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第二章
第二十六話 壁が為に鐘は鳴る
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「シェーナ、まだ痛む?」
「いや、サイラス殿のお陰で大分落ち着いてきたわ。ありがとう、シッスル」
返ってきた声に活力と気丈さを感じ、私は一先ず胸を撫で下ろした。傍でシェーナに治癒の聖術を掛けていたサイラスさんも、「もう大丈夫だろう」と頷いてかざしていたクリスタルを仕舞った。
「サイラスさん、シェーナを助けてくれて本当にありがとうございます!」
「いや何、礼を言われることでも無いよ。シェーナ殿は同僚だし、使命をともにする仲間だ。守護聖騎士団の一員として、見捨ててはおけん」
サイラスさんは照れたようにはにかむと、表情を引き締めて横たわるシェーナに顔を向けた。
「ただし、シェーナ殿も分かっているだろうがこれはあくまで応急処置だ。アヌルーンに戻ったら、すぐに専門の治癒騎士に診てもらった方が良い。あれだけ腹を強かに打っていたんだ、内臓も無傷とは言えないかも知れん」
「ああ、分かっている。治癒騎士についてはアテがある、帰ったらすぐに頼ってみるさ」
今はもう平気だ、とアピールするかのように手をひらひらと振りながら、シェーナが上体を起こそうとする。
「シェーナ、無理しないでまだ横になっていた方が……!」
「心配しないで、シッスル。動く分には支障が無いから。それよりも、あっちよ」
シェーナが指差した先を、私は目で追った。
そこには、焼け焦げてもくもくと煙を放っているガーゴイルの死骸と、その傍らにしゃがみ込んで何やら調べているギシュールさんの姿がある。先程からずっと、彼はこちらには全く無関心でああやって調査に耽っているのだ。
「あの薄情な男をこれ以上放置しておくわけにはいかないだろう。何を起きたのか、きちんと問い質さないと」
「同感だ」
押し殺した声でサイラスさんと二人して頷き合うと、シェーナはふらつきながらも自力で立ち上がってギシュールさんの方へと歩いてゆく。私も仕方なく、二人の後に続いた。
「どうだ、総長閣下がお喜びになりそうな収穫はあったか、ギシュール殿?」
「正直予想以上でしたねぇ。このガーゴイルのサンプルは凄く興味深い。【エクスペリメンツ】に持ち帰ってじっくり調べるとしますよ。それもこれもシッスルさんのお陰ですよ、改めて礼をいいやす」
シェーナの皮肉を軽く流して、ギシュールさんは不敵な眼差しを私へ向けた。
「わ、私ですか!?」
「何驚いてんですかい。あんたがあのオーロラ・ウォールに風穴を空けてくれたんですよ。あっしの仮説を証明するのに一番大きな役割を果たしてくれたのは、あんただ」
私達は、揃ってガーゴイルが出てきたオーロラの裂け目へと目をやった。『V』の字にぱっくりと割れたオーロラの向こうには、やはりあの全てを呑み込んでしまいそうなおぞましい闇が渦巻いている。今にも裂け目からこちらへ這い出してきそうな気がして、私は大きく身震いした。
「こんなことはあり得ない……。ああ、主よ、どうか護り給え……」
サイラスさんは、自分の見ているものを否定してほしいと言わんばかりに神へ祈りを捧げている。正直、彼の気持ちは良く分かる。信心深い方ではないと自覚している私でさえ、今は心から神の慈悲とやらに縋りたい気持ちだ。
オーロラの向こうにあるのは、マゴリア教国の国土なんかじゃない。ギシュールさんが言っていたことが正しかったのだ。
「オーロラ・ウォールは、まぼろし……」
私は誰にともなく呟いた。『天光の輪』とさえ呼ばれていた光の銀幕は、私達とこの闇とを隔てる壁だった。幻術を破る私の呪文で、こうもあっさりと崩れる程に脆いものだったのだ。
「ギシュール殿、教えてほしい。私達が直面している、この事態は何なのだ?」
