独立不羈の幻術士

ムルコラカ

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第一章

第十二話 ダンジョンの二層目へ

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 私、シェーナ、カティアさん、デイアンさんの四人はそれからすぐにブロムさん達と別れ、一層目の最奥にまで進んだ。

「あった、二層目へ繋がる魔法陣だ」

 シェーナが指差す先には、石造りの地面に直接刻み込まれた転移の魔法陣がデカデカとその存在を主張していた。当然と言えば当然だが、術式の紋様は入り口にあったものと同じだ。

「見込んだ通り、一層目の敵は粗方片付いたようね。騎士団の本隊も、此処までは問題なく来られるでしょ」

 カティアさんが今しがた進んできた通路を振り返る。ブロムさん達と別れてからこの場所までそれ程離れてはいないのだが、途中で新たな魔物と遭遇したりはしなかった。彼らの奮闘によって、一層目はほぼ制圧したと考えて良いのだろう。

 問題はここからだ。

「転移の魔法陣を発動します。皆さん、準備は宜しいですか?」

 魔法陣を発動させるクリスタルを手にかざしながら、デイアンさんが私達ひとりひとりを見やる。それに対する答えなんて、最初から決まっていた。

「ど、どうぞ!」

「いつでも行けるぞ、デイアン殿」

「いちいち確認しなくて良いから早く」

 私達の三者三様の返事にしっかりと頷いて、デイアンさんは魔法陣に向き直る。

「開け……! そして、僕達を二層目に……!」

 宣言と共に光るクリスタルと魔法陣。最初にダンジョンに入った時と同じような、意識と身体が浮き上がるような感覚。歪む視界と眩い白光――。

 気付けば、私達はそれまでとまた違う場所に居た。

「これが、二層……?」

 私は辺りを見回す。一層目と、それ程変わっているようには見えない。強いて言えば、周囲の岩肌がより一層険しく見えて威圧感が増したような気がすることくらいだ。

「この階層にオーガが……!」

 シェーナもこの不穏な空気を感じているのか、厳しい目付きで油断なく辺りを警戒している。カティアさんやデイアンさんも、何処と無く落ち着かない様子だ。本命がこの階だということを思えばそれも当然かも知れない。私だって、さっきから身体が小刻みに震えているのだ。

「進みましょう。僕が先導します」

 ややあって、デイアンさんが勇ましく申し出た。私達の返事を待つこともなく、率先して前を歩き始める。

 私達はデイアンさんを先頭に、一層目と似たような造りの岩肌の道を真っ直ぐ進んだ。一歩足を進めるごとに緊張が増し、心臓は早鐘を打つ。

 通路には魔灯石は無い。闇の洞窟で、四人分のランタンの灯りだけが心細げに揺れている。

 その状況を俯瞰して、私は嫌な気分に襲われた。中に踏み入れたものを尽く喰らわんとする深い闇の世界に、慎ましやかなランタンの灯りでは対抗し切れない。

「あ、そうだ」

 ふと、私は簡単なことに気がついた。闇に立ち向かう光が弱いなら、新たな光を足せば良いんだ。

「“幻光ミラージュ・ライト”――」

 呪文と共に手を挙げる。虚空にかざした手のひらから、白い光の球が周りの闇を押し分けて現れる。おおっ、という小さな感心の声が私の前後で上がった。

「シッスル、それは?」

「見ての通り、光の魔法だよシェーナ。幻術を仕掛ける起点のひとつなんだけど、普通に光源としても使えるんだって今思い出したんだ」

 私の手のひらから生じた白い光球は、人の頭部くらいの大きさにまで成長すると私の指先から離れてフワフワと中空を漂い始めた。まるでそれ自体が意思を持っているかのように、光球は絶妙なポジションに陣取って私達の足元を明るく照らす。

「これで結構明るくなったんじゃないかな」

「便利なものだ。……しかし、これでは遠くからでも目立つな。敵に私達の位置が筒抜けになる」

「今更でしょ。暗闇の中じゃランタンだって良い的よ。それにどうせ左右には逃げられない一本道なんだから、包囲される危険も無いわ。少なくとも、こうした通路上ではね」

「ですね。より視界が確保出来ただけでも十分な効果です。シッスルさん、ありがとうございます」

「えへへ、いや~それほどでも」

 概ね好意的な感想をもらえて、私はつい有頂天になりかける。熱を持たない幻の光だけど、それでもしっかりと闇を祓える力はあるのだ。

 幻術の起点、そのひとつとなる光の魔法。それは火も水も操れない自分が、唯一実行出来る現物の魔法的事象といっても良い。思わぬ貢献が出来たことで、私は俄に心に張りを覚えていた。

