隠居勇者と聖女の契約 ~魔王を倒したその後のお話~

木炭

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第2章 辺境伯編

マルセイユ家とマオ

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「ユーキ。おはよう」
「ん? ああ、おはよう」

 勇人の姿をみるや、尻尾をぶんぶんと振り、耳をピコピコと動かしながらマオが駆け寄ってくる。
 街での一件以来、無表情は相変わらずだが、随分と懐かれた。暇があればべったりとくっつかれ、全身を勇人に擦りつけてくる。
 一度「マーキングか?」と冗談交じりに問うた時に、真剣な表情で「うん。他の、雌に牽制」と言われた時はさすがに顔が引きつった。

「ユーキ」
「あ、こらっ」

 マオは、わざわざ勇人の膝の上にのってくる。その動きは、獅子の獣人であるはずなのでまるで猫であった。

「んー。ユーキの、膝。落ち着く」
「あのなぁ。これじゃ飯が食べにくいだろ」
「……だめ?」
「うっ」

 膝の上から上目づかいに顔を覗きこまれる。拒絶されるのが不安なのか、怯えて揺れるマオの瞳を見てしまうと、駄目とはとても言えなくなる。

「……今回だけだぞ」
「うん。ありが、とう」

 マオは、目を細めた口端を少しだけ上げて笑う。最近は、こういう小さな笑みくらいは見せてくれることが多くなったのも、変わった点である。

「おやおや。朝からお二人とも楽しそうですね」
「……」

 そんな甘い空気の中、狐男がニコニコとした笑みを貼り付けながら現れた。すると、マオの柔らかだった雰囲気が一転して、凍り付く様な冷たいものへと変わる。

「しかし、いけませんよマオ様。貴女のような高貴なお方が平民などに抱き着いては」
「……ふん」

 マオは顔を逸らすが、狐男に逆らうことはせず、勇人の膝から降りる。その暖かさが離れていくのが残念に感じるが、あんな男に見られながらイチャつくのは不可能なので素直に諦める。

「貴方も、マオ様がお優しいからと近づきすぎないようにお願いしますね?」
「へいへい」

 狐男は笑顔を浮かべているが、目はこれっぽちも笑っていない。それどころか、ここ最近は殺気を隠そうともせずに向けてくる。

(なんでいきなりここまで恨まれているんだ?)

 そよ風のような殺気とはいえ、常に向けられていては気も滅入る。ひらひらと手を振って答える勇人を見て、ピクリッと眉を動かすが、笑顔の仮面は崩さない。

「まあ、いいでしょう。ところでマオ様。本日は昼ごろより、マルセイユ辺境伯からお話があるので屋敷まで来てほしいとのこと。おそらくは、家名の授与についてでしょう」
「……わかっ、た」
「はい。お願いしますね。では、私は少々用事がありますので失礼させていただきます」

 狐男の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、マオは再び抱き着いてきた。

「……すんすん。ユーキ、の身体、雄の匂い」
「それは汗臭いとかそういう意味か?」
「ちが、う。雌を、発情させる、いい匂い」
「褒められてるのか」
「う、ん。ユーキの、子なら、すぐに、孕み、たい」
「……そりゃどうも」

 結局、その後はマオに抱き着かれたまま朝食を食べることになったのである。

 ******

 昼ごろに迎えの馬車が屋敷へ訪れ、そのままマルセイユの屋敷へと連れて行かれる。

「ようこそおいで下さいました。マオお嬢様、イチノセ様」

 初めてみたときと同じように、カールは見事な礼をして出迎えてくれた。 

「そっちも変わらないみたいだな。リリアとシェロはどうしてる? 迷惑かけていないか?」
「はい。リリア様はもちろんのこと、シェロ様に関しましては何度も屋敷に忍び込もうとした賊を返り討ちにしていただきました」

 どうやら、心配は無用であったみたいだ。

「イチノセ様も……随分とマオ様と打ち解けられたようで」
「なんだろうな。成り行き?」

 勇人が隣に視線を向けると、真っ赤なドレスを着たマオが、寄り添うように立っていた。
 その距離は護衛とその護衛対象と言うよりは、夫に連れ添う妻のようである。

「私としましては、マオ様が幸せならばそれでよいと思っております。ですが、娶るのならばダンナ様が黙っていらっしゃいませんよ? あのお方は娘を溺愛していらっしゃいますので」
「私、お父、さんのことよく、しらない」
「そうであったとしても、ダンナ様はマオ様のことを既に娘として思ってらっしゃいます。正妻の子、妾の子、過ごしてきた時間の密度など、あの人の愛の前で些細なものです」

 どこの世界でも、大事な娘をモノにするために立ちふさがる最後の関門は父親のようである。

「最も、リリア様からの信も厚いイチノセ様ならば問題はないと思います。いますぐ娶られますか?」
「あーカールさん。その冗談はちょっと笑えないぞ。それに、あまり待たせるのも悪いだろ?」
「半分は本気でしたが……確かにダンナ様を待たせるのは執事失格ですね。では、そろそろ参りましょう」

