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一人の少年が二人の騎士に護衛されながら魔術課の扉を潜った。

「今日は一日よろしくお願いします。」

そう子供らしい無邪気な笑みを浮かべて、ミランはオレと握手しようと手を差し出した。一瞬、その手に眉をひそめたが諦めてその手を取り、握手を交わした。

女性の次に子供が嫌いだ。
子供は落ち着きがなく、バタバタ走る。こちらの気持ちなどお構いなしに煩く話し掛け、泥や鼻水などで、汚れた手で触れてくる。

この少年は落ち着きがあり、手も汚れていないのでまだマシだが、子供というだけで既に充分面倒臭い。何故、オレが子供のお守りをしなければいけないのか。

そして何より腹立たしいのは……。

背後からヒシヒシと視線を感じる。
その視線は敵意を帯びていて、振り向くと緑の瞳がオレを一点に映していた。

ミランの護衛兼見張としてついた二人の騎士。一人は相棒を見て苦い笑みを浮かべながらそれでも見なかった事にして仕事に集中しようとしている。もう一人は先程述べたように仕事をしつつも合間合間にオレに敵意を向けてくる。

ー 人選ミスだ。

奴は、クラヴィスという男はミランの護衛兼見張としてついている。
つまりミランを守る以外にもミランがもし何かした時に取り押さえてオレ達を守る役割も担っている。


ミランが魔術課の部屋を見て回る中、副師長と奴の相棒の騎士がミランに付いて回る。相棒の騎士のようにミランに付いて回ればいいものを奴は何故かオレの隣に無表情で立っている。

「シグリさんは魔術課にはいないんですね。」

話し掛けて来たかと思えば性懲りもなく、シグリについてだ。この男からシグリの名を聞くと苛立つ。シグリの名を発する時の声色は熱を持っているから余計に苛立つ。

「お前には関係ない。」

「関係ないも何もただ聞いただけですよ。ただ会う事も貴方に許可を取らなければいけないんですか? 」

「人の嫁に手を出す人間に言われたくない。」

「そのお嫁さんを隷属させてる人に言われたくないです。」

「「…………。」」

暫し、無言の睨み合いが続く。
これが奴ではなければ、会話も喧嘩も面倒だと切り上げる所だが、正直奴にだけは一瞬でも勝ったと思わせたくない。下手にこちらから引いて勝ったと勘違いされるのは癪に触る。

「……俺はシグリさんにもらった手紙の事で言いたい事があるんですよ。」

奴は苛立ち混じりの声で言葉を紡ぐと視線を逸らした。しかし、その言葉を紡ぐ表情は苦いもので、何処か悲しんでいるようにも見えた。

「おい……。」

「アルトワルト様ッ。」

そもそもシグリからの手紙って何だと問いただそうと口を開いた瞬間、元気な声に言葉を遮られた。気付けば部屋に掛けられている空間魔術について副師長から説明をミランが隣でキラキラと羨望の眼差しを向けてこちらを見上げていた。

「……なんだ。」

用件を聞きつつも面倒だから今度は部屋の隅で通常職務をこなしているラエルにでも任せようかと視線を向けるがその視界の中にヒョイッとミランが入ってくる。まるでオレを逃がさないとでも言うかのように。

「僕はアルトワルト様から魔術を学びたいんです。」

何故、オレがお前に教えなければいけない?
使者の息子だが、やはり面倒だとラエルに指示を出そうとした。しかし…。

「僕は魔術を極めて何時かあの空を自由に飛んでみたいッ。未だ誰も到達していない空の先を見てみたいんですッ!! 」

しかし、その言葉は、その瞳は、幼き日の自身と対峙しているような奇妙な感覚を湧き上がらせる。

「空の先……。」

「ハイッ。だから是非、アルトワルト様に学びたいのです。」

このミランという少年は自分と同じ世界を見ているのかもしれない。そう感じた瞬間、一気に今までミランへの評価が変わる。面倒でどうでもいい存在から興味を引く存在へと…。

「浮遊魔術は確立されているが、まだ飛行魔術が確立されていないのは何故だと思う? 」

「空を飛ぶ魔術を継続して行う事は術者への負担が大きいからでしょうか? 魔術を行使し続けるのはかなりの精神力と体力が必要ですから。」

「確かにその問題もあるが、空を飛ぶには膨大な魔力が必要になる。根本的に人が作り出す魔力だけでは空を飛ぶには足りない。それ以外にも多々問題はあるが一番の難関は今お前が挙げた問題点とオレが挙げた問題点だろう。」

「だったら術者以外の魔術を補填する方法を……。」

「先人は魔石の魔力を用いる事で解決しようとしたが、魔石に内蔵されている魔力でも足りなかった。他にも魔力を蓄積する魔術式を……。」

魔術に対しての知識はまだ未熟だが、それでもミランは頭の回転の早さと柔軟な思考で飛行魔術の議論にもついてくる。

このミランという少年がオレとの議論に何処までついて来れるのか。その探究心と好奇心でオレの心はあの時、占められていたと思う。

だからだろうか。
周囲が始まった議論に飽き、苦笑いを浮かべながら少し距離を置き始めた瞬間に見せたミランの含みのある笑みに気付かなかったのは。

ミランが議論の途中でふと、懐に手を入れた。

取り出したのは濡れ羽色の羽ペン。
光の反射で緑や紫の光沢を生むその羽根は美しく、ミランはその羽ペンを振り上げた。

のシグ兄ちゃんを返して。」

暗殺者は人目を避けて暗殺を実行するだろう。その前提が、その思い込みがあったのも、また、油断した原因の一つかもしれない。

自身に振り下ろされた羽ペンを避ける事も魔術を展開して防ぐ事も出来ず、ただ振り下ろされた羽ペンの軌道を目で追った。

刺客対策で自身に施していた筈の簡易防壁魔術は振り下ろされた羽ペン反応する事なく、羽ペンは吸い込まれるようにオレの胸目掛けて…。

勢いよく振り下ろされた羽ペンは手に深く刺さり、ポタポタと赤い滴が床に落ちた。

「成程。確かにペンは先が鋭いから暗器に持ってこいっすね。」

羽ペンが突き刺された手は痛みに小刻みに震えながらもミランの手を逃さぬように羽ペンごと握り込む。

キッとミランを睨む琥珀の瞳は今にも閉じてしまいそうな程弱々しく、それでも歯を食いしばって睨み続ける。その琥珀の瞳にミランは光悦の表情を浮かべた。

「ああ、シグ兄ちゃん。ずっと会いたかったんだよ、ボク。」

そこには意識不明で、ベッドで寝込んでいる筈のシグリが居て、その手にはオレの胸に突き刺さる筈だった羽ペンが深々と突き刺さっていた。
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