ハルゲルツ

ささゆき細雪

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10. 血の味のキスと、スキのカタチ b

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 桂輔は彰子の傍にいた。彰子が嫌いだと喚いてもいらないと嘆いても何も言わないで泣いていても傍にいた。
 桂輔に背中をさすられて、どうして彼のために泣いているんだろうと彰子は理由さえ無視して泣いていた。意地を張っていたからかだんだん泣いていることが煩わしく、ばからしく思えてきた。そう考えたらするりと涙がひいてしまった。
 呆気なく涙が枯れてしまった。
 彰子は顔をあげて、自分を抱いてる少年の名を呼ぶ。


「ケースケ?」


 彰子がようやく、桂輔の顔を見たとき。

「……ようやく俺のこと見たな」

 桂輔の顔が、涙でぐしゃぐしゃになっていたことに、気づく。

「……泣いてたの」
「泣いたらいけないのか?」

 開き直ったかのように、桂輔が声を荒げる。桂輔の涙は枯れていない。むしろ彰子と反比例するかのように、流れていく。
 彰子はぷいと横を向いてしまった桂輔の背をそっと叩く。自分を優しくさすってくれた彼に、同じことをするのは癪だから、叩く。

 桂輔は、それを彰子からの許可だと認識したのか、嗚咽に変えた。

 彰子の耳元に、「それでもやめられない」、「諦めていた恋」、「好きだった」、「ばかやろ」、「充分なもんか」、「これでいいんだ」、「最低な自分」……音楽のフレーズのように、桂輔が口にした意味をなさない単語が響いていく。繰り返し繰り返し「好きだ」「好きだ」「好きだ」と壊れたテープレコーダーのように桂輔が悲壮な表情を浮かべて彰子を強く求める姿が、彰子の脳裡に刻まれていく。まるで呪いみたいだなぁと桂輔の背中を叩きながら彰子は笑う。その笑顔はどこか歪んでいて、きっと桂輔が見たら嫌いだよと即答するんだろうなと彰子は泣き続ける彼を見ながら考えて、どうしてあたしなんか好きになったんだろうと悔しそうに唇を噛み締めた。

 血の味はもうしない。だけど、桂輔の強い想いが離れない。
 こんなとき、春継はどうするんだろうと、彰子は桂輔を叩きながら、心の中で呟いた。


   * * *


 夜目を光らせ徘徊するドブネズミのような真っ赤に充血した瞳、左頬には楓のような手のひらの赤い痕、普段見せる温厚な表情はボロボロで、自分が死んだことを自覚していない霊魂が成仏できずに彷徨っているみたいだなぁと、一目見て、由海は桂輔の姿に評価を下す。

「……浜名くん?」

 驚きを通り越して唖然としている由海を、死んだ魚のような瞳で見つめる桂輔。
 何があったのか、聞こうにも、聞けない空気が漂っている。口を開こうにも、何を言えばいいのかわからず、乾いた空気だけが排出される。

 桂輔は技術準備室から出てきたのだろう、荷物も持っていないことだし、トイレにでも向かうところだったのだろうか。だが、足取りがおぼつかない。
 途方に暮れていた由海の横を、何も言わずに通り過ぎようとする桂輔。そこへ。

「どこふらついてんのケースケ」

 同じように瞳を真っ赤に充血させ、息を切らせながら廊下を走る彰子の姿。
 ぴくり。桂輔の動きが止まる。

 二人の異様な雰囲気に、思わず息を飲む由海。それを見て、彰子が苦笑を浮かべる。

「しょうがないな、一緒に行こう」

 それは、桂輔に向けて放たれた言葉。
 彰子は今日だけだよと、彼の手を、自分から繋ぐ。
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