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フローレンスと二人きりで
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わたしが連れてこられたのは王宮の一角にある厳重に結界を張られた、貴人用の牢屋だった。といってもよくある牢屋のように鉄格子に冷たい石壁むき出しの、というものではない。
高貴なる人が囚われる、一般の虜囚とは扱いの違う牢屋で、小さな窓と見張りのいる扉以外は普通の客用の居室とあまり変わらない。
わたしがここに連れてこられて二日目。
わたしの罪状はフローレンス・アイリーンをそそのかして、彼女に竜の卵を盗ませて黄金竜を魔法学園におびき寄せたこと。それ以前の彼女への度重なる嫌がらせ。
ちなみにアレックス教師はヴァイオレンツに嫉妬をされたのか、あのまま白亜の塔送りになった。どうやらわたしとアレックスが共犯ということになっているらしい。
まったく、どうしてそうなる。というか、よくもまあフローレンスのあの妄言を信じるなとわたしは呆れていた。明らかに話が破たんしていたのに。
さすがは乙女ゲームの世界。
この国ではフローレンスの言葉は絶対らしい。どんな魔法だよどんな法則だよ、と突っ込みたい。
幽閉されていると暇で、いろんなことを考えちゃう。
わたしの白亜の塔送りはたぶん確定で。
あーあ。結局はこのルートに逆戻りか、とか最後にレイルとちゃんと話をしておきたかったな、とか。
コンコン、と扉が叩かれたのはそんなとき。
役人が罪状を言いに来たのかなと、わたしは身構えた。
少しして入ってきたのはフローレンスだった。
彼女は、一人だった。
薄茶の髪に緑色の髪をしたごく普通の女の子。クラスの中で一番かわいいというわけでもなく、平均よりもちょっと上くらいの可愛さ。悪く言えば平凡な子。ってどこかのアイドルグループのコンセプトのような子がこの乙女ゲームのヒロインのフローレンスだ。
そのヒロインがわたしの元を単独で訪れた。
おっとりとした顔だちにうっすらと笑みを浮かべている。
彼女は見張りの人間に「しばらく二人きりにして頂戴ね」と言づけている。何か言われたのか、肩を震わせて「大丈夫。彼女は今魔法を封じられているのよ」と笑って答えた。
今のわたしは両腕に魔法封じの腕輪をつけられている。
しかもわたしが今いるところは結界を幾重にも張った最重要警備の施された場所。逃亡も、彼女に危害を加えることもできない。あ、素手で平手打ちくらいならできるか。
まあしないけど。
見張りを宥めたフローレンスは扉を閉めた。
室内にわたしと彼女、二人きりになる。
いったい何を思って彼女はここに来たのだろう。
「うふふ。差し入れを持ってきたのよ。わたしの手作りお菓子なの」
乙女ゲームの世界観に合わせてフローレンスもお菓子作りが得意だったな、と思い出す。彼女の作ったお菓子が素朴で美味しいとヴァイオレンツの心を掴むのだ。
わたしは黙ったままフローレンスを見つめ返した。
「ヴァイオレンツ様もおいしいって褒めてくださったの。わたし、リーゼロッテ様たちと違って庶民の出でしょう。高級な材料なんてなかなか手に入れることなんてできないし、道具も同じ。でも、ヴァイオレンツ様は美味しいって言ってくれたの。当然よね。だって、わたしが作ったんだもの」
あれ。こんなこと言う子だったっけ?
