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第二章
第二十七話 忍び寄る悪意
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その日はイミテ村にもう一泊し、翌朝の乗り合い馬車でアヌルーンへ戻った。
ギシュールさん、サイラスさんとは馬車の停留所で別れた。これから彼らは【エクスペリメンツ】に戻り、今回の調査で得た成果を元に研究に没頭するのだろう。
街に戻った時はすっかり夜中だったので、私とシェーナは一度家に戻って旅の垢を落とし、翌日に改めて冒険者ギルド、グランドバーン支部へ向かった。元々の目的であった《フェイク・ボア》討伐の【依頼】を完了したことの報告を兼ねて、ギルドに常駐している治癒騎士のカティアさんにシェーナを診てもらう為だ。ガーゴイルとの戦闘から二日経過しており、それでもシェーナの容態は落ち着いているので危険は無いのかも知れないが、それでも念には念を入れた方が良い。
「お待たせして申し訳ございません。お預かりした《フェイク・ボア》の【魔痕】、ただいま確認が完了いたしました。こちら、イミテ村から振り込まれた報酬の為替札になります。銀行にお持ち込みの上、換金をお願いします。【依頼】の遂行、お疲れ様でした」
待たされること十数分、カウンターに戻ってきたグランドバーン支部の受付嬢は、丁寧にこちらを労いながらぺこりとお辞儀をした。冒険者になって以降、私達は基本的にこの支部から仕事を引き受けている。現在私の応対をしてくれている彼女は、あの【捷疾鬼】事件の際に私達を案内してくれた眼鏡のお姉さんだ。今や彼女ともすっかり顔馴染である。
「いつもありがとうございます。お陰様で、またしばらくは食べるのに困らなくなります」
「いえいえ、むしろお礼を申し上げるのはこちらの方ですよ。シッスルさん達は仕事を選ばず、どんな【依頼】であっても誠実に務めてくれるって評判が良いんですよ。お陰様でうちの風通しも大分良くなりました。シッスルさん達に影響されて、他の冒険者の方々も少しずつやる気に溢れてきたようですし」
社交辞令ではなく、本気で言ってそうな爽やかな笑顔を添えて、眼鏡の受付嬢は私達を眩しそうに見つめた。
「そんなに、私達って人気があるんですか?」
「そりゃあもう、黒髪の女魔術士とリョス・ヒュム族の女聖騎士の美少女コンビと言えば、誰でもすぐにピンとくると思いますよ。強くて可愛い美少女二人組とか、人々の注目を集めない筈がありませんから。私もこうして受付嬢として日々多くの冒険者さん達と接する機会がありますけど、最近では二人について訊かれない日は無いと言っても過言ではありませんね」
「まだ冒険者になって二ヶ月ちょっとですよ?」
「二ヶ月もあればこの辺一帯で名を売るのに十分ですって! 間違いなくシッスルさん達が頑張ったからですよ、もっと胸を張って下さい!」
眼鏡の受付嬢はそう言って、何故か自分の方が誇らしげな様子で胸を張った。彼女はきっと、私が喜ぶと思ってそういう話をしてくれたのだろう。
「あはは、それは光栄ですね。シェーナもきっと喜びます」
気をつけたつもりだが、自分でも分かるくらい乾いた笑いが出た。
「……シッスルさん? 如何されましたか?」
案の定、私の返事に不自然さを感じた受付嬢が怪訝そうに首を傾げた。私は慌てて手を振って取り繕う。
「いえ、シェーナと並ぶと私って地味だから、美少女二人組とか言われてもあまりしっくりこないなーって。まぁ、昔からシェーナの引き立て役みたいなものだし、別に構わないんですけどね」
「いいえ、そんなことはありませんよっ!」
曖昧な笑みでお茶を濁そうとした私に、何故か眼鏡の受付嬢は眉を逆立てた。