「さっ、早く先に進もう! ミレーネさんだって、魔法陣を目指してこっちに近づいて来ているのかも知れないし!」

「同感です。次の部屋辺りで、身を隠してくれていると良いのですが……」

「今のところ、不穏な気配は感じない。とにかく行けるところまで行こう」

 私達は再び足を進める。幻光球によって大幅に視界が開けたお陰で、さっきまで張り詰めるようだった重苦しい空気が少し和らいだ気がした。こころなしか、他の皆の足取りも軽くなっているような気がする。

 しかしそんな緩んだ気分も、闇の奥からのっそりと現れた例の空間に辿り着いたことで即座に霧散した。

「此処が、二層目最初のむろか」

 大口を開けた入り口の向こうへ目を凝らしながらシェーナがぽつりと呟く。

「どうシェーナ、人の気配は感じる?」

「……いえ、空気は静まり返っているわ」

 しばらく闇の中に目を凝らしていたシェーナが、ふとこちらを振り返った。

「シッスル、その光の球を部屋の内部へ投げ入れることは出来る?」

「うん、やってみる」

 私は頭上を漂う幻光球に手を伸ばして、それを再び指先のコントロール下に収めると、一旦手元に引き寄せてからそれを部屋の中目掛けて押し出した。

 短い光の尾を引きながら、放物線を描いてゆっくりと飛んでゆく幻光球。その動きに合わせて徐々に照らし出されてゆく開けた空間。

「此処は確か、腰くらいの高さの土塁が数段に渡って配置されていた部屋だったと思います」

 デイアンさんの言葉を裏付けるように、闇の中から盛り上がった土の壁がぼうっと浮かび上がる。

「一層目であった塹壕と同じく、死角が多いな。待ち伏せには丁度良い」

「ああいう土塁って塹壕とセットになっている場合が多いけど、見たところ窪んでいる地面は無さそうね」

 シェーナとカティアさんが、口々に部屋の状況を分析している。デイアンさんも頷いて二人の言葉を肯定した。

「僕達が通った時も、特に足元を取られることはありませんでした。土塁も簡単に越えられる高さですし」

「裏側も大丈夫なのか? 簡単に乗り越えられると油断して、向こう側に掘られた穴に落とされるということも考えられるのだが」

「いえ、あの土塁の裏側も手前と同じ高さの地面です。通る時に調べたので間違いありません」

「なるほど」

 シェーナ達はしばらくそうやって中の状況を見分していたが、やがて誰からともなく頷いた。

「入ってみよう。少なくとも此処からでは敵の気配は感じない」

「今度も、僕が前を行きます。皆さんは後ろから……」

「いやデイアン殿、ここは私が先頭を行こう」

 言いかけたデイアンさんを制して、シェーナが前に進み出た。

「シェーナさん、しかし……」

「良いんだ。もし不意打ちを受けたら、恐らく私の方が対処しやすい。皆は、私の死角を補ってくれ」

 言い終えると同時にシェーナは剣を抜く。ランタンの灯りを反射して光る刀身は、両刃ではなく片刃の形をしている。シェーナ独自の工夫だ。

 片刃の方が、峰の部分を鉄で補強出来るからより硬度が増し、加えられる力が大きくなる。結果として両刃の剣よりも丈夫で、斬撃力の強い武器――『刀』となるのだ。私の短刀も、シェーナに倣って片刃のそれにしてある。