わたしは内心首をかしげる。
わたしの知っているゲームの中のフローレンスっていう子は『でも、ヴァイオレンツ様は美味しいって言ってくれたの。お世辞だとしても嬉しかったわ』とか続けるくらい遠慮深い。
彼女は勧めていないのに、勝手に部屋の中央にある応接セットの椅子に座り、ローテーブルの上にバスケットを置いた。
中から取り出したのはクッキーやパウンドケーキ。
ポットに入ったお茶もある。
お茶会の道具を広げて、彼女は自分のカップにお茶を入れて飲みはじめる。
「リーゼロッテ様もいかが? それとも、わたしの作ったお菓子は口に合わないかしら。そういえば、そういうシチュエーションもあったはずなのに、この世界では一度もあなたとお茶する機会が無かったわよね」
わたしの背筋に冷たい汗が伝った。
いま、この子はそういうシチュエーションもあったのに、と言った。この世界っていったいどこの世界のことを言っているの。
わたしの疑問に、頭の中である答えが点滅する。クイズ番組で言うなら早押しピンポーンってランプが光るアレ。
「別に他意は無かったの。ただ、いつもタイミングが悪かっただけで」
わたしは慎重に言葉を紡いだ。
「そうね。いつもリーゼロッテ様は何か理由をつけてわたしの前に現れなかった。勉強が忙しいとか、宿題がまだ終わっていないとか、レポートの提出期限がどうのとか。まあ、それもいいように利用させてもらったけど」
でしょうね。わたしは乙女ゲームのヒロインと関わり合いになりたくて逃げ回っていたけど、逃げれば逃げるほどわたしが庶民の出のフローレンスを仲間外れにしているとか、一緒にいたくないって言っているとか、勝手に話が肥大して尾ひれがついてそれが真実になっていった。
「ここであなたの作ったお菓子を食べないと、またわたしはフローレンス様の慈悲を振り払ったとか、この期に及んでフローレンス様を非難したとか色々と言われるのかしら」
わたしは彼女の対面に座った。
「え、やあだぁ。そんな風に受け取ってもらいたくて言ったんじゃないのに」
フローレンスは慌てて両手をぱたぱたと振った。
とりあえず、わたしは彼女の持ってきたクッキーに手を伸ばした。
何かしていないと、間が持たない。
「おいしい?」
わたしがクッキーを咀嚼していると、彼女が聞いてきた。
「ええ」
素直に美味しかったからわたしは頷いた。
「料理の練習結構たいへんだったのよ。元から料理のスキルが付いているわけでもないから」
「わたしも小さいころからお菓子作りは頑張ったわ」
「あら、あなたもそういう努力はするのね。わたしは……あんまり好きでもなかったけれど、一応将来ヴァイオレンツ様に見初められたかったし。まあ頑張るか、って思って作り続けたのよ」
フローレンスの言い方がさっきから妙に引っかかる。
それはきっと、わたしが転生者だから。
「せっかく、フローレンスになったのに。ヒロインになれたのに。この世界はちっともわたしの思い通りにならない。ねえ、あなたどうしてちゃんと悪役令嬢をしてくれないの?」
フローレンスの言葉にわたしの呼吸が止まった。
いま、彼女ははっきりとわたしのことを悪役令嬢だと言った。そんな言葉、この世界に無いのに。
わたしは、自分の考えが当たっていたことを確信する。
目の前のフローレンス・アイリーンもまた転生者なのだ、と。
「な、なにが……言いたいの? 悪役……令嬢ってなんのことかしら」
わたしはとぼけることにした。
「あなた……とぼけているの? それとも、バグでも起こしているのかしら」
フローレンスはわたしをじっと見て、それからひとりごとのように呟いた。
「あなたのせいでわたしゲーム内でのイベントを何一つクリアできなかったし。最初の風の精霊以降、水も風も炎も、全部の精霊と守護契約を結べなかった。これってリーゼロッテがシナリオ通りに動いてくれないからよ。そのへんのことちゃんとわかっている?」
「何のことを言っているのか、さっぱり分からないわ。わたしは、自分のやりたいように生活をしていただけよ」
本当は故意にフローレンスと接点を持たなかったし、ゲーム内でのイベントを発生させて彼女を有利にしたくなかったから、イベントが発生しないようにわたしは行動してきた。
