副社長の愛の囁き(イケボ)に蕩けそうです

本郷アキ

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1巻

1-2

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 どうやら湊斗は一途なタイプらしいと、どうでもいい情報を仕入れる。いまだに自慢をやめない宮岡を視界に入れたくなくて、葵はとうとう耳だけではなく視線もそちらへと向けた。

「その顔で誠実とか、どこまでモテようとするんですか!」
「べつにモテたいと思って言ってるわけじゃないぞ」

 湊斗が困ったように笑うと、彼を見る女性社員たちの目がうっとりと細まった。見目麗みめうるわしい男性に見蕩みとれる気持ちはわからないでもないが、葵は彼の外見よりやはり声に惹かれる。
 あまりに凝視していたからか、ふいに湊斗がこちらを見る。
 うっとりと彼の声を聴いていた気まずさで目を逸らすと、湊斗は腕時計を見て、声を張り上げた。

「ほら、みんな、もう時間だから帰るぞ! 幹事は精算してくれ。二次会の金も置いていくが、足りない分は自分たちで出せよ!」

 澄川と湊斗が財布から金を出すと、社員たちは「あざま~っす!」と揃って頭を下げた。

「もう帰る?」
「私は帰るよ」
「二次会、参加する人って決まってるんだっけ」
「予約しといたけど、まだ増えても平気!」
「えぇ、どうしよう、じゃあ私も行こうかなぁ」

 そんな会話がそこかしこで聞こえてきて、皆が帰る準備をし始める。ハンガーに掛かったコートを取ったり、化粧室に行ったりと、一気に場が慌ただしくなった。
 葵もテーブルに手をつき、立ち上がる。だが、バッグを持って歩こうとした瞬間、くらりと目眩めまいがした。頭もぼんやりするし、足元も覚束おぼつかない。

(ちょっと、飲みすぎた、かも)

 あまり酔わないようにしようと気をつけていたものの、宮岡と話をしたくないあまり次から次へとグラスを空けてしまっていた。そもそも、そこまで酒に弱くないのに。

(宮岡さんが頼んだの、けっこう度数の高いお酒だったのかも……)

 女性を酔わせて淫行に及ぶ男もいると聞く。宮岡ならやりかねないと考えて、その気持ち悪さにぞっとした。前後不覚になるほど酔わなくて本当に良かった。

「葵、なんかふらふらしてない? 大丈夫?」
「ん……ちょっと飲みすぎちゃったみたい。でも、もう帰るだけだから大丈夫」
「そう?」

 歩くたびに酔いが回り、頭がくらくらしてくる。目をつぶればこの場で眠ってしまいそうだ。
 電車の中で寝て、乗り過ごさないように注意しなければ。帰ってから『先輩の初めてを俺にくださいⅡ』を聴こうと思っていたが、この調子では無理だろう。
 葵は靴箱からパンプスを取りだし、ふらつきながらもなんとか足を通し、店を出た。
 同僚たちは二次会に向かう人を集めているのか、まだ店の前にいる。

「あ、社長たちに挨拶あいさつしてから帰ろう」
「あぁ……うん」

 芽衣の言葉に頷きを返した葵は、そこかしこの集団の中から、澄川と湊斗の姿を捜した。
 背の高い二人は見つけやすくて助かる。

「社長、副社長」

 呼びかける芽衣に気づいたのか、澄川と湊斗がこちらに目を向けて、軽く手を上げた。葵と芽衣は早足に二人のもとに向かう。とはいえ、葵はふらつきながらだが。
 そのとき、湊斗から一メートルほど離れた場所に立つ宮岡と目が合った。こちらをじっと見てくる宮岡の目に得体の知れない恐怖を覚え、葵はさっと顔をそらす。

「今日はごちそうさまでした」

 芽衣と揃って頭を下げると、湊斗がいやと頭を振った。後ろを歩いていた澄川はべつの女性社員に捕まってしまったが、湊斗にだけでも挨拶あいさつしておけばいいだろう。

「二人とも二次会には行かないのか?」

 湊斗に聞かれて、葵と芽衣は同時に頷く。
 宮岡に絡まれ辟易へきえきした飲み会がようやく終わり気が抜けていたのか、はたまた酔いが深まっていたからか、間近でうっとりと彼の声を聴いた葵は腰が抜けそうになった。つい、ふらりと湊斗の方へ倒れ込んでしまう。

