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カタン……と。
小さな音がした。
床に寝かされた負傷兵の手を握り、目に涙を浮かべるその彼の言葉に耳を傾けていた時だった。
肩に小さな小石が当たったような気がした。
埃がパラパラと落ちてきて、負傷兵が顔をしかめた。
ふと天井を見上げて。
次の瞬間、目の前の負傷兵に覆いかぶさり抱きしめた。
ミシェルの記憶はここで途切れた。
目が覚めて、違和感のある視界で見えたのは涙を浮かべている父の顔だった。
見下ろす父の様子で自分が横たわっていることが分かったが、父の後ろに見える青空と背中に感じる硬さで自室のベッドではないことが理解できた。
頭が痛い。
身体も痛い。
ミシェルはまた意識を失った。
*****
グルシスタ王国は世界でも下から数えた方が早いほど国土が狭く人口も少ない小国だ。
東南には世界最強の超大国ヒューブレイン王国。西には大国コースリー帝国。北にはクロフス公国に囲まれた内陸の国。コースリーとの長年に渡る同盟によって辛うじて守られている、これといった資源もない貧しい国だ。
五年前。両国の北に隣接するクロフス公国とコースリー帝国の戦にグルシスタもコースリー側として参戦、度重なる出兵で国は疲弊していた。
それでも、ここで引けばコースリーとの同盟は終わり、グルシスタは数週間で亡国となってしまうであろう。
国を守るためグルシスタの王オーギュストが唯一出来ることは国民に心を寄せること。
王族であっても慎ましく。国民と同じ食事をしながら、少ない護衛の近衛兵たちと慰問に回る。
時には国境近くの野営地まで赴き王自ら膝をつき兵士たちを励ました。
グルシスタでは王族への敬意は絶大で、国民のほとんどの家に国王の肖像画が飾られ兵士たちも家族のものと一緒に国王一家の肖像画を胸に入れて持ち歩く者も多かった。
王の来訪は、なによりも国民が喜ぶことだった。
国王一家は王妃の他に、年長の王子と二人の王女がいた。
特に王女二人は人気が高く。幼いながらも王の慰問に伴う姿に国民は沸き立ち、行く先々で歓喜の声に迎えられた。
第一王女のミシェルは一七歳で、その日は王と共に国境近くにある負傷兵を収容している古い小さな教会に慰問で来ていた。
国境近くは戦火も大きく教会の広間に毛布を引いて横たわる負傷兵が数多くいた。
ミシェルは父王オーギュストに付いて歩く近衛兵たちから離れ、横たわる兵士たち一人ひとりの傍に寄り添い言葉をかけて行った。
ブルネットの天然ウェーブの長い髪を後頭部で一つにまとめて縛り、飾りが一つもない修道女のような服装で汚れることも厭わず寄り添う聡明でかわいらしい王女の姿に兵士は涙を流しながら感謝を伝えた。
苦しいなかにあっても、この国を、この王女を守るために戦い決して敵にこの国境を越えさせぬと。負傷の身でありながら皆が誓った。
今ミシェルが手を握る兵士も涙ながらにその誓いを告げ、ミシェルは潤んだヘイゼルの瞳で見つめ返しながら「一緒にがんばりましょう」と強く握り返した。
その時だった。
小さな音と、上から降る埃の次に。
――ガラガラガラッ!
天井のレンガが剥がれ落ち穴が開いた。
その穴の下にはミシェルと負傷兵がおり、落ちたレンガの下敷きになって倒れていた。
「王女様‼」
「ミシェル王女‼」
落ちたレンガから辛うじて逃れた兵士や看護婦が叫びながら駆け寄る。
一様に必死の形相で落ちているレンガをかき分けてどかす。
大きな穴ではなく落ちたレンガも多くはなかったが、負傷兵をかばうように覆いかぶさっていたミシェルの身体の上に降ったため全身を強打し頭からも大量の血が流れブルネットの髪を黒く濡らしていた。
一瞬の衝撃でなにが起こったか理解の遅れたミシェルに守られた兵士も叫んだ。
「ミシェル様! なんてことをっ!」
その音と声に、少し離れた場所で兵士に声をかけていたオーギュストと近衛兵たちもミシェルの元へ走った。
状況と天井の穴を見たオーギュストは叫ぶ。
「近衛兵たち! 急いで建物の中にいる者たちを外へ避難させよ! 避難するものを助けよ!」
「そんなことより、ミシェル様を!」
近衛兵がミシェルに駆け寄ろうとしたが、王はそれを制した。
「ミシェルはわたしが外へ出す! 他のものに危険があってはならぬ。急いでわたしの民を安全なところへ避難させよ!」
まずは王、そして王女の安全が最優先されるこの状況で、わが王は自分たちよりも何者でもないものたちの命を優先しろと近衛兵に命じたのだ。
王のそばで王を守る近衛兵たちは一瞬躊躇したが、自分たちの最優先事項をしなくてはならない。
それが王の言う「わたしの民」の最優先事項でもあるからだ。
「王! 王がここにいる状況で他の民が先に出て行けるでしょうか! どうか先にここから避難してください!」
そう叫ぶと、必死の負傷兵たちの手でレンガをどけられたミシェルを抱きかかえた近衛兵長はもう一人の近衛兵とオーギュストを出口へと誘導するよう支え叫んだ。
