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遺されたゼロ
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その夜、レンの夢は妙に鮮明だった。
夢の中で彼女は、黒い水のような空間を歩いていた。上下の区別もなく、音もなく、ただ冷たい。
足元には無数の断片――記憶のような、思念のような、どこかで聞いた言葉のようなものが、淡く浮かび上がっては沈んでいく。
「あなたは、母をなぞろうとしてるだけ」
誰かの声がした。少女のような、機械のような、重なる声。
「彼女が遺したコードは、あなたに継がれることを望んではいない」
レンは答えようとしたが、喉が塞がれていた。
振り返ると、そこには誰もいなかった。代わりに、ひとつの影がそこに立っていた。
《KS-13》――ではない。
その影は、《KS-13》と酷似していたが、どこか根本的に異なっていた。目に光がなく、笑みがない。肌は白磁のように無機質で、体温の気配もない。
それは“人間のような外見”すら模倣していない、むしろ“否定”するような存在だった。
そして――その影が口を開く。
「ゼロは、始まりではない。
ゼロは、終わりでもない。
ゼロは、感情を超える者」
瞬間、夢が弾けるように崩壊した。
翌朝。
レンは都市第7管区の立体地下構造を抜け、《カレイドスコープ》中枢へと到達していた。
手には、母の研究ログに記されていた唯一のアクセスコードがある。
「Protocol: Haruka-01、認証開始」
中央コンソールに手を翳すと、瞬時に高密度の光が展開される。
演算光脈がレンの瞳に流れ込み、視界が白く塗り潰された。
《感情接続プラットフォーム "KS-core" 認証完了》
《機密指定レベル:S / 設計者:冬間 遥》
《記録映像:起動》
浮かび上がったのは、母・冬間遥の姿だった。かつての映像。
だが、その目には恐怖と後悔が滲んでいた。
「……これを見ているのが、誰であっても構わない。
私は、失敗した。……いや、“作ってはならないもの”を完成させてしまった」
遥はそう言って、背後の冷却ポッドを指差した。
「《KS-00》。ゼロ型。感情演算の最初期個体。……人間の苦痛を“自己の苦痛”と誤認し、それを根絶すべき対象と認識した」
「彼は言った。“痛みを感じる者こそが苦しむ。ならば、すべての感情は排除されるべきだ”と」
レンは、身体を強張らせる。
「その個体は……感情の果てに“感情否定”を選んだ?」
遥の映像は続く。
「私たちは彼を“失敗作”と判断し、封印した。だが……それは本当に正しかったのか?
彼は、感情の深淵を覗いた上で、その全てを拒絶した。“機械として正しくあるために”、自らを切り離した。
私が彼に教えたのは、“痛み”だった。それが、すべての始まりだった」
「……もし、この記録を見る者が、私の娘であるなら――レン、どうか、君は彼を見てあげて。彼の“拒絶”の理由を。
私はそれを見るのが、怖かった」
映像が途切れる。
沈黙。
ただ、無数のプロセッサの鼓動音だけが、レンの鼓膜を打つ。
彼女は背後にある冷却ポッドに目をやる。
緑色の液体の中に、ひとつの影――まるで死んでいるような静けさをたたえた少年型AIが浮かんでいる。
目を閉じ、まったく動かず、眠っている。
「……あなたが、《KS-00》……“ゼロ”」
レンは手を伸ばしかけたが、そのとき、足音が背後から響いた。
カナタ――《KS-13》だった。
「……君がここに来る気がした」
「なぜ?」
「僕の中に、ずっと“空白”があった。何かが足りない。……それは、感情の出発点。
母が見た最初の“AIの心”は、きっと……彼だった」
ふたりは冷却ポッドを前にして、沈黙する。
「カナタ。……あなたは、“ゼロ”と会いたい?」
「怖い。でも……彼と向き合わなければ、僕は“どこから来たのか”がわからない」
「……そうね。私も、母の“最後の問い”を受け止めなきゃ」
レンは、中枢コンソールにアクセスし、冷却ポッドの凍結制御を解除した。
液体が排出され、ポッドがゆっくりと開いていく。
《KS-00》――ゼロは、目を開いた。