普段は強気なシェーナも、流石に動揺を抑え切れないらしい。何かに追い立てられるかのように何度もオーロラとギシュールさんを見比べている。
「オーロラはシッスルの魔術で破れた、何故? 破れたオーロラから出てきたガーゴイルにも魔術が効いていた、何故? オーロラの先に蠢いている、あの果てしない闇は何だと言うのだ……!?」
矢継ぎ早にまくし立てる彼女の顔に、余裕は全くと言っていいほど無かった。彼女の気持ちも痛いほどに分かる。目の前の現実をどう処理して良いのか分からないのは、私も同じだ。
「はい、はい、そんなに焦らんでもちゃんと説明しやすって。少し落ち着いてくんさい」
「私は落ち着いている!」
と、明らかに冷静さを欠いた声でシェーナが食って掛かった。彼女の怒気を飄々と受け流し、ギシュールさんはゆっくりと口を開いた。
「まずこのオーロラの正体ですが、見たまんまです。幻ですよ、こりゃあ。だからシッスルさんの放った、幻術を打ち破る呪文で割れたんです。ここまでは良いですかい?」
「良くないっ! そんな簡単に言われて『はいそうですか』と受け入れられるものか!」
「まぁ、気持ちは分かりやすがね。ちゃんと現実を見やしょう。じゃないと話が進みやせんよ」
「う、ぐぐ……!」
正論で諭されて、シェーナが悔しげに唇を噛む。認め難い現実に肩を震わせる親友の手を、私はそっと握った。
「シッスル……?」
「シェーナ、落ち着こう。大丈夫だから。私達の世界が、無くなっちゃうわけじゃないんだから」
シェーナの揺れる瞳が私を見た。その中で滾る、彼女の焦燥や苛立ちが段々と静まっていく。
「……ごめん。もう、平気よ」
「うん……大丈夫だからね? 私は、此処に居るからね?」
「ええ……ありがとう」
空いた方のシェーナの手が、繋いでいる私達の手に重なる。収まってゆく震えと共に、彼女の表情に僅かながら余裕が戻ってきた。
「取り乱して済まなかった、ギシュール殿。続きを聴かせてくれ」
「あいよ。オーロラが幻だとして、誰が、何の目的で創ったのか。最も肝心な点はそこにありやす」
ギシュールさんはウィンクと共に人差し指を立てて、それをそのまま割れたオーロラへと向けた。
「まぁ普通に考えりゃ、あのバカでっかい闇鍋とこっち側を分ける為でしょうね。オーロラを創った奴は、この世界が彼処で途切れていると知っていたんだ。だから隠す必要があった。内側で暮らすあっしらが何も知らず、自分の天分とやらを全うして生きられるように。オーロラっていう、特大の幻で現実を覆い隠そうとしたんですよ」
「でも……」
私は自分の頭上を見上げた。そこに広がるのは、果てしない青さを誇る大空だ。それはオーロラ・ウォールの高さをも超えて、遥か遠くへ続いているように見える。
「空はどうなんです? 確かにあの割れたオーロラの向こうにはあんなものがありますけど、オーロラの高さにも限度があります。私の目には、途切れたオーロラの上からあの青空は何処までも続いているように見えますよ?」
「それも説明できやすよ、シッスルさん。恐らくは、あれも幻なんでしょう」
ギシュールさんはこともなげに言った。
「見ての通り、オーロラは上に行くほど薄くなり、ある地点から見えなくなって空模様に切り替わりやす。だけどね、あくまでも肉眼では見えなくなったってだけで、実際は天高く何処までも伸びてるんだと思いやすぜ。オーロラ自体が幻だと言うなら、オーロラの先に広がる空模様も幻の賜物だとお思いになりやせん?」
「それ、は……」
「ま、その辺も検証してみないことには断言できやせんがね。どうです? あの辺の空にもう一発、さっきの呪文をぶっ放してみては?」
「いえ、やめておきます。それに第一、あの高さまでは届きません」
私は頭を振ってギシュールさんの提案を断った。“破幻”の魔法が届かないことは本当だが、それ以上に試すのが怖かったというのが本音だ。
「では、本当にあのオーロラで世界は切り離されているんだな?」
