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雨宿りの図書館
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突然の夕立だった。
会社帰りの木村真司は、傘を持っていなかった。走って駅まで行こうかと思ったが、あまりの土砂降りに諦めた。
「どこかで雨宿りを」
見渡すと、通りの角に小さな図書館があった。「緑町図書館」という古びた看板。こんなところに図書館があったなんて、十年この街に住んでいるのに知らなかった。
扉を開けると、静寂が広がっていた。
誰もいない。受付カウンターにも人影はない。本棚が迷路のように並び、古い本の匂いが漂っている。
「すみません」
声をかけたが、返事はない。
真司は奥へと進んだ。すると、窓際の読書スペースに、一人の少女が座っているのが見えた。
中学生くらいだろうか。制服を着て、分厚い本を読んでいる。
「あの、すみません」
少女が顔を上げた。大きな瞳が真司を見つめる。
「はい?」
「ここ、図書館ですよね。司書の方は」
「今日はお休みです」
「そうなんですか」
真司は空いている席に座った。外では相変わらず雨が激しく降っている。
少女はまた本に目を戻した。真司は何となく本棚を眺めた。古い文学全集、哲学書、歴史書。どれも背表紙が色褪せている。
ふと、一冊の本が目に留まった。
「『夜行列車の記憶』」
真司は手に取った。見覚えがある。これは、子供の頃に読んだ本だ。主人公が不思議な夜行列車に乗って、様々な人生を見る物語。
「その本、好きなんですか」
少女が声をかけてきた。
「ああ、昔読んだことがあって。もう三十年も前かな」
「私も好きです。何度も読みました」
真司は本をパラパラとめくった。懐かしい記憶が蘇ってくる。
「小学生の時、父に買ってもらったんだ」
真司は独り言のように言った。
「父は本が好きでね。毎週末、一緒に本屋に行ったものだよ」
「素敵ですね」
「でも、中学に上がる頃から、父とは話さなくなった。反抗期だったのかな」
真司は本を見つめた。
「父は五年前に亡くなった。最後まで、ちゃんと話せなかった」
沈黙が流れた。雨の音だけが聞こえる。
「後悔、してるんですか」
少女が尋ねた。
「後悔、か。よく分からない。ただ、もっと色々話せばよかったなって思う」
「今からでも、遅くないかもしれませんよ」
「え?」
「想いは、時間を超えるって、この本に書いてありました」
少女は自分の本を閉じた。同じ『夜行列車の記憶』だった。
「お父さんと、どんな話をしたかったんですか」
真司は考え込んだ。
「うん。ありがとう、って言いたかったかな。本を買ってくれたこと、色々教えてくれたこと」
「それから?」
「仕事のこと、結婚のこと、普通の日常のこと。父の若い頃の話も聞きたかった。夢はなんだったのか、どんな恋をしたのか」
言葉にすると、溢れてきた。
「父がどんな人生を歩んできたのか、全然知らないんだ。親子なのに」
少女は静かに微笑んだ。
「きっと、お父さんは知ってますよ。あなたの気持ち」
「どうして、そう言えるの」
「だって、その本を買ってくれたんでしょう。本は、心を繋ぐものだから」
真司は本を握りしめた。
そうか。父は言葉にしなくても、本を通して何かを伝えようとしていたのかもしれない。
「君は、賢いね」
「よく言われます」
少女は立ち上がった。
「雨、止みましたよ」
真司が窓の外を見ると、本当に雨が上がっていた。夕日が差し込んでいる。
「そうだね。もう行かなきゃ」
真司も立ち上がった。
「あの、この本、借りられますか」
「どうぞ。でも、必ず返してくださいね」
「分かった。来週、返しに来るよ」
真司は受付に向かおうとして、振り返った。
「君の名前、聞いてもいい?」
「名前は、ないんです」
「え?」
「私は、この図書館の本なんです」
真司は息を呑んだ。
「誰かが読んでくれるのを待っている。それが、私の役目」
少女はそう言って、本棚の間に消えていった。
真司は呆然と立ち尽くした。
夢を見ていたのだろうか。
手元には、確かに『夜行列車の記憶』がある。
図書館を出ると、街は雨上がりの清々しい空気に包まれていた。
真司は本を抱えて歩き始めた。
家に帰ったら、この本をもう一度読もう。
そして、父との思い出を、一つ一つ思い出そう。
言葉にできなかった想いを、今度は自分の子供に伝えよう。
一週間後、真司は図書館を訪れた。
しかし、その場所には何もなかった。
空き地があるだけ。
近所の人に聞くと、「緑町図書館は二十年前に取り壊された」と言われた。
真司は手元の本を見た。
『夜行列車の記憶』は、確かにある。
最後のページに、小さなメモが挟まっていた。
『本は永遠です。想いも永遠です。大切な人に、大切なことを伝えてください』
真司は微笑んだ。
あの少女に、もう一度会えるだろうか。
きっと会える。
本を開けば、いつでも。
図書館は消えても、物語は消えない。
想いは、時を超えて、繋がり続ける。
