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第二章
第二十三話 オーロラ・ウォール
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翌朝、私とシェーナはほぼ同時に目覚めた。私は元来あまり朝に強い方では無かったが、冒険者として過ごす内に少しずつそれも克服してきたのだ。今ではシェーナの手を煩わすこともなく、こうして自力で早起き出来る。
手早く身支度を整えて二人で食堂に降りてみると、店主がテーブルに残された食器類を片付けているところだった。どうやらギシュールさんとサイラスさんは先に朝食を済ませて既に出発したようだ。
私とシェーナも適当なテーブルに座り、店主に朝食の用意をお願いする。昨夜の内に仕込みをしていたのか、それほど待たされることもなく店主は食事を運んできてくれた。
窓から差し込む柔らかい朝日を浴びつつ、シェーナと一緒に朝食を摂る。葉物野菜を刻んで煮込んだスープと、ライ麦で作られたパン、それに山羊の乳を固めて作ったチーズという簡素なものだ。これから仕事なので多少重くてもガッツリ食べておきたい気持ちが無いでは無いが、贅沢は言えない。用意してくれた店主に感謝しつつ、黙々と完食した。
――ゴーン……! ゴーン……! ゴーン……!
スープの最後の一滴を飲み干すと同時に、アヌルーンの街から朝の鐘が鳴り響く。イル=サント大教会が誇る長高な大鐘楼から放たれた時報の音は、此処イミテ村にもしっかり届いていた。
「腹拵えも済んだことだし、行きましょうかシッスル」
荘厳な鐘の音にしばらく耳を傾け、それが鳴り止むのを見計らってシェーナが言った。勿論、私に否やはない。
「ごちそうさまでした、とても美味しかったです」
二人で店主にお礼を言い、その足で私達は【オーロラ・ウォール】へと向けて歩き出した。
「出来るだけ急いだ方が良いよね? ギシュールさん達を待たせるのも悪いし」
「協力を頼んできたのは向こうなんだから、こっちが気を使う必要は無い……と言いたいところだけどね。総長閣下が直々にこの件を取り仕切っている以上、私達も相応の誠意を尽くさないといけないわ。間に立っているのがあの魔術士というのがどうにも癪だけど」
「シェーナ、なんかカリカリしてない? 朝ごはん足りなかった?」
「人を大食らいみたいに言わないで。むしろあれくらいの量で丁度良いわよ。食べ過ぎて動きが鈍る、なんて醜態は晒したくないし」
「ギシュールさん達の前なら、余計に?」
「そう。サイラス殿が付いているし、信用してないということでもないけど、無闇に隙を見せるつもりはさらさら無いわ」
「あはは、流石騎士様だね」
「当然。騎士の心得その十二、“危険性に対する評価は慎重かつ厳正に”、よ」
普段通りの他愛ない会話。ただ、それがどこかぎこちない。私もシェーナも、無理をして普段通りに振る舞おうとしている。
「……オーロラの秘密が分かれば、あの日の【捷疾鬼】についても判明するのかな?」
ポツリと零した問いかけに、シェーナは沈黙で答えた。
「あの時、私は何も出来なかった。その所為で、デイアンさんが犠牲になった。一日だって忘れたことは無いよ。私にとって、あの件は何も終わっていない。だから……!」
「あなたにとって、じゃないわ。誰にとってもそうよ」
シェーナは私の方を見ずにピシャリと言い切った。
「シッスル、私達がやるべきことは何?」
「え? それは、デイアンさんの仇を取ること……」
反射的にそう言おうとして、すぐ愚かさに気付く。私は言葉を切り、首を振った。
「ううん、マゴリア教国を脅かす魔族の脅威を排除して、秩序を取り戻すこと」
「その通りよ」
我が意を得たり、とシェーナが頷く。
「冒険者であろうと、守護聖騎士であろうと、その目指すところは何ら変わらない。私達は、日々の平和を維持するために戦っているの。冒険者になりたいと言ったあなたを止めなかったのは、そうした理由からよ。だからシッスル、私情に囚われないで。あなたの決断に従ったことを、後悔させないで」
「シェーナ……。うん、分かったよ。もう仇討ちがしたいなんて言わない」
シェーナの言いたいことを理解した私は、心からの思いを込めてそう返事をした。
目的を履き違えてはいけない。自分の失敗のみに視野を絞って、全体を見ることを怠ってはならない。
私達は、この世界を守るために戦っているのだから。
◆◆◆
近くで見るオーロラは、一層綺麗で神秘的に見えた。
穏やかに波打つ長大な光のカーテンは、その裾を大地にまで下ろして流動的な境界線を形作っている。こうも巨大な光の壁がウネウネと動く有様を眼前に突き付けられれば、普通は気持ちが悪くなりそうなものだ。だが不思議なことに、この【オーロラ・ウォール】に対しては一切そんな感情が湧かない。むしろ、ずっと見ていると大いなる安心感に包まれて眠くなりそうな感覚すらある。子供の頃からずっと見ているものだから、身体も心も慣れてしまっているからだろうか?