シェーナは、未だオーロラに向かって一心不乱に祈りを捧げているサイラスさんに倣うように両手を組んで頭を垂れた。
「主よ、これも貴方の導きだと言うのですか……?」
「かも知れませんねぇ。なんたって神さんの名は主神ロノクス、万物には限度ってもんがあると我々にお示しになられた尊い大御神様だ。世界が此処で途切れているのも、案外“お限り様”の思し召しかもしれませんや」
自分に向けられた言葉では無いのに、ギシュールさんが喜々として横から茶々を入れる。シェーナの目蓋がピクリと動いたが、今度は彼女も耐えたようで冷静に切り替えした。
「このオーロラが主の思し召しだとして、そこから生まれたガーゴイルに魔術が効いたのは何故だ? 聖術が効かなかったのはまだ分かる。主が授け給うた力が、同じく主のお遣わしになった使徒に通用しないのは道理だ。だがそうであるなら、魔術であれば尚更……」
それは私も気になっていた。聖術は、魔素で構成されたものに対して非常に有効な手段だ。それと同質の力をあのガーゴイルが持っていたとするなら、私やギシュールさんだって本来は為すすべなくやられていたに違いない。
「同じ力を源としていても、同じ性質をそっくりそのまま保持していたわけじゃないってこってすよ」
今度も、ギシュールさんの答えは明快だった。彼はシェーナの首元で輝いているクリスタルを指差して続けた。
「そのクリスタルは聖術の触媒でしょ? そしてそれは、国教会から守護聖騎士となった者に授けられるやつだ。聖術ってのは間借りした神さんの力を、対魔術に特化するよう研究と研鑽を積み重ねて体系化されたもんなんですよ。そんな風に国教会が手を加えてるんだ、純正な神の力と必ずしも完全一致しているたぁ限らねえでしょう?」
「むぅ……!」
身も蓋もない言い方だが、ギシュールさんの説には説得力があった。それをシェーナも感じ取ったのか、彼女は不満げに低く唸りながらも反論はしなかった。
「ギシュールさん、これは本当にダンジョンでオーガが出現した件と関係あるんでしょうか?」
私は核心に触れた。ギシュールさんの目的であり、自分やシェーナにとっても目下一番知りたかったことだ。
「そこは、まだ断言出来やせん。ですが、さっきも言ったようにサンプルは手に入れやした。今日此処に来た目的は十二分に果たせたと思っていやす。これで大きく調査が進展するでしょう。何か分かったら、シッスルさんにもお教えしますよ」
ギシュールさんはニヤリと笑い、透明なガラスの容器を二つ取り出して私に見せた。片方にはガーゴイルの残骸と思しき破片が、もう片方には白い光を纏う金属粉のようなものが詰められている。
「あんたが割ったオーロラの破片、その辺にちょいちょい落ちてたんで有り難く回収させて頂きやした。ガーゴイルのものと合わせてじっくり調べてみやす。何か見えてくるのか、今から楽しみでなりませんや、クックック……」
「よろしくお願いします。私も、新しく調べてみたいことが出来ました。近い内に、また会いましょう」
オーロラが幻であると分かってから、ずっと頭の片隅でチラついていた考えがある。幻に関して誰よりも詳しい人、魔術士でありながら国から特別扱いを受けている人。
私の師にして親、サレナ・バーンスピアの顔がどんどん意識の中で大きくなっていった。
師匠に会わなければ。会って、これまでのことを説明して、彼女の考えを聴かなくては。
オーロラを見上げながら自分のやるべきことを見定めた私に、ギシュールさんは「へぇ……」と声を上げたが、特に追及することなく膝を払って立ち上がった。
「さて、ぼちぼち良い時間なんで、そろそろ解散といきやしょうか……お?」
ギシュールさんの声に被せるように、遠くから鐘の音が聴こえてきた。夕刻を報せる、アヌルーンの鐘。常に昼間のように明るいオーロラの近くに居たので気付かなかったけど、いつの間にか彼方の空は茜色に染まりつつあった。
――ゴーン……! ゴーン……! ゴーン……!