「シェーナさんは確かにスタイルも良いし美人ですけど、シッスルさんにはシッスルさんの良さがあります! そのあどけない顔、こじんまりした背、痩せてるけど不健康では無い手足、控えめなお胸、全ての素材が絶妙な具合に合わさってひとつの完成形を示しています! 決して地味でも、野暮ったくもありません! シッスルさんの持つ実年齢以下の空気感は、何物にも代えがたい財産なんですよ! 小さいものが好きな人にはたまらない容姿をなさっているんです! 小ささには、小ささの美学があるっ!」
「お、お姉さん……!? ちょっと、落ち着いて……!」
ここがギルドの受付であることも忘却の彼方へ投げ飛ばし、これでもかとばかりに私の良さとやらを力説する眼鏡の受付嬢。性格がガラリと一変したかのように鼻孔を膨らませて興奮する彼女を、私は懸命に宥めたのだった。
◆◆◆
「つ、疲れた……!」
ギルドの入り口付近に設えられた待合室の椅子に座り、私は盛大な溜め息を吐きながら備え付けの円卓の上に突っ伏した。暴走した受付嬢を鎮静するのは、思いの外気力を消費する仕事だった。
恥ずかしくて居た堪れなくなった私は、そそくさと受付を離れてこの待合室へ逃げてきた。本音を言えばギルド内から出ていきたかったけど、シェーナがまだ診察と治療を受けている為此処を離れるわけにはいかない。友達を置いていけないというのもそうだけど、魔術士はお付きの守護聖騎士から一定の距離以上離れてはいけないとされているので出るに出られないのだ。
「シェーナ、早く帰って来てくれないかなぁ……」
円卓にへばりつくように姿勢を屈め、ひたすら自分の気配を消そうとしている私は、傍から見るとさぞ滑稽だろう。元にさっきの騒ぎを見ていた冒険者や他の職員達から、今も好奇の視線がちらちらこっちに飛んできているのを感じる。ああ、恥ずかしい……。
私は屋内からの生暖かい目から逃げるべく、窓の外に顔を向けた。
「あ……」
グランドバーン支部は街の高台に建っており、景観は良い。待合室の窓から望める景色も、結構遠くの方まで見渡せる。
だから格子の嵌った吹き抜けの窓から、イル=サント大教会から伸びる大鐘楼がよく見えた。
「鐘の音色……オーロラ……」
一昨日の光景がまざまざと思い出される。割れたオーロラの裂け目を閉じさせた、あの大鐘楼の鐘の音。
あれは一体何だったんだろう? シェーナとサイラスさんは主神ロノクスのお慈悲だなんだと安堵していたが、私はそんな安々とあの現象を受け入れる気にはならない。
あの大鐘楼には何か秘密がある。オーロラと密接した、大きな秘密が。ギシュールさんも同じ考えだった。
実際のところ、考えられる可能性として『これだ!』というのはある。だけど、確証が無い。それに、もし当たっていたらと考えると恐ろしい。だから私もギシュールさんも迂闊なことは言わず、暗黙の了解としてこの話題には触れずに別れた。
しかし、それで胸騒ぎが静まるわけでも無い。
「国教会は知っているのかな? あのオーロラの秘密……」
知らない、と考える方が無理があるだろう。ただ、全ての聖職者が知っているとも思わない。牧師や修道士といった下級階層は元より、主教だって果たして何人が知っているか。ウィンガートさんも、オーロラの秘密を知らなかったからこそギシュールさんに調査を依頼したんだろうし。
「ともかく今は、一刻も早く師匠に会って話をしなくちゃね。師匠なら、きっと力になってくれる」
次の一手は、やはりそれだった。幽幻の魔女と呼ばれ、国教会から特別待遇を受けている師匠ならオーロラについて詳しい話を聴けるかも知れない。シェーナが戻ってきたら、その足でそのまま師匠の家に向かおう。
「それにしても遅いな、シェーナ。大丈夫かな……?」
カティアさんの所へ向かってから結構時間が経っている。治癒騎士を頼るまでも無いと判断されたのなら、とっくに戻ってきても良い頃合いだ。やはり傍目には分からなかっただけで、シェーナのダメージは深刻なものだったのだろうか。私は不安に駆られつつ、ギルドの奥へと続く廊下を見守った。
