1 / 58
第1輪 密室で育まれない恋
しおりを挟む
雲のない漆黒の闇が広がる空の上から、赤い薔薇のような艶のある髪を靡かせる男がいた――。
まだ夜が明けず、静まり返った都市の中心で空へ高く伸びた一本の白い柱が聳え立っている。一番高い部分は星型に形成され、透明な文字盤を白い針がカチカチと音を立てていた。魔法のあるこの世界でも一際見た目に拘ったといわれる魔法の時計台が、星の瞬きを受けて文字盤を青く染め上げ主張する。
そんな闇の中。旧市街にある古城へ賊が侵入したとの情報を得た王国が誇る魔法騎士団は、五人の少数精鋭で任務へ当たる。
だが賊の侵入は、この世界すべてに反旗を翻す【闇魔法結社】の罠だった――。
「どこに消えやがった⁉」
「相手は魔法使いだからな――」
誰かを探す声に、廊下を走る複数の足音が遠ざかっていく。男たちが去った廊下の寂れた部屋の片隅に、一つだけ取り残され埃を被ったクロゼットが佇んでいた。
キーッという軋む音をさせ、少しだけ中から扉が開かれる。追手から逃れるように大きめなクロゼットへ身を隠した二人の男が、窓ガラスから覗く月明かりで暗い影より姿をみせた。襟に掛からないほどの長さで、炎のように赤く染まった外に跳ねた髪をした男が外へ顔を出そうとしたとき、もう一人が腕を掴んで引きずり込む。体格からして明らかに狭い空間で、身を屈めるような男の手が暴れる腰を掴んだ。
中にいる男の弾む声から緊迫感のなさが垣間見える。
「足音が消えたからって、まだ外を確認するのは危ないってば~」
「うるせぇ! 団長の俺に指図するな――つか、何か妙なモノが当たってんぞ……」
「あっ、分かっちゃったー?」
引きずり込まれたことで中にいた男の体と更に密着した体勢になって、臀部へ何かが当たっているのに気づいたイグニスは心底嫌そうな低い声で吐き捨てた。
暗い中で表情は読み取れないが、わなわなと震える体は恐怖や緊張などではなく――怒りである。
「てめぇ……こんなところで、おっ立ててんじゃねぇ‼」
「えー。だって、雰囲気出てるからさー」
「まったく出てねぇだろうが‼」
此処は、リトス王国の土地である近未来、魔法都市アヴニール。二人はこれでも王国魔法騎士団長と副団長だ。
二人が選んだ団員三人に二十分後の合図で潜入しろと命じたイグニスは、旧王城に到着してすぐ、敵が仕掛けた閃光弾によって潜伏していた賊に囲まれてしまった。問答無用で攻撃魔法を展開しようとしたイグニスは、赤いカーペットが敷かれた廊下から空き部屋に連れ込まれ、強引にクロゼットへ押し込まれて現在に至る。
「てめぇ……あとで殺す」
「えー。もしかして、誘い受け? それなら大歓迎だけど……」
「んなわけあるか‼ 誰がてめぇなんかと……死んでもごめんだ!」
「ヒドイなぁ……そこまで否定しなくてもいいのに」
口の悪さや気性の激しさと髪の色も相まって、誰もが慄く炎のようで氷の男と呼ばれ、実力故に団長へ任命されたイグニス・ローゼンだ。
ただし、容姿端麗な顔立ちをしているため、意外に女性からの人気がある。一部では男からも――。
そんな男は副団長であるグラキエス・メディシーナによって粛清されているという黒い噂も流れている。
ちなみに副団長のグラキエスは風貌から遊び人扱いされるが、これでも国が誇る“男の聖女”と呼ばれる回復魔法使いだ。ただ、普段イグニスに見せる姿とはかけ離れているため、“笑顔の裏に氷の仮面あり”と恐れられている。一部の部下を奴隷の如く扱って、自分が別行動を強いられた際にイグニスの行動を見張らせているとかいないとか――。
「そんなことよりも、作戦を言う。俺が魔法で蹴散らすから、てめぇは援護しろ」
「あー、うん。まったく作戦になってないやつね。りょーかい!」
「てめぇ……俺を馬鹿にしてねぇか」
