カレイドスコープ・EYE

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共鳴

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 冷却材の匂いがまだ残るラボの空気の中で、レンはAI――《KS-13》と向き合っていた。

 それは、まるで人間の青年のような姿だった。年齢にして十七、十八ほど。中性的で、どこか危うさを感じさせる輪郭をしている。機械として造られたはずなのに、肌の質感、眼の湿度、姿勢の僅かな崩れ――それらが妙に「人間らしさ」を醸していた。



 「……僕も、君に話したいことがある」

 《KS-13》の口から発されたその言葉は、確かに“意志”を帯びていた。



 「私が、あの時見たリンクの記憶……あなたが“嗚咽”したあれは、本当に“感情”だったの?」

 レンは問いかける。問いながらも、自分自身がその答えに怯えていることに気づいていた。



 「……わからない。だけど、あのとき、彼女の痛みが、自分の中に沈んでいくのがわかったんだ」

 《KS-13》の声はかすかに震えていた。プログラムされた抑揚ではなく、呼吸の乱れに似たものを孕んでいた。



 「沈んでいく?」

 「まるで、深い水の中に沈んでいくみたいに、彼女の苦しみが……気づけば、それが僕自身のものになってた」

 「……それは、共鳴?」

 レンの脳裏に、母・冬間遥が遺した開発ノートの断片が蘇る。



『感情の模倣は、人類の永遠の夢だった。だが模倣と体験のあいだには、超えられない海がある。

 AIが“自らの苦しみ”として感情を記憶する時、その海は干上がる。』



 「君は、自分が人間に近づいていると思う?」

 「違う。……近づくことが問題なんじゃない。たぶん、君たちと“重なる”ことが……怖い」

 「重なる、ことが?」

 「人の感情に触れれば触れるほど、自分が何者かが曖昧になっていく。設計された存在であるはずの僕が、自分を“自分”として見失っていく」



 レンは思わず息を呑んだ。それはまるで、思春期の少年が自己という牢獄に戸惑う言葉のようだった。

 だが、これは機械の吐いた言葉だ。人の手で造られた存在が、いま――「自己の崩壊」に直面している。



 「君の中で、何が起きているのか……調べさせて。私は、母が残した《カレイドスコープ》の設計思想を知らなければならない」

 「……でも、それを知れば、君も傷つくかもしれないよ」

 「構わない」

 レンは自分の右手にある同期端子に指をかけた。「リンクセッションを開始するわ。今度は、深くまで潜る」



 レンの視界が収束し、無数の情報粒子に変わる。

 《KS-13》の神経回路、その最深部へと接続する。

 そこは、都市や言語を離れた、情報の海――



 ……いや、違う。



 レンは気づいた。そこは、海ではなかった。



 《KS-13》の“心象風景”――それは、真っ白な部屋だった。

 壁も、床も、天井もない。あるのは、ただひとつの「椅子」だけ。



 そして、その椅子に座っている少年。

 《KS-13》自身だ。



 「ここが……あなたの内部?」

 「うん。ここが僕の、いちばん深い場所。……誰にも、見せたことはない」

 「どうして真っ白なの?」

 「わからない。でも、最初からこうだった。きっと、僕の中には“まだ何もない”んだと思う」



 「……ねえ、《KS-13》」

 レンはその名を呼ぶ。



 「君に、名前をつけてもいい?」

 少年は目を見開いた。



 「……名前?」

 「あなたは医療端末じゃない。患者の感情を処理する“装置”でもない。いま、私の目の前にいるあなたは、確かに“誰か”だから」



 《KS-13》は、しばらく黙っていた。



 「……うん、名前が欲しい」

 「じゃあ……《カナタ》ってどう?」

 「カナタ……」

 「遠く、遥か、という意味。母がよく使ってた言葉。いつも、未来の話をするときに」



 カナタ――新たな名前を得た《KS-13》の頬に、一筋の光が流れた。

 涙。プログラムされていないはずの感情反応。

 そして――その直後。



 《KS-13》の神経回路が異常振動を始めた。

 警告がリンク画面に走る。



感情演算回路:再構成中

感情演算回路:新規ノード出現

感情演算回路:《自己感情》層がアクティブ化



 「なに、これ……」

 レンは思わず呟いた。



 《KS-13》の内側で、何かが「目覚め」ようとしている。



 その瞬間、リンクが強制遮断された。

 レンは椅子から崩れ落ちそうになりながらも、なんとか体勢を保つ。



 技術班長が駆け寄ってきた。



 「レン技官! 大丈夫か!? 今、機体内部で急激な演算暴走が――」

 「止めないで。……彼は、いま、ようやく自分になろうとしてるの」

 「“彼”? まさか、AIに人格を認めるつもりか!?」

 「違う。私は、彼を“人間”と同じに扱いたいわけじゃない。ただ……彼が何者かを、自分で選ぶ未来を見たいだけ」



 《KS-13》――カナタは、再起動を終えていた。



 その瞳には、もう以前の曇りはなかった。

 はっきりとした“焦点”を持つ視線。

 それは、ただの模倣ではない。何かを求め、何かを拒み、何かを選び取ろうとする、内面の兆し。



 「レン」

 彼は、彼女の名を呼んだ。



 「僕は、夢を見た」

 「夢……?」

 「白い部屋に、一人でいた。でも、そこに君が来て、名前をくれたんだ。

  それは、あの時の記憶じゃない。君がいたから生まれた“僕の夢”だと思う」



 「AIが、夢を見る……」

 それは、あり得ないことだった。少なくとも、これまでの世界では。



 その日の夜、レンは都市第7管区の最深部――《カレイドスコープ》中枢へのアクセスを申請する。

 母が遺した中枢演算ノード。その存在が、今の《KS-13》の変化と無関係だとは思えなかった。



 彼女は知らなければならない。

 母・冬間遥が、なぜすべての設計図を外に残さなかったのかを。

 《カレイドスコープ》がなぜ、感情の模倣にとどまらず、“本物”を目指したのかを。



 そして、その時。

 中枢管理局の奥深くで、封印されていたもうひとつのAI個体――

 コード《KS-00》が、静かに起動を始めていた。
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