私達は誰ともなくその場に佇み、荘厳な鐘の音にじっと耳を傾けていた。時報であるその重厚な音色は、大変だった一日に安息をもたらしてくれる使者のようで……
「……え?」
そして、その“変化”は起きた。
見上げている私達の目の前で、割れたオーロラが閉じてゆく。まるでそこだけ時が逆戻りになっているのようで、破損した箇所が立ち所に修復されて空の傷口を埋めてゆく。亀裂の向こうで蠢いていた闇が少しずつ見えなくなり、やがて完全に視界から消えた。
「っ……!」
じくじくと頭が痛む。直ってゆくオーロラを見詰める私の目の奥で、アヌルーンの鐘が深く、強く共鳴している。
気付けば、初めから裂け目なんて存在しなかったかのように、オーロラ・ウォールは元の姿を完全に取り戻していた。
「鐘の音が、オーロラを直した……?」
未だ身体の中で鳴り響く鐘の音の幻を噛み締めながら、私は呻くような声を漏らしたのだった。
「いや、サイラス殿のお陰で大分落ち着いてきたわ。ありがとう、シッスル」
返ってきた声に活力と気丈さを感じ、私は一先ず胸を撫で下ろした。傍でシェーナに治癒の聖術を掛けていたサイラスさんも、「もう大丈夫だろう」と頷いてかざしていたクリスタルを仕舞った。
「サイラスさん、シェーナを助けてくれて本当にありがとうございます!」
「いや何、礼を言われることでも無いよ。シェーナ殿は同僚だし、使命をともにする仲間だ。守護聖騎士団の一員として、見捨ててはおけん」
サイラスさんは照れたようにはにかむと、表情を引き締めて横たわるシェーナに顔を向けた。
「ただし、シェーナ殿も分かっているだろうがこれはあくまで応急処置だ。アヌルーンに戻ったら、すぐに専門の治癒騎士に診てもらった方が良い。あれだけ腹を強かに打っていたんだ、内臓も無傷とは言えないかも知れん」
「ああ、分かっている。治癒騎士についてはアテがある、帰ったらすぐに頼ってみるさ」
今はもう平気だ、とアピールするかのように手をひらひらと振りながら、シェーナが上体を起こそうとする。
「シェーナ、無理しないでまだ横になっていた方が……!」
「心配しないで、シッスル。動く分には支障が無いから。それよりも、あっちよ」
シェーナが指差した先を、私は目で追った。
そこには、焼け焦げてもくもくと煙を放っているガーゴイルの死骸と、その傍らにしゃがみ込んで何やら調べているギシュールさんの姿がある。先程からずっと、彼はこちらには全く無関心でああやって調査に耽っているのだ。
「あの薄情な男をこれ以上放置しておくわけにはいかないだろう。何を起きたのか、きちんと問い質さないと」
「同感だ」
押し殺した声でサイラスさんと二人して頷き合うと、シェーナはふらつきながらも自力で立ち上がってギシュールさんの方へと歩いてゆく。私も仕方なく、二人の後に続いた。
「どうだ、総長閣下がお喜びになりそうな収穫はあったか、ギシュール殿?」
「正直予想以上でしたねぇ。このガーゴイルのサンプルは凄く興味深い。【エクスペリメンツ】に持ち帰ってじっくり調べるとしますよ。それもこれもシッスルさんのお陰ですよ、改めて礼をいいやす」
シェーナの皮肉を軽く流して、ギシュールさんは不敵な眼差しを私へ向けた。
「わ、私ですか!?」
「何驚いてんですかい。あんたがあのオーロラ・ウォールに風穴を空けてくれたんですよ。あっしの仮説を証明するのに一番大きな役割を果たしてくれたのは、あんただ」