「えー、してないよ。かわい――尊敬してるってー」
明らかに別な言葉を口にしようとしてはぐらかすグラキエスを、冷ややかな眼差しで舌打ちするイグニスは腹部で這う手を捻り上げる。口は悪いが繊細な魔法を使うことでも知られているイグニスは、思い切り扉を蹴って開けると同時に魔法を展開した。
「――道を示し、照らし出せ!」
床へ降り立った直後。イグニスの足元に、赤い薔薇の結晶が現れて花弁が宙へ舞う。硝子のように透き通る花弁はキラキラと輝いて、足元から伸びる無数の蔓が光の速さで床を這っていった。
面倒臭そうに前髪を上げるイグニスは、金糸の刺繍がされた白いローブを翻し、革靴を鳴らして扉へ向かう。仕方ないとばかりにクロゼットから出てきたグラキエスはイグニスより十センチほど背が高く、線の細いすらっとした体格をしていた。
イグニスと同じ金糸の刺繍がされた白いローブ姿に白銀で、肩に掛かるフワフワした髪が揺れる。透き通った空色の垂れ目が一心にイグニスへ向けられていた。
「イグニスの魔法はいつ見ても華やかで素敵だよねー。まるで、本人の心を映してるような……」
「……てめぇが言うと気色悪い。よく言われるのは薔薇じゃなく、棘だけどな」
「――見る目がない痴れ者共が……。それで、位置は把握出来たんでしょ?」
「サラッと聞きたくねえことは流しやがる……。ああ、一気に叩くぞ」
先ほどまで隠れていた人物とは思えないほど、歪んだ笑みを浮かべるイグニスは、自分だけが見えている世界を確認するように走り出す。
廊下へ出て入り口に戻ると、壁側に二階へ続く階段があった。上の方から聞こえてくる複数の足音は、先ほど廊下から聞こえたのと同じ。魔法を使ったことで、イグニスの赤い瞳は宝石のようにキラキラと輝いていた。
先ほどの呪文は広範囲探知魔法で良く使われるが、イグニスが使うと洗礼され化け物級に生まれ変わる。イグニスの目に映る古城は、構造が丸分かりな透明で大きい箱と化していた。賊の命運はすでにイグニスの手中にある。
音を消す魔法で階段を駆け上がると、賊が入り込んだ部屋の横で立ち止まった。中にいるのは全部で七人の武装集団。イグニスはローブを翻し、コツコツと革のブーツを鳴らして開かれた扉から中へ入る。
「――穢れた魂に拠り所なく、花弁に映すは醜い心のみ。肉体は蝕まれ、更正の余地はなく枯れるだけ――」
「あ? どこに隠れてるかと思ったら、自ら出てくるとはなァ!」
賊程度だと仲間に魔法使いはいない。賊を雇った闇魔法結社は違うが、奴らは基本的に表へ出て来ない臆病者だ。
全員がイグニスに向かって各々得物を構える。二人は王国の魔法騎士団に属しているが、得物は魔法だけ。リトス王国では魔法使いが騎士を名乗っており、他の国よりも魔法に長けていた。
統率力はあるようで、いっせいにイグニスへ得物を向けてくる賊が刃物を振り下ろした瞬間、見えない何かに弾かれる。そこで初めてイグニスの前に軽く手をかざしているグラキエスの姿が賊の目に留まった。驚く賊は騒ぎ立てるが、次に異様な光景を目の当たりにして後退る。
気づいたときにはもう遅く、無数の赤い薔薇が賊の周りを囲むように浮いていた。仄かに妖しく輝いている花弁は、イグニスの言葉で反応するように輝きを増していく。
「――美しい薔薇には棘がある!」
その瞬間、賊の中央へ巨大な赤薔薇が現れた。だがそれは一瞬のことで、すぐに茶色く枯れていき、血のような赤い花弁が炎へと身を焦がし、触れた賊は炎に包まれ叫びだす。一瞬で地獄絵図へと変わる景色にも関わらず、満足した様子で口角が上がるイグニスは、まさしく棘が本体でもおかしくない薔薇のようだった。
ただ、そんなイグニスを高揚した表情で眺めるグラキエスはパチンと指を鳴らす。炎に包まれ悶え苦しむ賊が、みるみるうちに再生していき、黒い煙をあげて地面へ突っ伏していった。