真司は本を胸に抱いて、家路についた。
空には、大きな虹がかかっていた。
会社帰りの木村真司は、傘を持っていなかった。走って駅まで行こうかと思ったが、あまりの土砂降りに諦めた。
「どこかで雨宿りを」
見渡すと、通りの角に小さな図書館があった。「緑町図書館」という古びた看板。こんなところに図書館があったなんて、十年この街に住んでいるのに知らなかった。
扉を開けると、静寂が広がっていた。
誰もいない。受付カウンターにも人影はない。本棚が迷路のように並び、古い本の匂いが漂っている。
「すみません」
声をかけたが、返事はない。
真司は奥へと進んだ。すると、窓際の読書スペースに、一人の少女が座っているのが見えた。
中学生くらいだろうか。制服を着て、分厚い本を読んでいる。
「あの、すみません」
少女が顔を上げた。大きな瞳が真司を見つめる。
「はい?」
「ここ、図書館ですよね。司書の方は」
「今日はお休みです」
「そうなんですか」
真司は空いている席に座った。外では相変わらず雨が激しく降っている。
少女はまた本に目を戻した。真司は何となく本棚を眺めた。古い文学全集、哲学書、歴史書。どれも背表紙が色褪せている。
ふと、一冊の本が目に留まった。
「『夜行列車の記憶』」
真司は手に取った。見覚えがある。これは、子供の頃に読んだ本だ。主人公が不思議な夜行列車に乗って、様々な人生を見る物語。
「その本、好きなんですか」
少女が声をかけてきた。
「ああ、昔読んだことがあって。もう三十年も前かな」
「私も好きです。何度も読みました」
真司は本をパラパラとめくった。懐かしい記憶が蘇ってくる。
「小学生の時、父に買ってもらったんだ」
真司は独り言のように言った。
「父は本が好きでね。毎週末、一緒に本屋に行ったものだよ」
「素敵ですね」
「でも、中学に上がる頃から、父とは話さなくなった。反抗期だったのかな」
真司は本を見つめた。
「父は五年前に亡くなった。最後まで、ちゃんと話せなかった」
沈黙が流れた。雨の音だけが聞こえる。
「後悔、してるんですか」
少女が尋ねた。
「後悔、か。よく分からない。ただ、もっと色々話せばよかったなって思う」
「今からでも、遅くないかもしれませんよ」
「え?」
「想いは、時間を超えるって、この本に書いてありました」
少女は自分の本を閉じた。同じ『夜行列車の記憶』だった。
「お父さんと、どんな話をしたかったんですか」
真司は考え込んだ。
「うん。ありがとう、って言いたかったかな。本を買ってくれたこと、色々教えてくれたこと」
「それから?」
「仕事のこと、結婚のこと、普通の日常のこと。父の若い頃の話も聞きたかった。夢はなんだったのか、どんな恋をしたのか」
言葉にすると、溢れてきた。
「父がどんな人生を歩んできたのか、全然知らないんだ。親子なのに」
少女は静かに微笑んだ。
「きっと、お父さんは知ってますよ。あなたの気持ち」
「どうして、そう言えるの」
「だって、その本を買ってくれたんでしょう。本は、心を繋ぐものだから」
真司は本を握りしめた。
そうか。父は言葉にしなくても、本を通して何かを伝えようとしていたのかもしれない。
「君は、賢いね」
「よく言われます」
少女は立ち上がった。
「雨、止みましたよ」
真司が窓の外を見ると、本当に雨が上がっていた。夕日が差し込んでいる。
「そうだね。もう行かなきゃ」
真司も立ち上がった。
「あの、この本、借りられますか」
「どうぞ。でも、必ず返してくださいね」
「分かった。来週、返しに来るよ」
真司は受付に向かおうとして、振り返った。
「君の名前、聞いてもいい?」
「名前は、ないんです」
「え?」
「私は、この図書館の本なんです」
真司は息を呑んだ。
「誰かが読んでくれるのを待っている。それが、私の役目」
少女はそう言って、本棚の間に消えていった。
真司は呆然と立ち尽くした。
夢を見ていたのだろうか。
手元には、確かに『夜行列車の記憶』がある。
図書館を出ると、街は雨上がりの清々しい空気に包まれていた。
真司は本を抱えて歩き始めた。
家に帰ったら、この本をもう一度読もう。
そして、父との思い出を、一つ一つ思い出そう。
言葉にできなかった想いを、今度は自分の子供に伝えよう。
一週間後、真司は図書館を訪れた。
しかし、その場所には何もなかった。
空き地があるだけ。
近所の人に聞くと、「緑町図書館は二十年前に取り壊された」と言われた。
真司は手元の本を見た。
『夜行列車の記憶』は、確かにある。
最後のページに、小さなメモが挟まっていた。
『本は永遠です。想いも永遠です。大切な人に、大切なことを伝えてください』
真司は微笑んだ。
あの少女に、もう一度会えるだろうか。
きっと会える。
本を開けば、いつでも。
図書館は消えても、物語は消えない。
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空には、大きな虹がかかっていた。
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