「動けるものは支え合い外へ出よ! 動けぬものは近衛兵たちが何としても外へ連れ出せ! 王の民を一人残らず守れ!」
もともと少ない近衛兵での警護であったためオーギュストとミシェルを安全だと思えるところまで避難させたあと兵たちは城に戻り、何度も出入りを繰り返しながら城内にいた者たちを避難させた。
その間オーギュストは意識をなくし横たわるミシェルの手を握りながら出てくる 民たちを見守った。
避難した者たちは、オーギュストとミシェルの傍で膝をつき祈った。
どうか私たちの王の娘をお守りください。
皆が避難を終え看護婦の手当を受けてしばらく、ミシェルはやっと意識を戻したが。
何が起きたか理解出来ぬまま、また意識を失ってしまった。
再び目を覚ましたのは、帰城の途中にあるマスタング侯爵家の城の客室ベッドの上だった。
事の成り行きを付き添っていた看護婦から聞いたミシェルは、
「あの怪我をした兵士は無事でしたか?」
そう看護婦に聞いた。
看護婦は声を詰まらせながら答えた。
「王女様が身を挺してお守りくださったこと、国王陛下の足に縋り付いて詫びておりました。しかし陛下から、そなたが無事でよかったとお言葉をかけていただき、この国の民であることに陛下と神に感謝をしておりました。そこに居た者たちも、私も、このグルシスタの、国王陛下の民でいることを誇りに思いました」
負傷兵の一部をこのマスタング侯爵家で引き取って治療を受けられるよう侯爵が用意してくれるということ。
残りの軽傷な負傷兵たちにはテントを張り、そこで過ごせるようにしたこと。
負傷兵士たちの安全が確保されたことにミシェルは安堵した。
その後、意識を取り戻した娘の姿に、オーギュストも心から安堵した。
*****
それから二か月後。
コースリーはクロフスを制圧することに成功した。
クロフスはコースリーに占領され、今回の二年続いた戦争が終結した。
小さな音がした。
床に寝かされた負傷兵の手を握り、目に涙を浮かべるその彼の言葉に耳を傾けていた時だった。
肩に小さな小石が当たったような気がした。
埃がパラパラと落ちてきて、負傷兵が顔をしかめた。
ふと天井を見上げて。
次の瞬間、目の前の負傷兵に覆いかぶさり抱きしめた。
ミシェルの記憶はここで途切れた。
目が覚めて、違和感のある視界で見えたのは涙を浮かべている父の顔だった。
見下ろす父の様子で自分が横たわっていることが分かったが、父の後ろに見える青空と背中に感じる硬さで自室のベッドではないことが理解できた。
頭が痛い。
身体も痛い。
ミシェルはまた意識を失った。
*****
グルシスタ王国は世界でも下から数えた方が早いほど国土が狭く人口も少ない小国だ。
東南には世界最強の超大国ヒューブレイン王国。西には大国コースリー帝国。北にはクロフス公国に囲まれた内陸の国。コースリーとの長年に渡る同盟によって辛うじて守られている、これといった資源もない貧しい国だ。
五年前。両国の北に隣接するクロフス公国とコースリー帝国の戦にグルシスタもコースリー側として参戦、度重なる出兵で国は疲弊していた。
それでも、ここで引けばコースリーとの同盟は終わり、グルシスタは数週間で亡国となってしまうであろう。
国を守るためグルシスタの王オーギュストが唯一出来ることは国民に心を寄せること。
王族であっても慎ましく。国民と同じ食事をしながら、少ない護衛の近衛兵たちと慰問に回る。
時には国境近くの野営地まで赴き王自ら膝をつき兵士たちを励ました。
グルシスタでは王族への敬意は絶大で、国民のほとんどの家に国王の肖像画が飾られ兵士たちも家族のものと一緒に国王一家の肖像画を胸に入れて持ち歩く者も多かった。
王の来訪は、なによりも国民が喜ぶことだった。
国王一家は王妃の他に、年長の王子と二人の王女がいた。
特に王女二人は人気が高く。幼いながらも王の慰問に伴う姿に国民は沸き立ち、行く先々で歓喜の声に迎えられた。
第一王女のミシェルは一七歳で、その日は王と共に国境近くにある負傷兵を収容している古い小さな教会に慰問で来ていた。
国境近くは戦火も大きく教会の広間に毛布を引いて横たわる負傷兵が数多くいた。
ミシェルは父王オーギュストに付いて歩く近衛兵たちから離れ、横たわる兵士たち一人ひとりの傍に寄り添い言葉をかけて行った。
ブルネットの天然ウェーブの長い髪を後頭部で一つにまとめて縛り、飾りが一つもない修道女のような服装で汚れることも厭わず寄り添う聡明でかわいらしい王女の姿に兵士は涙を流しながら感謝を伝えた。
苦しいなかにあっても、この国を、この王女を守るために戦い決して敵にこの国境を越えさせぬと。負傷の身でありながら皆が誓った。
今ミシェルが手を握る兵士も涙ながらにその誓いを告げ、ミシェルは潤んだヘイゼルの瞳で見つめ返しながら「一緒にがんばりましょう」と強く握り返した。
その時だった。
小さな音と、上から降る埃の次に。
――ガラガラガラッ!