 カールに案内され、勇人たちはラオの待つ執務室へときた。

「ダンナ様。マオ様、イチノセ様がお見えです」
「……入ってくれ」

 扉の向こうから聞こえてきた声は、勇人が以前に聞いたラオの声よりも固く、緊張が窺えた。

「では、失礼します」

 カールがドアを開け、勇人たちを中へ入るように促す。それに従って中へと入ると、ラオの他にメーデやシェロ、そして数日ぶりに見たリリアの姿があった。
 リリアは、長い金髪を結い上げ、マオとは対照的な青いAラインドレスを着ていた。
 胸元は強調するように開かれているせか妙に扇情的であり、唇に塗られた口紅が艶めかしい。

(……綺麗だ)

 そんなドレス姿のリリアを見て勇人は、それ以外の言葉浮かんでこない。それほどまでに勇人は衝撃を受けた。

「……むぅ」
「っと、とと! マオ?」

 勇人がリリアに見惚れていると、隣に並んでいたマオが体重を寄りかけて腕に抱き着いてきた。

「ユーキ。私も、見て」

 マオにしては珍しく、声に感情が乗っていた。撫でてくれとばかりに耳を斜め後ろに倒し、尻尾を身体に巻きつけてくる。
 
(げっ)

 マオが腕に抱き着くと、シェロの目が怖いくらいに細められ、なぜだかリリアにも蔑んだ目で見られる。

(こりゃ誤解されたか)

 二人への釈明は後ですることにして、いまは完全に甘える準備ができているマオをどうするべきか悩んでいると、ラオが大きく咳払いをした。

「ほら、マオ。辺境伯はお前に用事があって呼んだんだ」
「むぅ……」

 不満げな顔をして勇人からマオは離れると、微妙な空気のままラオの前に立つ。

「マオ、来ました」
「う、うむ。よく来た。すまないな、数日の間も顔を見せることができなくて」
「いえ、大丈夫、です。ユーキが、居てくれた」
「ああ……そうみたいだな。イチノセ殿。ずいぶんと娘と親しくなったようだな」

 ラオが勇人に向けてくる。ぴょこぴょこと落ち着きなく髭が動いている顔には、「私より早くマオと仲良くなってずるい!」と書いてあった。
 確かに、カールの言う通り完全な親馬鹿のようだった。

「用事は、なんで、しょう?」
「う、うむ。マオよ。貴族簿へ名前の登録も終わり、マルセイユ家の受け入れも無事に終わった。今日から君は、マオ・マルセイユ・セクトとなる」
「……はい」

 マオがぺこりと頭を下げる。しかし、どうにもラオは挙動不審だった。

「……? あの、どう、しました?」
「う、うむ。その、な。マオよ。今日から私はお前の父なわけだ」
「? はい」
「だ、だから、その……私のことをパパ、と呼んでもいいのだぞ?」
「……はい?」

 想像の遥か彼方から飛んできた言葉に、マオの動きがピシリと固まる。

「ああ! ずるいですお父様! マオちゃん! いいえ、マオ! 私のことはお姉様って呼んでくださいね!」

 これ以上は辛抱堪らんとばかりに駈け寄ったメーデが、マオに抱き着くと、その場で抱え上げてクルクルと回り出す。

「え? え?」
「メーデ! 私だってまだマオのことを抱きしめたことがないというのにお前は……!」
「こいうのは早い者勝ちですわお父様。ああ、それにしてもマオは軽くて凄く可愛らしいですわね。さすがは私の妹ですわ」
「ほら、そろそろ私にもマオのことを抱っこさせない!」
「嫌ですわ! 今日一日は離したくありませんわ!」

 喧々囂々けんけんごうごう。マオを間に挟んで言い争う親子を見て、勇人は思わず脱力してしまう。

「なんだあれ」
「あははは、メーデもマオちゃんが来るのを楽しみにしていたんです。……久しぶりですね、ユーキさん」

 親子の喧嘩を迂回して近づいてきたリリアが柔らかく笑う。

「あ、ああ。久しぶりだな」
「離れていた時間はそんなに長かったわけじゃないのに、こうしてユーキさんに会うと色々と言いたいことが浮かんできます」
「リリア……」
(なんだ。なんか凄い良い雰囲気じゃないか?)

 先ほどまで蔑まれていたの嘘のようであると思っていると、リリアが絡みついてくる。
 この流れなら、屋敷の一室でリリアの身体を久しぶりに味わえるかもしれないという気持ちが湧いてきた。だが、

「さあ、ユーキさん。――どうやってマオちゃんをタラしこんだのか、キッチリお話していただきますね」

 急に凍えるように冷たい声をだしたリリアに、勇人の欲望は砕かれた。

「そうじゃの。妾たちが傍に居ないのを言いことに、色々とやっておったようじゃからな」
「――は?」

 いつのまにやら、反対の腕もシェロにガッチリと固定されていた。

「ユーキさん」
「主様よ」
「「覚悟はいいですか?/覚悟はできておるのだろうな?」」
「ちょっ! まっ! やめろ、こら! ひぃぃぃぃぃぃ!」

 シャロとリリアは、親子で言い争っている二人から背を向けてずるずると勇人を引きずっている。
 その顔は般若もかくやというほどの怒気が感じられた。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 後に、二人のお仕置きによって勇人の悲鳴が屋敷中に響き渡ったのだが、それはまた別のお話である。
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