2 / 28
2
しおりを挟む
事の発端はある男の告発からだった。
昨年国王が天然痘を煩いで崩御した。
世継ぎは国王グレッグの側室イーリスとの間に出来た一人息子で十四歳のハドリー。
法律で王の即位は十八歳未満では出来ない。ハドリーが十八歳になるまでは王弟でハドリーの叔父に当たるワディンガム公爵マイルスが摂政として政を行うことが決まった。
そのマイルの所に一通の手紙が届いた。
『イーリスの秘密を知っています。前王妃は無実です。逢ってお話しがしたい』
前王妃とはグレッグの妻エロイーズのことで、彼女の話となると十三年前に遡る。
エロイーズは絹糸のような金髪が美しい国民にも人気の高い王妃だった。
当時四十四歳だったグレッグが十七歳のエロイーズと結婚した。二十七歳も年の離れた妻をグレッグは愛しかわいがった。
結婚後五年経っても子が授からず、このままでは世継ぎが出来ないのではないかと危機感を持った側近たちがグレッグとエロイーズを説得し側室を持つことになった。
それがイーリスだ。
イーリスは地方の男爵令嬢だった。側室に甘んじる令嬢が見つからなかったため王に仕えるには立場は低すぎたが側近の知人のツテで紹介され宮廷に入った。
イーリスが側室となって暫く、エロイーズに妙な噂が立った。エロイーズが敵国コースリーと繋がっているというのだ。
スーミア王国はコースリー帝国とは敵対国だ。コースリーは強欲な好戦国で、スーミアとは相容れぬ関係だった。そんな国に自国の機密情報や軍事情報が流れるようなことがあっては決してならない。
最初の噂ではグレッグはエロイーズになにも言わなかった。そんなことをするはずがないと信じていたからだ。
ところが噂の真相を探るとある兵士にたどり着いた。その兵士がコースリーの諜報員と密通しているという証拠の手紙が見つかったのだ。
しかもその手紙にはエロイーズのサインが入っていた。
エロイーズは王妃でありながら裁判に掛けられ、手紙にあったサインが決定的な証拠だとして有罪判決が下され投獄されることとなった。
エロイーズの親族全員も国から追放となり、その後彼女がどうなったのかは誰も知らない。
どこの監獄に入れられたのかも、生死も不明なまま忘れ去られたのだ。
簡単に忘れ去られたのには理由がある。イーリスが出産したのだ。
貴族・国民待ち望んだ世継ぎのニュースに、ほんの数か月前の不幸はすべて吹き飛び国中に祝福が巻き起こった。
イーリスは男子を生み、それが世継ぎのハドリーだ。
ハドリーの誕生でイーリスは側室からブロッサム公爵夫人という称号を受けるまでになった。与えられた領地はイーリスの実家カモクト男爵が管理し、大きな収入を得ている。
王妃の称号を貰えなかったのはグレッグのみぞ知ることだが、もしかしたらエロイーズのことが最後までグレッグの心にあったのかもしれないと思うのは邪推とは言わないだろう。
グレッグはエロイーズをとてもかわいがっていたし、裁判に掛けられることとなった時も最後まで庇った。
しかし裁判は正式に開かれその判決は権力で変えていいものではない。国王であってもどうすることも出来なかった。
話しは現在に戻る。
王が崩御して暫く。届いた手紙を読んでマイルスは叫んだ。『やっぱりそうだったか!』
マイルスはエロイーズがそんなことをするなど信じることが出来なかった。
明るく朗らかで、王妃としてはいいことではないかもしれないが政治にまったく関心がなく、グレッグのことだけがすべてという少女のような女性だった。
年の離れたエロイーズをかわいがるグレッグを心から愛しているように見えていたし、そこまで頭が回るほど賢い印象はない。
マイルスはその手紙の主と逢うことにした。
書かれた待ち合わせ場所のうらびれたバーへ行くと、男はすでに待っていた。
見覚えのあるその男はエロイーズのサインの入った手紙を持っていた、裁判でエロイーズの命令でコースリーに情報を流したと証言した兵士だった。
なぜこんなところにいるのか、なぜあの時あんなことを証言したのか、なぜ自分にこんな手紙を寄越したのか。聞きたいことばかりで焦りそうになるのを必死に抑え、マイルスは男の話を静かに聞いた。
