白鳥とアプリコット・ムーン ~怪盗妻は憲兵団長に二度娶られる~

ささゆき細雪

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白鳥とアプリコット・ムーン 本編

ウィルバーとローザベルとふたりの想い

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 ――調子に乗り過ぎたか。

 浴室で溺れるようにキスをして、失神してしまった怪盗アプリコット・ムーンを抱き上げ、ウィルバーはそうっと湯につかる。自分が清めた彼女の身体は、ほんのり桃色がかっていて、艶めいている。
 背中には黒装束を脱がせたさいにつけた傷が縦に走っている。ウィルバーは気を失ったままの彼女の背中に舌を這わせ、ぴくりと動くのを見て自嘲する。

 ――なぜだろう、あのとき。怪盗アプリコット・ムーンを捕まえてその素顔を暴いたとき。

「……俺のモノだと思ったんだ」

 ウィルバーは湯船につかりながら反芻する。ここ数日の自分は、どこか冷静さを失っている気がする。ずっと追いかけてきた怪盗アプリコット・ムーンをこの手で捕まえてから、自分の世界が彼女を中心に廻りはじめてしまったかのようで……

 国家を侮辱した憎い女怪盗を捕らえた英雄として評価されて、王から褒美を与えられると言われたときも、真っ先に浮かんだのは翡翠色の瞳の彼女だった。
 率直に望んだところ、王は苦い顔をしていたが、花の離宮での事情聴取はすきにしていいと認めてくれた。だからウィルバーは彼女を自白させるためといいわけしながら、彼女を自分のモノにするための画策をはじめたのだ。

 城を出て街で見かけたラーウスの婚礼衣装も、ウィルバーの心を動かした。愛玩奴隷とは言ったものの、古代魔術を扱う彼女ならば、このガウンが何を意味するか理解するはずだ。
 とはいえ、彼女に着せたら淫らで似合うだろうなと思ったから、買ってしまったというのが本音だ。王城に咲いている薔薇、エアシャー・スプレンデンスに似た、淡いピンク色のレース編みのガウン。現に素肌に羽織るだけの淫らな結婚装束を着て眠っていた彼女は、妖精のように美しかった。

「んっ……」
「怪盗アプリコット・ムーン……杏色の月、か」

 気を失ったままの彼女を横抱きにして、ざぶりと湯船から上がったウィルバーは、濡れた身体をふかふかのバスタオルに包み、そうっと寝台へ運ぶ。髪や身体についた水分を拭き取ったらあのガウンを着せて休ませてやろう。

 ウィルバーは先程まで着ていた憲兵服を取りだし、何事もなかったかのように着替え始める。
 風呂で身体を洗ってから拷問のつづきをと考えていたが、すこし休ませた方がいいかもしれない。それに、憲兵団長であるウィルバーがいつまでも花の離宮に籠っているわけにはいかない。

「いや、薔薇の品種だったか……?」

 国王アイカラスがウィルバーに伝えた花の離宮ができるまでの過程。初代国王マーマデュークと宮廷魔術師アイーダ・ノーザンクロスによって改修させられた、妖精王が眠っていた神殿跡地のちいさなお城。そこに植えられた赤みがかった黄色い薔薇の花苗こそ、アプリコット・ムーンだ。

 無防備に眠る彼女にガウンを羽織らせ、ウィルバーはそうっと額へキスをする。
 花の離宮を飾る鈴なりの薔薇の花を名乗る彼女のほんとうの名前を、ウィルバーは知らない。

「ほんとうの名前を知りたいと願うのは、おこがましいよな」

 ぴったりとした黒装束に黒いヴェールに隠されていた雪のように白い肌と、翡翠のように煌めく緑……だというのに、彼女の身体には何者かの所有痕が刻まれていた。
 きっと、怪盗アプリコット・ムーンではない彼女を知る誰かが、つけたのだろう。
 ウィルバーは首筋や乳房に散らされた赤いキスマークの花を見て、愕然とした。新雪のようにまっさらだと思った肌は、既に何者かによって踏み荒らされていたのだから……

「だけどもう、帰さない。ずっとこのアプリコット・ムーンの花が咲き乱れる花の離宮につないで……君が俺のことしか見ないように、それこそ、調教しないと……」

 美しい彼女を拷問にかけるのは気が引けた。けれど王命を考えれば早く真相を突き止めなくてはならない。
 だというのに拷問器具を前に涙を浮かべた彼女を見て、自分もまた悪者になりきれないと悟ってしまった。
 しまいには痛くない拷問だといいわけして、彼女の身体を弄んでしまう始末。
 拷問台にしばりつけられた裸体の彼女を見て感じたのは、いままで自分にあると思わなかった嗜虐性の発芽。
 彼女を苛めたい、虐げたい……その一方で気持ちよくさせたい、俺だけを見てほしいという独占欲も膨らんで、ウィルバーのあたまのなかはいつしかぐしゃぐしゃになっていた。
 一度は外した魔法封じの枷を取りだし、眠る彼女の右手首にかちりと嵌める。こうすれば、彼女はもう逃げ出せない。

「王城に行ってくる。留守の間、頼んだ」

 ウィルバーが寝室に鍵をかければ、神殿跡地の美しい監獄同様、女怪盗を閉じ込める立派な檻ができあがる。
 恭しく彼に礼をする男を冷めた目で一瞥して、ウィルバーは足早に花の離宮を飛び出した。