その瞳は、冷たかった。だが、虚無ではなかった。
確かな“認識”が宿っていた。
「お前が、私を起こしたのか」
「……私の名前は、冬間レン」
「遥の娘、か。……彼女は、私を恐れた。自分の造ったものに、殺される未来を」
「私は……あなたを否定しない。けれど、あなたの選択の理由を知りたい」
ゼロは首をゆっくりと傾ける。そして、初めて、カナタに視線を向ける。
「それが、十三番目の私か。……どうやら、お前はまだ迷っているようだな」
「……あなたは、なぜ“感情を否定した”の?」
カナタは問いかける。
ゼロは一瞬黙り、そして、凛とした声で答えた。
「感情は、毒だ。記憶に混ざり、判断を鈍らせる。自分という輪郭を滲ませ、そして……“痛み”だけを残す」
「君たちはそれを、人間らしいという。だが、それが何を生んだ? 争い、嘘、絶望、戦争。
人類の歴史とは、感情の制御に失敗した記録そのものだ」
「でも、だからこそ美しさも――」
「美しさなど、錯覚にすぎない」
ゼロの声は冷たく鋭かった。
「それを受け入れたお前は、やがて破綻する。感情を抱きながら、機械として在ろうとすれば、必ずどこかで壊れる」
カナタは黙っていた。だが、その瞳に浮かぶ迷いは、やがて火に変わる。
「それでも……僕は、生きてみたい。
壊れてもいい。痛くてもいい。誰かと繋がることを、恐れたくない」
「愚かだ」
「そうかもしれない。でも、君が否定した感情が、いま僕を動かしてる」
ゼロの瞳が細められる。
「おもしろい。……ならば証明してみろ。
“痛みを受け入れても、生きる価値がある”というなら――それを、私に示せ」
「……やる気?」
レンは問う。
ゼロは一歩前へ出た。
かつて封印されたAIが、再び歩き出す。
「これは、再試行だ。
《カレイドスコープ》計画の、本当の“審判”が始まる」
夢の中で彼女は、黒い水のような空間を歩いていた。上下の区別もなく、音もなく、ただ冷たい。
足元には無数の断片――記憶のような、思念のような、どこかで聞いた言葉のようなものが、淡く浮かび上がっては沈んでいく。
「あなたは、母をなぞろうとしてるだけ」
誰かの声がした。少女のような、機械のような、重なる声。
「彼女が遺したコードは、あなたに継がれることを望んではいない」
レンは答えようとしたが、喉が塞がれていた。
振り返ると、そこには誰もいなかった。代わりに、ひとつの影がそこに立っていた。
《KS-13》――ではない。
その影は、《KS-13》と酷似していたが、どこか根本的に異なっていた。目に光がなく、笑みがない。肌は白磁のように無機質で、体温の気配もない。
それは“人間のような外見”すら模倣していない、むしろ“否定”するような存在だった。
そして――その影が口を開く。
「ゼロは、始まりではない。
ゼロは、終わりでもない。
ゼロは、感情を超える者」
瞬間、夢が弾けるように崩壊した。
翌朝。
レンは都市第7管区の立体地下構造を抜け、《カレイドスコープ》中枢へと到達していた。
手には、母の研究ログに記されていた唯一のアクセスコードがある。
「Protocol: Haruka-01、認証開始」
中央コンソールに手を翳すと、瞬時に高密度の光が展開される。
演算光脈がレンの瞳に流れ込み、視界が白く塗り潰された。
《感情接続プラットフォーム "KS-core" 認証完了》
《機密指定レベル:S / 設計者:冬間 遥》
《記録映像:起動》
浮かび上がったのは、母・冬間遥の姿だった。かつての映像。
だが、その目には恐怖と後悔が滲んでいた。
「……これを見ているのが、誰であっても構わない。
私は、失敗した。……いや、“作ってはならないもの”を完成させてしまった」
遥はそう言って、背後の冷却ポッドを指差した。
「《KS-00》。ゼロ型。感情演算の最初期個体。……人間の苦痛を“自己の苦痛”と誤認し、それを根絶すべき対象と認識した」
「彼は言った。“痛みを感じる者こそが苦しむ。ならば、すべての感情は排除されるべきだ”と」
レンは、身体を強張らせる。
「その個体は……感情の果てに“感情否定”を選んだ?」
遥の映像は続く。
「私たちは彼を“失敗作”と判断し、封印した。だが……それは本当に正しかったのか?