男の話はこうだ。
軍の上司からこの仕事を受けるなら病の母を保護し治療を受けさせてやる。更に成功すれば家族で暮らしていくには充分すぎるほどの金もくれると言われたそうだ。
その仕事とはコースリーに情報を流せということだった。軍規違反だけではなく死刑もやむなしの国への裏切りだ。
ましてや母の病は治ったとしてもそれで戦争になったら母の命が危険に晒されてしまう可能性もある。
男はそんなことは出来ないと言ったが、話を聞いてしまった以上もう断ることは出来ないと言われ。やらないなら家族がどうなるかわからないと脅された。
病の母に幼い妹がふたりもいて、男は引き返すことが出来ない仕事を引き受けるしかなかった。
泣く泣く仕事をこなしながらも、この仕事を上司が単独でしているのではないのではないかと疑問に思った男は上司の背景を調べ始めた。
ある日上司の後をつけているとある男と逢っているのを目撃した。上司と別れた男を追ってそれが誰なのかを知った時驚愕した。男はイーリスの父親だったのだ。
しかしこの仕事にイーリスが関係していることがわかった時には遅かった。そのすぐ後に逮捕される事態となったからだ。
男は迷った。真実を話しても話さなくても無罪放免はありえない。悩む男に会いに来た上司が囁いた。この仕事の主犯をエロイーズだと証言するなら投獄されても必ず逃がしてやる。母の治療も今後の生活もなんの心配もないと。
かくして男は嘘の証言をし、収監はされたが逃走と金を手に入れた。
それでもエロイーズを嵌めてしまった事を一日も忘れたことはなかった。ずっと懺悔の日々だった。
そして何も出来ないまま過ぎる毎日のなかで国王グレッグの崩御を知る。
ハドリーが王になりイーリスが実権を握ればコースリーと手を組んでいる。この国が危険に晒されている。それは家族が危険に晒されているということだ。
自分はなんという事をしてしまったのかという思いに苛まれ、もうこのまま卑怯者でいることは許されないと死を覚悟してマイルスにすべてを打ち明け裁きを受けると伝えて来た。
隠れて会ったのは、この王都に自分がいることが知られたらマイルスに打ち明ける前に殺されると思ったからだと男は言った。
マイルスは男のしたことは正しくなく国にも神にも背く行為だと怒りはしたが、それでも男と男の家族を保護すると決めた。
その代わり、その仕事に携わっていた人間、関係しているだろう人間、調べ知っている情報をすべて打ち明けるように言った。
男は泣きながら頷いた。
だが話しはそれで終わりとはいかない。
マイルスが内乱分子を一掃してしまうと世継ぎがいないのだ。ハドリーはいるがイーリスを追い出すことになると、禍根を持ったイーリスの育てたハドリーが良い王になれるとは思えない。
国を売った女の息子を王に据える事にも反対は起こるだろう。
自分が国王となることも出来るがマイルスには子がいない。一代限りだ。
それよりなにより、本物の正当な後継者はいるのだ。
しかしその人物を担ぎ出すには時間がかかる。その時間を稼がなくてはならない。
なにせその人物は今牢獄の中にいる。
投獄されたエロイーズが獄中で産んだ娘、それが担ぎ出すべき正当な後継者。正真正銘国王グレッグの血を継いだ直系の娘だ。
子が成せないと思っていたエロイーズは投獄前に妊娠し、娘を産んでいたのだ。
マイルスは表立ってエロイーズと関係を持つことは出来なかったが、投獄されたエロイーズの元へ定期的に神父を送っていた。
エロイーズが妊娠していることを知りなんとか救い出せないかと策を講じたが、当時はそれが出来なかった。
産まれた娘はそのままエロイーズと共に獄中で育てられた。
しかしエロイーズは最後まで無実を訴えながらも五年前に無念の死を獄中で迎えたと報告を受けた。
五年早くこの話を聞いていたらこんな無念にはならなかった。今更悔いても仕方のないことだ。
老年だった神父もエロイーズのすぐ後にこの世を去った。
それでも娘を出してやれなかったのは、監獄に手の者を据えることが簡単には出来なかったからだ。
やっとその準備が整ったが十三年間獄中で育ち、内五年間ひとりで放置された娘を出してきたからと言ってすぐに王女の立場に置くことは出来ない。