「大丈夫か?」
「あっ……すみません」

 肩を支えてくれたのは湊斗だ。葵は慌てて身体を起こし、頭を下げた。だが、頭が揺れるとよけいに酩酊感が強まり、目の前がぼやけてくる。

「葵、ほんとにふらふらしてるけど、大丈夫?」
「ん……大丈夫……」

 言ったそばから足元がふらつき、慌てた様子の芽衣に身体を支えられた。
 自分では足を踏ん張って、しっかり立っているつもりだったのに。

「大丈夫じゃなさそうね」
「そういえば、けっこう飲んでたな」

 自分たちを近くから見下ろしていた湊斗が口を挟む。見られていたのかと決まりの悪い気持ちになりつつも、上司の前で醜態をさらさないように葵は口を開く。

「かりゃまれて、仕方にゃく……なかったんです」

 自分では『絡まれていて仕方がなかったんです』と言ったつもりだったが、いよいよ呂律ろれつが回らなくなってきた。すると、湊斗がなにかを察したように「あぁ」と小さく言った。

「小早川さんはたしかJRだったか。俺も同じ方向なんだ。もう遅いし、途中まで一緒に帰ろう」


『もう遅いし、同じ方向なんで送っていきます』


 突然、脳内に『先輩の初めてを俺にくださいⅡ』のタクミの声が響いた。大好きな潤さまの声を間近に聴いている感覚に包まれ、葵は無意識に頬をゆるませる。

「はぁい、嬉しい……れす」

 甘ったるい声で返事をすると、湊斗は心底驚いた顔をして葵をマジマジと見つめた。

「小早川さん?」

 湊斗が腰を屈めて顔を覗き込んできた直後、葵は我に返った。

(違う……これはタクミじゃない……えっと、副社長……?)

 酔いのせいで霞む目を手の甲で擦る。目の前に立っているのは、自分の上司であり副社長である湊斗で間違いない。
 酔った様子の自分を心配して、一緒に帰ることを申し出てくれたのだろう。一瞬、脳内で再生された『先輩の初めてを俺にくださいⅡ』のセリフと混同してしまった。

「葵……ほんと大丈夫?」

 案じるような芽衣の声が聞こえてくる。

「芽衣は彼氏が……早く行かにゃいと、心配しゅりゅよ」

 そう答えると、二人はまるで残念な子を見るような顔をこちらに向けた。
 自分ではしっかり話しているつもりだったのに、うまくいかない。しかも、ますます目眩めまいと眠気がひどくなってくる。

「これは……完全に酔ってるな。同じ方向だし、やっぱり俺が送るよ」
「すみません。本当なら私が送るべきなんですけど」
「いや、約束があるんだろう。大丈夫だから」
「ありがとうございます、副社長。よろしくお願いします」

 湊斗と芽衣がそんなふうに話をしていたが、葵はふらふらと頭を揺らしていたので気づいていなかった。
 ふと、帰りの電車が気になり、葵はスマートフォンを取りだし電車の時刻を調べ始める。

(電車は十五分後……どうしよう、立ったまま寝そう)

 スマートフォンをバッグにしまい駅に向かって歩きだすと、隣を歩く男の姿に気づく。

「ん?」

 葵は、自分がどうして湊斗と一緒に歩いているのかわからず首を傾げた。

「あの?」
「送っていくと言っただろう。もう忘れたか?」

 そんな話が聞こえたような、そうではないような。

「そう、でしたか……」

 葵はふわふわとした夢心地のまま、訳もわからず頷いた。

「とりあえず駅に向かうぞ。歩けるか? 座らせてやりたいが……この時間だと無理だろうな」

 耳を蕩かすような潤さまの声。ため息交じりの吐息。
 これが夢なのか現実なのかさえ判断がつかなくなってくる。
 もしかしたら、もうとっくに家に帰っているのだろうか。そしていつものようにベッドに寝転びながら潤さまの声を聞いて、眠るところなのかもしれない。
 今日は楽しみにしていた『先輩の初めてを俺にくださいⅡ』を聴こうと思っていたのだから。

(そうだよね……やっぱりこれはタクミの声なんだ)

 葵が目をつぶってそのまま寝入りそうになると、慌てたように誰かに腕を掴まれた。

「……っと。大丈夫か? これじゃあ電車に乗るどころじゃないな。タクシーで帰ろう。俺の腕に掴まってくれるか? その方が支えやすい」

 俺の腕に掴まって――なんていいシーンなんだろう。タクミは〝私〟を家まで送り、そのまま……
 脳内の妄想に頬をゆるませつつ、葵はすぐ近くにある太い腕に掴まった。

「酔っているからだろうが……そこまで隙を見せるなんて、普段の君からは考えられないな」

 タクミの腕が葵を支えるように背中に回った。夢にしては男性の腕の感触が妙にリアルだ。

「すき?」

 隙を、好き、と脳内で変換した葵は、口元をゆるめた。もう一度タクミの口から「好き」と聞きたいが、早戻しのボタンはどこだろう。

「仕事をしているときとギャップがありすぎて、どういう態度を取っていいかわからなくなるな……。酔いが醒めたら覚えてないかもしれないが、君は可愛いんだから、男にはもっと気をつけて」
「可愛い? 嬉しい」

 葵はふわりと笑い、隣を歩く男の腕に顔を寄せた。
 通りを走る車の音が聞こえる。雑踏にある人々の声の中、葵は彼に支えられながら一歩ずつ歩いていく。
 自分が外にいるのか、ダウンロードしたCDをベッドで聴いているのかもわからないまま。

「でも、どうせ、ほかの人にも同じように言ってるんでしょ」

 そんな風に拗ねながらも、〝私〟はタクミからの否定の言葉を待っている。
 後輩としてずっと〝私〟を陰で支えながら想い続けてきたタクミは、ある夜〝私〟が仲のいい同期と親しげに話しているのを見て嫉妬するのだ。
 そして〝私〟は、嫉妬した彼にお持ち帰りされてしまう。

「どうだろうね。そんな風に言われたら、男は勘違いするよ。気をつけた方がいい」

 なんていい声なんだろう。耳元でささやくように告げられて、キュンが大爆発を起こす。気持ちがたかぶり、思わず掴んだ腕に頬を擦り寄せると、その腕がぴくりと震えた。

(ん? でもなんだか……話し方がタクミとちょっと違う……?)

 男は勘違いするよ――なんてセリフはタクミが言いそうなものではあるが、ちょっと大人っぽいのではないか。若干キャラブレを起こしている気がする。
 そうは思ったものの、葵はまぁいいかとその違和感にふたをして、タクミの言葉に耳を傾けた。

「やっぱり金曜の夜はタクシー待ちが多いな。立っていられるか?」
「ん~大丈夫ぅ」
「酔ってるやつはだいたい大丈夫って言うんだが、君もか。足元がふらついてる。家は平塚だったよな?」
「ん……」
「俺が同じ方向で良かったな……歓迎会の参加者は都内在住が多いから、一緒の方面に住んでいる社員は少ないし」

 うっとりとタクミの言葉に耳を傾けていると、小さく笑われる。

「ここで寝られると困るんだが……もう限界だろう?」
「大丈夫だって、ばぁ」

 葵がそう言うと、彼は「酔っ払いの大丈夫は信用ならない」と笑った。そして背中に回された腕の力が強まる。

「本当に、いつもと違いすぎて困るな」

 彼はため息交じりにそう言うと、逡巡しゅんじゅんするように押し黙ってから続けた。

「……送っていくと言ったの、迷惑じゃなかったか?」
「迷惑、なんて……そんなわけ、ない」

 送ると言ったタクミにお持ち帰りされる――これは、そういうストーリーなのだから。

「そうか、ならよかった。小早川さんがその気だったら邪魔をしてしまったかと」
「その気?」

 小早川さん、と呼ばれたことで、酩酊状態にある頭がいくらか冷えた。自分は今、なにか盛大な勘違いをしているのではないかと。

「飲み会中の宮岡だよ。君にあんなに飲ませて。中には度数の高い酒もあったんじゃないか? 酒の勢いで関係を持とうとするなんて、褒められた行為じゃないだろう?」
「宮岡、さん……?」

 宮岡の名前が出たことで、葵はおのれが顔を寄せている男の腕が誰のものなのか、凝視して考えた。そしてゆっくりと顔を上げていく。

(なんで副社長……っ?)

 目眩めまいにも似た感覚が絶え間なく押し寄せながらも、徐々に冷静さを取り戻す。そうだ、上司である湊斗が、酔った自分を心配し送っていくと言ってくれたのだった。
 こちらを見ていた湊斗と目が合う。間近で彼の顔を見て、あまりに美しすぎるその容姿に息を呑んだ。兄たちで美形を見慣れているはずなのに、見蕩みとれてしまったのはなぜだろう。

「どうした?」
「あ、いえ……宮岡さんのこと、どうして」

 湊斗はどうして葵が宮岡に絡まれていると気づいたのだろう。席も離れていたのに。

「君を見ていたからな」
「え……?」

 なぜ葵を見ていたのか聞きたかったが、湊斗の話は続く。

「助けてやれなくてすまなかった。今日はずいぶんグラスを空けてるし、いつもより君の警戒心が薄い気がして心配だったんだ。合意の上なら構わないが、宮岡があそこまで酔っていると正常な判断ができない可能性もあるから。送ると声をかけてよかったよ」

 宮岡が近くに立ってこちらを見ていたのは、やはり酔っている葵をどうにかするつもりだったのかもしれない。ただただ苦々しい気持ちが湧き起こる。まさか葵の想像が当たっていたなんて。あらためて湊斗がそばにいてくれてよかったと思った。

「……小早川さん、君もだよ」

 すると腕を組んでいた方の湊斗の手が、葵の手に重なる。
 手のひらに指を絡められるが、湊斗がなにをしたいのか、なにを言いたいのか、よくわからない。
 葵と手をつないだまま、正面から見据えた湊斗の反対側の手が、葵の頬に伸ばされる。あと数センチで頬に触れるところで、彼の手はすっと下ろされた。

「ほらね」
「ほら?」
「いつもの君なら、男に送ると言われても断っているし、触れられそうになったら避けるくらいはするはずだ。ましてや、こうして手をつなぐことなんて絶対にしないだろう?」
「あ……」

 つないだ手を持ち上げられて初めて、自分が上司である湊斗と手をつないでいることに気づいた。驚いて手を離そうとすると、背中に回された腕の力が強まる。

「離さないでいい。立っていられないだろう?」

 まるで抱き締められるかのように身体を引き寄せられて、湊斗の胸元に顔が埋まる。現実ではあり得ない出来事に、まだ夢うつつ状態なのか疑ってしまう。
 心臓がどっどっどっとうるさいほどに頭の中で音を鳴らす。

「宮岡が好きなわけじゃないんだな?」

 ささやくような湊斗の声が耳の近くから聞こえてくる。葵は質問の意図がわからないながらも頷いた。

「は、はい」

 どうして今、自分は湊斗に抱き締められているのだろう。
 やはりこれは夢だろうか。それを確かめるべく恐る恐る顔を上げると、照れたような顔で深くため息をつく湊斗の姿があった。

「俺も宮岡のことは言えないな……」

 湊斗の指先が頬を掠めた。葵が苦手とする男性の手なのに、彼の声に聞き入ってしまっているのか、それとも酔っているからなのか、その手を拒絶できない。

「送っていくと言ったが、もう少し……小早川さんと一緒にいたくなった。小早川さんさえよければ……俺の部屋に来ないか?」


『ねぇ……もう少し一緒にいたいんだけど。このまま俺の部屋に来ない?』


 湊斗の声とタクミの声が脳内で見事なアンサンブルとなる。
 まるで『先輩の初めてを俺にくださいⅡ』の続きを聴いているようではないか。上司である湊斗が下心ありきで葵を部屋に誘っているように聞こえてしまう。
 勘違いとも思ったが、湊斗の目に籠もる欲望に気づいた。
 葵の喉が小さく鳴り、乾いた唇を軽く噛んで唾液で濡らす。

「いやだったら断っていい。無理強いするつもりはないから忘れてくれ」
「いや、じゃ、ないです」

 感情をこらえるように言われ、葵は悩む間もなくそう返していた。
 いつもの自分なら、相手が上司であろうと同僚であろうと、歯に衣着きぬきせず断ったはずだ。そうしなかったのは、酔っていて正常な判断ができなかったからだ。きっとそうに違いない。
 身体を離されて、湊斗の香りが薄れていく。なんだかそれがひどく寂しく感じるのはなぜだろう。
 葵が見上げると、彼は嬉しそうに、それでいて照れくさそうに笑っていた。

「そうか」

 つないだ手が軽く引かれ、湊斗が手を上げてタクシーを停める。彼にうながされ車に乗り込むと、タクシーはすぐに発進した。

「保土ケ谷方面に向かってください」

 タクシーのエンジン音と振動が身体に伝わってくる。どうして彼の誘いを受けてしまったのだろう。混乱しながらも、拒絶の言葉が出なかったのはどうしてか。
 もしかして夢かもしれない。そう思うたび、彼の手のひらの熱さがこれは現実だと伝えてくる。
 酔いが回ったせいでうつらうつらとしていると、時々つないだ手が動かされ、そのくすぐったさに指先がぴくりと震えた。

「そのあたりで停めてください」

 どれだけの時間が経ったのか、耳心地のいい声が聞こえて意識が浮上した。
 後部座席のドアが開くと、目の前にはカースペースが二台ある一戸建てが建っていた。このあたりは住宅街のようだ。

(ここ、副社長の家?)

 タクシーを降りて家を眺めていると、手を引かれてその一戸建ての家に連れていかれた。

「どうぞ」

 湊斗はドアを開け、ぼんやりと立ち尽くしている葵の手を引く。玄関に足を踏み入れると、玄関の明かりが自動でついた。

「お邪魔、します」

 湊斗は、のろのろと靴を脱ぐ葵を待ってくれている。倒れないように心配してくれているのか、靴を脱ぎ終わるとまた手を取られた。
 面倒見がいい上司だとは思っていたけれど、プライベートでも変わらないらしい。

「水分を取った方がいいな。ここに座ってて」

 リビングに入ると、湊斗は葵をソファーに座らせて、キッチンに行った。
 葵は二十畳ほどのリビングを見回した。リビングはがらんとした雰囲気で、テレビとソファー、小さなローテーブル、二人用のダイニングテーブルしか置かれていない。
 葵を連れてくる予定などなかったはずなのに、綺麗に片付けられている。見た目を裏切らない性格なのかもしれない。実はオタクな葵とは大違いだ。

「ただの水しかなくて悪い。飲めるか?」

 キッチンから戻ってきた湊斗の手には、ミネラルウォーターのペットボトルとグラスが握られていた。湊斗はペットボトルから水をグラスに注ぎ、葵に手渡す。

「ありがとうございます」

 実のところかなり喉が渇いていたのでありがたい。グラスの水を一気に飲み干すと、空のグラスに新しい水が注がれた。それを半分ほど飲む。

「もっと飲むか?」
「いえ……もう平気です。すみません……酔って、ご迷惑を」
「言っておくが、いくら部下が酔っていても、家になんて連れて来ない」

 熱の籠もった目で見つめられて、一気に密度が増したような空気に包まれる。

(酔ってるからって……私どうしてここに来たんだろう。こんなふうに流されるなんて、あり得ない)

 湊斗とそうなってもいいと受け入れている自分に驚き、背中がじっとりと汗ばんでくる。

「もう少し一緒にいたいと言ったよな。いやだったら断っていいとも。断られたら、君だけをタクシーに乗せて帰らせるつもりだった。上司としてな」

 今は上司ではない、そんな口振りだった。
 重ねられた手がゆっくりと動かされて、グラスが奪われる。残っていた水を湊斗が飲み干し、空になったグラスをテーブルに置いた。
 葵が口をつけたグラスに彼も口をつけた。ただそれだけなのに、水で濡れた湊斗の唇がやたらとなまめかしく思えて、葵の胸に動揺が広がる。

「今は、上司じゃ、ないんですか?」
「さぁ、どうだろうな」

 意味深な言葉を聞いて、こくりと小さく喉が鳴り、頬に一気に熱が集まってくる。

「ただ……君を帰したくなかったんだよ」

 赤くなった頬をくすぐるように撫でられて、片方の手に指を絡ませられた。

(……なんだか、おかしくなりそう)

 リアルの男になんて興味はない。それがどれだけ美形だろうが、受け入れるつもりなんてないのに、なぜか彼を拒絶する言葉が出てこない。まるで催眠術にでもかけられたみたいだ。
 わずかに残る理性が断るべきだと言ってくるのに、頭の中に彼の声が反響すると、思考が鈍りなにも考えられなくなる。

(帰したくなかった……なんて)

 もっとその声を聞かせてほしい。そんな思いに駆られて、胸が沸き立つ。

(潤さまと同じ声だから、なの?)