   * * *


 目覚めたとき、ひとの気配はどこにもなかった。
 ローザベルは気怠そうに瞳をひらき、天井が花の離宮の壁紙になっていることに気づき、我に却る。

 ――ここは、花の離宮の、ウィルバーさまの部屋ね。

 起き上がると、じゃら、と鎖の音が響く。彼の寝台の柱と、自分の右手首に嵌められた魔法封じの枷がつなげられていた。
 逃げ出さないように、念のためにつけた、とでもいうのだろうか。
 それでも檻のなかより広く明るい寝室だからか、ローザベルはホッとした気分になる。
 周囲を見渡すと、マホガニーの机の上に水色の花瓶が飾られている。ウィルバーの瞳にも似た色硝子の花瓶に生けられていた花は、鈴なりに咲くアプリコット・ムーン。赤みがかった黄色い薔薇はどこか切なそうに風の精霊と戯れている。その光景は、まるで自分と同じ名前の薔薇が、ウィルバーの手のなかで囲われているかのよう……

「ウィルバーさま?」

 お風呂あがりだからか、部屋中にふんわりとした薔薇の香りが漂っている。身体を洗われているときは噎せ返るような濃厚な香りで、それこそ媚薬みたいに思えたのに……

 そうだ。あろうことか自分は粗相をして汚れた身体を彼に洗われてしまったのだ。そのうえ、泡だらけの身体のまま、唇を求めあって――……

 思い出すだけで顔が紅潮する。
 自ら舌を差し出した女怪盗を、ウィルバーはやっぱり淫乱な女だと判断してしまっただろうか。
 唾液を絡ませてお互いの存在を確認しあって、そのまま気を失ってしまったのだと思い知り、ローザベルは頭を垂れる。

 ――きっと呆れられてしまったのね。だから寝台につないで監禁して……監禁?

 そういえば、このあと拷問のつづきをこの部屋で行うと言っていた気がする。
 拷問、と口では言っていたけれど、きっと痛くない、淫らで気持ちのいいことだ。そして直前までローザベルの身体を高めて、ウィルバーは自白を促すのだ……最後までしてほしいのなら、真実を語れ、と。

 真実など彼に語れるわけがない。
 だって、ウィルバーはローザベルによって妻の記憶を消されているのだ。
 だというのに、浴室での行為はまるで恋人同士であるかのように甘く激しかった。ローザベルが気を失わなかったら、最後までしていたかもしれない。

 ――だけどそれは妻としてではない、愛玩奴隷として面白がられているだけのことよ。

 いまのローザベルは忘れ去られたただの名前のない娘だ。
 女怪盗アプリコット・ムーンという記号すら奪われてしまったら、この世界で生きる術は無に等しい。
 もしかしたらウィルバーは、ただ単に自分を飼い殺したいだけなのかもしれない。王家を侮辱した女怪盗を自分のモノにして、性欲を満たす愛玩奴隷として手元に置きつづけることで国を救った英雄になったという自尊心を保てるのだから。
 これは、妻の記憶を奪われた彼なりの無意識が為せる復讐なのでは……?
 ローザベルはその考えに至ってぶるりと身体を震わせてしまう。そんなわけない。さっき浴室で彼と交わした口づけは情熱的で、とてもじゃないけれど復讐なんて単語とは無縁だったもの。だけど……

 ひとりで難しく考えていても応えがでてくるものではない。
 ローザベルははぁとため息をつき、古語を唱える。魔法封じの枷をつけられた状態でも、簡単な透視術くらいつかえるかと思ったのだが、魔法はつかえなかった。きっと、“やりなおしの魔法”をつかってしまったことで一度は結び付いたウィルバーとの“愛”が途切れ、契約がなかったものとされてしまったのだ。

 もういちど魔法を扱えるようになるには“星詠み”のノーザンクロス一族の魔力を再構築し、ウィルバーとの“愛”をなんらかの形で再確認しなくてはいけない。けれど、ちからを失ったいまのローザベルにはどちらも難しく感じられる。

 ただ、いまのウィルバーが、ただの娘になってしまったローザベルをふたたび本気で愛してくれるというのなら、奇跡が起こる可能性はゼロではない。
 さんざん悩まされていた“不確定な未来”は消えたのだ。怪盗アプリコット・ムーンの仕事はこれでおわり。王の処遇を待っていたら、このままウィルバーに飼い殺されてしまう。ならばその前に……ただのローザベルは奮い立つ。

 ――消し去った記憶をもとに戻す魔法はもう、つかえないけれど。

 寝台の上でローザベルは決意する。
 いつまでも監禁されっぱなしでいるわけにもいかない。真実を話すことはできないけれど、その代わり――……

 風の精霊がローザベルの周りに集まり、囁くように爽やかな風を起こす。彼らが視えることに安心して、ローザベルは己の唇の上へ言霊を乗せた。

「以前のように魔法をつかえるようになるかはわからないけれど、ウィルバーさま」

 もういちど、ウィルバーがただのローザベルに恋をして、愛しあうことができるのなら……ローザベルが捧げる“愛”が、彼から消えた妻の記憶を優しく塗り替えることだってできるはず。

 一縷の望みを抱いて、ローザベルは自分を気遣う精霊たちに向かって淡く微笑む。

「いまのわたしにできる、せいいっぱいの“愛”を贈ります」
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