まずはエロイーズの冤罪を晴らさなくてはならない。それをしなくてはことが進まない。
そして娘を普通の生活が出来るようにもしなくてはならない。一般的な教養とマナーを教えなくてはならない。
即位するにあたっては帝王学はマイルスが教えることが出来るし後見人にもなって支えるが、反乱分子を一掃する前では命の危険があるかもしれない。
その娘が安全に城に迎えられるまで姿を隠して教育をすること。万が一マイルスが反乱分子に返り討ちにあった場合を考えたら、城に戻れなくても保護し続けられる人物が必要だ。
そこでマイルスが白羽の矢を立てたのがガブリエルだった。
ガブリエルはマイルスの妻ダイアナの甥にあたる二十九歳の独身侯爵だ。
ダイアナの妹ローズの息子だが、ダイアナがマイルスと恋愛結婚してしまったためローズがダイアナの実家アディンセル侯爵家を継がなくてはならなかったのだが、ローズも舞踏会で出会ったマクナリー伯爵トーマスと恋に落ちてしまった。
後継ぎのいなくなってしまうアディンセル侯爵家は結婚を賛成できなかったが、子供が生まれたら必ず養子に出して後を継がせると約束し、ローズの息子ガブリエルがアディンセル侯爵家の養子に入り侯爵家を継いだのだ。
隠居した元アディンセル侯爵当主でダイアナの父は六年前に他界し、母親は王都にあるアディンセル侯爵家の別邸で悠々自適に暮らしている。
ガブリエルも王都にいることが多いが、領地は王都ワイエスから暫く離れた別の街にあり匿うにはうってつけな環境だ。
ガブリエルなら教養もあり多少女遊びはしている噂はあるが領地の管理や侯爵としての仕事はきちんとこなし、家名に相応しい慈善活動もきちんとしているのでダイアナもかわいがっており信頼している。
むしろ女遊びの噂があるなら、十三歳の少女を連れて帰っても隠し子だと思われるかもしれないのはいいことだ。真実を隠せる。
マイルスは決めた。ガブリエルにエロイーズの娘、王女を任せようと。
ダイアナに至急の用事だと呼び出されたガブリエルはマイルスの話を聞いて仰天した。
話が込み入りすぎているうえに、それに巻き込まれろと言われたのだ。
十三歳の少女を預かりマナーと教養を教えてくれと言われても、即答は無理な話だ。
「叔父上、叔母上。わたしには無理です。いきなりそんなとんでもない責任は負えません!」
「あなたが侯爵になれたのはわたしの実家があってなのよ。そのおかげで莫大な財産を受け取り優雅に遊んでいられるのよ。これは国の大事です。たった五年を国に捧げるくらいしなさい。侯爵の爵位を持つ者の使命でもありますよ」
簡単に言わないでくれと言いたいが、ダイアナを見てもマイルスを見ても決して簡単に言っているわけではない事はわかる。
確かに国の大事だ。
「わたしでは務まりませんよ。他に適任がいます。姉上の所はどうですか? あそこなら子供もいるし」
「ミリアムはだめよ。子供がいるから余計に外から知らない子が入ったらおかしいでしょ。それにマシューは野心家よ。変な気でも起こしたら大変なことよ」
ミリアムはガブリエルの姉で、ガブリエルの実家であるマクナリー伯爵家を夫マシューを婿養子に迎え継いでいる。
ダイアナの話は理解できるが、それでも簡単に納得は出来ない。
「あなた五年くらい結婚もする気はないでしょ? この件に関しては係わる人間は少なくなくてはいけないの。わかるでしょ?」
「ガブリエル、お前しかいないのだよ。お前を信頼しているから頼んでいるのだ」
ガブリエルが唯一頭の上がらない叔父と叔母に頭を下げられ、もう断れる雰囲気もない。
出してあげられるとなればもう今すぐにでもというマイルスの気持ちもわかるが、あまりにも急すぎる話だ。
「こんなことは言いたくないけれど、あなたが宮廷に来るたびに摘まんだ女の後処理をしてあげたのを忘れてはないわよね? そのわたしのたったひとつの願いが聞けないの? 国の安寧がかかっている頼みなのよ?」
「摘まんだって……自由恋愛ですよ……。後処理とか言ってもちらっと女性の口を止めただけでしょう……。事の大きさが違いすぎる!」
必死の反論はするが、確かに話を聞いて適任者を探すのは難しい。