 酔っているからなのか、それとも『先輩の初めてを俺にください』と同じシチュエーションに煽られているのか、自分でもよくわからなかった。

「帰さないで……なにをするんですか?」

 葵が恐る恐る見上げて聞くと、湊斗はふっと笑った。
 あえて言わせようとしていることに湊斗も気づいたのだろう。葵は彼の口から「抱きたい」という言葉を聞きたかったのだ。

「そんな風に聞かれたら期待するぞ。君がいやだと言えば、なにもしないつもりだったのに」

 葵を見る湊斗の目が細まり、劣情を孕む。
 そんな彼に煽られたかのように、葵の胸が早鐘を打ち、コントロールのできない熱が身体の奥深くで渦巻く。湊斗が発する異様な熱に囚われてしまったのか、これから自分をどんな風に抱くのか、教えてほしくなる。

「君……じゃなくて、名前がいいです」

 葵がつぶやいた言葉に、湊斗が小さく息を呑む。

「私の名前を呼んで」

 大好きな人の声で名前を呼ばれたら、天にも昇る心地に違いない。けれど、目を伏せようとは思わなかった。自分の名前を呼ぶ湊斗を見たかったのだ。

「葵……あまり俺を困らせないでくれ。君を抱きたくてたまらなくなる」

 潤さまと同じ声なのに、それが目の前の上司の口から発せられているからか、推しの声とも少し違ったように聞こえる。

「嬉しい、もっと」

 ねだるように湊斗を見上げれば、なにかを我慢するように彼が口元を手で覆った。怜悧れいりさの滲む彼の美貌にますます熱が籠もる。

「葵が好みすぎて、困る」

 そう言われた直後、指を絡ませたまま、ソファーにゆっくりと押し倒された。端整な湊斗の顔が近づいてきて、キスの予感に葵はゆっくりとまぶたを伏せる。
 ちゅっと軽い水音が立ち、すぐに唇が離れていく。ほっとするような残念なような複雑な気持ちで彼の唇を目で追うと、少し開いた唇の隙間を舌で舐められた。

「反応も可愛いな。今度はもっと深くさせて」

 葵がいやがっていないことを確信したのか、今度は先程よりも性急に唇を重ねられた。

「ん」

 熱を持った舌が唇の隙間から差し入れられた。頬を撫でていた指先が、首から肩をなぞっていく。ぬるりと滑る舌先に唇の裏側や歯茎を舐められて、湊斗の声に反応しすでに興奮しつつあった身体がさらに熱を持ち始める。

「はぁ……ふ」

 口腔をくちゅくちゅと音を立ててねぶられる。時々、唇の隙間から漏れる湊斗の息遣いがやたらと色っぽくて、その声にさらに興奮してしまう。
 彼の声を聞くために、なるべく自分は声を上げないようにと我慢していると、肩を撫でていた手のひらが服の上から慎ましい胸元を包んだ。

「我慢しないで。俺は葵の可愛い声が聞きたい」

 薄手のシャツは彼の手の動きを生々しく伝えてくる。優しく乳房を揉みしだかれ、ブラジャー越しにいただきを撫でられた。

「はぅ……んっ、ん」

 その間もキスはやまない。葵の舌を搦め捕り、舌ごと唾液をすすられて、くちゅ、じゅっと卑猥な音が室内に響く。
 下着越しの愛撫を焦れったく思っていると、汗ばんだ手のひらがシャツをめくり上げ、ブラジャーのホックを外した。ふるりと揺れる乳房が直に掴まれ、先程よりも強い力で揉みしだかれる。

「柔らかくて、気持ちいい」

 興奮しきった湊斗の声に、腰がずんと重くなる。足の間がじわりと濡れて、もう引き返せないほどに身体が熱くなっていった。
 葵は湊斗の腕を軽く掴み、熱に浮かされた目で見上げる。

「どうした?」

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