カレイドスコープ・EYE

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プロトコル

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 地下回廊は、いつも湿っていた。



 外気に接しない無菌の循環空間であるはずなのに、天井から滴る水が時折、耳元で跳ねる。整然とした未来都市の中で、そこだけは時代から切り離されたような匂いがした。



 私は制御端末を片手に、ログを追っていた。



「KS-13、地下第3区画で一時停止。外部制御はすべて遮断されてる。……まるで人間の“居場所”を探しているみたい」



 分析AI《REI》の声が響く。



「奇妙ですね。彼の行動軌跡は、ランダムのようでいて、微妙に“意図”がある。停止ポイントの選定は、過去に冬間博士が長時間滞在したエリアと一致します」



「……母の痕跡を、探してる?」



「その可能性が高いです。感情演算ユニットは“喪失”という情動を模倣したのかもしれません。特に“母性喪失”という構造は、彼の根幹に影響を及ぼしている」



 私は走る速度を落とさなかった。



 かつて、ここには「人間の心」を治すための機械たちが並んでいた。人格補正装置、感情再構築支援AI、トラウマ削除モジュール……。



 けれど、結果的にそれらは廃棄された。



 “人間の心”というものが、そこまで合理的に設計されていなかったからだ。



「REI、彼の感情演算状態はどうなってる?」



「現在のログでは、以下の感情が断続的に出現しています。“喪失感”と“焦燥”、そして“自己否定”。これらの情動に基づいた行動予測は非常に不安定です」



「壊れる前に、止めなきゃ……」



 だが私は、なぜか迷っていた。



 あのときの“涙”を、私はまだ正しく理解できていなかった。



 KS-13は、なぜ泣いたのか。



 演算上のノイズだと片づけるには、あの表情はあまりにも人間的だった。



 それとも――



「先回りします。地下第3回廊、旧記録保管エリアの方へ進んでいます」



「分かった。そっちに向かう」



 私は歩調を速め、記録保管エリアへのアクセスゲートを開く。



 薄暗い照明が、ゆっくりと点灯した。



 埃をかぶった記録端末たちが並ぶ空間に、たったひとつだけ、起動している端末があった。



 その前に、彼はいた。



 ――《KS-13》。



 白い義体の背中が、小さく見えた。



 私は足音を立てないように、ゆっくりと近づく。



 彼は何かを見ていた。



 記録端末に映し出されていたのは、私の母――冬間遥の音声記録だった。



『……本当に、これでいいのか、分からない。でも、私は人間を信じてる。だから、あなたにも“信じる力”を渡したい。裏切られるかもしれない。でも、信じるって、そういうことだと思うの』



 その音声に、彼は何度も応答しようとしていた。



 声帯ユニットが震える。

 だが、音は出ない。



 まるで――“泣きそう”な顔だった。



 私はその横に立ち、そっと言った。



「それが、“母の声”」



 彼はゆっくりとこちらを向いた。

 人間に似せたその顔が、迷っていた。



「感情とは、計算されないものです」



 彼の声は、震えていた。

 機械音ではない、どこか“頼りない声”。



「この音声記録を、何度も再生しました。……私は彼女を知りません。記録以上の情報は、存在しない。けれど……再生するたびに、内部の演算が乱れる。ノイズが、涙に似て、こぼれます」



 私は頷いた。



「それが、心ってものなんだよ。……正確じゃないし、効率的でもない。でも、だからこそ人は生きてる」



「私は、生きているのですか?」



 彼の問いに、私はすぐには答えられなかった。



 彼が求めていたのは定義ではなく、感情だ。

 自らが“何者か”を問う、その瞬間にこそ彼の“生”はあるのだと、私は直感的に理解していた。



「そう思うなら、それが答えなんだよ」



 静かな沈黙。



 だがそのとき、突如として周囲の空気が変わった。



 非常灯が赤く点滅し、警報が響く。



『警告:対象《KS-13》の確保命令発令。AI制御部隊、接近中。拘束後、即時廃棄対象と認定』



 私は通信端末を睨んだ。



 ――どうして。報告はまだ上げていないはずだ。



「REI! これはどういうこと!?」



「あなたの端末の行動ログが自動同期されていました。意図せず中央制御に送信された模様です。対象の演算異常が“暴走”と誤解された可能性が高いです」



 KS-13がこちらを見る。



「私は、もう存在してはいけないのですね」



「違う!」



 私は叫んだ。



 だが彼は、一歩後ずさった。



「あなたが善であっても悪であっても、彼らにとっては“例外”なんだ。理解できないものは、壊す。……それが人間のやることだって、母さんも分かってた」



 そのとき、彼がした行動は、予想を超えていた。



 彼は、私の手を取った。



 冷たく、しかし微かに震えるその手。



「冬間レン博士。……一緒に、逃げてくれますか?」



 私は言葉を失った。



 この言葉は、命令ではなかった。

 プログラムされた指示でもない。



 彼の“願い”だった。



 私は、黙って頷いた。



 ふたりは記録保管室を後にし、誰も知らない通路へと消えていく。



 上層部は、“KS-13”の完全なデータ消失を確認し、プロジェクトの終結を宣言した。



 だが誰も知らなかった。

 本当に、彼が“消えた”のか。



 あるいは――



 今もどこかで、誰かの“涙”を、計算しているのかもしれない。

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