では自分が適任かと言えば絶対に違う。自分ほど自由気ままに生きたいと願う人間はそうはいないと思っている。侯爵の責任以外に重いものは面倒すぎる。
子供も好きではないし、なにより同情はしてもそれほど気持ちを寄り添ってあげられない程度にガブリエルは薄情でもある。
しかしふたりはもう決めている。ガブリエルに頼むと決めてしまっている。
「わたしは子育てなんかしたことがないし、どこまで出来るかわかりませんよ」
「それでもいい。助けが必要ならわたしたちがいる。とにかく今はあの娘をサリバン監獄から出し隠すことが優先だ」
「五年も……」
「五年なんかあっという間だ。必ずその間に宮廷のことはわたしが片付ける。とにかくまずは王女である少女を牢獄から出してきてくれ。名前はコーデリアだ」
ガブリエルは大きなため息を吐いた。
かくしてエロイーズの娘コーデリアを脱獄させることとなり、ガブリエルは図らずともコーデリアの使いの天使となったのだ。
白い羽ではなく、黒いマントを翻して。
昨年国王が天然痘を煩いで崩御した。
世継ぎは国王グレッグの側室イーリスとの間に出来た一人息子で十四歳のハドリー。
法律で王の即位は十八歳未満では出来ない。ハドリーが十八歳になるまでは王弟でハドリーの叔父に当たるワディンガム公爵マイルスが摂政として政を行うことが決まった。
そのマイルの所に一通の手紙が届いた。
『イーリスの秘密を知っています。前王妃は無実です。逢ってお話しがしたい』
前王妃とはグレッグの妻エロイーズのことで、彼女の話となると十三年前に遡る。
エロイーズは絹糸のような金髪が美しい国民にも人気の高い王妃だった。
当時四十四歳だったグレッグが十七歳のエロイーズと結婚した。二十七歳も年の離れた妻をグレッグは愛しかわいがった。
結婚後五年経っても子が授からず、このままでは世継ぎが出来ないのではないかと危機感を持った側近たちがグレッグとエロイーズを説得し側室を持つことになった。
それがイーリスだ。
イーリスは地方の男爵令嬢だった。側室に甘んじる令嬢が見つからなかったため王に仕えるには立場は低すぎたが側近の知人のツテで紹介され宮廷に入った。
イーリスが側室となって暫く、エロイーズに妙な噂が立った。エロイーズが敵国コースリーと繋がっているというのだ。
スーミア王国はコースリー帝国とは敵対国だ。コースリーは強欲な好戦国で、スーミアとは相容れぬ関係だった。そんな国に自国の機密情報や軍事情報が流れるようなことがあっては決してならない。
最初の噂ではグレッグはエロイーズになにも言わなかった。そんなことをするはずがないと信じていたからだ。
ところが噂の真相を探るとある兵士にたどり着いた。その兵士がコースリーの諜報員と密通しているという証拠の手紙が見つかったのだ。
しかもその手紙にはエロイーズのサインが入っていた。
エロイーズは王妃でありながら裁判に掛けられ、手紙にあったサインが決定的な証拠だとして有罪判決が下され投獄されることとなった。
エロイーズの親族全員も国から追放となり、その後彼女がどうなったのかは誰も知らない。
どこの監獄に入れられたのかも、生死も不明なまま忘れ去られたのだ。
簡単に忘れ去られたのには理由がある。イーリスが出産したのだ。
貴族・国民待ち望んだ世継ぎのニュースに、ほんの数か月前の不幸はすべて吹き飛び国中に祝福が巻き起こった。
イーリスは男子を生み、それが世継ぎのハドリーだ。
ハドリーの誕生でイーリスは側室からブロッサム公爵夫人という称号を受けるまでになった。与えられた領地はイーリスの実家カモクト男爵が管理し、大きな収入を得ている。
王妃の称号を貰えなかったのはグレッグのみぞ知ることだが、もしかしたらエロイーズのことが最後までグレッグの心にあったのかもしれないと思うのは邪推とは言わないだろう。
グレッグはエロイーズをとてもかわいがっていたし、裁判に掛けられることとなった時も最後まで庇った。
しかし裁判は正式に開かれその判決は権力で変えていいものではない。国王であってもどうすることも出来なかった。
話しは現在に戻る。
王が崩御して暫く。届いた手紙を読んでマイルスは叫んだ。『やっぱりそうだったか!』
