婚約破棄された王太子妃候補ですが、私がいなければこの国は三年で滅びるそうです。

カブトム誌

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 異変は、静かに始まった。

 それは爆発でも、警鐘でもなかった。
 日常の中に、ほんのわずかな“違和感”として紛れ込んだのだ。

「……結界、数値にズレがあります」

 王都結界管理局。
 若い技術官が、震える声で報告した。

「どの程度だ」

 上官が問い返す。

「外部防御値は、むしろ上昇しています」
「ですが……内部循環率が、想定より三割低下しています」

「三割?」

 室内が、ざわついた。

 内部循環とは、結界が“街の中”に与える影響を示す数値だ。
 魔力の流れ、空気の安定、土地の健全性――
 それらすべてに関わる、極めて重要な指標。

「誤差ではないのか」

「再計測しました」
「……ズレは、固定化しています」

 沈黙。

 結界は、守っている。
 魔獣の侵入も、防いでいる。

 だがその代わりに、内側が削られている。

「聖女様の儀式の影響か?」

 誰かが呟いた。

 だが、その言葉はすぐに打ち消された。

「結界は、安定している」
「民も安心している」
「問題を大きくする必要はない」

 そう判断され、報告は上へ上へと流され――
 途中で、止められた。

 その夜。

 王都南区の住宅街で、最初の“兆候”が現れた。

「……作物が、枯れている?」

 小さな家庭菜園。
 昨日まで青々としていた葉が、一夜にして色を失っている。

「病気かしら……?」

 だが、同じ現象は、別の区画でも起きていた。

 井戸水の味が変わる。
 家畜が落ち着かなくなる。
 子どもたちが、理由もなく熱を出す。

 どれも、致命的ではない。
 だが――確実に、“おかしい”。

 大聖堂。

 聖女リリアは、胸元を押さえながら、祈りを捧げていた。

「……っ」

 視界が、わずかに揺れる。

(また……?)

 結界の維持は、確かに成功している。
 だが、その感触は、以前とはまるで違った。

 まるで、巨大な重りを、体の内側で支えているような感覚。

「聖女様、お顔の色が……」

「問題ありません」

 即座に答える。

「結界は、安定しています」

 それは、嘘ではなかった。
 ただ――半分しか、真実ではない。

 彼女は、気づき始めていた。

 この結界は、修復されない。
 維持されているだけ。

 しかも、その維持は、彼女自身を“部品”として組み込む形で成り立っている。

(……外せない)

 一度、この形になってしまった結界は、
 制御を止めれば、一気に崩壊する。

 つまり。

 ――彼女が降りる選択肢は、最初から存在しなかった。

 一方、辺境ルーンフェルト。

 エリシアは、結界盤の前で、完全に手を止めていた。

「……不可逆ですね」

 淡々とした声。

 カイルが、息を呑む。

「やはり、ですか」

「ええ」
「外から見れば、強化されている」
「でも中身は――削り取られています」

 結界盤に表示された数値は、明確だった。

 循環効率:低下
 土地安定指数:減衰
 回復余地:極小

「これ……」
 カイルが、言葉を選ぶ。
「元に戻せるんですか?」

 エリシアは、しばらく沈黙し、答えた。

「……“元に”は、戻せません」

 その言葉は、重かった。

「救う方法はあります」
「でも、それは“作り直す”という意味です」

「王都を……?」

「ええ」

 彼女は、静かに告げる。

「壊れた結界を前提にした延命ではなく」
「一度、終わらせる必要があります」

 カイルは、思わず拳を握った。

「それを、王都は受け入れますか」

「いいえ」

 即答だった。

「だからこそ――」
「彼らは、もっと追い詰められる」

 王都では、その頃。

 異変が、“偶然”では済まされない頻度で発生し始めていた。

 結界は、まだ輝いている。
 だが、その光は――
 街を守るものではなく、
 街を閉じ込める檻へと、変わりつつあった。

 そして、誰もが薄々理解し始めている。

 このままでは、いずれ。

 結界が、王都を殺す。

 それを止められる可能性があるのは、ただ一人。

 だが彼女は、もう王国の人間ではなかった。
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