私達は、揃ってガーゴイルが出てきたオーロラの裂け目へと目をやった。『V』の字にぱっくりと割れたオーロラの向こうには、やはりあの全てを呑み込んでしまいそうなおぞましい闇が渦巻いている。今にも裂け目からこちらへ這い出してきそうな気がして、私は大きく身震いした。
「こんなことはあり得ない……。ああ、主よ、どうか護り給え……」
サイラスさんは、自分の見ているものを否定してほしいと言わんばかりに神へ祈りを捧げている。正直、彼の気持ちは良く分かる。信心深い方ではないと自覚している私でさえ、今は心から神の慈悲とやらに縋りたい気持ちだ。
オーロラの向こうにあるのは、マゴリア教国の国土なんかじゃない。ギシュールさんが言っていたことが正しかったのだ。
「オーロラ・ウォールは、まぼろし……」
私は誰にともなく呟いた。『天光の輪』とさえ呼ばれていた光の銀幕は、私達とこの闇とを隔てる壁だった。幻術を破る私の呪文で、こうもあっさりと崩れる程に脆いものだったのだ。
「ギシュール殿、教えてほしい。私達が直面している、この事態は何なのだ?」
普段は強気なシェーナも、流石に動揺を抑え切れないらしい。何かに追い立てられるかのように何度もオーロラとギシュールさんを見比べている。
「オーロラはシッスルの魔術で破れた、何故? 破れたオーロラから出てきたガーゴイルにも魔術が効いていた、何故? オーロラの先に蠢いている、あの果てしない闇は何だと言うのだ……!?」
矢継ぎ早にまくし立てる彼女の顔に、余裕は全くと言っていいほど無かった。彼女の気持ちも痛いほどに分かる。目の前の現実をどう処理して良いのか分からないのは、私も同じだ。
「はい、はい、そんなに焦らんでもちゃんと説明しやすって。少し落ち着いてくんさい」
「私は落ち着いている!」
と、明らかに冷静さを欠いた声でシェーナが食って掛かった。彼女の怒気を飄々と受け流し、ギシュールさんはゆっくりと口を開いた。
「まずこのオーロラの正体ですが、見たまんまです。幻ですよ、こりゃあ。だからシッスルさんの放った、幻術を打ち破る呪文で割れたんです。ここまでは良いですかい?」
「良くないっ! そんな簡単に言われて『はいそうですか』と受け入れられるものか!」
「まぁ、気持ちは分かりやすがね。ちゃんと現実を見やしょう。じゃないと話が進みやせんよ」
「う、ぐぐ……!」
正論で諭されて、シェーナが悔しげに唇を噛む。認め難い現実に肩を震わせる親友の手を、私はそっと握った。
「シッスル……?」
「シェーナ、落ち着こう。大丈夫だから。私達の世界が、無くなっちゃうわけじゃないんだから」
シェーナの揺れる瞳が私を見た。その中で滾る、彼女の焦燥や苛立ちが段々と静まっていく。
「……ごめん。もう、平気よ」
「うん……大丈夫だからね? 私は、此処に居るからね?」
「ええ……ありがとう」
空いた方のシェーナの手が、繋いでいる私達の手に重なる。収まってゆく震えと共に、彼女の表情に僅かながら余裕が戻ってきた。
「取り乱して済まなかった、ギシュール殿。続きを聴かせてくれ」
「あいよ。オーロラが幻だとして、誰が、何の目的で創ったのか。最も肝心な点はそこにありやす」
ギシュールさんはウィンクと共に人差し指を立てて、それをそのまま割れたオーロラへと向けた。
「まぁ普通に考えりゃ、あのバカでっかい闇鍋とこっち側を分ける為でしょうね。オーロラを創った奴は、この世界が彼処で途切れていると知っていたんだ。だから隠す必要があった。内側で暮らすあっしらが何も知らず、自分の天分とやらを全うして生きられるように。オーロラっていう、特大の幻で現実を覆い隠そうとしたんですよ」
「でも……」