マイルスはエロイーズがそんなことをするなど信じることが出来なかった。
明るく朗らかで、王妃としてはいいことではないかもしれないが政治にまったく関心がなく、グレッグのことだけがすべてという少女のような女性だった。
年の離れたエロイーズをかわいがるグレッグを心から愛しているように見えていたし、そこまで頭が回るほど賢い印象はない。
マイルスはその手紙の主と逢うことにした。
書かれた待ち合わせ場所のうらびれたバーへ行くと、男はすでに待っていた。
見覚えのあるその男はエロイーズのサインの入った手紙を持っていた、裁判でエロイーズの命令でコースリーに情報を流したと証言した兵士だった。
なぜこんなところにいるのか、なぜあの時あんなことを証言したのか、なぜ自分にこんな手紙を寄越したのか。聞きたいことばかりで焦りそうになるのを必死に抑え、マイルスは男の話を静かに聞いた。
男の話はこうだ。
軍の上司からこの仕事を受けるなら病の母を保護し治療を受けさせてやる。更に成功すれば家族で暮らしていくには充分すぎるほどの金もくれると言われたそうだ。
その仕事とはコースリーに情報を流せということだった。軍規違反だけではなく死刑もやむなしの国への裏切りだ。
ましてや母の病は治ったとしてもそれで戦争になったら母の命が危険に晒されてしまう可能性もある。
男はそんなことは出来ないと言ったが、話を聞いてしまった以上もう断ることは出来ないと言われ。やらないなら家族がどうなるかわからないと脅された。
病の母に幼い妹がふたりもいて、男は引き返すことが出来ない仕事を引き受けるしかなかった。
泣く泣く仕事をこなしながらも、この仕事を上司が単独でしているのではないのではないかと疑問に思った男は上司の背景を調べ始めた。
ある日上司の後をつけているとある男と逢っているのを目撃した。上司と別れた男を追ってそれが誰なのかを知った時驚愕した。男はイーリスの父親だったのだ。
しかしこの仕事にイーリスが関係していることがわかった時には遅かった。そのすぐ後に逮捕される事態となったからだ。
男は迷った。真実を話しても話さなくても無罪放免はありえない。悩む男に会いに来た上司が囁いた。この仕事の主犯をエロイーズだと証言するなら投獄されても必ず逃がしてやる。母の治療も今後の生活もなんの心配もないと。
かくして男は嘘の証言をし、収監はされたが逃走と金を手に入れた。
それでもエロイーズを嵌めてしまった事を一日も忘れたことはなかった。ずっと懺悔の日々だった。
そして何も出来ないまま過ぎる毎日のなかで国王グレッグの崩御を知る。
ハドリーが王になりイーリスが実権を握ればコースリーと手を組んでいる。この国が危険に晒されている。それは家族が危険に晒されているということだ。
自分はなんという事をしてしまったのかという思いに苛まれ、もうこのまま卑怯者でいることは許されないと死を覚悟してマイルスにすべてを打ち明け裁きを受けると伝えて来た。
隠れて会ったのは、この王都に自分がいることが知られたらマイルスに打ち明ける前に殺されると思ったからだと男は言った。
マイルスは男のしたことは正しくなく国にも神にも背く行為だと怒りはしたが、それでも男と男の家族を保護すると決めた。
その代わり、その仕事に携わっていた人間、関係しているだろう人間、調べ知っている情報をすべて打ち明けるように言った。
男は泣きながら頷いた。
だが話しはそれで終わりとはいかない。
マイルスが内乱分子を一掃してしまうと世継ぎがいないのだ。ハドリーはいるがイーリスを追い出すことになると、禍根を持ったイーリスの育てたハドリーが良い王になれるとは思えない。
国を売った女の息子を王に据える事にも反対は起こるだろう。
自分が国王となることも出来るがマイルスには子がいない。一代限りだ。
それよりなにより、本物の正当な後継者はいるのだ。
しかしその人物を担ぎ出すには時間がかかる。その時間を稼がなくてはならない。
なにせその人物は今牢獄の中にいる。
投獄されたエロイーズが獄中で産んだ娘、それが担ぎ出すべき正当な後継者。正真正銘国王グレッグの血を継いだ直系の娘だ。
