私と林檎の休日

石谷 落果

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握手

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 営業先から会社へ帰るところだった。
 会社に隣接したオフィスビルの自動ドアの前で、立ち尽くす老人に出会った。ほとんど頭髪はなく、体も痩せ細り、今にも消えてしまいそうな見た目をしていた。

「どうかされましたか?」

 老人は大汗を書きながら、おかしいな、おかしいなと呟いている。
 どうやら青年の声は聞こえていないようで、自動ドアの前をうろうろしている。

「あのっ! 聞こえますか!?」
 青年は声を張って尋ねる。その声に老人は反応し、振り向く。

「ああ、私のことを助けてください」
 老人は青年を神様と勘違いしたかのような明るい声になった。今にも胸の前で手を組んで涙を流しそうだった。
 
「わかるも何も、困っている様子だったので……」
 青年はたじろいだ。
 変な老人に絡んでしまったんなあ。

「驚かせてすみません。実は自動ドアが開かなくなってしまったのです。出ることはできたのですけど、戻ろうとしたら開かないのです。それで誰かに助けを求めようとしていたところ、あなたから声をかけて頂いたのであまりにも嬉しくて」
 
 やはり変な老人だ。

「呼び出しボタンが隣にあるので押してみては?」
 青年は付き合うのが面倒になり、そう冷たく言い放った。

「それが、どうもこのボタンも故障しているようです」
 どうやら、すでに挑戦しているらしい。
 青年は自分でも確認したくなり、呼び出しボタンに近づいた。
すると、自動ドアが青年を感知した。

「あれ? 開くじゃないですか」
 青年は呆れてしまった。なんだこの人。嘘をついてかまってもらおうとしていたのだろうか。みすぼらしい姿をした老人だからな。きっと、寂しい思いをしているに違いない。

 老人は、そんな青年の思いも知らずに感謝の言葉を繰り返した。
「自動ドアが開いたくらいで大袈裟ですよ」
 青年はそう言って会社に戻ろうとした。

「待ってください。お礼くらいさせてくださいよ」
 老人はぺこぺこと頭を下げている。日差しが反射して、きらきらとしている。
「いや、結構です」
 青年は面倒になったのだが、老人は後には引かない様子だ。
 ついには頭を下げたまま微動だにしなくなった。

 周囲の視線が気になりだした青年は仕方なく老人の誘いに乗ることにした。

「ありがとうございます。このビルにいい店があるんです。そこでコーヒーでも奢らせてください」
確かに、ちょっと喉は乾いている。会社に戻る前に休憩していくか。言われるままに、青年はビルの中へ入っていった。

「ねえ、いい店でしょう」
 悪い店ではない。
 ビルにひっそりと店を構える喫茶店だった。店内には数名の客がいる。いずれもスーツを着た男性だった。

 青年たちがテーブルに着くと、ウェイトレスがやってきた。
「ご注文はお決まりですか?」

「アイスコーヒーで。あなたは?」
「私は結構です」
「じゃあ、アイスコーヒーひとつで」

「……かしこまりした。アイスコーヒーおひとつですね」
 ウェイトレスは怪訝な顔をしている。当然だった。コーヒー一杯も頼まないのに店内に入ってくる人間など、迷惑以外の何物でもないのだから。

「ところであなたはこのビルに何か用があったのですか?」

「私はこのビルの一角で小さな会社を経営しています。そこが住居でもあるので戻れないとどうしようもなかったんです。本当にありがとうございます」
 
 俺は人助けをしたのか。

 青年は老人のことを疑ったり、蔑んだりしていたが、結果的に老人を救うことができた。それが無性に恥ずかしくなった。
 老人が手を差し伸べたので、青年は握手を交わした。

「では、私はこれで失礼します。お支払いは済ませておきますので、ごゆっくりお過ごしください」
 青年は老人に礼を言った。

 その後、コーヒーを飲み終えた青年は店を出て、会社に戻ろうとした。

「あれ? 開かない」

 先ほどは開いた自動ドア。今度は反応がない。調子が悪いのだと思い、何度もセンサの下で足踏みを踏んだ。しかし、結果は同じだ。

 近くにいる警備員に声をかけるも、素知らぬふりどころか、自分の存在にすら気づいていない。


「しまった! そういうことか」


 青年はいつまでも自動ドアの前で待ち続ける。霊感のある人間が自分の存在に気づくまで。そして、さりげなく握手を求めなければならない。
   あの老人のように。
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