天井のレンガが剥がれ落ち穴が開いた。
その穴の下にはミシェルと負傷兵がおり、落ちたレンガの下敷きになって倒れていた。
「王女様‼」
「ミシェル王女‼」
落ちたレンガから辛うじて逃れた兵士や看護婦が叫びながら駆け寄る。
一様に必死の形相で落ちているレンガをかき分けてどかす。
大きな穴ではなく落ちたレンガも多くはなかったが、負傷兵をかばうように覆いかぶさっていたミシェルの身体の上に降ったため全身を強打し頭からも大量の血が流れブルネットの髪を黒く濡らしていた。
一瞬の衝撃でなにが起こったか理解の遅れたミシェルに守られた兵士も叫んだ。
「ミシェル様! なんてことをっ!」
その音と声に、少し離れた場所で兵士に声をかけていたオーギュストと近衛兵たちもミシェルの元へ走った。
状況と天井の穴を見たオーギュストは叫ぶ。
「近衛兵たち! 急いで建物の中にいる者たちを外へ避難させよ! 避難するものを助けよ!」
「そんなことより、ミシェル様を!」
近衛兵がミシェルに駆け寄ろうとしたが、王はそれを制した。
「ミシェルはわたしが外へ出す! 他のものに危険があってはならぬ。急いでわたしの民を安全なところへ避難させよ!」
まずは王、そして王女の安全が最優先されるこの状況で、わが王は自分たちよりも何者でもないものたちの命を優先しろと近衛兵に命じたのだ。
王のそばで王を守る近衛兵たちは一瞬躊躇したが、自分たちの最優先事項をしなくてはならない。
それが王の言う「わたしの民」の最優先事項でもあるからだ。
「王! 王がここにいる状況で他の民が先に出て行けるでしょうか! どうか先にここから避難してください!」
そう叫ぶと、必死の負傷兵たちの手でレンガをどけられたミシェルを抱きかかえた近衛兵長はもう一人の近衛兵とオーギュストを出口へと誘導するよう支え叫んだ。
「動けるものは支え合い外へ出よ! 動けぬものは近衛兵たちが何としても外へ連れ出せ! 王の民を一人残らず守れ!」
もともと少ない近衛兵での警護であったためオーギュストとミシェルを安全だと思えるところまで避難させたあと兵たちは城に戻り、何度も出入りを繰り返しながら城内にいた者たちを避難させた。
その間オーギュストは意識をなくし横たわるミシェルの手を握りながら出てくる 民たちを見守った。
避難した者たちは、オーギュストとミシェルの傍で膝をつき祈った。
どうか私たちの王の娘をお守りください。
皆が避難を終え看護婦の手当を受けてしばらく、ミシェルはやっと意識を戻したが。
何が起きたか理解出来ぬまま、また意識を失ってしまった。
再び目を覚ましたのは、帰城の途中にあるマスタング侯爵家の城の客室ベッドの上だった。
事の成り行きを付き添っていた看護婦から聞いたミシェルは、
「あの怪我をした兵士は無事でしたか?」
そう看護婦に聞いた。
看護婦は声を詰まらせながら答えた。
「王女様が身を挺してお守りくださったこと、国王陛下の足に縋り付いて詫びておりました。しかし陛下から、そなたが無事でよかったとお言葉をかけていただき、この国の民であることに陛下と神に感謝をしておりました。そこに居た者たちも、私も、このグルシスタの、国王陛下の民でいることを誇りに思いました」
負傷兵の一部をこのマスタング侯爵家で引き取って治療を受けられるよう侯爵が用意してくれるということ。
残りの軽傷な負傷兵たちにはテントを張り、そこで過ごせるようにしたこと。
負傷兵士たちの安全が確保されたことにミシェルは安堵した。
その後、意識を取り戻した娘の姿に、オーギュストも心から安堵した。
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