と、不意にそこから三人の冒険者達が肩を怒らせつつ出てきた。
「畜生め、ふざけんじゃねぇよ! 何が『大した怪我じゃないからどうしても治療してほしいなら医者に行って』、だ! いけ好かない守護聖騎士め!」
「全くだぜ! テメェの同僚は治してやってんのに、街の為に毎日身を粉にして働いてる俺達は無視ってか!? 良いご身分だな、けっ!」
「何のためにアイツらにまで税金払ってると思ってんだ! こういう時の為だろうが! クソッ!」
よっぽど頭に血が上っているのか、此処が何処であるかも忘れて彼らは口々に汚い罵声を飛ばしている。話の内容からして、カティアさんに治療を断られたみたいだ。
“テメェの同僚は治してやっている”という部分が私には引っ掛かった。やはり、シェーナはカティアさんの聖術で治療中みたいだ。サイラスさんの危惧した通り、内臓か何処かが傷付いていたのだろう。カティアさんに診てもらえて良かったと安堵する一方で、治療を断られた冒険者達に気の毒な感情が湧いてくる。
見たところ、確かに彼らは所々ボロボロになっていた。頬や二の腕等に、みてすぐにそれと分かる切り傷や擦り傷が刻まれており、流れ出た血や付着した泥汚れなどで痛々しくコーディネイトされている。来ている服や鎧も相応に破損しているが、程度で言えば生命に危険が及ぶ大怪我とまでは言えない。カティアさんがシェーナを優先して彼らを袖にするのも無理はないだろう。
「そもそもおかしいよな! 俺達は、忙しい公僕連中に代わって市民の皆様から寄せられる声に応えてやってるんだ! 魔物とだって毎日のように戦ってる! なのに、なんでこんな差別されなきゃならねぇんだ!?」
「このところどんどん魔物が増えてきてるってのに! 街を必死に守った見返りがこの仕打ちかよ! やってらんねぇぜ、ったく!」
「何が守護聖騎士団、何が国民共益賦だよ! 厄介事を全部俺達に押し付けて、テメェらはのうのうとアヌルーンで過ごしてるくせに!」
「こないだの【捷疾鬼】討伐だって失敗した腰抜け共の分際でな!」
「そうとも、あいつら揃いも揃ってお仕着せ着せられた無能共だ!」
「ああ違いねえ! 腑抜けのひよっこ騎士団だぜ!」
冒険者達の怒りは収まるどころか、どんどんヒートアップしているみたいだ。彼らの負傷も、請け負った仕事を忠実にこなした結果出来たものには違いない。守護聖騎士団にまで税金を払い続けて、いざ必要となった時に梯子を外される理不尽さにも同情出来る。
しかし、流石にあの調子が続くのは良くない傾向では無いだろうか。文句を言い合って鬱憤を晴らすのも必要なことかも知れないが、時と場所が悪い。ギルド内に居る他の冒険者達や受付に詰める職員らが、不安と不快が入り混じった目で彼らを見ている。このままでは負の感情が連鎖して、誰も得しないことになるかも知れない。
「これじゃ皆に迷惑が掛かっちゃう。でも、ここで私が注意しに行っても多分見くびられて余計に騒ぎを大きくするだけになると思うし……」
もどかしいが、一介の魔術士がでしゃばる場面でもないだろう。そのうち見兼ねた職員が注意するだろうし、その方がきっと波風も立たない。彼らも経験豊富な冒険者なんだ。冷静になれば、一時の激情で自分達の立場を危うくする愚に気付くはずだ。
私は内心で自分にそう言い聞かせて、じっと成り行きを見守ることにした。
その時だ。彼らのひとりが不意にこっちを見て、私と目が合った。
「あっ、あいつ……!」
彼の漏らした声に、仲間の二人も反応する。
「おい、あいつって確か最近よく話題になってる……」
「おお。あの黒髪に紺のローブ、間違いねえ。さっき居たエルフの守護聖騎士とパートナー組んでる魔術士だ」
「あいつも居たのか……。ってそりゃ居るわなぁ、魔術士だもんな」