私は自分の頭上を見上げた。そこに広がるのは、果てしない青さを誇る大空だ。それはオーロラ・ウォールの高さをも超えて、遥か遠くへ続いているように見える。
「空はどうなんです? 確かにあの割れたオーロラの向こうにはあんなものがありますけど、オーロラの高さにも限度があります。私の目には、途切れたオーロラの上からあの青空は何処までも続いているように見えますよ?」
「それも説明できやすよ、シッスルさん。恐らくは、あれも幻なんでしょう」
ギシュールさんはこともなげに言った。
「見ての通り、オーロラは上に行くほど薄くなり、ある地点から見えなくなって空模様に切り替わりやす。だけどね、あくまでも肉眼では見えなくなったってだけで、実際は天高く何処までも伸びてるんだと思いやすぜ。オーロラ自体が幻だと言うなら、オーロラの先に広がる空模様も幻の賜物だとお思いになりやせん?」
「それ、は……」
「ま、その辺も検証してみないことには断言できやせんがね。どうです? あの辺の空にもう一発、さっきの呪文をぶっ放してみては?」
「いえ、やめておきます。それに第一、あの高さまでは届きません」
私は頭を振ってギシュールさんの提案を断った。“破幻”の魔法が届かないことは本当だが、それ以上に試すのが怖かったというのが本音だ。
「では、本当にあのオーロラで世界は切り離されているんだな?」
シェーナは、未だオーロラに向かって一心不乱に祈りを捧げているサイラスさんに倣うように両手を組んで頭を垂れた。
「主よ、これも貴方の導きだと言うのですか……?」
「かも知れませんねぇ。なんたって神さんの名は主神ロノクス、万物には限度ってもんがあると我々にお示しになられた尊い大御神様だ。世界が此処で途切れているのも、案外“お限り様”の思し召しかもしれませんや」
自分に向けられた言葉では無いのに、ギシュールさんが喜々として横から茶々を入れる。シェーナの目蓋がピクリと動いたが、今度は彼女も耐えたようで冷静に切り替えした。
「このオーロラが主の思し召しだとして、そこから生まれたガーゴイルに魔術が効いたのは何故だ? 聖術が効かなかったのはまだ分かる。主が授け給うた力が、同じく主のお遣わしになった使徒に通用しないのは道理だ。だがそうであるなら、魔術であれば尚更……」
それは私も気になっていた。聖術は、魔素で構成されたものに対して非常に有効な手段だ。それと同質の力をあのガーゴイルが持っていたとするなら、私やギシュールさんだって本来は為すすべなくやられていたに違いない。
「同じ力を源としていても、同じ性質をそっくりそのまま保持していたわけじゃないってこってすよ」
今度も、ギシュールさんの答えは明快だった。彼はシェーナの首元で輝いているクリスタルを指差して続けた。
「そのクリスタルは聖術の触媒でしょ? そしてそれは、国教会から守護聖騎士となった者に授けられるやつだ。聖術ってのは間借りした神さんの力を、対魔術に特化するよう研究と研鑽を積み重ねて体系化されたもんなんですよ。そんな風に国教会が手を加えてるんだ、純正な神の力と必ずしも完全一致しているたぁ限らねえでしょう?」
「むぅ……!」
身も蓋もない言い方だが、ギシュールさんの説には説得力があった。それをシェーナも感じ取ったのか、彼女は不満げに低く唸りながらも反論はしなかった。
「ギシュールさん、これは本当にダンジョンでオーガが出現した件と関係あるんでしょうか?」
私は核心に触れた。ギシュールさんの目的であり、自分やシェーナにとっても目下一番知りたかったことだ。
「そこは、まだ断言出来やせん。ですが、さっきも言ったようにサンプルは手に入れやした。今日此処に来た目的は十二分に果たせたと思っていやす。これで大きく調査が進展するでしょう。何か分かったら、シッスルさんにもお教えしますよ」
ギシュールさんはニヤリと笑い、透明なガラスの容器を二つ取り出して私に見せた。片方にはガーゴイルの残骸と思しき破片が、もう片方には白い光を纏う金属粉のようなものが詰められている。
「あんたが割ったオーロラの破片、その辺にちょいちょい落ちてたんで有り難く回収させて頂きやした。ガーゴイルのものと合わせてじっくり調べてみやす。何か見えてくるのか、今から楽しみでなりませんや、クックック……」
「よろしくお願いします。私も、新しく調べてみたいことが出来ました。近い内に、また会いましょう」
オーロラが幻であると分かってから、ずっと頭の片隅でチラついていた考えがある。幻に関して誰よりも詳しい人、魔術士でありながら国から特別扱いを受けている人。
私の師にして親、サレナ・バーンスピアの顔がどんどん意識の中で大きくなっていった。
師匠に会わなければ。会って、これまでのことを説明して、彼女の考えを聴かなくては。
オーロラを見上げながら自分のやるべきことを見定めた私に、ギシュールさんは「へぇ……」と声を上げたが、特に追及することなく膝を払って立ち上がった。
「さて、ぼちぼち良い時間なんで、そろそろ解散といきやしょうか……お?」
ギシュールさんの声に被せるように、遠くから鐘の音が聴こえてきた。夕刻を報せる、アヌルーンの鐘。常に昼間のように明るいオーロラの近くに居たので気付かなかったけど、いつの間にか彼方の空は茜色に染まりつつあった。
――ゴーン……! ゴーン……! ゴーン……!
私達は誰ともなくその場に佇み、荘厳な鐘の音にじっと耳を傾けていた。時報であるその重厚な音色は、大変だった一日に安息をもたらしてくれる使者のようで……
「……え?」
そして、その“変化”は起きた。
見上げている私達の目の前で、割れたオーロラが閉じてゆく。まるでそこだけ時が逆戻りになっているのようで、破損した箇所が立ち所に修復されて空の傷口を埋めてゆく。亀裂の向こうで蠢いていた闇が少しずつ見えなくなり、やがて完全に視界から消えた。
「っ……!」
じくじくと頭が痛む。直ってゆくオーロラを見詰める私の目の奥で、アヌルーンの鐘が深く、強く共鳴している。
気付けば、初めから裂け目なんて存在しなかったかのように、オーロラ・ウォールは元の姿を完全に取り戻していた。
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聖女を追放した国は、私が祈らなくなった理由を最後まで知りませんでした
藤原遊
ファンタジー
この国では、人の悪意や欲望、嘘が積み重なると
土地を蝕む邪気となって現れる。
それを祈りによって浄化してきたのが、聖女である私だった。
派手な奇跡は起こらない。
けれど、私が祈るたびに国は荒廃を免れてきた。
――その役目を、誰一人として理解しないまま。
奇跡が少なくなった。
役に立たない聖女はいらない。
そう言われ、私は静かに国を追放された。
もう、祈る理由はない。
邪気を生み出す原因に目を向けず、
後始末だけを押し付ける国を守る理由も。
聖女がいなくなった国で、
少しずつ異変が起こり始める。
けれど彼らは、最後まで気づかなかった。
私がなぜ祈らなくなったのかを。
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