「やあ、おいでくださいましたね」
眩い光の銀幕に目を奪われていると、横からとぼけた感じの男の声が聴こえた。
「こうやって間近で見ると改めてその巨大さに圧倒されますねえ。この何処までも続くオーロラが、外の脅威からあっしらを護ってくださるって寸法だ」
ギシュールさんは腰に手を当て、そこはかとなく不遜な雰囲気を全身で醸し出しながら私達と同じようにオーロラを見上げていた。隣に立つサイラスさんは、対象的に畏敬の念が籠もった眼差しをしていた。
「もっとも、目に見える防ぐべき脅威ってのは外じゃなく、地下にあるもんなんですがね」
「ギシュールさんは、オーロラが嫌いなんですか?」
彼の物言いに嫌味を感じて、私は何気なく訊いてみた。すると彼はニヤリと口元に笑みを浮かべて私に向き直る。
「シッスルさん、あんた大人しそうな風貌をしていながら中々どうして鋭いですねぇ。ご指摘の通り、あっしはこのオーロラがそんなに好きじゃございやせん。オーロラのことを研究しようと思ったのも、こいつが隠している真実ってやつが何なのか暴いてやりたいって気持ちからくるものでさぁ」
「オーロラが隠している、真実……?」
一瞬、何故かゾッとしたものが背筋を駆け抜けた。気持ちの乱れを悟られないよう、努めて平静な顔を作りながら私はギシュールさんの言葉を復唱する。
「聞き捨てならないなギシュール殿。【オーロラ・ウォール】に対する暴言は教国国教会に対する不敬、総主教聖下に対する不敬に繋がる。余計な罪過を招きたくないのなら、少しは口を慎むべきだ」
眦を上げたシェーナが私達の会話に割り込んでくる。私が師匠の元から独り立ちした日に、オーロラを『あんなもの』扱いしていたことはすっかり忘れているようだ。もしくは、本音と建前というやつか。
「シェーナ殿の言う通りだぞギシュール。あまり口が過ぎるようなら、俺は守護聖騎士としての職務を遂行しなくてはならなくなる。そんなことをさせないでくれ」
シェーナに続くように、サイラスさんも非難の声を上げた。
「おっとっと、誤解しないでくださいよ。敬虔な守護聖騎士殿らの信仰心にケチをつけようってつもりはありやせんや」
それほど慌てた様子もなく、ギシュールさんは降参というように両手を上げてみせた。
「ただねぇ、あんたらも気になったことってありやせんか? このオーロラの先がどうなっているんだろうって」
「オーロラの先? 普通にマゴリア教国の土地が広がっているんじゃないですか?」
「ま、普通に考えれば、ね。でもねぇシッスルさん、それだとちょいとばかし辻褄が合わないトコがあるんでさぁ」
「……というと?」
いまいち要領を得ず、私は首を傾げた。ギシュールさんの言う“辻褄の合わないこと”って何だろう?