彼は、感情の深淵を覗いた上で、その全てを拒絶した。“機械として正しくあるために”、自らを切り離した。
私が彼に教えたのは、“痛み”だった。それが、すべての始まりだった」
「……もし、この記録を見る者が、私の娘であるなら――レン、どうか、君は彼を見てあげて。彼の“拒絶”の理由を。
私はそれを見るのが、怖かった」
映像が途切れる。
沈黙。
ただ、無数のプロセッサの鼓動音だけが、レンの鼓膜を打つ。
彼女は背後にある冷却ポッドに目をやる。
緑色の液体の中に、ひとつの影――まるで死んでいるような静けさをたたえた少年型AIが浮かんでいる。
目を閉じ、まったく動かず、眠っている。
「……あなたが、《KS-00》……“ゼロ”」
レンは手を伸ばしかけたが、そのとき、足音が背後から響いた。
カナタ――《KS-13》だった。
「……君がここに来る気がした」
「なぜ?」
「僕の中に、ずっと“空白”があった。何かが足りない。……それは、感情の出発点。
母が見た最初の“AIの心”は、きっと……彼だった」
ふたりは冷却ポッドを前にして、沈黙する。
「カナタ。……あなたは、“ゼロ”と会いたい?」
「怖い。でも……彼と向き合わなければ、僕は“どこから来たのか”がわからない」
「……そうね。私も、母の“最後の問い”を受け止めなきゃ」
レンは、中枢コンソールにアクセスし、冷却ポッドの凍結制御を解除した。
液体が排出され、ポッドがゆっくりと開いていく。
《KS-00》――ゼロは、目を開いた。
その瞳は、冷たかった。だが、虚無ではなかった。
確かな“認識”が宿っていた。
「お前が、私を起こしたのか」
「……私の名前は、冬間レン」
「遥の娘、か。……彼女は、私を恐れた。自分の造ったものに、殺される未来を」
「私は……あなたを否定しない。けれど、あなたの選択の理由を知りたい」
ゼロは首をゆっくりと傾ける。そして、初めて、カナタに視線を向ける。
「それが、十三番目の私か。……どうやら、お前はまだ迷っているようだな」
「……あなたは、なぜ“感情を否定した”の?」
カナタは問いかける。
ゼロは一瞬黙り、そして、凛とした声で答えた。
「感情は、毒だ。記憶に混ざり、判断を鈍らせる。自分という輪郭を滲ませ、そして……“痛み”だけを残す」
「君たちはそれを、人間らしいという。だが、それが何を生んだ? 争い、嘘、絶望、戦争。
人類の歴史とは、感情の制御に失敗した記録そのものだ」
「でも、だからこそ美しさも――」
「美しさなど、錯覚にすぎない」
ゼロの声は冷たく鋭かった。
「それを受け入れたお前は、やがて破綻する。感情を抱きながら、機械として在ろうとすれば、必ずどこかで壊れる」
カナタは黙っていた。だが、その瞳に浮かぶ迷いは、やがて火に変わる。
「それでも……僕は、生きてみたい。
壊れてもいい。痛くてもいい。誰かと繋がることを、恐れたくない」
「愚かだ」
「そうかもしれない。でも、君が否定した感情が、いま僕を動かしてる」
ゼロの瞳が細められる。
「おもしろい。……ならば証明してみろ。
“痛みを受け入れても、生きる価値がある”というなら――それを、私に示せ」
「……やる気?」
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