子が成せないと思っていたエロイーズは投獄前に妊娠し、娘を産んでいたのだ。
マイルスは表立ってエロイーズと関係を持つことは出来なかったが、投獄されたエロイーズの元へ定期的に神父を送っていた。
エロイーズが妊娠していることを知りなんとか救い出せないかと策を講じたが、当時はそれが出来なかった。
産まれた娘はそのままエロイーズと共に獄中で育てられた。
しかしエロイーズは最後まで無実を訴えながらも五年前に無念の死を獄中で迎えたと報告を受けた。
五年早くこの話を聞いていたらこんな無念にはならなかった。今更悔いても仕方のないことだ。
老年だった神父もエロイーズのすぐ後にこの世を去った。
それでも娘を出してやれなかったのは、監獄に手の者を据えることが簡単には出来なかったからだ。
やっとその準備が整ったが十三年間獄中で育ち、内五年間ひとりで放置された娘を出してきたからと言ってすぐに王女の立場に置くことは出来ない。
まずはエロイーズの冤罪を晴らさなくてはならない。それをしなくてはことが進まない。
そして娘を普通の生活が出来るようにもしなくてはならない。一般的な教養とマナーを教えなくてはならない。
即位するにあたっては帝王学はマイルスが教えることが出来るし後見人にもなって支えるが、反乱分子を一掃する前では命の危険があるかもしれない。
その娘が安全に城に迎えられるまで姿を隠して教育をすること。万が一マイルスが反乱分子に返り討ちにあった場合を考えたら、城に戻れなくても保護し続けられる人物が必要だ。
そこでマイルスが白羽の矢を立てたのがガブリエルだった。
ガブリエルはマイルスの妻ダイアナの甥にあたる二十九歳の独身侯爵だ。
ダイアナの妹ローズの息子だが、ダイアナがマイルスと恋愛結婚してしまったためローズがダイアナの実家アディンセル侯爵家を継がなくてはならなかったのだが、ローズも舞踏会で出会ったマクナリー伯爵トーマスと恋に落ちてしまった。
後継ぎのいなくなってしまうアディンセル侯爵家は結婚を賛成できなかったが、子供が生まれたら必ず養子に出して後を継がせると約束し、ローズの息子ガブリエルがアディンセル侯爵家の養子に入り侯爵家を継いだのだ。
隠居した元アディンセル侯爵当主でダイアナの父は六年前に他界し、母親は王都にあるアディンセル侯爵家の別邸で悠々自適に暮らしている。
ガブリエルも王都にいることが多いが、領地は王都ワイエスから暫く離れた別の街にあり匿うにはうってつけな環境だ。
ガブリエルなら教養もあり多少女遊びはしている噂はあるが領地の管理や侯爵としての仕事はきちんとこなし、家名に相応しい慈善活動もきちんとしているのでダイアナもかわいがっており信頼している。
むしろ女遊びの噂があるなら、十三歳の少女を連れて帰っても隠し子だと思われるかもしれないのはいいことだ。真実を隠せる。
マイルスは決めた。ガブリエルにエロイーズの娘、王女を任せようと。
ダイアナに至急の用事だと呼び出されたガブリエルはマイルスの話を聞いて仰天した。
話が込み入りすぎているうえに、それに巻き込まれろと言われたのだ。
十三歳の少女を預かりマナーと教養を教えてくれと言われても、即答は無理な話だ。
「叔父上、叔母上。わたしには無理です。いきなりそんなとんでもない責任は負えません!」
「あなたが侯爵になれたのはわたしの実家があってなのよ。そのおかげで莫大な財産を受け取り優雅に遊んでいられるのよ。これは国の大事です。たった五年を国に捧げるくらいしなさい。侯爵の爵位を持つ者の使命でもありますよ」
簡単に言わないでくれと言いたいが、ダイアナを見てもマイルスを見ても決して簡単に言っているわけではない事はわかる。
確かに国の大事だ。
「わたしでは務まりませんよ。他に適任がいます。姉上の所はどうですか? あそこなら子供もいるし」
「ミリアムはだめよ。子供がいるから余計に外から知らない子が入ったらおかしいでしょ。それにマシューは野心家よ。変な気でも起こしたら大変なことよ」
ミリアムはガブリエルの姉で、ガブリエルの実家であるマクナリー伯爵家を夫マシューを婿養子に迎え継いでいる。
ダイアナの話は理解できるが、それでも簡単に納得は出来ない。
「あなた五年くらい結婚もする気はないでしょ? この件に関しては係わる人間は少なくなくてはいけないの。わかるでしょ?」
「ガブリエル、お前しかいないのだよ。お前を信頼しているから頼んでいるのだ」
ガブリエルが唯一頭の上がらない叔父と叔母に頭を下げられ、もう断れる雰囲気もない。
出してあげられるとなればもう今すぐにでもというマイルスの気持ちもわかるが、あまりにも急すぎる話だ。
「こんなことは言いたくないけれど、あなたが宮廷に来るたびに摘まんだ女の後処理をしてあげたのを忘れてはないわよね? そのわたしのたったひとつの願いが聞けないの? 国の安寧がかかっている頼みなのよ?」
「摘まんだって……自由恋愛ですよ……。後処理とか言ってもちらっと女性の口を止めただけでしょう……。事の大きさが違いすぎる!」
必死の反論はするが、確かに話を聞いて適任者を探すのは難しい。
では自分が適任かと言えば絶対に違う。自分ほど自由気ままに生きたいと願う人間はそうはいないと思っている。侯爵の責任以外に重いものは面倒すぎる。
子供も好きではないし、なにより同情はしてもそれほど気持ちを寄り添ってあげられない程度にガブリエルは薄情でもある。
しかしふたりはもう決めている。ガブリエルに頼むと決めてしまっている。
「わたしは子育てなんかしたことがないし、どこまで出来るかわかりませんよ」
「それでもいい。助けが必要ならわたしたちがいる。とにかく今はあの娘をサリバン監獄から出し隠すことが優先だ」
「五年も……」
「五年なんかあっという間だ。必ずその間に宮廷のことはわたしが片付ける。とにかくまずは王女である少女を牢獄から出してきてくれ。名前はコーデリアだ」
ガブリエルは大きなため息を吐いた。
かくしてエロイーズの娘コーデリアを脱獄させることとなり、ガブリエルは図らずともコーデリアの使いの天使となったのだ。
白い羽ではなく、黒いマントを翻して。
0
あなたにおすすめの小説
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。
たまこ
恋愛
公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。
ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。
※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。
砕けた愛
篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。
あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。
「愛することはない」と言った冷徹公爵様、やり直しの人生は溺愛が重すぎます!~王宮が滅びるのは記憶を隠した旦那様と幸運な息子のせい?~
ソラ
恋愛
王宮の陰湿な包囲網、そして夫であるアリステア公爵の無関心。心身を削り取られたセラフィナは、孤独と絶望の中でその短い一生を終えた。
だが、彼女は知らなかった。
彼女の死を知ったアリステアが、復讐の鬼と化して王宮へ反乱を起こし、彼女を虐げた者たちを血の海に沈めたことを。そして彼もまた、非業の死を遂げたことを。
「……セラフィナ。二度と、君を離さない。この命、何度繰り返してでも」
気がつくと、そこは五年前――結婚三日目の朝。
セラフィナが「今度は期待せずに生きよう」と決意した矢先、飛び込んできたアリステアは泣きながら彼女を抱きしめた。
前世の冷淡さが嘘のように、甘く、重すぎるほどの愛を注いでくるアリステア。
さらに、前世には存在しなかった息子・ノエルまで現れ、セラフィナを苦しめるはずだった敵は、彼女が知らないうちに裏で次々と社会的に抹殺されていく。
アリステアは記憶がないふりをして、狂気的な執着を「優しさ」という仮面で隠し、今度こそ彼女を檻のような幸福の中に閉じ込めようと画策していた。
知っているのは、読者(あなた)だけ。
嘘から始まる、究極のやり直し溺愛ファンタジー!