「現在、アヌルーンの街の人口がどれだけ居るかご存知ですかい?」
「およそ二十五万だ、常識だろう?」
フン、と鼻を鳴らして答えたのはシェーナだ。ギシュールさんは彼女に向き直ると一度大きく頷いてみせた。
「その通り、流石に首都というだけあって街の規模は大したもんです。じゃあ、その二十五万の国民が毎日食べる食料って一体どれ程の量になります?」
「それは……」
意外な言葉に、シェーナの語気が萎んだ。そこに畳み掛けるようにギシュールさんが続ける。
「アヌルーンでは、農業や畜産といった第一次産業は殆どやっておりやせん。食物の生産は、あっしらが居たイミテ村のような周辺の村々に任されています。ところが、それだと計算が合わないんですよ。【オーロラ・ウォール】内部に存在する全ての村落の生産力を総合しても、アヌルーンの街が抱える人口を養っていけるレベルには到底到達していやせん」
「た、確かに私の父も昔、自分達以外の農家が少ないと溢していた記憶はあるが……!」
シェーナの実家は、アヌルーン郊外で農家を営んでいる。私も何度か収穫した野菜類を街に卸しに行く彼女達に付き添った覚えがあるが、確かに付近では他の農家を見かけたことは少なかった。
「ギシュール、お前は何が言いたいんだ?」
サイラスさんが苛立ちも露わに先を促す。
「【オーロラ・ウォール】が囲むこの地方一帯、つまりは首都圏のみでの自給自足は事実上出来ないってこってす。勿論、農林畜産といったものの他に狩りや採集で糧を得るといった方法も確かに存在しやすが、それでも足りない。あっしらアヌルーン市民が生きていくためには、常に何処かから食料を補給してくる必要がありやす。さて、じゃあそれは一体何処から来てるんです?」
「決まっているだろう、オーロラの外からだ」
「そう教えられてきたんでしょうね、昔からずっと。だけどねぇサイラス、あんた鍛錬とかに明け暮れてばかりいないでもうちょい自分の生活基盤にも興味を持った方が良いですよ」
「余計なお世話だ。俺は騎士で、学者じゃない。【エクスペリメンツ】で嬉々として古文書とにらめっこする毎日など、望んでもいない」
「学問に打ち込んでいれば、自然と“疑う”ってことを覚えるもんでさ。そうしてあっしはオーロラに疑いを持ち、街の運営体制に疑いを持ち、この国そのものに疑いを持った」
「なんだと!? おい、流石に言って良いことと悪いことが……!」
「皆さんにお訊きしやすが、オーロラを出入りする荷馬車やら行商人やらって見たことありやす?」
ギシュールさんは、顔色を変えたサイラスさんを無視して私達を見渡した。私とシェーナは困惑した顔を合わせて同時に彼へと目を戻す。
「いいえ、ありません」
「私も実際にそうした光景を目にしたことは無い」
私達の答えに、ギシュールさんは大きく頷く。
「この【オーロラ・ウォール】は首都圏を囲む光の防壁。ですが、何処かに外と内を繋ぐ道がある筈なんです。アヌルーンが自給自足出来ないとなれば尚更ね。ところが、いくら調べてもそうした道があると記した公文書は出てこない。食料を運ぶ輸送隊がオーロラを越えて入ってきたという記録も無い」
「機密事項なんだろう。オーロラの役割を考えれば、外に繋がる通路の存在を隠そうとするのは何らおかしな話じゃない。ましてや一介の魔術士に閲覧が許可された範囲で、そうした公式記録が出てくるとも思えんぞ」
