stay gold

二兎

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4th

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 改札を出ると、雨の匂いが鼻先をくすぐる。電車に乗る前には曇りだった空から雨が降り出していて、街灯の中で光の筋がいくつも輝いていた。持っていた傘を差し、薄暗い帰り道を歩く。
 あの日以来、何をしていても日向の顔が思い浮かぶ。淡い夕日に照らされる、狼狽えた表情。言葉を選ぶように何度か唇を持ち上げて沈黙してしまった彼に、血の気が引いて身体が冷たくなっていくのを感じた。
 馬鹿みたいに期待していた。触れてきた仕草に、あの夜の言葉に、探して会いに来てくれたことに。極めつけは、彼の書いた小説を読んで主人公とヒロインの関係性が日向と自分にぴったり重なった時には、これ以上ないほど心臓がドキドキした。
 気持ちを伝えたくて、覚悟を決めて連絡した。水族館に誘われた時にはデートだなんて浮かれて、即座に『行く』と返事していた。
 こんなの都合が良すぎる、ありえない、すべて勘違いかもしれないとも思った。だけど、もしかしたら日向も俺と同じ気持ちなのかもしれないと、勝手に淡い期待を抱いてしまった。
 何もかも全て、自分の思い上がりだった。
 こんな気持ちになるくらいなら、再会なんてしたくなかった。
 脇を通り過ぎた自転車が水溜まりを跳ね上げる。足許が冷たく濡れ、唐突に惨めな気持ちがこみ上げる。自宅マンションはすぐ目の前だというのに、もう一歩も歩きたくなくてその場にうずくまった。
 彼が俺のことを恋愛対象として見ていないのだということは、あの日の反応で分かった。「ごめんなさい」という拒絶の言葉を聞くのが怖くて、逃げ出すように帰ってしまった。
 あれ以来、度々来る「会いたい」という日向からの連絡は放置している。真面目なあいつのことだ。面と向かって、きちんと俺の告白を断ろうとしてくれているのだろう。だけど、拒絶の言葉をその口から直接聞いて、平静でいられる自信がなかった。
「天野くん……!」
 雨音を割いて、はっきりとした男声が鼓膜を打つ。のろのろと顔を上げると、目の前に彼が立っていた。
「日向……」
「迷惑かと思ったけど、どうしても会いたくて。申し訳ないけど、帰りを待たせてもらってた」
 傘もささずに俺の前にしゃがむ日向の頭や肩は、雨で濡れていた。このまま濡らすのは申し訳ない。気まずい気持ちを押し殺し、マンションのエントランスへと向かう。屋根の下で傘を閉じると、「あ……」と後ろに立つ日向が声を漏らした。
「髪、切ったんだね」
 彼に指摘され、どきりとする。毛先が軽く肩に触れるくらいまであった髪は、先週ばっさりと切ってしまった。
「あぁ、うん。そう。暑かったし」
 涼しくなった首筋を撫で、背中を向けたまま答える。長く伸ばした髪は、高校の時に「長いのも様になってる」と日向から言われたことが影響していた。きっと彼は、俺に長い髪もいいと言ったことすら覚えてないだろう。そう思うのも苦しくて、数年ぶりに短くした。
「あの――」
「ごめん」
 日向の声をさえぎるように、声を張る。大きく息を整え、彼と向き合う。言葉の先を失って唇を薄く開けたままの日向は、静かに「何が?」と問いかけた。
「今は、気持ち落ち着けたくて。でも、日向に迷惑はかけないから。友だちとして、これからも付き合えるようにするから、今は時間が欲しい」
 時間が経てば、きっと彼への気持ちもうまくごまかせるはずだ。高二の夏、日向と会えなくなってからも彼のことが忘れられなくて苦しかった。それでも、少しずつ時間をかけて会えない現実を受け入れた。今回も、少しずつこの思いを消して、現実を受け入れていけばいい。
「傘、貸すから。今日は帰って」
 雨粒が滴る傘を差し出す。けれど、彼はそれを受け取ることなく、差し出した俺の右腕を掴んだ。
「少しだけでいいから、僕の話を聞いて」
「……ごめん」
「お願いだ」
「……腕、離して」
「離さない、絶対に」
 彼の指先に力が篭もる。強い意志を映す瞳が俺を射竦め、言葉が詰まる。
 エントランスの扉が開き、外から住民らしき男性が入ってくる。男性は一瞬足を止め、俺たちの横を通り過ぎる。ちらちらと送ってくる視線がいたたまれず、男性がエレベーターに乗りこむと同時にため息を落とした。
「人目につくから、部屋、上がって」
 エレベーターへと歩み寄り、ボタンを押す。背後で、日向がほっとしたように息をつくのが分かった。
「うん。ありがとう」
 それきり口を閉ざし、無言のまま自宅がある三階へと上がる。緩慢な動作で鍵を開けて部屋に入り、持っていた傘を脇に置く。その間、日向が俺の腕を離すことはなかった。
 廊下の向こう、ベランダの窓から隣家の明かりが差しこむ。電気も点けずに玄関に立ちつくしていると、ふいに俺の腕を握る日向の右手が動いた。指先が腕を通って俺の手の甲を撫で、包みこむように手を握る。
「……僕の気持ち、聞いてもらっていいかな」
 右肩に温かな重みが乗り、首筋を髪の毛が擽る。日向が俺の肩に額を置いているのだと気づき、鼓動が高鳴る。
 たとえ思いを拒絶されたとしても、今この時、彼の体温を傍に感じられただけで幸せだと思えた。
「うん」
 震える吐息を吐き出し、突き放される覚悟で頷く。
 つかの間の沈黙。外から響く雨音だけが、二人の間に満ちる。やがて、日向は俺の肩口で深く息を吸いこみ、言葉を選ぶように少しずつ声を漏らした。
「高校生の時、天野くんと過ごす時間はかけがえがなくて、何よりも大切な場所だった。君にとって、ありのままでいられる居心地のいい場所が僕の隣だったらいいと、あの時からずっと思ってきた。だから、もし君にとって僕が簡単に手放せる存在だったとしても、もし君が僕のことを忘れていたとしても、また会いたい、もう一度話しがしたいって思ってずっと探してきた。今だって、このまま連絡が途絶えて、今度こそ二度と会えなくなるかも知れないって考えた時に、絶対に君を手離したくないと思った」
 とめどなく溢れる彼の言葉に、震える息を吸いこむ。少しだけ顔を上げた瞬間、瞼の縁に溜まっていた涙が一粒落ちていた。
「正直、愛とか恋とか、そういうものがよく分からなくて、これがどういう情なのかも未だに自覚できていない……はっきりしなくて、ごめん。だけど、これからもずっと君と一緒に居たいし、君が幸せに笑っていられる場所が、僕の隣だと嬉しい」
 肩口から日向の熱が離れる。腕をそっと後ろに引かれ、逆らうことなく彼と向かい合う。窓から差しこむ淡い光を反射する彼の瞳は、吸いこまれそうな程に美しかった。
「僕にとって、君は他の誰よりも特別な人だ」
 真剣な彼の声音と眼差しに、震える息を緩やかに吐く。
 誰かにとっての一番特別な存在になりたいと願ってきた。親友と呼べるほど気の置けない相手もいなければ、恋人がいたこともなく、母親にも音楽活動が原因で絶縁され、バンドメンバーにすら心を許しきれずに自分を飾って。誰にとっても、こんな俺は唯一無二の特別な存在になんてなれやしないと思ってきた。けれど、そんな俺を、日向は純真なまでに一途に追いかけて、特別な人だと伝えてくれた。
 言葉にできないほどの喜びに、耐えきれずその場にうずくまる。突然膝を折った俺に、「えっ、あっ、天野くん……?」と動揺した日向の声が降ってきた。俺は嗚咽混じりの笑い声を漏らし、涙でぐちゃぐちゃの顔を上げた。
「はあー、……やばい」
「ど、どうしたの?」
 膝を折って目線を合わせてくれた日向に微笑みかける。
「お前の気持ちが想像以上に大きくて、めちゃくちゃ嬉しい」
 所在なさげに浮いていた彼の右手を取り、祈るように両手で握る。
「迷惑かもだけど、それ、日向からの愛って受け取ってもいい?」
 俺の言葉に日向は目を丸くし、やがて、「迷惑なんかじゃないよ」と首を横に振った。
「正直、君にとっての僕なんて取るに足らない存在だと思ってたから」
「そんなこと――」
「うん。この前の言葉を聞いて、そうじゃないって分かった。君が僕を好きだと思ってくれることも、僕の思いに愛を感じてくれてることも、素直に嬉しいよ」
 右手を握る手に、彼の左手が重なる。そっと包みこむように俺の手を握りしめ、日向は力が抜けたように柔らかく微笑んだ。
「僕のこと、好きになってくれてありがとう」


 肩を並べて、駅までの道を歩く。降り出した雨はいつの間にか止んでいて、雲の隙間から白い月がのぞいていた。
 結局、俺と日向はいわゆる『友だち以上恋人未満』という関係性に落ち着いた。正直な気持ちを言えば恋人として付き合いたいが、「曖昧な気持ちのままでとりあえず付き合ってみるとか、そういういい加減なことはしたくない」と、どこまでも真面目な日向に真剣な表情で言われてしまった。俺としてはとりあえず付き合ってみるのもありだったが、日向らしい思いを快く受け取った。それに、今はこのままの距離感で少しずつ仲を深めていけたら、それだけで十分だった。
「なあ、日向」
「なに?」
 駅に着くと同時に呼びかける。首を傾げてこちらを振り向いた日向に、俺は一瞬ためらいながら、ゆっくりと唇を持ち上げる。
「俺のこと、忘れようって思ったことはなかった?」
 問いかけに、日向の瞳が揺れる。やがて彼は瞼を伏せて、「そうだね……」と囁くように声を漏らした。
「いっそのこと、忘れてしまった方がいいかもしれないと思ったことはあったよ。正直、突然天野くんがいなくなった時は、かなりショックを受けたし」
 彼を傷つけてしまったという消せない過去に、ずきりと胸が痛む。自分の意思と無関係とはいえ、彼を放り出すような形で去ってしまったのは事実だ。
「……そう、だよな」
「だけど、」
 俯く俺に、日向は否定の言葉を力強く口にする。思わず顔を上げると、日向は強い意志を秘めた瞳で真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「だけど、忘れたくても忘れられなかった」
 彼の言葉に、息が詰まる。
 忘れないでいて欲しいと望んできた。だけど、その望みはエゴでしかないと思っていた。それなのに、日向は本当に俺を忘れないでいてくれた。
『間もなく二番線に――』
 駅のホームからアナウンスが流れる。はっとしたように俺たちは駅を振り向き、日向は小さく手を挙げる。
「送ってくれてありがとう。それじゃあ」
「あ、ああ」
 日向は歩き出し、改札を抜ける。その背中を見送りながら、気づけば俺は彼を呼び止めていた。
「日向ッ」
 辺りに響く俺の声に、日向は足を止めて振り返る。驚いたように目を丸くした彼に、俺は目尻を細めて静かに微笑んだ。
「俺のこと、忘れないでいてくれてありがとう」
 告げた途端、喉の奥から熱いものがこみ上げる。次の瞬間には、頬が暖かく濡れるのが分かった。めちゃくちゃに右手のひらで顔を拭い、そのまま彼に向けて手を振る。
「またな、日向」
 そんな俺に応えるように、彼はふっと表情を緩ませて、大きく右手を振り返した。
「うん。またね、天野くん」
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