(本作品はAIを活用して構成・執筆しています)
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
東雲の空を行け ~皇妃候補から外れた公爵令嬢の再生~
くる ひなた
恋愛
「あなたは皇妃となり、国母となるのよ」
幼い頃からそう母に言い聞かされて育ったロートリアス公爵家の令嬢ソフィリアは、自分こそが同い年の皇帝ルドヴィークの妻になるのだと信じて疑わなかった。父は長く皇帝家に仕える忠臣中の忠臣。皇帝の母の覚えもめでたく、彼女は名実ともに皇妃最有力候補だったのだ。
ところがその驕りによって、とある少女に対して暴挙に及んだことを理由に、ソフィリアは皇妃候補から外れることになる。
それから八年。母が敷いた軌道から外れて人生を見つめ直したソフィリアは、豪奢なドレスから質素な文官の制服に着替え、皇妃ではなく補佐官として皇帝ルドヴィークの側にいた。
上司と部下として、友人として、さらには密かな思いを互いに抱き始めた頃、隣国から退っ引きならない事情を抱えた公爵令嬢がやってくる。
「ルドヴィーク様、私と結婚してくださいませ」
彼女が執拗にルドヴィークに求婚し始めたことで、ソフィリアも彼との関係に変化を強いられることになっていく……
『蔦王』より八年後を舞台に、元悪役令嬢ソフィリアと、皇帝家の三男坊である皇帝ルドヴィークの恋の行方を描きます。
氷の騎士と陽だまりの薬師令嬢 ~呪われた最強騎士様を、没落貴族の私がこっそり全力で癒します!~
放浪人
恋愛
薬師として細々と暮らす没落貴族の令嬢リリア。ある夜、彼女は森で深手を負い倒れていた騎士団副団長アレクシスを偶然助ける。彼は「氷の騎士」と噂されるほど冷徹で近寄りがたい男だったが、リリアの作る薬とささやかな治癒魔法だけが、彼を蝕む古傷の痛みを和らげることができた。
「……お前の薬だけが、頼りだ」
秘密の治療を続けるうち、リリアはアレクシスの不器用な優しさや孤独に触れ、次第に惹かれていく。しかし、彼の立場を狙う政敵や、リリアの才能を妬む者の妨害が二人を襲う。身分違いの恋、迫りくる危機。リリアは愛する人を守るため、薬師としての知識と勇気を武器に立ち向かうことを決意する。
噂の聖女と国王陛下 ―婚約破棄を願った令嬢は、溺愛される
柴田はつみ
恋愛
幼い頃から共に育った国王アランは、私にとって憧れであり、唯一の婚約者だった。
だが、最近になって「陛下は聖女殿と親しいらしい」という噂が宮廷中に広まる。
聖女は誰もが認める美しい女性で、陛下の隣に立つ姿は絵のようにお似合い――私など必要ないのではないか。
胸を締め付ける不安に耐えかねた私は、ついにアランへ婚約破棄を申し出る。
「……私では、陛下の隣に立つ資格がありません」
けれど、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「お前は俺の妻になる。誰が何と言おうと、それは変わらない」
噂の裏に隠された真実、幼馴染が密かに抱き続けていた深い愛情――
一度手放そうとした運命の絆は、より強く絡み合い、私を逃がさなくなる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる