独立不羈の幻術士

ムルコラカ

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第三章

第四十三話 魔女が明かす真実

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 暗く閉ざされた地下に設けられた、私の師サレナ・バーンスピアによる特別な研究室。まさかこんな形で再び此処を訪れようとは思わなかった。

 大釜で何かの薬液を煮詰めながら混ぜ合わせていた師匠は、入り口のドア付近で立ち尽くす私を再度手招きする。

「いつまでも突っ立ってないで、早くこっちにいらっしゃいな。今ちょうど、面白い場面が始まろうとしているところよ」

「あ、はい……」

 私は師匠の言葉に導かれるまま、恐る恐る部屋の中へと足を踏み入れた。

 壁に張り付けられた標本達が、光のない目でこちらを見てくる。見たところ、魔素に侵されて魔物化しかかった鹿と羊と狼だった。完全には魔物となっていないので、生命を喪った後でも死体は消えない。

「さて、次はこれに半魔物化した鹿の肝と羊の脚、後は狼の牙をひとつずつ」

 師匠が、壁の標本達を解体して得た素材をそれぞれ大釜の中に放り込んでゆく。中で煮詰められた、何とも名状しがたい色をした薬液にかつて生き物だったものの一部が次々と吸い込まれて消えた。

 此処を訪れる度に思うのだが、こんな地下で鍋を煮て、換気とかは大丈夫なのだろうか。

「師匠、あの……これは何を作っているんです?」

「ああ、貴女には初めて見せるタイプの錬成だったわね。これはね、遠くの場所を見通す写し鏡のような錬魔剤よ」

 恐る恐る尋ねた問いに、師匠は喜々として濁った液体を指差しながら答えた。その写し鏡とやらからは、湯気と共に鼻が曲がりそうな臭気がもうもうと立ち上っている。本当に、地下の一室でこういうのは勘弁してほしい。

 錬成。呪文を介さず、複数の物質を調合することで魔力を顕現させる魔術の一種だ。恐らく、大抵の人が『魔女』というキーワードを耳にした際にこれと酷似した光景を想像することだろう。

 実際に、師匠は人生の道楽と言っても過言では無いくらい、錬成に並々ならぬこだわりを持っている。私もよく、修行の一環と称して付き合わされたものだ。

「そろそろ仕上げね。最後に銀無垢パウダーをひとつまみ加えて、しばらく煮込めば完成よ」

 師匠は棚の中から密閉された容器を取り出すと、蓋を開けて中から銀色に輝く粉をつまんで鍋の上から眩した。

 舞い落ちる銀粉がどどめ色の薬液に触れた時、微かな明滅が起こってボコッ、ボコッ、と何やら生理的嫌悪感を掻き立てる音が鳴った。

「さ、これで少し手持ち無沙汰になったわ。シッスル、私に訊きたいことがあるんじゃない?」

 鍋をかき混ぜていた手を止め、師匠は初めて私に向き直った。ようやく話が出来るようだ。

「えっと……師匠、まずはご無沙汰しています。それと、助けてくださってありがとうございました」

「うふふ、何はともあれまずは挨拶と感謝、実に貴女らしいわね」

 微笑ましくこちらを見詰める師匠に、私は溜まっていた疑問の最初のひとつを口に出した。

「でも、どうしてあの場に駆けつけてくれたんですか?」

「簡単よ。あの日、魔物が各地で大量発生して全一特例作戦が公布されたでしょう? 私のところにもいち早く情報が回ってきたのよ。それで、この写し鏡で貴女の様子を見守っていたの。ダール丘陵にオーロラが発生したのを見て、すぐ現地に向かったわ。本当に、間に合って良かった」

 この言い方、やはり師匠は一連の現象について何か知っている。

「あ、ちなみにこの場所は安全よ。ちゃんと幻術で辺り一帯を韜晦とうかいしているから。聖術を使ったとしても、ちょっとやそっとじゃ破れはしないわ。だから差し当たり、あのいけ好かないユリウス爺の追及については心配しなくて良いわ」

「いえ、そこは私も心配していません。師匠がそういうとこに抜かりがないことは良く知ってますから。それよりも……」

 私は大きく深呼吸し、改めて師匠と向き合った。

「師匠、正直にお尋ねします。……何処まで、把握していますか?」

「随分と大雑把な問いかけね。具体的に言いなさいな」

 師匠の眼差しが、こちらを試すようなものに変わっている。私は少し考え、端的な言葉で疑問を集約した。

「つまり、オーロラ・ウォールについて」

「主教以下、マゴリア教国国教会の大半が知らないことまで知っているわ。総主教と大主教、それとごく一部の主教しか知らない事実をね」

「それは、オーロラの外に世界は無い――ということですか?」

 しばらく、間が開いた。師匠は胸の下で腕を組み、感心したようにひとつ頷いて見せる。

「その通りよ、シッスル。“破幻”の呪文でオーロラを破ったからそうだと思っていたけど、やっぱり貴女も突き止めていたのね」

「……いつから、ですか? 師匠がそれを知ったのは」

「赤ちゃんだった貴女を引き取った日には既に、ね。伊達に《幽幻の魔女》と呼ばれてはいないわ」

 私は大きく息を吸い、一度言葉を溜めた。師匠は決して私を急かしたりせず、ただじっと待っている。

「オーロラは……マゴリア教国とは、何なんですか?」

「切り離された、独立した世界。オーロラの外にある闇は、見た通り無の領域よ。彼処から先には何も無い。ただ全てを飲み込む深い闇だけ。マゴリア教国は、無の世界に浮かぶ孤島のようなものなの。私達は皆此処で産まれ、誰ひとりとして例外なく外に出ることも無いまま生涯を終える。それが、主神ロノクスの定めたことわりとやらなんでしょうね」

 言い淀むこともなく、師匠はすらすらと明解に説明してくれた。その淡々とした口調が、逆に私を打ちのめす。

「しょ、食料はどうなるんです!? アヌルーンの街だけで二十五万もの人口があるんでしょう!? オーロラの内側だけで、それだけの人数を飢えさせないだけの食料なんて……!」

「あるところにはあるのよ。第一次産業に不足があり、収支に均衡を欠き自給自足が成り立っていなくても、この世界の人々は飢えたりしないわ。神が、そうさせない為の手を打っている」

「ぐ、具体的には!?」

「国教会がね、密かに食料を確保して市場に流しているの。供給源は私も知らないけど、それは確かよ。まさに神の思し召し、すべては恩寵の賜物。聖職者風に言うならね」

 国教会はこの国の実質的な支配者。確かに、可能性として考えられるのはそれしかないだろう。師匠の言うことだから鵜呑みにしたいところだが、生憎それで全部納得出来るほど私も子供じゃない。

「それに、誰も疑問を抱かないんですか!? 国教会が何処から食料を調達しているのか、とか!」

「案外、みんな気にしないものよ。国民が一番に望むのは、自分達の生活が安定することだもの。その上で、日々の平穏を脅かすであろう外敵の存在が加われば、尚更内側に目を向けようとはしないものなの」

 外敵と聴いてすぐに分かった。

「……魔族のことですか?」

「その通り。【アンダー・ピープル魔族】は、国民の意識を常に一方に向けさせる為の、言わば舞台装置よ。主神ロノクスは――聖なる【秘園の主】は、そういう風にこの世界を設計したの。マゴリア教国の地下深くに彼らの帝国を創り、地上を侵略するように仕向け、魔素を流して魔術士を生み出し、国民が決して無視出来ない脅威を演出した。そして、私達地上に生きる者の思考を制御することに成功したのよ。……ただし勿論、全部が全部ころりと騙されてくれる筈も無いのだけれど」

 確かに、例外は存在した。ウィンガートさんがそうだし、ギシュールさんがそうだ。彼らのお陰で、私もこの世界が何処か歪だと感じ取ることが出来た。

 そして今、その謎に関する多くの答えを有する人の前に立っている。

「……最初の質問に戻ります。オーロラ・ウォールとは、本当は何なんですか? 外にある無の世界とマゴリア教国を隔てる壁、というだけじゃないですよね?」

「私達が常に目にしているオーロラのことを言っているなら、壁という認識で間違っていないわ。西のダンジョンやダール丘陵で発生した、突発的なオーロラならその限りじゃないけどね」

「離れた場所同士を魔族が行き来する為の門、ですか?」

「流石ね、理解が早いわ。そうよ、どうやら魔族達はオーロラのメカニズムを解析し、自分達用にアレンジしながら利用する方法を見つけたようなの。ダンジョンで貴女が出会った捷疾鬼オーガも、ダール丘陵のリッチも、その術式を使って現れたに違いないわ」

「イミテ村の傍にあるオーロラに干渉した時、白いガーゴイルが現れて攻撃してきました。あれも同じ仕組みなんですか?」

「それはまた別口ね。ガーゴイルは元々、国教会が定めた神の使徒というシンボルだもの。多分、貴女が出会ったガーゴイルは、万が一オーロラが破られた時の保険として国教会が備えておいた番兵みたいなものだと思うわ」

 師匠の言葉は、ギシュールさんの推測と合致していた。やはり彼は、あの時点で誰よりも先に真実の一端を突き止めていたのか。

「ダール丘陵の……いえ、先日の魔物の大量発生は、やはり魔族が裏で糸を引いていたと?」

「恐らくね。そして多分、あれでは終わらない。あんなものは、ただの小手調べに過ぎないわ」

 師匠の顔に初めて険しさが生まれる。私に事態の深刻さを噛み締めさせようとするかのように、師匠はゆっくりと続きを話し出した。

「オーガにリッチ、今まではいずれも単身で地上に乗り込んできたけど、次はもっと本格的な攻勢に出てくるでしょうね。魔物ではなく、魔族による軍隊が大挙して押し寄せてくることも想定しておかなくてはならないわ」

「そ、そんなことが本当に起こり得るんですか!?」

「ええ、十中八九ね」

 師匠の答えは確信めいていた。何か根拠があるのだろうか?

 しかし、それを尋ねる前に師匠が話を先へ進める。

「威力偵察としては、既に十分過ぎる成果を上げた筈よ。何せ、魔術士達を狂わせることまでやってのけたのだから。ユリウス爺があの場で全ての魔術士を捕縛するよう命じたのは、あくまで一面的な見方をすれば仕方無いと言えるのかもね」

「で、でも師匠! それなら私だって危険な筈ですよね!? でも私だけは、あの黒い霧に曝されても何ともありませんでした! どうしてですか!?」

「あら、そこは別に不思議でも何でもないわ。貴女はこの私、《幽幻の魔女》サレナの愛弟子なのよ。凡百の魔術士とは鍛え方が違うのよ、鍛え方が」

 あっけらかんと言ってのける師匠。いくら何でも苦し過ぎる理由付けだ。

「はぐらかさないで下さい! 確かに私は師匠から直々に育てられ、鍛えても頂きましたけど、どうやったって幻術以外てんでダメな……!」

「シッスル、貴女にとっていま大事なのは本当にそこなの? シェーナや、他のお友達がどうなったか、知りたくないの?」

 頭に冷水を浴びせられたようだった。師匠の言い方には、不穏な含みがある。

「……シェーナ達に、あの後何かあったと?」

「ええ。逃亡した魔術士に付けられていた騎士と、二人に親しい友人ということでね。彼女達も今、どうやら国教会から追及を受けているようなの」

 ……最悪だ。私が逃げたことで、残ったシェーナ達に疑いの目が向いたのか。目が覚めてから今の今まで、どうしてその可能性を考えなかったのか。自分の自己中心さに嫌気が差す。

「シェーナ達は、他の魔術士達は、これからどうなるんですか……?」

「まさに今、その運命を左右する法廷が開かれているところみたいよ。だからほら、あの錬魔剤で様子を覗こうとしているの」

 師匠が指差す先で、大釜の中に溜め込まれたおどろおどろしい薬液が俄に紫色の光を発した。

「お、どうやら完成したみたいね。さあシッスル、こっちに来て。一緒に彼女達の無事な姿を確認しましょう」

 師匠の言葉は、それこそ魔法のように罪悪感に苛まれた私に沁み込んでくるのだった。
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