最後のひとりが発した言葉を皮切りに、男達の顔にそれまでと違った表情が表れる。
それはとても――嫌な笑みだった。
ギシュールさん、サイラスさんとは馬車の停留所で別れた。これから彼らは【エクスペリメンツ】に戻り、今回の調査で得た成果を元に研究に没頭するのだろう。
街に戻った時はすっかり夜中だったので、私とシェーナは一度家に戻って旅の垢を落とし、翌日に改めて冒険者ギルド、グランドバーン支部へ向かった。元々の目的であった《フェイク・ボア》討伐の【依頼】を完了したことの報告を兼ねて、ギルドに常駐している治癒騎士のカティアさんにシェーナを診てもらう為だ。ガーゴイルとの戦闘から二日経過しており、それでもシェーナの容態は落ち着いているので危険は無いのかも知れないが、それでも念には念を入れた方が良い。
「お待たせして申し訳ございません。お預かりした《フェイク・ボア》の【魔痕】、ただいま確認が完了いたしました。こちら、イミテ村から振り込まれた報酬の為替札になります。銀行にお持ち込みの上、換金をお願いします。【依頼】の遂行、お疲れ様でした」
待たされること十数分、カウンターに戻ってきたグランドバーン支部の受付嬢は、丁寧にこちらを労いながらぺこりとお辞儀をした。冒険者になって以降、私達は基本的にこの支部から仕事を引き受けている。現在私の応対をしてくれている彼女は、あの【捷疾鬼】事件の際に私達を案内してくれた眼鏡のお姉さんだ。今や彼女ともすっかり顔馴染である。
「いつもありがとうございます。お陰様で、またしばらくは食べるのに困らなくなります」
「いえいえ、むしろお礼を申し上げるのはこちらの方ですよ。シッスルさん達は仕事を選ばず、どんな【依頼】であっても誠実に務めてくれるって評判が良いんですよ。お陰様でうちの風通しも大分良くなりました。シッスルさん達に影響されて、他の冒険者の方々も少しずつやる気に溢れてきたようですし」
社交辞令ではなく、本気で言ってそうな爽やかな笑顔を添えて、眼鏡の受付嬢は私達を眩しそうに見つめた。
「そんなに、私達って人気があるんですか?」
「そりゃあもう、黒髪の女魔術士とリョス・ヒュム族の女聖騎士の美少女コンビと言えば、誰でもすぐにピンとくると思いますよ。強くて可愛い美少女二人組とか、人々の注目を集めない筈がありませんから。私もこうして受付嬢として日々多くの冒険者さん達と接する機会がありますけど、最近では二人について訊かれない日は無いと言っても過言ではありませんね」
「まだ冒険者になって二ヶ月ちょっとですよ?」
「二ヶ月もあればこの辺一帯で名を売るのに十分ですって! 間違いなくシッスルさん達が頑張ったからですよ、もっと胸を張って下さい!」
眼鏡の受付嬢はそう言って、何故か自分の方が誇らしげな様子で胸を張った。彼女はきっと、私が喜ぶと思ってそういう話をしてくれたのだろう。
「あはは、それは光栄ですね。シェーナもきっと喜びます」
気をつけたつもりだが、自分でも分かるくらい乾いた笑いが出た。
「……シッスルさん? 如何されましたか?」
案の定、私の返事に不自然さを感じた受付嬢が怪訝そうに首を傾げた。私は慌てて手を振って取り繕う。
「いえ、シェーナと並ぶと私って地味だから、美少女二人組とか言われてもあまりしっくりこないなーって。まぁ、昔からシェーナの引き立て役みたいなものだし、別に構わないんですけどね」
「いいえ、そんなことはありませんよっ!」
曖昧な笑みでお茶を濁そうとした私に、何故か眼鏡の受付嬢は眉を逆立てた。
「シェーナさんは確かにスタイルも良いし美人ですけど、シッスルさんにはシッスルさんの良さがあります! そのあどけない顔、こじんまりした背、痩せてるけど不健康では無い手足、控えめなお胸、全ての素材が絶妙な具合に合わさってひとつの完成形を示しています! 決して地味でも、野暮ったくもありません! シッスルさんの持つ実年齢以下の空気感は、何物にも代えがたい財産なんですよ! 小さいものが好きな人にはたまらない容姿をなさっているんです! 小ささには、小ささの美学があるっ!」
