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雨音と珈琲と君の忘れ物

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雨が窓を叩く音で目を覚ました。時計を見ると午後三時。昨夜遅くまで原稿を書いていたせいで、すっかり寝過ごしてしまった。
カーテンを開けると、外は灰色の雲に覆われている。こんな日は珈琲でも飲みながら、ゆっくり過ごすのが一番だ。キッチンへ向かい、いつものようにコーヒーメーカーをセットする。
ポタポタと落ちる雫の音を聞きながら、ふと本棚に目をやった。そこには、先月引っ越していった恋人が置いていった文庫本が一冊、背表紙を見せて立っている。『月と六ペンス』。彼女の好きな本だった。
「これ、面白いから読んでみて」
そう言って、彼女は本をテーブルに置いた。でも結局、僕は一度も開かなかった。彼女が去ってから初めて、その本を手に取る。ページをめくると、栞が挟まっていた。青い紐のついた、古びた革の栞。裏を見ると、小さな文字が書かれている。
『雨の日に、また会えますように』
心臓が跳ねた。これは僕が初めて彼女にあげたプレゼントだった。大学の古本市で見つけた、アンティークの栞。雨の日に出会った彼女に、傘を差し出したことがきっかけで付き合い始めたから、この言葉を選んだのだ。
コーヒーの香りが部屋に広がる。マグカップに注ぎ、窓際の椅子に座った。雨音は相変わらず、規則正しいリズムを刻んでいる。
携帯を見ると、メッセージが一件。差出人は、彼女だった。
『今日、東京は雨ですね。そちらはどうですか?』
僕は窓の外を見つめた。確かに雨は降っている。でも、これは偶然なのか、それとも——。
返信を打とうとして、やめた。代わりに本を開き、最初のページから読み始める。栞は、そっと元の場所に戻した。
数時間後、本を読み終えた僕は、ようやくメッセージを返した。
『こちらも雨です。月と六ペンス、今読み終わりました』
すぐに返事が来た。
『じゃあ、感想を聞きに行ってもいい?』
僕は立ち上がり、部屋を見回した。散らかった原稿用紙、飲みかけのコーヒー、そして雨に濡れた窓。何も変わっていないようで、でも何かが違って見える。
『珈琲、入れて待ってます』
送信ボタンを押すと、雨音が少しだけ優しく聞こえた。玄関のチャイムが鳴るまで、あと三十分。彼女の好きなチーズケーキを冷蔵庫から出し、テーブルに並べる。
忘れ物は、時に素敵な再会の理由になる。わざと置いていったのか、本当に忘れたのか。そんなことは、もうどうでもよかった。
雨は、まだ降り続いている。​​​​​​​​​​​​​​​​
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