水の精霊と彼女が契約を結んだのは、悪役令嬢リーゼロッテが彼女の大事なペンダントを湖に落として、フローレンスがそれを拾おうと湖の中に飛び込んだから。わたしは彼女のペンダントに触れもしなかったし、そもそも湖のほとりでキャンプ(お嬢様仕様の豪華版)自体のイベントを休止するよう根回しをした。
ほかのゲーム内イベントも理由をつけて中止にしたり、フローレンスが精霊と契約するシーンを発生させないように注意深く振舞っていた。
すべては悪役令嬢としてのバッドエンド回避のため。
こっちも自分の人生がかかっていたから必死だった。
「そう。それよ。自分勝手に動き回ってくれちゃうからわたしはちっとも楽しくなかった。ヴァイオレンツ様と、他の攻略対象はわたしを好きになってくれたけど、このゲームの醍醐味は精霊と黄金竜の逆ハーなのよ。なのに、どこぞのあなたのせいで、ぜーんぜんうまくいかないし。レアキャラの黄金竜の貴公子はともかく、精霊との契約が風のみってひどくない? 酷いよね! もうちょーあり得ないっ」
フローレンスの言葉遣いが現代日本のものになりつつある。
あーこれ完璧前世日本人じゃん。
ま、わたしの心の声もかなり砕けまくっているけどさ。
「そんな悪役令嬢のあなたは、最後の最後にイミフな行動起こして、死んじゃったとか思っていたのに実は生きていましたとか。余計にわけわかんないわ。しかも! 黄金竜と仲良しとか、炎の精霊から庇われているとか! 何様なの?」
フローレンスが一気にまくしたてる。
その様子は完璧に人格が入れ替わっている、というかフローレンスの元になった前世の人間のもの。
「あなた、どうして竜の卵を盗んだの?」
わたしはそれだけ尋ねた。
どうにも、彼女の行動原理が分からなかったから。
「ああそれ。だって、精霊がゲットできなかったし。やっぱりヒロインたるもの、特別な存在になりたいじゃない。なのに、どこかのあなたのせいでわたしの周りには精霊も黄金竜も現れなかったし。だからわたし、自分から見つけに行くことにしたのよ。アレックスって、あれで竜の生態に詳しくてね。だから彼に持ち掛けたの。竜の卵を盗ってきて、孵化させようって」
わたしが水を向けるとフローレンスは嬉々として語り出した。
「孵化させてどうするのよ」
「どうするって。決まっているじゃない。きっとその子はわたしのことを頼ってくれるわ。わたしも竜の子供を庇護してあげる。わたしは、その子の竜の乙女になるのよ」
嬉しそうに、自分の考えが素晴らしいかのように語るフローレンス。
わたしは、自分勝手な彼女の考えに怒りを覚えた。
「そんなことのために、ルーンから卵を奪ったの?」
「ルーン? ああ、竜の名前ね。あなた、そんなにもその竜と親しくなったの? 悪役令嬢のくせに? わたしのことをいじめる役回りしかないくせに。何様のつもりよ」
「わたしは、リーゼロッテ・ディーナ・ファン・ベルヘウムよ。リーゼ様って呼んでくれていいのよ?」
「ああ、それよそれ。リーゼ様って。よく知っている台詞だわ」
そりゃそうでしょう。わたしだってよぉく知っている。
もちろんわざと言ってやった。
わたしはまだ、怒っている。自分勝手な思いでルーンから大切な卵を奪った彼女に。
ルーンの卵が孵らなかったらあんたのせいだ。
わたしがキッとフローレンスを睨みつけると、彼女は笑うのをやめた。
「ああそう。その顔、いかにも悪役令嬢らしいわね。まあ色々とあったけれど、最後はよしとするわ。やっぱり断罪イベントはちゃんとやらないとすっきりしないし」
彼女は自信を取り戻していた。
優雅に背もたれに体重を預けて、それから足を組んだ。
口元にはヒロインらしからぬ意地悪な笑み。どっちが悪役だよ。
「ちゃんとね、あなたを断罪してあげる。シュリーゼム魔法学園の被害は甚大よ? 建物壊れちゃったし。幸いに重傷者死人はいなかったけれど。全部あなたの罪にしてあげたから」
「あれはあなたとアレックス先生の罪でしょう」
「いいえ、違うわ。あなたの罪。わたしが泣けばヴァイオレンツ様はわたしの味方になってくれるもの。さすがはゲームのメイン攻略対象よね。彼はフローレンスにめろっめろなの。ゲームのシナリオながらすごいわ」
フローレンスはけらけらと笑った。