「お、お姉さん……!? ちょっと、落ち着いて……!」
ここがギルドの受付であることも忘却の彼方へ投げ飛ばし、これでもかとばかりに私の良さとやらを力説する眼鏡の受付嬢。性格がガラリと一変したかのように鼻孔を膨らませて興奮する彼女を、私は懸命に宥めたのだった。
◆◆◆
「つ、疲れた……!」
ギルドの入り口付近に設えられた待合室の椅子に座り、私は盛大な溜め息を吐きながら備え付けの円卓の上に突っ伏した。暴走した受付嬢を鎮静するのは、思いの外気力を消費する仕事だった。
恥ずかしくて居た堪れなくなった私は、そそくさと受付を離れてこの待合室へ逃げてきた。本音を言えばギルド内から出ていきたかったけど、シェーナがまだ診察と治療を受けている為此処を離れるわけにはいかない。友達を置いていけないというのもそうだけど、魔術士はお付きの守護聖騎士から一定の距離以上離れてはいけないとされているので出るに出られないのだ。
「シェーナ、早く帰って来てくれないかなぁ……」
円卓にへばりつくように姿勢を屈め、ひたすら自分の気配を消そうとしている私は、傍から見るとさぞ滑稽だろう。元にさっきの騒ぎを見ていた冒険者や他の職員達から、今も好奇の視線がちらちらこっちに飛んできているのを感じる。ああ、恥ずかしい……。
私は屋内からの生暖かい目から逃げるべく、窓の外に顔を向けた。
「あ……」
グランドバーン支部は街の高台に建っており、景観は良い。待合室の窓から望める景色も、結構遠くの方まで見渡せる。
だから格子の嵌った吹き抜けの窓から、イル=サント大教会から伸びる大鐘楼がよく見えた。
「鐘の音色……オーロラ……」
一昨日の光景がまざまざと思い出される。割れたオーロラの裂け目を閉じさせた、あの大鐘楼の鐘の音。
あれは一体何だったんだろう? シェーナとサイラスさんは主神ロノクスのお慈悲だなんだと安堵していたが、私はそんな安々とあの現象を受け入れる気にはならない。
あの大鐘楼には何か秘密がある。オーロラと密接した、大きな秘密が。ギシュールさんも同じ考えだった。
実際のところ、考えられる可能性として『これだ!』というのはある。だけど、確証が無い。それに、もし当たっていたらと考えると恐ろしい。だから私もギシュールさんも迂闊なことは言わず、暗黙の了解としてこの話題には触れずに別れた。
しかし、それで胸騒ぎが静まるわけでも無い。
「国教会は知っているのかな? あのオーロラの秘密……」
知らない、と考える方が無理があるだろう。ただ、全ての聖職者が知っているとも思わない。牧師や修道士といった下級階層は元より、主教だって果たして何人が知っているか。ウィンガートさんも、オーロラの秘密を知らなかったからこそギシュールさんに調査を依頼したんだろうし。
「ともかく今は、一刻も早く師匠に会って話をしなくちゃね。師匠なら、きっと力になってくれる」
次の一手は、やはりそれだった。幽幻の魔女と呼ばれ、国教会から特別待遇を受けている師匠ならオーロラについて詳しい話を聴けるかも知れない。シェーナが戻ってきたら、その足でそのまま師匠の家に向かおう。
「それにしても遅いな、シェーナ。大丈夫かな……?」
カティアさんの所へ向かってから結構時間が経っている。治癒騎士を頼るまでも無いと判断されたのなら、とっくに戻ってきても良い頃合いだ。やはり傍目には分からなかっただけで、シェーナのダメージは深刻なものだったのだろうか。私は不安に駆られつつ、ギルドの奥へと続く廊下を見守った。
と、不意にそこから三人の冒険者達が肩を怒らせつつ出てきた。
「畜生め、ふざけんじゃねぇよ! 何が『大した怪我じゃないからどうしても治療してほしいなら医者に行って』、だ! いけ好かない守護聖騎士め!」
「全くだぜ! テメェの同僚は治してやってんのに、街の為に毎日身を粉にして働いてる俺達は無視ってか!? 良いご身分だな、けっ!」
「何のためにアイツらにまで税金払ってると思ってんだ! こういう時の為だろうが! クソッ!」
よっぽど頭に血が上っているのか、此処が何処であるかも忘れて彼らは口々に汚い罵声を飛ばしている。話の内容からして、カティアさんに治療を断られたみたいだ。
“テメェの同僚は治してやっている”という部分が私には引っ掛かった。やはり、シェーナはカティアさんの聖術で治療中みたいだ。サイラスさんの危惧した通り、内臓か何処かが傷付いていたのだろう。カティアさんに診てもらえて良かったと安堵する一方で、治療を断られた冒険者達に気の毒な感情が湧いてくる。
見たところ、確かに彼らは所々ボロボロになっていた。頬や二の腕等に、みてすぐにそれと分かる切り傷や擦り傷が刻まれており、流れ出た血や付着した泥汚れなどで痛々しくコーディネイトされている。来ている服や鎧も相応に破損しているが、程度で言えば生命に危険が及ぶ大怪我とまでは言えない。カティアさんがシェーナを優先して彼らを袖にするのも無理はないだろう。
「そもそもおかしいよな! 俺達は、忙しい公僕連中に代わって市民の皆様から寄せられる声に応えてやってるんだ! 魔物とだって毎日のように戦ってる! なのに、なんでこんな差別されなきゃならねぇんだ!?」
「このところどんどん魔物が増えてきてるってのに! 街を必死に守った見返りがこの仕打ちかよ! やってらんねぇぜ、ったく!」
「何が守護聖騎士団、何が国民共益賦だよ! 厄介事を全部俺達に押し付けて、テメェらはのうのうとアヌルーンで過ごしてるくせに!」
「こないだの【捷疾鬼】討伐だって失敗した腰抜け共の分際でな!」
「そうとも、あいつら揃いも揃ってお仕着せ着せられた無能共だ!」
「ああ違いねえ! 腑抜けのひよっこ騎士団だぜ!」
冒険者達の怒りは収まるどころか、どんどんヒートアップしているみたいだ。彼らの負傷も、請け負った仕事を忠実にこなした結果出来たものには違いない。守護聖騎士団にまで税金を払い続けて、いざ必要となった時に梯子を外される理不尽さにも同情出来る。
しかし、流石にあの調子が続くのは良くない傾向では無いだろうか。文句を言い合って鬱憤を晴らすのも必要なことかも知れないが、時と場所が悪い。ギルド内に居る他の冒険者達や受付に詰める職員らが、不安と不快が入り混じった目で彼らを見ている。このままでは負の感情が連鎖して、誰も得しないことになるかも知れない。
「これじゃ皆に迷惑が掛かっちゃう。でも、ここで私が注意しに行っても多分見くびられて余計に騒ぎを大きくするだけになると思うし……」
もどかしいが、一介の魔術士がでしゃばる場面でもないだろう。そのうち見兼ねた職員が注意するだろうし、その方がきっと波風も立たない。彼らも経験豊富な冒険者なんだ。冷静になれば、一時の激情で自分達の立場を危うくする愚に気付くはずだ。
私は内心で自分にそう言い聞かせて、じっと成り行きを見守ることにした。
その時だ。彼らのひとりが不意にこっちを見て、私と目が合った。
「あっ、あいつ……!」
彼の漏らした声に、仲間の二人も反応する。
「おい、あいつって確か最近よく話題になってる……」
「おお。あの黒髪に紺のローブ、間違いねえ。さっき居たエルフの守護聖騎士とパートナー組んでる魔術士だ」
「あいつも居たのか……。ってそりゃ居るわなぁ、魔術士だもんな」
最後のひとりが発した言葉を皮切りに、男達の顔にそれまでと違った表情が表れる。
それはとても――嫌な笑みだった。
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