サイラスさんの言うことは正論に聴こえた。オーロラが首都圏の防衛機構として考えられているなら、外部とのやり取りは秘密裡に行われて然るべきだろう。ギシュールさんは元より、政治とは縁のない私達のような下っ端存在がおいそれと知ることは不可能だ。上位聖職者、それこそ教国国教会の主要メンバーとかなら話は別なのだろうが。
……ひとり、脳裏に浮かぶ顔がある。ギシュールさんのこの、何処か自説に自信を持っている態度からそれは見えてくる。
「無論、常識的に考えればサイラスの方が正しいでしょうね。当のあっしとて、今言ったような疑問は陰謀論めいた妄想として頭の片隅でこっそり腐らせておくつもりでしたよ……先日までは」
ギシュールさんの目が鋭さを増した。昨夜の、酒に酔っていただらしない姿をすっぱり一刀両断するような雰囲気の変化に、私は息を呑む。
「ええそうです。あっしの疑問に賛同して下さった方が居たんですよ。シッスルさん、誰だかお分かりでしょう?」
「……ウィンガート総長、ですね?」
頷く代わりに、ギシュールさんは口角をこれ以上無い程に吊り上げて会心の笑みを浮かべた。
「嬉しかったですよ、守護聖騎士団の総長閣下も同じお考えだと分かって。あっしはあの人に心底惚れました。あの人を同士と呼べて、志を共に出来るなら、死んでも悔いはないって思いやしたね」
「お、おいギシュール!」
サイラスさんが慌てた様子で食ってかかった。
「お前、一体何を調べるつもりなんだ? 件のダンジョンに現れた謎の光と、この【オーロラ・ウォール】の因果関係を調査するという【任務】では無かったのか!?」
「ええそうですよサイラス。あんたが何を焦っているのか知りやせんが、今のあっしの話はちゃーんと今回の【任務】にガッチリ噛み合いますんで、悪しからずっすわ」
「どういうことなのだ? 私達にも分かるように説明してほしい、ギシュール殿」
「リョス・ヒュムの騎士殿も随分規律や規則に忠実でいらっしゃるようですからね、まだお察し頂けないのも無理はございやせん。ただ、相方の魔術士殿はもう大方の見当はついておられるようですね」
シェーナが私の方に振り返る。少しだけ、彼女に目線を送ってから私はギシュールさんの前に一歩進み出た。
「ギシュールさん。さっき貴方は、“オーロラの外にマゴリア教国の国土があるなら辻褄が合わない”と言っていましたよね? その意味って、まさか……」
「流石、あっしのお仲間だ。その通りですよ、シッスルさん」
ギシュールさんは、未だ疑問符で頭を埋め尽くされている二人の守護聖騎士に向かって、芝居がかった仕草で両手を広げた。
「この【オーロラ・ウォール】が、世界の果てを示す境界線だと言ったら――あんたら、信じますか?」
手早く身支度を整えて二人で食堂に降りてみると、店主がテーブルに残された食器類を片付けているところだった。どうやらギシュールさんとサイラスさんは先に朝食を済ませて既に出発したようだ。
私とシェーナも適当なテーブルに座り、店主に朝食の用意をお願いする。昨夜の内に仕込みをしていたのか、それほど待たされることもなく店主は食事を運んできてくれた。
窓から差し込む柔らかい朝日を浴びつつ、シェーナと一緒に朝食を摂る。葉物野菜を刻んで煮込んだスープと、ライ麦で作られたパン、それに山羊の乳を固めて作ったチーズという簡素なものだ。これから仕事なので多少重くてもガッツリ食べておきたい気持ちが無いでは無いが、贅沢は言えない。用意してくれた店主に感謝しつつ、黙々と完食した。
――ゴーン……! ゴーン……! ゴーン……!
スープの最後の一滴を飲み干すと同時に、アヌルーンの街から朝の鐘が鳴り響く。イル=サント大教会が誇る長高な大鐘楼から放たれた時報の音は、此処イミテ村にもしっかり届いていた。
「腹拵えも済んだことだし、行きましょうかシッスル」
荘厳な鐘の音にしばらく耳を傾け、それが鳴り止むのを見計らってシェーナが言った。勿論、私に否やはない。
「ごちそうさまでした、とても美味しかったです」
二人で店主にお礼を言い、その足で私達は【オーロラ・ウォール】へと向けて歩き出した。
「出来るだけ急いだ方が良いよね? ギシュールさん達を待たせるのも悪いし」
「協力を頼んできたのは向こうなんだから、こっちが気を使う必要は無い……と言いたいところだけどね。総長閣下が直々にこの件を取り仕切っている以上、私達も相応の誠意を尽くさないといけないわ。間に立っているのがあの魔術士というのがどうにも癪だけど」
「シェーナ、なんかカリカリしてない? 朝ごはん足りなかった?」
「人を大食らいみたいに言わないで。むしろあれくらいの量で丁度良いわよ。食べ過ぎて動きが鈍る、なんて醜態は晒したくないし」
「ギシュールさん達の前なら、余計に?」
「そう。サイラス殿が付いているし、信用してないということでもないけど、無闇に隙を見せるつもりはさらさら無いわ」
「あはは、流石騎士様だね」
「当然。騎士の心得その十二、“危険性に対する評価は慎重かつ厳正に”、よ」
普段通りの他愛ない会話。ただ、それがどこかぎこちない。私もシェーナも、無理をして普段通りに振る舞おうとしている。
「……オーロラの秘密が分かれば、あの日の【捷疾鬼】についても判明するのかな?」
ポツリと零した問いかけに、シェーナは沈黙で答えた。
「あの時、私は何も出来なかった。その所為で、デイアンさんが犠牲になった。一日だって忘れたことは無いよ。私にとって、あの件は何も終わっていない。だから……!」
「あなたにとって、じゃないわ。誰にとってもそうよ」
シェーナは私の方を見ずにピシャリと言い切った。
「シッスル、私達がやるべきことは何?」
「え? それは、デイアンさんの仇を取ること……」
反射的にそう言おうとして、すぐ愚かさに気付く。私は言葉を切り、首を振った。
「ううん、マゴリア教国を脅かす魔族の脅威を排除して、秩序を取り戻すこと」
「その通りよ」
我が意を得たり、とシェーナが頷く。
「冒険者であろうと、守護聖騎士であろうと、その目指すところは何ら変わらない。私達は、日々の平和を維持するために戦っているの。冒険者になりたいと言ったあなたを止めなかったのは、そうした理由からよ。だからシッスル、私情に囚われないで。あなたの決断に従ったことを、後悔させないで」
「シェーナ……。うん、分かったよ。もう仇討ちがしたいなんて言わない」
シェーナの言いたいことを理解した私は、心からの思いを込めてそう返事をした。
目的を履き違えてはいけない。自分の失敗のみに視野を絞って、全体を見ることを怠ってはならない。
私達は、この世界を守るために戦っているのだから。
◆◆◆
近くで見るオーロラは、一層綺麗で神秘的に見えた。
穏やかに波打つ長大な光のカーテンは、その裾を大地にまで下ろして流動的な境界線を形作っている。こうも巨大な光の壁がウネウネと動く有様を眼前に突き付けられれば、普通は気持ちが悪くなりそうなものだ。だが不思議なことに、この【オーロラ・ウォール】に対しては一切そんな感情が湧かない。むしろ、ずっと見ていると大いなる安心感に包まれて眠くなりそうな感覚すらある。子供の頃からずっと見ているものだから、身体も心も慣れてしまっているからだろうか?
