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最終便の乗客

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午後十一時五十分発、羽田空港行き最終便。
搭乗ゲートには、まばらな乗客が集まっていた。ビジネスマン、学生、老夫婦。それぞれが疲れた表情で搭乗を待っている。
その中に、一人の女性がいた。
黒いスーツに身を包んだ彼女の名は、相沢美咲。二十八歳。葬儀屋で働いている。今日は地方都市での葬儀を終えて、東京に戻るところだった。
「まもなく搭乗を開始いたします」
アナウンスが流れる。美咲は手荷物を確認しながら、隣に座っていた老人に目をやった。七十代くらいだろうか。穏やかな顔立ちで、何か懐かしい写真を見つめていた。
「ご搭乗をお願いいたします」
機内に入ると、思いのほか空席が多かった。最終便は大抵そうだ。美咲は窓際の席に座り、シートベルトを締めた。
「失礼します」
隣の席に、さっきの老人が座った。
「これはご縁ですね」
老人は微笑んだ。美咲も軽く会釈を返す。
飛行機が動き出す。滑走路を加速し、やがてふわりと浮き上がった。窓の外に、街の灯りが広がっていく。
「お仕事の帰りですか」
老人が話しかけてきた。
「ええ、まあ」
「私もです。長い仕事が、今日やっと終わりましてね」
老人は嬉しそうに言った。
「お疲れ様です」
「いやいや、疲れたというより、やり切った感じですよ」
しばらく沈黙が続いた。エンジン音だけが機内に響く。
「あなたは、葬儀関係のお仕事ですね」
老人が唐突に言った。美咲は驚いて老人を見た。
「なぜ、分かるんですか」
「長年、人を見てきましたからね。その雰囲気で分かります」
老人は窓の外を見た。
「私の妻が亡くなったのは、三年前です」
「そうでしたか」
「四十五年連れ添いました。子供には恵まれませんでしたが、幸せな人生でした」
老人は先ほど見ていた写真を取り出した。若い頃の夫婦写真だった。
「妻が亡くなってから、私は一つの仕事を始めたんです」
「仕事、ですか」
「ええ。妻との思い出の場所を、もう一度巡る旅です」
老人は語り始めた。
初めてのデート。プロポーズした場所。結婚式を挙げた教会。新婚旅行で行った海。何気ない休日に立ち寄った喫茶店。
「三年かけて、全部回りました。そして今日、最後の場所を訪れたんです」
「最後の場所」
「妻の実家です。もう誰も住んでいない古い家ですが、そこで妻に初めて会ったんです。六十年前の夏でした」
老人の目が潤んでいた。
「庭の柿の木は、まだそこにありました。私たちが初めて言葉を交わした、あの木が」
美咲は何も言えなかった。
「葬儀屋さん、あなたは毎日、別れを見ているんでしょうね」
「はい」
「辛くないですか」
美咲は少し考えてから答えた。
「辛いです。でも、私たちの仕事は別れを見送ることじゃないんです」
「では、何を」
「その人が生きた証を、残された人の心に刻むことです」
老人は深く頷いた。
「そうですね。そうかもしれない」
飛行機は雲の上を滑るように飛んでいた。窓の外には、満月が輝いている。
「実は、私も明日から新しい仕事を始めるんです」
老人が言った。
「老人ホームでボランティアをすることにしました。妻との旅が終わって、これからは誰かの役に立ちたいと思いまして」
「素敵ですね」
「妻が教えてくれたんですよ。人生は、誰かと繋がっていくことだって」
機内アナウンスが流れた。
「まもなく羽田空港に到着いたします」
飛行機は降下を始めた。窓の外に、東京の夜景が広がっていく。
着陸後、老人は席を立ちながら言った。
「今日は、良いお話ができました。ありがとう」
「こちらこそ」
美咲も立ち上がった。
「あなたのお仕事、大切なものだと思います。どうか、これからも」
老人は深々と頭を下げて、機内を出て行った。
美咲は自分の荷物を取りながら、ふと涙が溢れそうになった。
今日、見送った故人の顔が浮かんだ。あの葬儀は、本当に良いものだっただろうか。遺族は、ちゃんと別れを受け入れられただろうか。
でも、今、分かった。
自分の仕事の意味が。
人は死んでも、誰かの心の中で生き続ける。その繋がりを、美しく結ぶこと。それが自分の役割なんだ。
「ありがとうございました。またのご搭乗をお待ちしております」
キャビンアテンダントの声に送られて、美咲は機外に出た。
深夜の羽田空港。人はまばらだ。
遠くに、さっきの老人の後ろ姿が見えた。まっすぐな背筋で、新しい人生に向かって歩いていく。
美咲も、自分の道を歩き出した。
明日も、誰かの大切な別れに寄り添おう。
それは決して悲しいだけの仕事じゃない。
愛の証を、未来へ繋ぐ仕事なんだ。
最終便の乗客たちは、それぞれの明日へと散っていった。
空には、まだ満月が輝いていた。
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