗アプリコット・ムーンの顔を見せなくてはいけない。
 ウィルバーの葛藤を見守っていたゴドウィンは、ゆっくりと空になったカップを卓に置く。

「君ならそう言ってくれると思ったよ。なに、とって食べるようなことはしないさ……これでも遊ぶ女は選んでるんだ。ってなんだよその疑り深い眼差しはっ」

 無言で立ち上がり、不機嫌を隠すことなくウィルバーが鍵束を手に取り、階段をあがっていく。
 早足で自身の寝室の前まで来たウィルバーは、ノックをすることなく鍵穴へ突っ込む。

「レディが眠っているのにノックもしないなんて、無粋だなぁ」
「しぃ。まだ眠ってるかもしれません……顔だけ確認したらすぐ帰ってください」
「はいはい、わかりましたよ」

 ぎぃ、という音とともに開かれた扉の向こうは、朝、ウィルバーが出掛けていったときと変わっている様子はなかった。
 寝台の上には鎖につながれた怪盗アプリコット・ムーンが敷布を被ってすやすやと眠っている。よほど疲れているのだろう、ウィルバーとゴドウィンが入ってきても気づいた様子はない。

「……こりゃ驚いた。ずいぶん若い令嬢じゃあないか。怪盗アプリコット・ムーンといえばグラマラスな美女だって噂が絶えなかったというのに」
「――では、にいさまは彼女と逢ったことはないと?」

 訝しげに声をかければ、こんな幼さが残る女性と遊ぶ趣味はないよと乾いた笑みを浮かべる。

「一夜の遊びのお相手として、はないな……けど、王城で見かけたことはあるかもしれない」
「王城で?」

 思いがけない単語に、ウィルバーは色めきたつ。もしかしたら、国王アイカラスの言うとおり彼女はやんごとなき一族の姫君なのかもしれない。

「ほら、つい最近だよ。結婚式があっただろ? 民衆たちに白鳥の湖に星が墜とされた、とかいう」
「白鳥の湖に星……」

 白鳥の湖、というのは自分達スワンレイク王家のことだろう。けれど、星が何を示唆しているのか、ウィルバーには判断できない。

「ラーウスの古民族はどれも“星”にまつわる姓を持っていますよ。それだけじゃ、なんとも」
「そうだよな~、双子座のジェミナイでも天秤座のリヴラでもない……そういえば、建国時に宮廷魔術師として初代の傍にいたのは」
「アイーダ・ノーザンクロス」

「――白鳥座のノーザンクロス!?」

 ハッ、と異母兄弟が顔を見合わせたそのとき。
 ガシャン、とマホガニーの作業机の上に飾られていた水色の花瓶が倒れ、硝子が勢いよく割れる。
 そのおおきな物音で、黒髪の眠り姫が瞳をひらく。
 アプリコット・ムーンという品種の、突然変異体である鈴なりの薔薇ローザベルが、寝室の床に散る。
 ひかりの加減で鮮やかな新緑にも深みある翠にも見える翡翠色のおおきな双眸が、しっかりとウィルバーの空色の瞳を見据え、かたかたと唇を震わせている。

「ノーザンクロス家の、姫君……? 嘘だろ、だって、ノーザンクロスの一族に」

「――娘など、いない……!」

 ふん、と目を覚ました怪盗アプリコット・ムーンはそう強がって、ウィルバーとゴドウィンに言い放つ――……
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~

cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。 同棲はかれこれもう7年目。 お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。 合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。 焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。 何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。 美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。 私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな? そしてわたしの30歳の誕生日。 「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」 「なに言ってるの?」 優しかったはずの隼人が豹変。 「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」 彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。 「絶対に逃がさないよ?」

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

番探しにやって来た王子様に見初められました。逃げたらだめですか?

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はスミレ・デラウェア。伯爵令嬢だけど秘密がある。長閑なぶどう畑が広がる我がデラウェア領地で自警団に入っているのだ。騎士団に入れないのでコッソリと盗賊から領地を守ってます。 そんな領地に王都から番探しに王子がやって来るらしい。人が集まって来ると盗賊も来るから勘弁して欲しい。 お転婆令嬢が番から逃げ回るお話しです。 愛の花シリーズ第3弾です。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

処理中です...