「やあ、おいでくださいましたね」
眩い光の銀幕に目を奪われていると、横からとぼけた感じの男の声が聴こえた。
「こうやって間近で見ると改めてその巨大さに圧倒されますねえ。この何処までも続くオーロラが、外の脅威からあっしらを護ってくださるって寸法だ」
ギシュールさんは腰に手を当て、そこはかとなく不遜な雰囲気を全身で醸し出しながら私達と同じようにオーロラを見上げていた。隣に立つサイラスさんは、対象的に畏敬の念が籠もった眼差しをしていた。
「もっとも、目に見える防ぐべき脅威ってのは外じゃなく、地下にあるもんなんですがね」
「ギシュールさんは、オーロラが嫌いなんですか?」
彼の物言いに嫌味を感じて、私は何気なく訊いてみた。すると彼はニヤリと口元に笑みを浮かべて私に向き直る。
「シッスルさん、あんた大人しそうな風貌をしていながら中々どうして鋭いですねぇ。ご指摘の通り、あっしはこのオーロラがそんなに好きじゃございやせん。オーロラのことを研究しようと思ったのも、こいつが隠している真実ってやつが何なのか暴いてやりたいって気持ちからくるものでさぁ」
「オーロラが隠している、真実……?」
一瞬、何故かゾッとしたものが背筋を駆け抜けた。気持ちの乱れを悟られないよう、努めて平静な顔を作りながら私はギシュールさんの言葉を復唱する。
「聞き捨てならないなギシュール殿。【オーロラ・ウォール】に対する暴言は教国国教会に対する不敬、総主教聖下に対する不敬に繋がる。余計な罪過を招きたくないのなら、少しは口を慎むべきだ」
眦を上げたシェーナが私達の会話に割り込んでくる。私が師匠の元から独り立ちした日に、オーロラを『あんなもの』扱いしていたことはすっかり忘れているようだ。もしくは、本音と建前というやつか。
「シェーナ殿の言う通りだぞギシュール。あまり口が過ぎるようなら、俺は守護聖騎士としての職務を遂行しなくてはならなくなる。そんなことをさせないでくれ」
シェーナに続くように、サイラスさんも非難の声を上げた。
「おっとっと、誤解しないでくださいよ。敬虔な守護聖騎士殿らの信仰心にケチをつけようってつもりはありやせんや」
それほど慌てた様子もなく、ギシュールさんは降参というように両手を上げてみせた。
「ただねぇ、あんたらも気になったことってありやせんか? このオーロラの先がどうなっているんだろうって」
「オーロラの先? 普通にマゴリア教国の土地が広がっているんじゃないですか?」
「ま、普通に考えれば、ね。でもねぇシッスルさん、それだとちょいとばかし辻褄が合わないトコがあるんでさぁ」
「……というと?」
いまいち要領を得ず、私は首を傾げた。ギシュールさんの言う“辻褄の合わないこと”って何だろう?
「現在、アヌルーンの街の人口がどれだけ居るかご存知ですかい?」
「およそ二十五万だ、常識だろう?」
フン、と鼻を鳴らして答えたのはシェーナだ。ギシュールさんは彼女に向き直ると一度大きく頷いてみせた。
「その通り、流石に首都というだけあって街の規模は大したもんです。じゃあ、その二十五万の国民が毎日食べる食料って一体どれ程の量になります?」
「それは……」
意外な言葉に、シェーナの語気が萎んだ。そこに畳み掛けるようにギシュールさんが続ける。
「アヌルーンでは、農業や畜産といった第一次産業は殆どやっておりやせん。食物の生産は、あっしらが居たイミテ村のような周辺の村々に任されています。ところが、それだと計算が合わないんですよ。【オーロラ・ウォール】内部に存在する全ての村落の生産力を総合しても、アヌルーンの街が抱える人口を養っていけるレベルには到底到達していやせん」
「た、確かに私の父も昔、自分達以外の農家が少ないと溢していた記憶はあるが……!」
シェーナの実家は、アヌルーン郊外で農家を営んでいる。私も何度か収穫した野菜類を街に卸しに行く彼女達に付き添った覚えがあるが、確かに付近では他の農家を見かけたことは少なかった。
「ギシュール、お前は何が言いたいんだ?」
サイラスさんが苛立ちも露わに先を促す。
「【オーロラ・ウォール】が囲むこの地方一帯、つまりは首都圏のみでの自給自足は事実上出来ないってこってす。勿論、農林畜産といったものの他に狩りや採集で糧を得るといった方法も確かに存在しやすが、それでも足りない。あっしらアヌルーン市民が生きていくためには、常に何処かから食料を補給してくる必要がありやす。さて、じゃあそれは一体何処から来てるんです?」