それはもう楽しそうに。彼女はわたしのことを役立たずな悪役令嬢としか見てない。
「あなたは、あなたにとってはこの世界はおもちゃのようでしかないのね」
「んー、リーゼロッテ様にはわからないかもだけどぉ。この世界はわたしを中心に回っているの。だから早いところ変なバグは取り除いておかないとね。わたし困っちゃう」
フローレンスは肩を揺らした。
それからカップの中のお茶をくいっと飲んで、ローテーブルの上を片付ける。持ってきたバスケットの中にお菓子の残りやカップをしまって、彼女は立ち上がった。
「じゃあね。断罪イベント楽しみにしていてね。もちろん、ベルヘウム公爵家は今回のことにもノータッチだから。薄情な両親を持って、あなたも可哀そうね」
フローレンスはひらひらと手を振ってから扉に手を掛けた。
一か八か、逃げだしてやろうかなんて考えたけど。
わたしはすぐにその考えを打ち消した。
逃げたって、魔法を封じられた今のわたしにできることなんてないに等しいし、それに王宮から逃亡しても、今度こそ路頭に迷うだけ。女一人でできることなんて限界がある。
わたしは一人取り残されて、ベッドにあおむけになった。
「あーあ……」
ついてないなぁ。
まさかフローレンスも転生者だったなんて。
高貴なる人が囚われる、一般の虜囚とは扱いの違う牢屋で、小さな窓と見張りのいる扉以外は普通の客用の居室とあまり変わらない。
わたしがここに連れてこられて二日目。
わたしの罪状はフローレンス・アイリーンをそそのかして、彼女に竜の卵を盗ませて黄金竜を魔法学園におびき寄せたこと。それ以前の彼女への度重なる嫌がらせ。
ちなみにアレックス教師はヴァイオレンツに嫉妬をされたのか、あのまま白亜の塔送りになった。どうやらわたしとアレックスが共犯ということになっているらしい。
まったく、どうしてそうなる。というか、よくもまあフローレンスのあの妄言を信じるなとわたしは呆れていた。明らかに話が破たんしていたのに。
さすがは乙女ゲームの世界。
この国ではフローレンスの言葉は絶対らしい。どんな魔法だよどんな法則だよ、と突っ込みたい。
幽閉されていると暇で、いろんなことを考えちゃう。
わたしの白亜の塔送りはたぶん確定で。
あーあ。結局はこのルートに逆戻りか、とか最後にレイルとちゃんと話をしておきたかったな、とか。
コンコン、と扉が叩かれたのはそんなとき。
役人が罪状を言いに来たのかなと、わたしは身構えた。
少しして入ってきたのはフローレンスだった。
彼女は、一人だった。
薄茶の髪に緑色の髪をしたごく普通の女の子。クラスの中で一番かわいいというわけでもなく、平均よりもちょっと上くらいの可愛さ。悪く言えば平凡な子。ってどこかのアイドルグループのコンセプトのような子がこの乙女ゲームのヒロインのフローレンスだ。
そのヒロインがわたしの元を単独で訪れた。
おっとりとした顔だちにうっすらと笑みを浮かべている。
彼女は見張りの人間に「しばらく二人きりにして頂戴ね」と言づけている。何か言われたのか、肩を震わせて「大丈夫。彼女は今魔法を封じられているのよ」と笑って答えた。
今のわたしは両腕に魔法封じの腕輪をつけられている。
しかもわたしが今いるところは結界を幾重にも張った最重要警備の施された場所。逃亡も、彼女に危害を加えることもできない。あ、素手で平手打ちくらいならできるか。
まあしないけど。
見張りを宥めたフローレンスは扉を閉めた。
室内にわたしと彼女、二人きりになる。
いったい何を思って彼女はここに来たのだろう。
「うふふ。差し入れを持ってきたのよ。わたしの手作りお菓子なの」
乙女ゲームの世界観に合わせてフローレンスもお菓子作りが得意だったな、と思い出す。彼女の作ったお菓子が素朴で美味しいとヴァイオレンツの心を掴むのだ。
わたしは黙ったままフローレンスを見つめ返した。
「ヴァイオレンツ様もおいしいって褒めてくださったの。わたし、リーゼロッテ様たちと違って庶民の出でしょう。高級な材料なんてなかなか手に入れることなんてできないし、道具も同じ。でも、ヴァイオレンツ様は美味しいって言ってくれたの。当然よね。だって、わたしが作ったんだもの」
あれ。こんなこと言う子だったっけ?
わたしは内心首をかしげる。
わたしの知っているゲームの中のフローレンスっていう子は『でも、ヴァイオレンツ様は美味しいって言ってくれたの。お世辞だとしても嬉しかったわ』とか続けるくらい遠慮深い。
彼女は勧めていないのに、勝手に部屋の中央にある応接セットの椅子に座り、ローテーブルの上にバスケットを置いた。
中から取り出したのはクッキーやパウンドケーキ。
ポットに入ったお茶もある。
お茶会の道具を広げて、彼女は自分のカップにお茶を入れて飲みはじめる。
「リーゼロッテ様もいかが? それとも、わたしの作ったお菓子は口に合わないかしら。そういえば、そういうシチュエーションもあったはずなのに、この世界では一度もあなたとお茶する機会が無かったわよね」
わたしの背筋に冷たい汗が伝った。
いま、この子はそういうシチュエーションもあったのに、と言った。この世界っていったいどこの世界のことを言っているの。
わたしの疑問に、頭の中である答えが点滅する。クイズ番組で言うなら早押しピンポーンってランプが光るアレ。
「別に他意は無かったの。ただ、いつもタイミングが悪かっただけで」
わたしは慎重に言葉を紡いだ。
「そうね。いつもリーゼロッテ様は何か理由をつけてわたしの前に現れなかった。勉強が忙しいとか、宿題がまだ終わっていないとか、レポートの提出期限がどうのとか。まあ、それもいいように利用させてもらったけど」
でしょうね。わたしは乙女ゲームのヒロインと関わり合いになりたくて逃げ回っていたけど、逃げれば逃げるほどわたしが庶民の出のフローレンスを仲間外れにしているとか、一緒にいたくないって言っているとか、勝手に話が肥大して尾ひれがついてそれが真実になっていった。
「ここであなたの作ったお菓子を食べないと、またわたしはフローレンス様の慈悲を振り払ったとか、この期に及んでフローレンス様を非難したとか色々と言われるのかしら」
わたしは彼女の対面に座った。
「え、やあだぁ。そんな風に受け取ってもらいたくて言ったんじゃないのに」
フローレンスは慌てて両手をぱたぱたと振った。
とりあえず、わたしは彼女の持ってきたクッキーに手を伸ばした。
何かしていないと、間が持たない。
「おいしい?」
わたしがクッキーを咀嚼していると、彼女が聞いてきた。
「ええ」
素直に美味しかったからわたしは頷いた。
「料理の練習結構たいへんだったのよ。元から料理のスキルが付いているわけでもないから」
「わたしも小さいころからお菓子作りは頑張ったわ」
「あら、あなたもそういう努力はするのね。わたしは……あんまり好きでもなかったけれど、一応将来ヴァイオレンツ様に見初められたかったし。まあ頑張るか、って思って作り続けたのよ」
フローレンスの言い方がさっきから妙に引っかかる。
それはきっと、わたしが転生者だから。
「せっかく、フローレンスになったのに。ヒロインになれたのに。この世界はちっともわたしの思い通りにならない。ねえ、あなたどうしてちゃんと悪役令嬢をしてくれないの?」
フローレンスの言葉にわたしの呼吸が止まった。
いま、彼女ははっきりとわたしのことを悪役令嬢だと言った。そんな言葉、この世界に無いのに。
わたしは、自分の考えが当たっていたことを確信する。
目の前のフローレンス・アイリーンもまた転生者なのだ、と。
「な、なにが……言いたいの? 悪役……令嬢ってなんのことかしら」
わたしはとぼけることにした。
「あなた……とぼけているの? それとも、バグでも起こしているのかしら」
フローレンスはわたしをじっと見て、それからひとりごとのように呟いた。
「あなたのせいでわたしゲーム内でのイベントを何一つクリアできなかったし。最初の風の精霊以降、水も風も炎も、全部の精霊と守護契約を結べなかった。これってリーゼロッテがシナリオ通りに動いてくれないからよ。そのへんのことちゃんとわかっている?」
「何のことを言っているのか、さっぱり分からないわ。わたしは、自分のやりたいように生活をしていただけよ」
本当は故意にフローレンスと接点を持たなかったし、ゲーム内でのイベントを発生させて彼女を有利にしたくなかったから、イベントが発生しないようにわたしは行動してきた。
水の精霊と彼女が契約を結んだのは、悪役令嬢リーゼロッテが彼女の大事なペンダントを湖に落として、フローレンスがそれを拾おうと湖の中に飛び込んだから。わたしは彼女のペンダントに触れもしなかったし、そもそも湖のほとりでキャンプ(お嬢様仕様の豪華版)自体のイベントを休止するよう根回しをした。
ほかのゲーム内イベントも理由をつけて中止にしたり、フローレンスが精霊と契約するシーンを発生させないように注意深く振舞っていた。
すべては悪役令嬢としてのバッドエンド回避のため。
こっちも自分の人生がかかっていたから必死だった。
「そう。それよ。自分勝手に動き回ってくれちゃうからわたしはちっとも楽しくなかった。ヴァイオレンツ様と、他の攻略対象はわたしを好きになってくれたけど、このゲームの醍醐味は精霊と黄金竜の逆ハーなのよ。なのに、どこぞのあなたのせいで、ぜーんぜんうまくいかないし。レアキャラの黄金竜の貴公子はともかく、精霊との契約が風のみってひどくない? 酷いよね! もうちょーあり得ないっ」
フローレンスの言葉遣いが現代日本のものになりつつある。
あーこれ完璧前世日本人じゃん。
ま、わたしの心の声もかなり砕けまくっているけどさ。
「そんな悪役令嬢のあなたは、最後の最後にイミフな行動起こして、死んじゃったとか思っていたのに実は生きていましたとか。余計にわけわかんないわ。しかも! 黄金竜と仲良しとか、炎の精霊から庇われているとか! 何様なの?」
フローレンスが一気にまくしたてる。
その様子は完璧に人格が入れ替わっている、というかフローレンスの元になった前世の人間のもの。
「あなた、どうして竜の卵を盗んだの?」
わたしはそれだけ尋ねた。
どうにも、彼女の行動原理が分からなかったから。
「ああそれ。だって、精霊がゲットできなかったし。やっぱりヒロインたるもの、特別な存在になりたいじゃない。なのに、どこかのあなたのせいでわたしの周りには精霊も黄金竜も現れなかったし。だからわたし、自分から見つけに行くことにしたのよ。アレックスって、あれで竜の生態に詳しくてね。だから彼に持ち掛けたの。竜の卵を盗ってきて、孵化させようって」
わたしが水を向けるとフローレンスは嬉々として語り出した。
「孵化させてどうするのよ」
「どうするって。決まっているじゃない。きっとその子はわたしのことを頼ってくれるわ。わたしも竜の子供を庇護してあげる。わたしは、その子の竜の乙女になるのよ」
嬉しそうに、自分の考えが素晴らしいかのように語るフローレンス。
わたしは、自分勝手な彼女の考えに怒りを覚えた。
「そんなことのために、ルーンから卵を奪ったの?」
「ルーン? ああ、竜の名前ね。あなた、そんなにもその竜と親しくなったの? 悪役令嬢のくせに? わたしのことをいじめる役回りしかないくせに。何様のつもりよ」
「わたしは、リーゼロッテ・ディーナ・ファン・ベルヘウムよ。リーゼ様って呼んでくれていいのよ?」
「ああ、それよそれ。リーゼ様って。よく知っている台詞だわ」
そりゃそうでしょう。わたしだってよぉく知っている。
もちろんわざと言ってやった。
わたしはまだ、怒っている。自分勝手な思いでルーンから大切な卵を奪った彼女に。
ルーンの卵が孵らなかったらあんたのせいだ。
わたしがキッとフローレンスを睨みつけると、彼女は笑うのをやめた。
「ああそう。その顔、いかにも悪役令嬢らしいわね。まあ色々とあったけれど、最後はよしとするわ。やっぱり断罪イベントはちゃんとやらないとすっきりしないし」
彼女は自信を取り戻していた。
優雅に背もたれに体重を預けて、それから足を組んだ。
口元にはヒロインらしからぬ意地悪な笑み。どっちが悪役だよ。
「ちゃんとね、あなたを断罪してあげる。シュリーゼム魔法学園の被害は甚大よ? 建物壊れちゃったし。幸いに重傷者死人はいなかったけれど。全部あなたの罪にしてあげたから」
「あれはあなたとアレックス先生の罪でしょう」
「いいえ、違うわ。あなたの罪。わたしが泣けばヴァイオレンツ様はわたしの味方になってくれるもの。さすがはゲームのメイン攻略対象よね。彼はフローレンスにめろっめろなの。ゲームのシナリオながらすごいわ」
フローレンスはけらけらと笑った。
それはもう楽しそうに。彼女はわたしのことを役立たずな悪役令嬢としか見てない。
「あなたは、あなたにとってはこの世界はおもちゃのようでしかないのね」
「んー、リーゼロッテ様にはわからないかもだけどぉ。この世界はわたしを中心に回っているの。だから早いところ変なバグは取り除いておかないとね。わたし困っちゃう」
フローレンスは肩を揺らした。
それからカップの中のお茶をくいっと飲んで、ローテーブルの上を片付ける。持ってきたバスケットの中にお菓子の残りやカップをしまって、彼女は立ち上がった。
「じゃあね。断罪イベント楽しみにしていてね。もちろん、ベルヘウム公爵家は今回のことにもノータッチだから。薄情な両親を持って、あなたも可哀そうね」
フローレンスはひらひらと手を振ってから扉に手を掛けた。
一か八か、逃げだしてやろうかなんて考えたけど。
わたしはすぐにその考えを打ち消した。
逃げたって、魔法を封じられた今のわたしにできることなんてないに等しいし、それに王宮から逃亡しても、今度こそ路頭に迷うだけ。女一人でできることなんて限界がある。
わたしは一人取り残されて、ベッドにあおむけになった。
「あーあ……」
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まさかフローレンスも転生者だったなんて。
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