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世界一礼儀正しい悪役平民
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その日は、麓の一軒家に戻って一泊だった。
「エマ、その冬待ち草は丁寧に並べて干して。ガンツ、スノウリリーはすぐ水につけて!」
クリックひとつで処理できない世界。……なんて手間、なんて労力。だけど、この「生きてる」感じがちょっと心地いい。
私は薬草の下処理についてまとめた手紙を書き上げた。他の採取班に渡す、簡易な作業表だ。
「ごめん、この書類、ナイルに届けてくれる?」
疲れているはずのセバスに申し訳なかったが、頼んだ。
「ああ、それなら簡単ですよ!」
彼は当然のように答えると、懐から細い筒状の魔道具を取り出し、そこに手紙を差し入れた。
「……」
「頂いたお給金で買いました。ナイル様との連絡用です。伝聞鳥よりも安全で、迅速ですよ」
──いや、勝手にそんな高価なもの買わないで! 何なんだよ、この完璧執事は……。
「それより、お疲れでしょう。やるべきことは承りました。どうぞ、ゆっくりお休みください」
彼は私を寝室まで案内してくれる。
確かに、まぶたは重い。実質、セバスチャンの背中でほとんど寝ていたはずなのに。少しは、湖の周りを歩いた。いや、遊んでなどいない、薬草を探しただけだ。
「それよりセバス、あなたが休みなさい。上司として言ってるのよ?」
「鍛えてますから。それに、リリカ様を背負えて……嬉しかったですよ。あれは子どもの頃以来ですから」
彼の柔らかな笑みが、胸を締めつけた。
──だって、私はリリカであって、リリカじゃないのだから。
「……そう。じゃあ、甘えさせてもらうわ」
扉を閉めた瞬間、頬を伝う涙を止められなかった。
……泣いたのはいつぶりだろう。現実の両親が死んだ時ですら、私は泣かなかったのに。
いいわ。あなたたちの“悪の組織(仮)を、本当に勝てるように導いてあげる。
この、悪役平民女子がね。
「ずるいですぅ。私も眠いのに。どうしたんですかぁ、リリカ様」
エマが扉をそっと開けて入ってきた。
「欠伸よ。作業終わったのね? じゃあ、手と顔を洗いに行きましょう」
「はーい!」
二人で外の水道へ。山水は冷たかったけれど、満点の星空の下、エベレス山の黒い稜線がとても綺麗だった。
翌朝、いよいよ本格的な登山が始まった。
標高が上がるにつれ、魔物の数は減っていく。自然界ですら立ち入りを拒むこの高地は──ある意味で「聖域」だ。
「このまま進んで、もしドラゴンを怒らせたら……?」
ガンツの問いに、私はにっこりと笑った。
「秘策があるのよ」
「どんな秘策だ?」
「今言ったら面白くないでしょ?」
途中から、冷たい風を防ぐために上着を羽織る。雪が残り、岩肌も凍っている。息が白い。
「……こんな場所に、本当に薬草なんてあるのか?」
「あるわ。でも──その前に」
私がそう言いかけた瞬間、辺りがふっと暗くなった。
影。──雲ではない。
「氷雪のドラゴン、ティア……!」
宙を滑るように飛ぶ、銀の巨大な翼。空に浮かぶその姿が、世界を覆う。
「完全に怒ってるじゃねーか!」
ガンツが低く唸る。
この距離で吐息を受ければ、氷も吹雪もひとたまりもない。でも、彼女は人間を無差別には襲わない……はず。問題は、もし雪崩を起こされたら。
「ティア様──初めまして!」
私は声を震わせながら、その名を呼んだ。
飛び去ろうとしていた影が、空中で旋回する。風が唸り、雪が舞った。
「……あーあ、放っときゃ行ってくれたかもしれねえのに」
ガンツの不満が聞こえたが、無視する。無断で人の土地に踏み込んだら、まずは挨拶する。それが礼儀。
「こんにちは……」
人見知りなりに、私は小さく呟いて頭を下げた。隣のエマが、ぎゅっと私の手を握る。
「みんな、せーので挨拶して。……ティア様、こんにちは!」
……声、ちっさ!
──ドスンッ!
ティアが地上に降り立つ。地面が揺れ、岩盤が砕けた。全身に、冷たい気配がまとわりつく。
──ティアの視線が、私に真っ直ぐ注がれていた。
「は、はじめまして……ティア様……!」
「は、はいっ……!」
まるで卒業式か何か。
挨拶作戦は……失敗。なら、次だ。
「エマ、例の“越後屋”を」
「あ、こっちじゃ──あ、違った! 財宝袋じゃん!」
「違う違う、饅頭の方!」
「そっちね!」
焦りながらも、エマが布包みを差し出してくる。私はそれを受け取り、深呼吸してティアの前に立った。
「つまらないものですが、お近づきの印に──」
そう、ドラゴンは財宝好きなんて話は嘘だ。少なくとも、ティアに関しては。
──私は知っている。彼女は昔、王都で人と暮らしていたことがある。人の味を、文化を、覚えているはず。
「覚えてますか? リドリー饅頭。今も変わらず売ってますよ」
ティアの目が、かすかに細まる。視線が、箱に向けられた。
その瞬間──風が、静かに止んだ。
「効果ねえと思いますけど……」
ガンツが呟くが、声が震えている。彼の足元がじりじりと下がっていく。
私はもう、足がすくんで動けなかった。
──ティアの銀の身体が、ふわりと光に包まれる。
一羽の小鳥へと変化した。
風も、冷気も、静まった。
小鳥は器用に布包みを開け、饅頭をくちばしでひとくち──
「……」
「お、お味はいかがでしょうか……?」
うっかり接客モード。なんでだ私!
小鳥が首をかしげた。
「……うん。確かに、こういう味だった気がする。……少し、甘みが控えめになった気もするが」
しゃ、喋った⁉︎ しかも……優しい声。
その声だけで、私はこの世界で、ほんの少しだけ、「歓迎された」気がした──。
「エマ、その冬待ち草は丁寧に並べて干して。ガンツ、スノウリリーはすぐ水につけて!」
クリックひとつで処理できない世界。……なんて手間、なんて労力。だけど、この「生きてる」感じがちょっと心地いい。
私は薬草の下処理についてまとめた手紙を書き上げた。他の採取班に渡す、簡易な作業表だ。
「ごめん、この書類、ナイルに届けてくれる?」
疲れているはずのセバスに申し訳なかったが、頼んだ。
「ああ、それなら簡単ですよ!」
彼は当然のように答えると、懐から細い筒状の魔道具を取り出し、そこに手紙を差し入れた。
「……」
「頂いたお給金で買いました。ナイル様との連絡用です。伝聞鳥よりも安全で、迅速ですよ」
──いや、勝手にそんな高価なもの買わないで! 何なんだよ、この完璧執事は……。
「それより、お疲れでしょう。やるべきことは承りました。どうぞ、ゆっくりお休みください」
彼は私を寝室まで案内してくれる。
確かに、まぶたは重い。実質、セバスチャンの背中でほとんど寝ていたはずなのに。少しは、湖の周りを歩いた。いや、遊んでなどいない、薬草を探しただけだ。
「それよりセバス、あなたが休みなさい。上司として言ってるのよ?」
「鍛えてますから。それに、リリカ様を背負えて……嬉しかったですよ。あれは子どもの頃以来ですから」
彼の柔らかな笑みが、胸を締めつけた。
──だって、私はリリカであって、リリカじゃないのだから。
「……そう。じゃあ、甘えさせてもらうわ」
扉を閉めた瞬間、頬を伝う涙を止められなかった。
……泣いたのはいつぶりだろう。現実の両親が死んだ時ですら、私は泣かなかったのに。
いいわ。あなたたちの“悪の組織(仮)を、本当に勝てるように導いてあげる。
この、悪役平民女子がね。
「ずるいですぅ。私も眠いのに。どうしたんですかぁ、リリカ様」
エマが扉をそっと開けて入ってきた。
「欠伸よ。作業終わったのね? じゃあ、手と顔を洗いに行きましょう」
「はーい!」
二人で外の水道へ。山水は冷たかったけれど、満点の星空の下、エベレス山の黒い稜線がとても綺麗だった。
翌朝、いよいよ本格的な登山が始まった。
標高が上がるにつれ、魔物の数は減っていく。自然界ですら立ち入りを拒むこの高地は──ある意味で「聖域」だ。
「このまま進んで、もしドラゴンを怒らせたら……?」
ガンツの問いに、私はにっこりと笑った。
「秘策があるのよ」
「どんな秘策だ?」
「今言ったら面白くないでしょ?」
途中から、冷たい風を防ぐために上着を羽織る。雪が残り、岩肌も凍っている。息が白い。
「……こんな場所に、本当に薬草なんてあるのか?」
「あるわ。でも──その前に」
私がそう言いかけた瞬間、辺りがふっと暗くなった。
影。──雲ではない。
「氷雪のドラゴン、ティア……!」
宙を滑るように飛ぶ、銀の巨大な翼。空に浮かぶその姿が、世界を覆う。
「完全に怒ってるじゃねーか!」
ガンツが低く唸る。
この距離で吐息を受ければ、氷も吹雪もひとたまりもない。でも、彼女は人間を無差別には襲わない……はず。問題は、もし雪崩を起こされたら。
「ティア様──初めまして!」
私は声を震わせながら、その名を呼んだ。
飛び去ろうとしていた影が、空中で旋回する。風が唸り、雪が舞った。
「……あーあ、放っときゃ行ってくれたかもしれねえのに」
ガンツの不満が聞こえたが、無視する。無断で人の土地に踏み込んだら、まずは挨拶する。それが礼儀。
「こんにちは……」
人見知りなりに、私は小さく呟いて頭を下げた。隣のエマが、ぎゅっと私の手を握る。
「みんな、せーので挨拶して。……ティア様、こんにちは!」
……声、ちっさ!
──ドスンッ!
ティアが地上に降り立つ。地面が揺れ、岩盤が砕けた。全身に、冷たい気配がまとわりつく。
──ティアの視線が、私に真っ直ぐ注がれていた。
「は、はじめまして……ティア様……!」
「は、はいっ……!」
まるで卒業式か何か。
挨拶作戦は……失敗。なら、次だ。
「エマ、例の“越後屋”を」
「あ、こっちじゃ──あ、違った! 財宝袋じゃん!」
「違う違う、饅頭の方!」
「そっちね!」
焦りながらも、エマが布包みを差し出してくる。私はそれを受け取り、深呼吸してティアの前に立った。
「つまらないものですが、お近づきの印に──」
そう、ドラゴンは財宝好きなんて話は嘘だ。少なくとも、ティアに関しては。
──私は知っている。彼女は昔、王都で人と暮らしていたことがある。人の味を、文化を、覚えているはず。
「覚えてますか? リドリー饅頭。今も変わらず売ってますよ」
ティアの目が、かすかに細まる。視線が、箱に向けられた。
その瞬間──風が、静かに止んだ。
「効果ねえと思いますけど……」
ガンツが呟くが、声が震えている。彼の足元がじりじりと下がっていく。
私はもう、足がすくんで動けなかった。
──ティアの銀の身体が、ふわりと光に包まれる。
一羽の小鳥へと変化した。
風も、冷気も、静まった。
小鳥は器用に布包みを開け、饅頭をくちばしでひとくち──
「……」
「お、お味はいかがでしょうか……?」
うっかり接客モード。なんでだ私!
小鳥が首をかしげた。
「……うん。確かに、こういう味だった気がする。……少し、甘みが控えめになった気もするが」
しゃ、喋った⁉︎ しかも……優しい声。
その声だけで、私はこの世界で、ほんの少しだけ、「歓迎された」気がした──。
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