「決まっているだろう、オーロラの外からだ」
「そう教えられてきたんでしょうね、昔からずっと。だけどねぇサイラス、あんた鍛錬とかに明け暮れてばかりいないでもうちょい自分の生活基盤にも興味を持った方が良いですよ」
「余計なお世話だ。俺は騎士で、学者じゃない。【エクスペリメンツ】で嬉々として古文書とにらめっこする毎日など、望んでもいない」
「学問に打ち込んでいれば、自然と“疑う”ってことを覚えるもんでさ。そうしてあっしはオーロラに疑いを持ち、街の運営体制に疑いを持ち、この国そのものに疑いを持った」
「なんだと!? おい、流石に言って良いことと悪いことが……!」
「皆さんにお訊きしやすが、オーロラを出入りする荷馬車やら行商人やらって見たことありやす?」
ギシュールさんは、顔色を変えたサイラスさんを無視して私達を見渡した。私とシェーナは困惑した顔を合わせて同時に彼へと目を戻す。
「いいえ、ありません」
「私も実際にそうした光景を目にしたことは無い」
私達の答えに、ギシュールさんは大きく頷く。
「この【オーロラ・ウォール】は首都圏を囲む光の防壁。ですが、何処かに外と内を繋ぐ道がある筈なんです。アヌルーンが自給自足出来ないとなれば尚更ね。ところが、いくら調べてもそうした道があると記した公文書は出てこない。食料を運ぶ輸送隊がオーロラを越えて入ってきたという記録も無い」
「機密事項なんだろう。オーロラの役割を考えれば、外に繋がる通路の存在を隠そうとするのは何らおかしな話じゃない。ましてや一介の魔術士に閲覧が許可された範囲で、そうした公式記録が出てくるとも思えんぞ」
サイラスさんの言うことは正論に聴こえた。オーロラが首都圏の防衛機構として考えられているなら、外部とのやり取りは秘密裡に行われて然るべきだろう。ギシュールさんは元より、政治とは縁のない私達のような下っ端存在がおいそれと知ることは不可能だ。上位聖職者、それこそ教国国教会の主要メンバーとかなら話は別なのだろうが。
……ひとり、脳裏に浮かぶ顔がある。ギシュールさんのこの、何処か自説に自信を持っている態度からそれは見えてくる。
「無論、常識的に考えればサイラスの方が正しいでしょうね。当のあっしとて、今言ったような疑問は陰謀論めいた妄想として頭の片隅でこっそり腐らせておくつもりでしたよ……先日までは」
ギシュールさんの目が鋭さを増した。昨夜の、酒に酔っていただらしない姿をすっぱり一刀両断するような雰囲気の変化に、私は息を呑む。
「ええそうです。あっしの疑問に賛同して下さった方が居たんですよ。シッスルさん、誰だかお分かりでしょう?」
「……ウィンガート総長、ですね?」
頷く代わりに、ギシュールさんは口角をこれ以上無い程に吊り上げて会心の笑みを浮かべた。
「嬉しかったですよ、守護聖騎士団の総長閣下も同じお考えだと分かって。あっしはあの人に心底惚れました。あの人を同士と呼べて、志を共に出来るなら、死んでも悔いはないって思いやしたね」
「お、おいギシュール!」
サイラスさんが慌てた様子で食ってかかった。
「お前、一体何を調べるつもりなんだ? 件のダンジョンに現れた謎の光と、この【オーロラ・ウォール】の因果関係を調査するという【任務】では無かったのか!?」
「ええそうですよサイラス。あんたが何を焦っているのか知りやせんが、今のあっしの話はちゃーんと今回の【任務】にガッチリ噛み合いますんで、悪しからずっすわ」
「どういうことなのだ? 私達にも分かるように説明してほしい、ギシュール殿」
「リョス・ヒュムの騎士殿も随分規律や規則に忠実でいらっしゃるようですからね、まだお察し頂けないのも無理はございやせん。ただ、相方の魔術士殿はもう大方の見当はついておられるようですね」
シェーナが私の方に振り返る。少しだけ、彼女に目線を送ってから私はギシュールさんの前に一歩進み出た。
「ギシュールさん。さっき貴方は、“オーロラの外にマゴリア教国の国土があるなら辻褄が合わない”と言っていましたよね? その意味って、まさか……」
「流石、あっしのお仲間だ。その通りですよ、シッスルさん」
ギシュールさんは、未だ疑問符で頭を埋め尽くされている二人の守護聖騎士に向かって、芝居がかった仕草で両手を広げた。
「この【オーロラ・ウォール】が、世界の果てを示す境界線だと言ったら――あんたら、信じますか?」
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