「ば、バケモノ……‼」
「イグニス、駄目だよー。これじゃあ、キミの魂が穢れちゃう……」
「手加減したぞ。それに、あれくらいじゃ死なねぇだろ」
「いいや、アレ。僕が回復させなかったら死んでたからねー?」
イグニスが放ったのは究極魔法と呼ばれ、魔法界で唯一詠唱のある魔法だ。この国で使える魔法使いはイグニスしかいない。上級魔法のさらに上だ。
ジリジリと歩み寄ってくるグラキエスは倒れている賊など気にすることなくイグニスの腰へ手を伸ばす。すべてを見据えている赤い双眸が気づかないはずもなく、触れる前に色白で男らしい骨ばった手を叩いた。
パチンという音が部屋に響き、耳と尻尾が生えた種族だったなら垂れ下がっているほど絶望した顔で、下を向いたグラキエスに盛大なため息がこぼれる。
この程度は日常茶飯事で、グラキエスが傷つくはずもなく、満面の笑みを浮かべて高揚したまま叩かれた自分の手に唇を当てていた。
「もう……愛情表現が激しいんだから。照れなくてもいいのにー。いつも僕がイグニスの尻拭いしてるんだよー?」
「……誰のケツを拭いてるって? てめぇが言うと卑猥にしか聞こえねぇ」
頬に手を当てるグラキエスに心底嫌そうな表情をするイグニスは賊を放置して部屋を出ていく。直後「ギャー!」という賊の声がしてからケロッとした表情で出てきたグラキエスは、イグニスがしなかった拘束魔法を使ったと笑った。拘束魔法くらいで悲鳴が上がるはずもなく、敢えて聞くことはせず、コツコツと革のブーツを響かせて階段を降りていく。
隣に並んで歩くグラキエスは終始笑顔を向けてイグニスより高く透き通る声を響かせた。
「炎魔法の熱気で汗かいたでしょー? 今日は久しぶりに湯浴みしようよー」
「いまのやり取りで一緒に湯浴みするって言うと思ってんのか?」
「えー……いいでしょー? 小さい頃はよく入ってたのに」
「てめぇが、まだまともだったからだ」
小さい頃というのは本当にまだ年端もいかないときの話だった。グラキエスはある事情で、イグニスの家に八歳で養子として迎えられている。二歳年上として世話していたイグニスたち二人は俗に言う幼馴染だ。なぜか無言のまま歩いていたグラキエスは古城を出る手前の扉で立ち止まる。
「えっ? 八歳だった僕の話だよね?」
ずっと無言だった男から出てきた言葉は疑問形の一言だけ――。だが、その一言はイグニスにとって重い言葉であり、心底聞きたくない様子で冷めた目を向ける。
「……てめぇが、俺を意識したのはいつからだ」
嫌々絞り出した言葉は普段よりも重低音で、蔑む声だった。それにも関わらず、イグニスの反応だけで高揚した目を向けるグラキエスに一歩引く。
「うーん……初めて会った、あの日から?」
「……八歳から十歳までは、一緒に湯浴みしてたぞ――俺に近寄るんじゃねぇ」
「えー。あっ、ちょっと待ってよー。怖がらなくても、ゆっくり一から教えてあげるからさー。――本当は、キミが僕のヒーローになったときからだけどね……」
消え入りそうなグラキエスの本音は聞こえない。ローブを翻したイグニスは外へ出るとすぐに宙へ浮かび上がる。合図を待って外で待機していた三人は呆気に取られていたが、それもいつものことで「賊を運べ」と指示を受けて中へ入っていった。
障害物のない澄み切った上空から見える現在はまだ眠った都市を見据え、一瞬だけ古城の一点へ視線を投げる。白銀のふわふわした髪を揺らし笑顔なグラキエスを残して、引きつる顔で遠くに見える青い城目掛けて飛んでいった。
まだ夜が明けず、静まり返った都市の中心で空へ高く伸びた一本の白い柱が聳え立っている。一番高い部分は星型に形成され、透明な文字盤を白い針がカチカチと音を立てていた。魔法のあるこの世界でも一際見た目に拘ったといわれる魔法の時計台が、星の瞬きを受けて文字盤を青く染め上げ主張する。
そんな闇の中。旧市街にある古城へ賊が侵入したとの情報を得た王国が誇る魔法騎士団は、五人の少数精鋭で任務へ当たる。
だが賊の侵入は、この世界すべてに反旗を翻す【闇魔法結社】の罠だった――。
「どこに消えやがった⁉」
「相手は魔法使いだからな――」
誰かを探す声に、廊下を走る複数の足音が遠ざかっていく。男たちが去った廊下の寂れた部屋の片隅に、一つだけ取り残され埃を被ったクロゼットが佇んでいた。
キーッという軋む音をさせ、少しだけ中から扉が開かれる。追手から逃れるように大きめなクロゼットへ身を隠した二人の男が、窓ガラスから覗く月明かりで暗い影より姿をみせた。襟に掛からないほどの長さで、炎のように赤く染まった外に跳ねた髪をした男が外へ顔を出そうとしたとき、もう一人が腕を掴んで引きずり込む。体格からして明らかに狭い空間で、身を屈めるような男の手が暴れる腰を掴んだ。
中にいる男の弾む声から緊迫感のなさが垣間見える。
「足音が消えたからって、まだ外を確認するのは危ないってば~」
「うるせぇ! 団長の俺に指図するな――つか、何か妙なモノが当たってんぞ……」
「あっ、分かっちゃったー?」
引きずり込まれたことで中にいた男の体と更に密着した体勢になって、臀部へ何かが当たっているのに気づいたイグニスは心底嫌そうな低い声で吐き捨てた。
暗い中で表情は読み取れないが、わなわなと震える体は恐怖や緊張などではなく――怒りである。
「てめぇ……こんなところで、おっ立ててんじゃねぇ‼」
「えー。だって、雰囲気出てるからさー」
「まったく出てねぇだろうが‼」
此処は、リトス王国の土地である近未来、魔法都市アヴニール。二人はこれでも王国魔法騎士団長と副団長だ。
二人が選んだ団員三人に二十分後の合図で潜入しろと命じたイグニスは、旧王城に到着してすぐ、敵が仕掛けた閃光弾によって潜伏していた賊に囲まれてしまった。問答無用で攻撃魔法を展開しようとしたイグニスは、赤いカーペットが敷かれた廊下から空き部屋に連れ込まれ、強引にクロゼットへ押し込まれて現在に至る。
「てめぇ……あとで殺す」
「えー。もしかして、誘い受け? それなら大歓迎だけど……」
「んなわけあるか‼ 誰がてめぇなんかと……死んでもごめんだ!」
「ヒドイなぁ……そこまで否定しなくてもいいのに」
口の悪さや気性の激しさと髪の色も相まって、誰もが慄く炎のようで氷の男と呼ばれ、実力故に団長へ任命されたイグニス・ローゼンだ。
ただし、容姿端麗な顔立ちをしているため、意外に女性からの人気がある。一部では男からも――。
そんな男は副団長であるグラキエス・メディシーナによって粛清されているという黒い噂も流れている。
ちなみに副団長のグラキエスは風貌から遊び人扱いされるが、これでも国が誇る“男の聖女”と呼ばれる回復魔法使いだ。ただ、普段イグニスに見せる姿とはかけ離れているため、“笑顔の裏に氷の仮面あり”と恐れられている。一部の部下を奴隷の如く扱って、自分が別行動を強いられた際にイグニスの行動を見張らせているとかいないとか――。
「そんなことよりも、作戦を言う。俺が魔法で蹴散らすから、てめぇは援護しろ」
「あー、うん。まったく作戦になってないやつね。りょーかい!」
「てめぇ……俺を馬鹿にしてねぇか」
「えー、してないよ。かわい――尊敬してるってー」
明らかに別な言葉を口にしようとしてはぐらかすグラキエスを、冷ややかな眼差しで舌打ちするイグニスは腹部で這う手を捻り上げる。口は悪いが繊細な魔法を使うことでも知られているイグニスは、思い切り扉を蹴って開けると同時に魔法を展開した。
「――道を示し、照らし出せ!」
床へ降り立った直後。イグニスの足元に、赤い薔薇の結晶が現れて花弁が宙へ舞う。硝子のように透き通る花弁はキラキラと輝いて、足元から伸びる無数の蔓が光の速さで床を這っていった。
面倒臭そうに前髪を上げるイグニスは、金糸の刺繍がされた白いローブを翻し、革靴を鳴らして扉へ向かう。仕方ないとばかりにクロゼットから出てきたグラキエスはイグニスより十センチほど背が高く、線の細いすらっとした体格をしていた。
イグニスと同じ金糸の刺繍がされた白いローブ姿に白銀で、肩に掛かるフワフワした髪が揺れる。透き通った空色の垂れ目が一心にイグニスへ向けられていた。
「イグニスの魔法はいつ見ても華やかで素敵だよねー。まるで、本人の心を映してるような……」
「……てめぇが言うと気色悪い。よく言われるのは薔薇じゃなく、棘だけどな」
「――見る目がない痴れ者共が……。それで、位置は把握出来たんでしょ?」
「サラッと聞きたくねえことは流しやがる……。ああ、一気に叩くぞ」
先ほどまで隠れていた人物とは思えないほど、歪んだ笑みを浮かべるイグニスは、自分だけが見えている世界を確認するように走り出す。
廊下へ出て入り口に戻ると、壁側に二階へ続く階段があった。上の方から聞こえてくる複数の足音は、先ほど廊下から聞こえたのと同じ。魔法を使ったことで、イグニスの赤い瞳は宝石のようにキラキラと輝いていた。
先ほどの呪文は広範囲探知魔法で良く使われるが、イグニスが使うと洗礼され化け物級に生まれ変わる。イグニスの目に映る古城は、構造が丸分かりな透明で大きい箱と化していた。賊の命運はすでにイグニスの手中にある。
音を消す魔法で階段を駆け上がると、賊が入り込んだ部屋の横で立ち止まった。中にいるのは全部で七人の武装集団。イグニスはローブを翻し、コツコツと革のブーツを鳴らして開かれた扉から中へ入る。
「――穢れた魂に拠り所なく、花弁に映すは醜い心のみ。肉体は蝕まれ、更正の余地はなく枯れるだけ――」
「あ? どこに隠れてるかと思ったら、自ら出てくるとはなァ!」
賊程度だと仲間に魔法使いはいない。賊を雇った闇魔法結社は違うが、奴らは基本的に表へ出て来ない臆病者だ。
全員がイグニスに向かって各々得物を構える。二人は王国の魔法騎士団に属しているが、得物は魔法だけ。リトス王国では魔法使いが騎士を名乗っており、他の国よりも魔法に長けていた。
統率力はあるようで、いっせいにイグニスへ得物を向けてくる賊が刃物を振り下ろした瞬間、見えない何かに弾かれる。そこで初めてイグニスの前に軽く手をかざしているグラキエスの姿が賊の目に留まった。驚く賊は騒ぎ立てるが、次に異様な光景を目の当たりにして後退る。
気づいたときにはもう遅く、無数の赤い薔薇が賊の周りを囲むように浮いていた。仄かに妖しく輝いている花弁は、イグニスの言葉で反応するように輝きを増していく。
「――美しい薔薇には棘がある!」
その瞬間、賊の中央へ巨大な赤薔薇が現れた。だがそれは一瞬のことで、すぐに茶色く枯れていき、血のような赤い花弁が炎へと身を焦がし、触れた賊は炎に包まれ叫びだす。一瞬で地獄絵図へと変わる景色にも関わらず、満足した様子で口角が上がるイグニスは、まさしく棘が本体でもおかしくない薔薇のようだった。
ただ、そんなイグニスを高揚した表情で眺めるグラキエスはパチンと指を鳴らす。炎に包まれ悶え苦しむ賊が、みるみるうちに再生していき、黒い煙をあげて地面へ突っ伏していった。
「ば、バケモノ……‼」
「イグニス、駄目だよー。これじゃあ、キミの魂が穢れちゃう……」
「手加減したぞ。それに、あれくらいじゃ死なねぇだろ」
「いいや、アレ。僕が回復させなかったら死んでたからねー?」
イグニスが放ったのは究極魔法と呼ばれ、魔法界で唯一詠唱のある魔法だ。この国で使える魔法使いはイグニスしかいない。上級魔法のさらに上だ。
ジリジリと歩み寄ってくるグラキエスは倒れている賊など気にすることなくイグニスの腰へ手を伸ばす。すべてを見据えている赤い双眸が気づかないはずもなく、触れる前に色白で男らしい骨ばった手を叩いた。
パチンという音が部屋に響き、耳と尻尾が生えた種族だったなら垂れ下がっているほど絶望した顔で、下を向いたグラキエスに盛大なため息がこぼれる。
この程度は日常茶飯事で、グラキエスが傷つくはずもなく、満面の笑みを浮かべて高揚したまま叩かれた自分の手に唇を当てていた。
「もう……愛情表現が激しいんだから。照れなくてもいいのにー。いつも僕がイグニスの尻拭いしてるんだよー?」
「……誰のケツを拭いてるって? てめぇが言うと卑猥にしか聞こえねぇ」
頬に手を当てるグラキエスに心底嫌そうな表情をするイグニスは賊を放置して部屋を出ていく。直後「ギャー!」という賊の声がしてからケロッとした表情で出てきたグラキエスは、イグニスがしなかった拘束魔法を使ったと笑った。拘束魔法くらいで悲鳴が上がるはずもなく、敢えて聞くことはせず、コツコツと革のブーツを響かせて階段を降りていく。
隣に並んで歩くグラキエスは終始笑顔を向けてイグニスより高く透き通る声を響かせた。
「炎魔法の熱気で汗かいたでしょー? 今日は久しぶりに湯浴みしようよー」
「いまのやり取りで一緒に湯浴みするって言うと思ってんのか?」
「えー……いいでしょー? 小さい頃はよく入ってたのに」
「てめぇが、まだまともだったからだ」
小さい頃というのは本当にまだ年端もいかないときの話だった。グラキエスはある事情で、イグニスの家に八歳で養子として迎えられている。二歳年上として世話していたイグニスたち二人は俗に言う幼馴染だ。なぜか無言のまま歩いていたグラキエスは古城を出る手前の扉で立ち止まる。
「えっ? 八歳だった僕の話だよね?」
ずっと無言だった男から出てきた言葉は疑問形の一言だけ――。だが、その一言はイグニスにとって重い言葉であり、心底聞きたくない様子で冷めた目を向ける。
「……てめぇが、俺を意識したのはいつからだ」
嫌々絞り出した言葉は普段よりも重低音で、蔑む声だった。それにも関わらず、イグニスの反応だけで高揚した目を向けるグラキエスに一歩引く。
「うーん……初めて会った、あの日から?」
「……八歳から十歳までは、一緒に湯浴みしてたぞ――俺に近寄るんじゃねぇ」
「えー。あっ、ちょっと待ってよー。怖がらなくても、ゆっくり一から教えてあげるからさー。――本当は、キミが僕のヒーローになったときからだけどね……」
消え入りそうなグラキエスの本音は聞こえない。ローブを翻したイグニスは外へ出るとすぐに宙へ浮かび上がる。合図を待って外で待機していた三人は呆気に取られていたが、それもいつものことで「賊を運べ」と指示を受けて中へ入っていった。
障害物のない澄み切った上空から見える現在はまだ眠った都市を見据え、一瞬だけ古城の一点へ視線を投げる。白銀のふわふわした髪を揺らし笑顔なグラキエスを残して、引きつる顔で遠くに見える青い城目掛けて飛んでいった。
20
あなたにおすすめの小説
異世界転移で、俺と僕とのほっこり溺愛スローライフ~間に挟まる・もふもふ神の言うこと聞いて珍道中~
兎森りんこ
BL
主人公のアユムは料理や家事が好きな、地味な平凡男子だ。
そんな彼が突然、半年前に異世界に転移した。
そこで出逢った美青年エイシオに助けられ、同居生活をしている。
あまりにモテすぎ、トラブルばかりで、人間不信になっていたエイシオ。
自分に自信が全く無くて、自己肯定感の低いアユム。
エイシオは優しいアユムの料理や家事に癒やされ、アユムもエイシオの包容力で癒やされる。
お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!?
無自覚両片思いのほっこりBL。
前半~当て馬女の出現
後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話
予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。
サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。
アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。
完結保証!
このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。
※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。
異世界転移してΩになった俺(アラフォーリーマン)、庇護欲高めα騎士に身も心も溶かされる
ヨドミ
BL
もし生まれ変わったら、俺は思う存分甘やかされたい――。
アラフォーリーマン(社畜)である福沢裕介は、通勤途中、事故により異世界へ転移してしまう。
異世界ローリア王国皇太子の花嫁として召喚されたが、転移して早々、【災厄のΩ】と告げられ殺されそうになる。
【災厄のΩ】、それは複数のαを番にすることができるΩのことだった――。
αがハーレムを築くのが常識とされる異世界では、【災厄のΩ】は忌むべき存在。
負の烙印を押された裕介は、間一髪、銀髪のα騎士ジェイドに助けられ、彼の庇護のもと、騎士団施設で居候することに。
「αがΩを守るのは当然だ」とジェイドは裕介の世話を焼くようになって――。
庇護欲高め騎士(α)と甘やかされたいけどプライドが邪魔をして素直になれない中年リーマン(Ω)のすれ違いラブファンタジー。
※Rシーンには♡マークをつけます。
【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。
きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。
自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。
食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
氷鉄の騎士団長に拾われたスラムのオメガは、無自覚な溺愛に溶かされる
水凪しおん
BL
スラム街で泥とハーブの匂いにまみれ、オメガであることを隠して生きてきた少年ノア。
ある雨の日、発情の熱と寒さに震える彼を拾い上げたのは、王国最強と謳われる「氷鉄の騎士」ヴァレリウスだった。
「お前からは、雨に濡れた花のような匂いがする」
冷徹と恐れられる騎士団長は、ノアを汚いものとして扱うどころか、その匂いに安らぎを見出し、不器用ながらも全力で愛を注いでくる。
温かい食事、ふかふかのベッド、そして何よりも甘く強烈なアルファの庇護。
これは、孤独な二人が運命の番として惹かれ合い、心と体を溶かし合っていく、極上の溺愛救済BL。
※本作は性的な描写(キスや愛撫、発情期の描写など)を含みます。15歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
【完結】男の後輩に告白されたオレと、様子のおかしくなった幼なじみの話
須宮りんこ
BL
【あらすじ】
高校三年生の椿叶太には女子からモテまくりの幼なじみ・五十嵐青がいる。
二人は顔を合わせば絡む仲ではあるものの、叶太にとって青は生意気な幼なじみでしかない。
そんなある日、叶太は北村という一つ下の後輩・北村から告白される。
青いわく友達目線で見ても北村はいい奴らしい。しかも青とは違い、素直で礼儀正しい北村に叶太は好感を持つ。北村の希望もあって、まずは普通の先輩後輩として付き合いをはじめることに。
けれど叶太が北村に告白されたことを知った青の様子が、その日からおかしくなって――?
※本編完結済み。後日談連載中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる