白鳥とアプリコット・ムーン ~怪盗妻は憲兵団長に二度娶られる~

ささゆき細雪

文字の大きさ
16 / 31
白鳥とアプリコット・ムーン 本編

ウィルバーと国王陛下と王城の魔術師たち

しおりを挟む



「――退位、ですか?」

 花の離宮の主寝室に枷と鍵をつけて怪盗アプリコット・ムーンを閉じ込めてきたウィルバーは、国王アイカラスから告げられた言葉に絶句していた。

「わしももうじき五十になる。そろそろ息子のフェリックスに譲ってもいいのではないかという話になってな」
「そんな、急すぎでは」
「そうでもない。以前から言われていたことだ。なかなか怪盗アプリコット・ムーンを捕らえられなかった責任を考えれば、捕まったいまだからこそ安心してこの場を退くことができるとも思わないかね」
「ですが」

 国王アイカラスが退位したら次の王位は異母兄のフェリックスになるという。彼の妻オリヴィアはラーウスの古民族に属していた優秀な薬師で、ふたりのあいだには九歳になる息子のダドリーがいる。
 行動的なアイカラスと違い、ずっと部屋に閉じ籠っているような彼は、理知的で、ウィルバーからすると近寄りがたい雰囲気を持っている。
 怪盗アプリコット・ムーンの処遇を彼が引き継ぐとなると、アイカラスに求めた褒美……怪盗アプリコット・ムーンを自分の愛玩奴隷に、という訴えも容易く破棄されてしまうはずだ。
 それに、ウィルバーが憲兵団長の権限を利用して怪盗アプリコット・ムーンを花の離宮に留めて取り調べを行っているこの状況をアイカラスは面白がっているが、フェリックスが玉座に座ったら、即座に王城へ引きずって来いと召喚され、あげく国家を愚弄した反逆罪で彼女をひといきに殺してしまいかねない。

「……そんなに怪盗アプリコット・ムーンが気に入ったのかね」
「!」

 考えていることが顔に出てしまったのだろう、アイカラスに指摘されてウィルバーは素直に頷く。

「――彼女の処遇は、どうなるのでしょう」
「それはウィル、お前が取り調べをしっかり終えるまでわからない。王家が憲兵団長の報告を受けてから、議会にかける……わしが国王でいる間に彼女が自白できれば、すぐに処刑することはないさ」

 それはつまり、国王の首が変わるまでに彼女の真意を問わなければ、ウィルバーは彼女を自分のモノにすることができなくなるということ……?
 空色の瞳をまるくしたまま動かなくなるウィルバーを前に、隣に控えていた宰相ジェイニーが重々しく声をかける。

「憲兵団長ウィルバー・スワンレイク。此度の騒動で国民は王家を愚弄した怪盗アプリコット・ムーンが処刑されることを望んでいる。だが、捕縛から二日以上経過している今、お前の事情聴取は遅々として進んでいる様子がうかがえない。国王陛下はこの状況を憂えて、英断なさったのだ」

 自分が退位すれば、怪盗アプリコット・ムーンを花の神殿で囲っているウィルバーの目を覚まさせることができるのではないか、と。

 ――なんだこの茶番。
 赤毛の宰相は銀の瞳を伏せてため息をつく。

 けれど真面目に語るアイカラスと、彼の言葉に飲み込まれているウィルバーの様子は、端から見ると滑稽きわまりないが、透視すればふたりが真剣そのものだというのはすぐに理解できる。
 アイカラスはノーザンクロスの姫君が視たという“不確定な未来”を完膚なきまで消し去るため。
 ウィルバーは愛する妻の記憶を失った代償のように執着している怪盗アプリコット・ムーンを自分だけのモノにするため。
 けれどふたりの思惑は重なっているようですこしばかしズレている。そのズレを糺そうとする不協和音も混じり、透視をしていたジェイニーを苛立たせていた。

 ジェイニー自身、幼馴染だった怪盗アプリコット・ムーン……いや、ローザベル・ノーザンクロスか……がこのような場所で古代魔術の知識もろとも消されてしまうのは勿体ないと思っている。
 だからふたりを揺さぶるように、言葉をつづけた。

「……だが、フェリックスが三代目スワンレイク国王となった暁には、怪盗アプリコット・ムーンを恩赦で解放することもできるはずだ」
「……な?」
「取り調べの結果次第だ。彼女が盗んだ“稀なる石”は既に魔法のちからでもとあった場所へと戻ってきている。実質的な被害は見受けられない。王家に対する謀反の疑いだけが、彼女に残っている……黒ならば……」
「ジェイニー、それ以上はなにも言うな。彼だって混乱している。いまはただ、彼女の取り調べをつづけることを優先してくれ。退位の時期についてもまだ決定していないのに」
「はっ」

 ジェイニーの言葉のつづきを訊きたかったウィルバーだったが、アイカラスに遮られたからか、これ以上はなにも言いそうにない。

「ウィルバー・スワンレイク。お前は怪盗アプリコット・ムーンを捕まえた際に、褒美として彼女が欲しいと言っておったな。その願い、わしが玉座にいるうちならば叶えてやれないことはないぞ? ただ、愛玩奴隷にするのはいただけない。ほんとうに彼女が欲しいのならば……古代魔術を扱う彼女に“愛”を注げ。花嫁に迎えて、娶れ」
「――はな、よめ?」

 まだ、正体もわかっていない女怪盗を、愛玩奴隷としてではなく花嫁にしろと?
 けれど王からの提案は、ウィルバーの心をひどく踊らせる。出来心でラーウスの婚礼衣装を着せたあのときから、ほんとうに彼女が自分の妻だったらどんなに幸せだろうと思っていたのだから。

「古代魔術を扱える彼女はきっと、ラーウスの古民族の末裔だ……罪を犯したからといって殺してしまうのは惜しい。孕ませて、ちからある子を産ませたい。ウィルなら、魔法にあてられることもない……良い考えだと思わないかね」
「でも、そんなことをしたら、国民感情は」

 捕らえた女怪盗を新国王の戴冠時に恩赦で解放するというシナリオなら理解できるが、その彼女を王弟の息子である憲兵団長が花嫁に迎えるとなると、反発されるのも必至だ。だからウィルバーは愛玩奴隷として彼女を傍に置こうと考えていた。
 だというのになぜ、王は自分に怪盗を娶れと、しかも孕ませろなどと、生々しいことを口にするのだろう。夫婦関係に首を突っ込まれるような……

 ウィルバーは支離滅裂になりかけている自分の脳内を宥めつつ、王の言葉に耳を傾ける。

「国民に女怪盗の正体を明かさず解放すればいい……国外追放にしたと言えば問題なかろう。それに、古民族の血統を我がスワンレイク王家に入れることで、ラーウスの他国を牽制することができる。お前がすべきことは、あの女怪盗がどこの一族か自白させ、結婚に持ち込むことだ」

 もちろん、フェリックスには内緒にしなくてはいけないがな、とイタズラっぽく笑って。


   * * *


 一方的な国王の話に翻弄されながら玉座を辞したウィルバーは、不服そうな表情を浮かべたまま回廊を歩いていく。
 その後ろ姿を見送りながら、アイカラスがジェイニーに小声で問う。

「……これで、よいのか」
「さあねっと」

 王の前で無責任に応えたジェイニーは、ふいと顔を背け、天鵞絨でできた深緋色のカーテンをがばりと捲る。

「!」
「ダドリー?」
「盗み聞きだなんて、悪い皇太孫さまだね」
「だ、だって……」

 アイカラスとウィルバーのやりとりの間にノイズのように入り込んでいた幼稚な感情、ジェイニーを苛立たせた不協和音の正体……ダドリー・スワンレイク。
 まだ九歳だというのに、皇太子フェリックスの息子として帝王学を仕込まれ、古代魔術の知識も豊富な天才少年だ。ジェイニー同様、透視の能力を持っており、スワンレイク王家のなかでも特に敵に回したくない人間である。

「父上は怪盗アプリコット・ムーンを火刑にすると……恩赦など生ぬるいことなどできるか、国民の前で見せしめのように殺すのだと……だというのに、おじいいさま? 憲兵団長と結婚させあげく子を為そうとされるとはどういう了見!」
「あーはいはい、ダドリーくん、父親の心のなか透視しちゃったのね。大人ってのは汚いのだよ、心のなかで思っていることと実際に行うことなんてね八割がた別物なの、いちいち食ってかかってたら寝首かかれて人生終わるよ?」
「うぐっ」

 ジェイニーの本音だだ漏れの発言を前にダドリーは息を詰まらせる。透視術を持つ者同士、声に出さなくても理解できてしまう互いの本音が相も変わらず不協和音のように内耳で響く。

「……ジェイニーは、父上が即位したら左遷されるんだよ!? なんでそんな平然な顔してられるの?」
「これ以上息子がよけいな古代魔術に没頭しないように、だっけ……フェリックスさまの魔法嫌いはいまにはじまったことじゃないさ」
「っで、でも」
「まぁまぁ、落ち着けダドリー。ふたりで話していないで、わしにも順を追って説明しておくれ」
「ならばおじいさまも僕に教えてください! ローザベル・ノーザンクロスって誰ですか? あの“星詠み”のノーザンクロスの一族に娘なんかいな……」


 あんなに懐いていたダドリーですら、ローザベルの記憶を失くしている。その事実を目の当たりにしたアイカラスはジェイニーに目配せをして重々しい声で告げる。

「――ただ、みんな忘れているだけなんだ」

 スワンレイク王国じゅうの人間が、ローザベル・ノーザンクロスの存在をないものとしている。怪盗アプリコット・ムーンが捕まる直前につかった“やりなおしの魔法”のせいで。

「忘れられた令嬢は怪盗アプリコット・ムーンと同一人物だった。そしてあろうことか憲兵団長……ウィルが愛した妻でもあったのだ。そんな彼女がいま、花の離宮の美しい監獄で、憲兵団長に飼われている……このおかしな状況がわかるかい?」
「わからない! わからない……けど、苦しいんだ。憲兵団長さんの心のなかに視えていた彼女は、ちっとも幸せそうに見えなかったから……怪盗さん、捕まって奴隷になっちゃったの? 恥ずかしいことされていっぱい泣いてた。いたぶられたら、そのまま殺されちゃうの? だってお姉ちゃんは旦那さんのために“稀なる石”を盗んで」

 あれ? お姉ちゃんって誰だっけ? と首を傾げるダドリーを見て、ジェイニーは「そうだ」とアイカラスに耳打ちする。彼女に言われるがまま、懐から“稀なる石”のついた指輪を差し出す。碧玉のような色合いの宝石を見て、ダドリーが嘆息する。

「あぁ、この色! 深い翠の瞳のお姉ちゃん……ぼくがもっと年上だったら、あんな憲兵団長やっつけて奪ってやるって言っても、そんなことしちゃダメですってぷりぷり怒った可愛いお姉ちゃん……どうしようお姉ちゃん殺されちゃうの!?」
「だから感情垂れ流すな喧しいっ!」

 呆れながらも苦笑を浮かべ、ジェイニーは手にした指輪をダドリーの手のひらに乗せて古語を呟く。と、同時に指輪のなかの“稀なる石”が輝きだす。

「簡単な魔法なら、ダドリー、君でも扱えるはずだ。お姉ちゃんは初恋のひとなんだろ? ならばその“情愛”を、この“稀なる石”に込めて」
「え」
「心にそのひとのことを思い浮かべると……」

「――うわぁああ!」

 べちゃっ、という音とともに、床の上にさきほどまでいた憲兵団長ウィルバー・スワンレイクの姿が潰れた蛙のような格好で現れた。
 呆気にとられた表情のアイカラスと、あーやっぱりと苦虫を噛み潰したような顔のジェイニー、そして困惑しているダドリー。

「ぼ、僕お姉ちゃんのこと思い浮かべたのに……なんで憲兵団長さんが戻ってきちゃったの?」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

番探しにやって来た王子様に見初められました。逃げたらだめですか?

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はスミレ・デラウェア。伯爵令嬢だけど秘密がある。長閑なぶどう畑が広がる我がデラウェア領地で自警団に入っているのだ。騎士団に入れないのでコッソリと盗賊から領地を守ってます。 そんな領地に王都から番探しに王子がやって来るらしい。人が集まって来ると盗賊も来るから勘弁して欲しい。 お転婆令嬢が番から逃げ回るお話しです。 愛の花シリーズ第3弾です。

処理中です...