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蠱惑の魔剣
アレン
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アレンが一人でふとダンジョンに潜ろうと思ったのは、冒険者ギルドが冒険者全員を招集する日の早朝だった。
「行かなくては」
なぜそう思ったのか、自分でもわからない。冒険者ギルドの命令を無視してまで。
探索に行きたくない日など、これまでいくらでもあった。仲間をダンジョンで失ったあの日も。自分も大怪我で死にかけたあの日も。悪夢が瞼の裏に張りつき、体をベッドに縛りつけることが何度もあった。だが今日、足は勝手に森へ向かっていた。
「シシルナ島のダンジョンほど、甘く見てはいけないところはない」
炎が吹き出し、火の魔物が群れを成し、鉱石や宝石が採掘できる中級ダンジョン。表向きはそう呼ばれるが、実際は冒険者たちがその深淵を覗き、知り、恐れて逃げ帰る場所だった。
「そろそろ飽きたな」
「より上を目指そう!」
そう嘯く冒険者たちは、決まって嘘つきだ。低階層ですら未踏の領域が山ほど残っているのに、見える範囲で少しだけ進み、自慢して、僅かな財宝を得て終わる——それが彼らの現実である。
アレンはこの島の生まれではない。王国の片隅にある豊かな農村の出だ。
「いつかは冒険者になる」
親はきちんとした教育を施してくれたが、アレンは野心に駆られて村を飛び出した。半島を下り、彷徨い、流れ着いたのがこの島だった。念願の冒険者にはなれた。だが、虚しさが残った。
「おれも、ダンジョンに取り込まれてしまうのか」
そう思いながらも、アレンはソロで行く準備を進めていた。仲間はもういない。移住して去った者、引退した者、そしてダンジョンに消えた者——自分だけが取り残された。だからこそ彼は、新参の冒険者たちの案内人を進んで務めた。寂しさを紛らわすためかもしれない。だが、それを口にしたことは一度もなかった。
「あの天才が本気を出せば、このダンジョンの秘密すら暴くのだろうな……知りたかったな」
アレンの言う「天才」とは、数年前に現れた狼人族の子、ノルドのことだ。狼を従え、隻眼で、足を引きずり、猫背だった少年は、いまや堂々たる青年に成長していた。彼が作る消化薬や奇跡的なポーション類は、シシルナ島の死者と負傷者を劇的に減らした。
「ああ、あの時に彼がいれば……彼女を救えたのに」
アレンはダンジョンに消えた恋人を思い出す。明るく笑い、誰よりも先に歩み出す癖のあった彼女の声は、今も耳にやさしく残響している。だが彼女はもう戻らない。深きダンジョンは奪うばかりで、何ひとつ返してはくれなかった。
「あの男が来なければ、俺が雇いたかったな」
ノルドの旅立ちが近いことを、アレンは肌で感じていた。荷運び人の仮面の下に隠された、冒険者としての本当の力を。だからこそアレンは、持ち金のすべてを彼に渡してでも頼もうと思っていたのだ。
「これ以上の成長は、俺にはないだろう。……最後の冒険を」
言えなかった言葉を呟き、アレンは彼女と暮らした部屋を出た。
※
アレンはダンジョンへ向かわず、ダンジョン町の大魔物の森へ足を運んだ。そして三本あるエルフツリーの最奥にあるカリスを目指した。
この魔物の森の奥地は、グリムエイプの大群が生息する危険地帯だが、ノルドが大怪我をしながら撃退したという話を聞いていた。アレンは「たいしたものだ。俺は近寄らないように注意を促していただけだった」と呟く。ダンジョンに潜る前に、なぜかこの場所へ来なければならない気がしていたのだ。
最奥のカリスは、昼なお暗い森の中で精霊の子が回っている場だった。アレンも何度かここを訪れている。だが、その日見たカリスの木は、どこか違って見えた。
「この木が、あの地下三階層、いやもっと下から生えているんだ。どれほど大きいんだ?」
カリスの周りの芝生の一部だけが光り輝いているのが目に留まった。アレンは思わず触った。するとその一帯の地面が消え——アレンは地下へと落ちていった。
一瞬、三階層に落ちたかと思ったが、さらに下へ引きずられるように落下した。闇に包まれながら、アレンは受け身を取って地面にぶつかる衝撃を和らげた。
「よかった。丈夫で安心したわ。でもそれくらいじゃないと、あの男に勝てないからね」
「誰だ?」アレンは暗視を使ったが、周囲に誰の姿もなかった。やがて、周囲がわずかに明るくなる。四階層以下の礼拝堂に似た作りだ。一つの鞄が転がり、中身が散乱している。食糧、予備の剣、ノルドから買ったらしいポーション類——。
「それで、何をすればいいんだ?」
「ええと……あの男、カリスを殺してほしい。それだけだ」
ふふふ、と笑うような風が吹き、その声の主が答えた。
「なぜ俺に頼む?」
「あなたなら死んでも問題ないでしょ」
「はあ! 身勝手だな」
「違うわ。あなた、死にたがってるでしょ」
本心を言い当てられ、アレンは驚いた。誰にも言われたことのない言葉だ。胸の内の空洞を誰かに見透かされたような羞恥と、どこか救われる気配が混ざる。
「だが、奴を殺す理由がわからない」
「ふざけるな! 純粋な善行でない者が言うのは許せない。お前の言葉は偽善だ! 奴がどれだけ害悪か知っているだろう?」
「ああ、そうだ。その通りだな」
「それなら、人の好きな利をあげるわ。彼女に会わせてあげる」
ダンジョンに飲み込まれた彼女。それは生者ではないかもしれない。肉体は朽ち、骨だけか、あるいは魔物へと変わっているかもしれない——それでも、アレンの胸は震えた。
「わかった。契約をしよう!」
その言葉とともに、冷たい印がアレンの手首に浮かび上がった。これから払うべき代償の重さが、同時に胸の底へと落ちてきた。
「行かなくては」
なぜそう思ったのか、自分でもわからない。冒険者ギルドの命令を無視してまで。
探索に行きたくない日など、これまでいくらでもあった。仲間をダンジョンで失ったあの日も。自分も大怪我で死にかけたあの日も。悪夢が瞼の裏に張りつき、体をベッドに縛りつけることが何度もあった。だが今日、足は勝手に森へ向かっていた。
「シシルナ島のダンジョンほど、甘く見てはいけないところはない」
炎が吹き出し、火の魔物が群れを成し、鉱石や宝石が採掘できる中級ダンジョン。表向きはそう呼ばれるが、実際は冒険者たちがその深淵を覗き、知り、恐れて逃げ帰る場所だった。
「そろそろ飽きたな」
「より上を目指そう!」
そう嘯く冒険者たちは、決まって嘘つきだ。低階層ですら未踏の領域が山ほど残っているのに、見える範囲で少しだけ進み、自慢して、僅かな財宝を得て終わる——それが彼らの現実である。
アレンはこの島の生まれではない。王国の片隅にある豊かな農村の出だ。
「いつかは冒険者になる」
親はきちんとした教育を施してくれたが、アレンは野心に駆られて村を飛び出した。半島を下り、彷徨い、流れ着いたのがこの島だった。念願の冒険者にはなれた。だが、虚しさが残った。
「おれも、ダンジョンに取り込まれてしまうのか」
そう思いながらも、アレンはソロで行く準備を進めていた。仲間はもういない。移住して去った者、引退した者、そしてダンジョンに消えた者——自分だけが取り残された。だからこそ彼は、新参の冒険者たちの案内人を進んで務めた。寂しさを紛らわすためかもしれない。だが、それを口にしたことは一度もなかった。
「あの天才が本気を出せば、このダンジョンの秘密すら暴くのだろうな……知りたかったな」
アレンの言う「天才」とは、数年前に現れた狼人族の子、ノルドのことだ。狼を従え、隻眼で、足を引きずり、猫背だった少年は、いまや堂々たる青年に成長していた。彼が作る消化薬や奇跡的なポーション類は、シシルナ島の死者と負傷者を劇的に減らした。
「ああ、あの時に彼がいれば……彼女を救えたのに」
アレンはダンジョンに消えた恋人を思い出す。明るく笑い、誰よりも先に歩み出す癖のあった彼女の声は、今も耳にやさしく残響している。だが彼女はもう戻らない。深きダンジョンは奪うばかりで、何ひとつ返してはくれなかった。
「あの男が来なければ、俺が雇いたかったな」
ノルドの旅立ちが近いことを、アレンは肌で感じていた。荷運び人の仮面の下に隠された、冒険者としての本当の力を。だからこそアレンは、持ち金のすべてを彼に渡してでも頼もうと思っていたのだ。
「これ以上の成長は、俺にはないだろう。……最後の冒険を」
言えなかった言葉を呟き、アレンは彼女と暮らした部屋を出た。
※
アレンはダンジョンへ向かわず、ダンジョン町の大魔物の森へ足を運んだ。そして三本あるエルフツリーの最奥にあるカリスを目指した。
この魔物の森の奥地は、グリムエイプの大群が生息する危険地帯だが、ノルドが大怪我をしながら撃退したという話を聞いていた。アレンは「たいしたものだ。俺は近寄らないように注意を促していただけだった」と呟く。ダンジョンに潜る前に、なぜかこの場所へ来なければならない気がしていたのだ。
最奥のカリスは、昼なお暗い森の中で精霊の子が回っている場だった。アレンも何度かここを訪れている。だが、その日見たカリスの木は、どこか違って見えた。
「この木が、あの地下三階層、いやもっと下から生えているんだ。どれほど大きいんだ?」
カリスの周りの芝生の一部だけが光り輝いているのが目に留まった。アレンは思わず触った。するとその一帯の地面が消え——アレンは地下へと落ちていった。
一瞬、三階層に落ちたかと思ったが、さらに下へ引きずられるように落下した。闇に包まれながら、アレンは受け身を取って地面にぶつかる衝撃を和らげた。
「よかった。丈夫で安心したわ。でもそれくらいじゃないと、あの男に勝てないからね」
「誰だ?」アレンは暗視を使ったが、周囲に誰の姿もなかった。やがて、周囲がわずかに明るくなる。四階層以下の礼拝堂に似た作りだ。一つの鞄が転がり、中身が散乱している。食糧、予備の剣、ノルドから買ったらしいポーション類——。
「それで、何をすればいいんだ?」
「ええと……あの男、カリスを殺してほしい。それだけだ」
ふふふ、と笑うような風が吹き、その声の主が答えた。
「なぜ俺に頼む?」
「あなたなら死んでも問題ないでしょ」
「はあ! 身勝手だな」
「違うわ。あなた、死にたがってるでしょ」
本心を言い当てられ、アレンは驚いた。誰にも言われたことのない言葉だ。胸の内の空洞を誰かに見透かされたような羞恥と、どこか救われる気配が混ざる。
「だが、奴を殺す理由がわからない」
「ふざけるな! 純粋な善行でない者が言うのは許せない。お前の言葉は偽善だ! 奴がどれだけ害悪か知っているだろう?」
「ああ、そうだ。その通りだな」
「それなら、人の好きな利をあげるわ。彼女に会わせてあげる」
ダンジョンに飲み込まれた彼女。それは生者ではないかもしれない。肉体は朽ち、骨だけか、あるいは魔物へと変わっているかもしれない——それでも、アレンの胸は震えた。
「わかった。契約をしよう!」
その言葉とともに、冷たい印がアレンの手首に浮かび上がった。これから払うべき代償の重さが、同時に胸の底へと落ちてきた。
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