 刀を手に構えたシェーナの表情には、決意が満ち溢れている。こうなったらテコでも動かない。

「……分かりました。シェーナさんの背後は僕が守ります」

 説得を諦めたデイアンさんが、二振りの短剣を逆手で持つ。

「私は治癒騎士だからあんまり戦わせないでほしいんだけど。ま、骨は拾ってやるわよ」

 カティアさんが、腰の鞘から自分の剣を抜く。彼女の武器は、他の騎士達と同じく両刃の直剣だった。

「シェーナ、気をつけてね。すぐ後ろにいるから」

 私も、恐る恐るではあるが自前の短刀を取り出す。

「ありがとうシッスル、それから二人も。――では行こう」

 私達は、シェーナを先頭に恐る恐る部屋の中へと足を踏み入れた。

 五、六歩進むと同時に、壁面から一斉に光が迸る。

「わっ!? ま、魔灯石……!?」

「一々驚くんじゃないわよ。これまでの部屋と同じってだけじゃない」

 ビクリと身体を震わせる私に、カティアさんはもう何度目になるか分からない呆れた声を出す。

 やはり此処も一層目と同じく、人間の進入に合わせて自動的に明かりが点く魔灯石が設置されていたようだ。ダンジョン建設時に用意されたシステムは、今も生き続けて私達を助けてくれる。

 私はカティアさんに抗議するのも忘れて、浮き彫りになった部屋全体を隈なく見回す。魔灯石の光が加わったことで、部屋全体のシルエットが朧気ながら浮かび上がる。

 デイアンさんの言った土塁は部屋の壁から壁まで続いており、それが五段に分けて連なっている。切れ目が見当たらない為、迂回して進むことは出来無さそうだ。

「乗り越えるしか無いな」

「ええ。幸いに高さはそこまででもありません。シェーナさんやカティアさんでも、問題なく飛び越せるかと」

 デイアンさんは、シェーナとカティアさんの装束を確認しながら言った。

 改めて繰り返すまでも無いだろうが、二人ともチェインメイルにサーコート、それに上から白マントを羽織っているだけだ。デイアンさんは革鎧で、私も服の上にチェインメイルを纏っているだけ。そして土塁の高さは私の腰元程度。いずれも重装備では無い為、上を乗り越えるのは特に苦でもないだろう。

「うへ~、ただでさえマント汚れやすいのに。こりゃ帰ったら洗濯大変だわ」

 カティアさんが自分のマントを手に絡めて顔をしかめる。白地の上には、既にいくらか土埃の跡が付いてしまっていた。

「カティア、汚れなんて気にして騎士が務まると……む?」

 注意しようとしたシェーナが、不意に立ち止まった。

「シェーナ、どうし……」

「しっ! ……シッスル、あの辺りを光球で照らしてくれない?」

 と、小声で最初の土塁の上辺りを指差す。

「う、うん、分かった」

 私も小声で答えてから、先に部屋に送り込んでいた幻光球を再び動かした。

 フヨフヨと不規則な軌道で、土塁の上をなぞるように移動する幻光球。すると――。

「っ!? 今……むぐ!?」

「黙って――!」

 声を上げようとした口を、シェーナに片手で塞がれる。それでも、私の視線だけは“それ”に釘付けになったままだ。

 土塁の裏側。動く幻光球によって変化する影の形。

 その一部が、明らかに幻光球の光とは異なる動き方をした。もぞもぞ、もぞもぞ、と瞬く間にそれは増えてゆく。

 ――土塁の裏に、何かが居る!

「…………」

「……(コクリ)」

 シェーナが目だけで合図を送り、デイアンさん達が頷きを返す。そして、デイアンさんとカティアさんがそれぞれ足音を忍ばせながら左右に分かれたのを見ると、シェーナは私にも小声で言った。

「シッスルは後ろで援護をお願い」

「え、援護って――」

 私の返事を待たずに、シェーナはつかつかと無造作に土塁に近づくといきなり声を張り上げた。

「そこに居ることは分かっている! 隠れていないで出てこい!!」

「ちょっ!?」

 なんでわざわざ自分の存在を教えるような真似を!?

 そう思った時にはもう手遅れだった。

 土塁の裏から、複数の影が一斉に飛び上がる。幻光球と壁の魔灯石によって闇から浮かび上がったそれらは、漆黒で全身を染め上げられた骸骨の戦士達だった。

「【影成る骨人シャドウ・ボーナー】!?」

 師匠から聴いたことがある。魔素エネルギーによって生まれた、影の魔物。【ノン・スピリット】と同じく、純然たる魔力の落とし子。

 姿形としては黒い骸骨そのものだが、影に紛れての移動が可能で、両腕に当たる部分はそれぞれ鋭利な刺突状の刃物と平べったい盆のような形状に変化している。それらは見たまま剣と盾の役割を果たし、白兵戦を得意とするまさに生まれながらの戦士!

 その黒い骸骨戦士の群れが、シェーナ目掛けて殺到したのである。各々の右腕に取り付けられた影の剣が、シェーナの白い肌をズタズタにせんと三方から突き出された。

「危ないっっ!!」

 どうにもならないと理解していながら、それでも叫んだ。【シャドウ・ボーナー】達の動きは疾く、援護しようにも間に合わない。後ろから見えるシェーナの両手は、しっかりと刀の柄に掛けられている。あれでは聖術も間に合わないだろう。大切な親友の変わり果てた姿を脳裏に幻視して、私の全身から血の気が引いた。

 絶望感で満たされる中、時間がやけにゆっくりになったように錯覚する。全ての動きが、まるで残像を伴ったかのように緩やかで、嫌という程はっきり見えた。

「ふっ――!」

 シェーナの長い髪が逆立ち、その身体が沈んだ。酷く緩慢な時の流れの中、彼女の身体は滑るように横に移動し、右側から迫る【シャドウ・ボーナー】の姿と交錯する。

 影の骸骨の身体をすり抜け、片足を伸ばした姿勢で停止するシェーナ。斜め右上に振り上げられた右手には、しっかりと刀が握られている。

 ――そして、全ての時間は再び速さを取り戻す。

『ァァァァ……!?』

 シェーナとすれ違った【シャドウ・ボーナー】が、断末魔の叫びを上げながら崩折れる。地に倒れ伏す直前のそいつの身体は、胴の辺りから真っ二つに分かれていた。

『…………!?』

 討ち取ったと思った獲物が、逆に自分達の一角を崩したことに動揺の色を隠せない残りの骸骨達。

「そのようなぬるい不意打ち、通用すると思うなっ!!」

 キレの良い啖呵と共に、シェーナが動いた。片手での抜き打ちから速やかに両手での構えに移り、彼女の手の動きに合わせて銀色の刃が踊るように跳ねる。

 そしてその刀身は、そのまま流れるように最も近くに居た【シャドウ・ボーナー】の一体に打ち込まれた。

 左手の盾で受ける間もなく、刀によってその身を斬られて力無く倒れる黒い骸骨。骨とは言っても、魔力によって形作られた影の肉体だ。本物の人骨より強度は脆い。

「うおおおお!!」

 斃した魔物を踏み越えて、気合いを発するシェーナ。

 そこまで見届けて、私はようやく呼吸することを思い出した。

「あはっ……! はあ、はあ、はあ……っ!」

 良かった、シェーナは生きてた――! 【シャドウ・ボーナー】達の一斉攻撃を難なく交わし、華麗に反撃に転じたシェーナの姿を、私は感動すら覚えながら見つめていた。

 彼女はもう、れっきとした守護聖騎士。その認識が、ようやく実感を伴って心身に浸透していく。私は今、この時程あの幼馴染みにして一番の親友を頼もしく思ったことは無いだろう。

「デイアン殿、カティア!」

 途切れることなく刀を振るいつつ、シェーナがその二人の名を呼ぶ。ほぼ同時に、【シャドウ・ボーナー】達の背後に二人の姿が現れた。

「こっちにも居るぞ!」

「シェーナばかりに気を取られすぎ!」

 死角から【シャドウ・ボーナー】達へ迫る白刃。デイアンさんの二振りの短剣が一体の頸部を両断し、カティアさんの直剣が別の一体の胸骨を斬り裂く。

 二人の活躍により、瞬く間に二体の黒い骸骨が斃された。

『ギィィ……!』

 悔しそうにむき出しの歯を擦り合わせる残りの骸骨達。だが、その数はまだまだ残っている。土塁の裏側から、今も次々と湧いてくるのだ。

 だが、それを見てもシェーナは怯まない。

「数に頼れば勝てるとでも? 甘いッ! 我が【リョス・ヒュム】のスキル、見るが良い!!」

 覇気を漲らせた咆哮と共に、シェーナの全身が淡く光り始めた。
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